それぞれの戦い その3
宗次郎は元来た道をひたすら戻った。活強を使い、全力で走る。
━━━間に合え!
波動の加護により与えられた絶対的な時間感覚が。殴られてからどのくらいの時間が経ったのか教えてくれる。
三時間。
確実に接敵している。ともすれば戦闘が終わっているかもしれない。
のちに天修羅を倒し、王の剣と呼ばれる剣城は死なないだろう。だが、それ以外の皆はどうなっているか。
一緒に過ごした時間は一ヶ月にも満たない。それでも、訓練をずっと一緒にし、ときには肩を並べて戦った。
━━━頼む、生き残っていてくれ!
嫌な想像ばかりが頭をよぎると、視界に丘が見えてきた。
━━━あれは!
あの丘は見覚えがある。テントから見えていた。
つまり、あの丘を越えた先が戦場だ。
戦場の緊張感が丘の向こうから伝わり、肌がひりつく。
圧倒的な勝利を収めていて、移動の準備をすでに終えているか。もしくは敗走寸前の状態であるか。
「っ!」
脚力を強化して丘をのぼる。すでに息が上がり掛けているが、そんなことはお構い無しに登る。
ついに、丘の頂上へ辿り着いた。
「……」
丘から見下ろす光景は、想像していた状況の中で悪い方に傾いていた。
地面を覆う色は圧倒的に白が多い。数は百以上はいるだろう。対して波動師の羽織の数は少ない。数は二十人もいない。丘の麓に追い込まれていた。
「はぁっ!」
一際大きい声がする。剣城の声だ。
だが、おかしなことに波動術を空中に向けて放っている。緑の風も赤い炎も、それらを地上に向ければ妖の数を十体は減らせるような一撃なのに。
━━━いや、今はそんなことよりも。
どうやって加勢するか。このまま下に突っ込んでも大して相手の戦力を削れない。
勢力が綺麗に二分している今、一番効果的な作戦は背後から強襲しての挟み撃ちだが、宗次郎は一人しかいない。剣城の元に辿り着くまでにやられる可能性があるし、今更背後に回るまでの時間が惜しい。
━━━なら、側面から回り込んで叩く!
宗次郎は一気に丘を下る。弧を描くように大きく右へ迂回し、そのまま妖たちの左前方へ向かう。
遮蔽物のない丘とはいえ、宗次郎は単騎。まして前方の敵に集中して上を見ていない妖の不意をつくのは簡単だった。
「らぁあああああ!」
前を向いている妖をひたすら斬っていく。こちらを向いていないというだけで、かなり戦いやすい。
「剣城さん!」
「バカ者!!」
距離が近づいてきたところで叫ぶと、剣城の怒号が飛んで来た。
「なぜここにいる! お前には陛下を守れと命令したはずだ!」
「その命令に従った結果です!」
蠍型の妖の爪を避けながら、宗次郎も言い返す。
「邪魔だっ!」
懐に潜り込み、波動刀を斬り上げる。
「何があったか、簡潔に話せ!」
「妖です! 群れからはぐれた妖が、難民の方へ向かっています!」
「何っ!」
波動師たちの間に動揺が走る。そのせいで、何人かの波動師は妖の攻撃に対処が遅れた。
少しの後悔が宗次郎に残ったが、今はそれどこではない。
宗次郎は全身に力を入れ、さらに前へと進む。
「今すぐ撤退しないとっ、このぉっ!」
「わかった! 早くこっちへ来い! 妖どもを殲滅する!」
「了解! あああ!」
さらに加速して包囲網を突破する。
抜けた。
残存する波動師の数は驚くほど少なくなっていた。二十いるかいないかといったところだ。
『おやおやおやぁ、これは不思議なこともあったものだ』
目の前にまだ敵がいるにも関わらず、宗次郎は上空を見上げた。
青すぎるくらいの空、輝く太陽の側。翼を広げた何かがいた。
『一応全軍引き連れてきたつもりだったが』
ゆっくりと降下してくるそれに宗次郎は目を見開く。
白いその躯体は、間違いなく妖のそれだ。
━━━人の言葉を喋る妖、だと?
『もしかしたら、群れから逸れた奴が何匹かいたかな?』
ふわりと宙を舞っているのは、人の体に鳥の頭と翼の生えた妖だった。
「貴様……」
『ははは、そう怒った顔をするな。どうせ死ぬ君たちには関係ないだろう?』
「どうかな?」
宗次郎は一歩前に出る。
「ここでお前らをぶっ飛ばす」
『威勢がいいな少年。では、これはどうかな?」
妖が大きく翼を広げると同時に、宗次郎は目を見開いた。
翼が、薄い緑色に光っている。
━━━あれは、波動の光!?
