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雲丹亀玄静 その6

玄静の過去編です。三話くらい続きます。

 十年以上前。玄静がまだ7歳くらいの頃。地元で開かれた将棋大会の最終戦を見に行った。


 大会の中でも特に少年の部は息もつかせぬような接戦が展開されていた。


 瑠璃色の着物を着た少年と柿色の着物着た少年が対峙している。二人とも正座をしたまま己の意識すべてを盤上の上へと注ぎ込み、その様子を多くのギャラリーが沈黙しながら見守っている。


「十秒……」


 ふいに、時計が刻む残り時間を審判が伝える。


 柿色の着物を着た棋士は苦し紛れに駒をつかみ、先手を進める。


 パチリ、と。


 駒が進んだ音がして、再び沈黙。


 対局は最終局面。中盤までは拮抗していたものの、終盤に向かうにつれ瑠璃色の少年が怒涛の攻めを展開した。柿色の着物を着た少年は受けに回るも、その差は拡大し続けている。


 瑠璃色の着物を着た少年は余裕をもって指し手を打つ。


「……まいりました」


 柿色の着物を着た少年が頭を下げて投了する。


 こうして瑠璃色の着物を着た少年が勝利をおさめた。


「すごい! 本当に雲丹亀くんが勝ったわ」


「さすが、頭いいわね〜」


 大人たちが拍手を送る中、対局を見守っていた母が肩に手を置いてささやく。


「ほら、玄静。お兄ちゃんが勝ったわ」


 当時はルールを知らなかった玄静はようやく、大好きな兄が勝利をおさめたと理解する。


 歓喜の涙を浮かべながらこぶしを握り締め、喜びとともに突き上げてガッツポーズをとっている。その兄の表情がとてもうれしそうで、楽しそうで。


「兄ちゃん!」


 幼い玄静の叫びに、瑠璃色の着物を着た少年、兄の白義がにっこりと笑いかける。


 向けられたピースサインと煌びやかな笑顔が懐かしい思い出だった。

 








 雲丹亀家は皇王国における六大貴族の一つ。千年前、天修羅の討伐に尽力し、王国設立後は初代大臣となった偉人・雲丹亀壕を祖に持つ。領地は国内で三番目に広く、歴代の大臣を輩出した数は全貴族の中でトップに位置する。大貴族の中の大貴族だ。


 歴代の当主がその深い知恵と忠義で時の国王に仕えたからこそ、雲丹亀家の繁栄がある。その最たる証として、雲丹亀家は国王より国宝を預かっていた。


 陸震杖。大地を揺らし、地形を変化させる力を持つ、天斬剣と並ぶ特級波動具だ。


 かつて初代当主・雲丹亀壕は陸震杖を用いて妖の軍団を地の底に沈めたとされる。また、大臣に就任してからは荒廃した国土を復興させるために陸震杖を振るったとか。


 特級波動具は本来王国が管理するのだが、雲丹亀家は陸震杖の管理を国から任されているのだ。同時に、陸震杖の持ち主として選ばれることが雲丹亀家当主となる条件になっていた。


 特級の波動具は使い手を選ぶ。明確な基準はないが、一般的に初代の使い手と似た精神性、能力の波動師を選ぶという。


 ゆえに雲丹亀の名を持つものは老若男女問わず、本家も分家も関係なくその才覚を鍛える。広い知識を、深い軍略を、高い波動の技術を身に着ける。


 初代当主・雲丹亀壕に一歩でも近づくために。そして、次期当主となるために。


 本家の次男として生まれた玄静も例外ではなかった。縁側で将棋駒を動かすのが日課だった。うららかな日差しがさす午後、教本を片手に、または兄から直接手ほどきを受けながら盤面を動かす。が、


「だめだ〜。もう勝てないよ」


「こら玄静。諦めるのが早いぞ」


 知恵熱で湯だった頭が盤上に突っ伏し、兄からお叱りが飛ぶ。


 雲丹亀うにがめ白義しらぎ。玄静にとって四つ年上の兄。


 子供の頃は何度対局を重ねても、兄に勝てた試しがなかった。


「ここからひっくり返すなんて無理だよ。時間の無駄だから投了」


「まったく、しょうがないなあ。対局を振り返るよ」


「は〜い」


 何手目の指し手をどうすれば勝てたのか。自分の戦略と相手の勝ち筋に相性はどうだったか。兄と一緒に対局を振り返る。


「やっぱり兄さんはすごいや。かなわないよ」


「そりゃそうだ。俺はお前の兄だからな」


 ふふん、と胸をそらして自慢げに笑う白義しらぎ


 俺はお前の兄だから。白義しらぎの口癖だった。


「お前もすぐにできるようになる。戦略自体は悪くないぞ」


 そう言って白義しらぎは玄静の頭を撫でた。


 めんどくさがりの自分を兄は見捨てることなく面倒を見てくれた。優しく聡明だった兄に勝る部分を何一つ持っていなかったように思う。


 大好きだった。尊敬していたのだ。


「兄さんなら三塔学院を主席で卒業間違いなしだ。何年飛び級できるかなぁ」


「気が早いな、玄静は」


 白義しらぎはこの時十三になる。来週からは三塔学院に通うことになっていた。


 こうして縁側で向かい合って将棋を指すことができるのは、長期の休暇で実家に戻ってきた時だけだろう。


「一人でもじっくり考えて局面を見るんだぞ」


「……」


「こら、目をそらすな!」


「わぁっ、ちょっと」


 兄から頭をワシワシと撫でられ、二人でじゃれつく。


「努力はしておけよ。お前も雲丹亀家の人間なんだから」


 夕暮れ時の縁側に二人で寝転がる。烏の泣き声が遠くから聞こえ、春風が部屋に入り込んでくる。


「そうはいってもさ。陸震杖に選ばれるのは兄さんだよ」


 このとき、陸震杖は玄静の祖父の手に握られていた。


 雲丹亀うにがめ灰道はいどう。先代の国王━━━燈の祖父だ━━━の代に大臣を務めた豪傑だ。堅物なところはあるものの威厳と優しさを兼ね備えた人物で、政界から引退した今でも多くの客人が意見を求めてやってくる。


 間違いなく偉大な当主だ。ただ、年齢もあって雲丹亀家全体がピリピリしているといつも感じていた。


 次の当主は誰になるのか、皆気がかりなのだ。


 玄静は兄だと信じて疑わなかった。父は体が弱く体調を崩しがちだ。分家を含めると家族は山のようにいるが、白義ほど優れた頭脳を持った人間はいない。当主になるとしたら、いや、当主になるべきは間違い無く白義だ。


「さて、どうかな。玄静が選ばれる可能性はあるんだ」


「んなこと言って~。本当は自分が選ばれると思ってるくせに」


 先ほどの仕返しに玄静が白義に襲い掛かり、再びじゃれあう。


「兄さんは当主になりたいんでしょ?」


「……ああ」


 少し間をおいて白義は力強くうなずいた。


「俺は王国の政治を変えたいんだ」


「政治?」


「ああ。今の政治は無駄が多い。貴族には領地内での税の徴収、司法に至るまで少なからず決定権がある。自治権が広すぎるんだ。だから権力争いが絶えず、国民が疲弊する」


 兄は祖父と祖父を訪ねる客人との話し合いに出席していた。内容が政治にまつわるものが多いだけに、王国の現状を憂うものが多かったのだろう。


 兄はいつしか政治に携わり王国を変えたいと願うようになった。


「俺は雲丹亀家の当主になる。そして、次の国王の下で大臣になる」


「じいちゃんみたいに?」


「そうだ。俺は権力のバランスを保ちたい。もっと国王に集権化する必要がある」


 建国時、皇王国の国王には絶大な権力があった。今では時の大貴族が“剣の選定”の制度を悪用したせいで見る影もない。


 貴族が好き放題していても誰も止められないのが現状だった


「次の国王になる王子が誰であれ、俺は国民の為に働きたいんだ」


 白義は寝ころんだまま、こぶしを掲げる。握りしめた決意の固さを確かめるように。


 なんとなくで話を聞いていた玄静はスケールの壮大さに圧倒されて黙るしかなかった。


「玄静はどうだ?」


「え?」


「将来の夢とかあるだろう?」


「うーん……」


 急に話題を振られて口ごもる。


「まだわかんないや」


 このとき玄静は九歳。自分の将来とか、やりたい職業など特に思い当たらなかった。


 礼儀作法や波動術の基礎、人脈形成のやり方。貴族なら当然身に着けるべき能力を習得しながら、戦略の基礎と将棋の駒を打つ。それら淡々と片付けていく日々。


 辛いと思ったことはない。むしろ今後のためになるものだとなんとなく理解できていた。


 代わりに兄のようなやる気も情熱はなかった。そのせいか失点があると教師や家族から


「お兄様のようになれませんよ」 


 とことあるごとに言われた。


 普通なら神経を逆撫されるところだが、そうはならなかった。


 玄静は白義の血のにじむような努力を知っていた。毎晩遅くまで机や将棋盤と向き合い、波動が切れるまで術を行使する。将棋で負けた日には大粒の涙を流しながらトイレで吐き続け、悔しさをにじませていた。


 だから、兄のようになれないと言われても、でしょうねとしか思えなかった。


 兄のようにはなれない、ましてや兄を超えられない。そう考える自分がいた。


 だって、自分は兄以上の努力をしていないのだから。


「見つからなかったら、兄さんの手伝いでもするよ」


「はっはっは。それは、たのもしいな」


 優しい笑顔の兄に頭をポンポンとたたかれる。


 それが嬉しくて、玄静は目を閉じて笑った。



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