白い体躯のせいで若干色が違って見えるが、間違いない。
あれは風の属性だ。
『ニードルフェザー』
言葉だけでなく波動まで操る。驚天動地の事実に慄く波動師目掛けて妖の羽が発射された。
「くっ」
速度はそれほどでもないが、雨のような圧倒的密度で降ってくる。
「らぁっ!」
宗次郎は咄嗟に近くにあった妖の死体を波動刀で差し、空中に放り投げた。亀型の妖で、その甲羅なら羽を防ぎつつ妖に攻撃できると考えた。
が、その考えは甘かった。
「なっ」
ガンガンと音を響かせつつ、まるで紙屑のように引き裂かれていく甲羅に戦慄する。
あの甲羅は完璧に波動刀を防ぎ切っていた。傷ひとつ負わなかった。
それを、いとも容易く撃墜した。
「くそっ!」
宗次郎は波動の加護を全開にする。時間感覚と空間把握能力を研ぎ澄まし、迫り来る羽の一つ一つを正確に読み取る。機動力を生かすための脚の傷、それから致命傷は絶対に避ける。それ以外を波動刀で受け流すしかない。
「おおおおっ!」
頬が裂ける。肩を掠める。脇腹を刻まれる。
痛みが身体中を駆け抜けるが、これはまだマシな方だった。
「がぁっ!」
「ぎゃあああああ!」
耳に飛び込んでくる悲鳴。視線を逸らす暇はないが、明らかにわかる。
死んでいく。
一緒に戦った仲間が。気にかけてくれた仲間が。
なすすべもなく。
「くそがァ!」
だがどうしようもない。今は目の前の攻撃を防ぐしかない。
無限とも思える時間がようやく終わりを迎えた。
「はぁっ、はぁっ、ゲホっ」
肩で息をしながら膝をつく宗次郎。
致命傷はなんとか避けたが、四肢は傷だらけ。出血もひどい。ふらつく。
だが、何も終わっていない。
『おやおや、まさかあんな年はもいかない少年が生き残るとは。さすが増援に寄越すだけの実力はある、ということかな』
「……っ」
宗次郎は周囲を見渡して絶望した。
生き残っているのは剣城だけ。その剣城も宗次郎以上に疲労困憊で、左足と右手には羽が突き刺さっている。
残りは皆、物言わぬ骸となっていた。
「くうっ」
両足に力を入れてなんとか立ち上がる。
まだ妖の数は多い。空を飛ぶ妖もいる。
何より、大地に襲い掛かろうとしている妖もいるのだ。
「ぐ……くっ」
『さて、さっきの言葉をもう一度聞かせてもらえるかな。確か僕らをぶっ飛ばすとかなんとか。違った?』
攻撃を終えた妖は地に降りたり、両手を広げている始末。
━━━舐めやがって……!
頭に血が昇るが、それをなんとか抑える。
これは好機だ。
疲労困憊。出血も無視できない。長期戦ができない以上、短期決戦しかない。
なら、ここで決める。
鳥人型の妖さえ倒せば、他の妖も撤退するかもしれない。
宗次郎は息と思考を整える。
時間と空間の波動を使えば一撃で倒せるだろうが、黄金色の波動を出せば間違いなく警戒される。たたださえコントロールが難しいのに、この疲労だ。外せば後が無い。
だからこそ、使うのは一番自信のある武器。
剣術と活強。この二つで目の前の妖を倒す。
━━━近づいてこい……近づいてこい……!
「くっ」
宗次郎はあえて片膝をつく。
もう立ち上がれない。そう判断すれば妖は絶対に油断する。
そこに勝機がある。
『そろそろ終わりにしよう。国民全員があの世に行けばきっと寂しくないさ』
妖が槍を取り出して、宗次郎の目の前で立ち止まった。
槍の間合いは長いが、羽根の攻撃に比べればだいぶマシだ。
行ける。
宗次郎は確信して、身体の力を抜いて目を見開く。
『では、死ね』
「!」
波動の加護により宗次郎は間合いを完璧に見切れる。いかに素早くとも、間合いが短くても、目の前に立つ相手の一撃は完璧に見切れる。
両足を活強で強化し、立ち上がりつつ攻撃を回避する。
「ああああああ!」
全身を強化し、渾身の突きを繰り出す。
当たる。
宗次郎は右手を突き出しながらそう確信した。
心臓を狙った一撃は狙い通りの軌跡を描き、そして。
バキン、と。
悲しいまでの金属音が響いて、宗次郎の波動刀は折れた。
「え?」
攻撃は当たった。確かに鳥人型の心臓を突いた。
『いやー、惜しい。本当に惜しかった。羽を捌いたときにヒビが入っていなければ、本当に僕を殺せたかもね」
「ひ、び?」
「そうだよ」
「がはっ!」
渾身の一撃を防がれたどころか、刀が折れた。
その事実に呆然とする宗次郎に妖の蹴りが炸裂し、後方へ吹き飛ばされる。
「ぐぅっ」
山の麓まで飛ばされた。背中を強打したため肺から空気がこぼれ、視界が点滅する。
『いやぁ、本当にすごいよ君は。ここまで追い込まれたのは初めてだよ』
妖の声が遠くから聞こえる。
「うっ」
立たなければやられる。
そう頭ではわかっているのに、身体は全くいうことを聞かない。
『その強さに敬意を表そう。さよなら、小さい戦士よ』
妖が槍を振り上げる様子がぼやけた視界に映った。
「……」
槍を躱すことはできない。だから波動刀で受け止めようと身体に力を入れようとして━━━やめた。
刀はすでに折れていた。どんなに頑張っても、もう。
━━━あぁ、死ぬな。
英雄になれないまま、大地を守れないまま、現代に戻れないまま。
どうしようもなく、死ぬ。
緒方や慶次、三木谷がそうであったように。
この一撃は躱せない。
宗次郎は目を閉じた。
耳に飛び込んでくるのは、槍が空気を切り裂く音。そして、肉を抉る生々しい音。
そこで宗次郎はある違和感に気づく。
━━━痛く、ない?
槍に貫かれたら必ずあるはずの感覚がない。
「え……」
それもそのはずだった。
放たれた槍が貫いたのは宗次郎ではなく。
剣城の腹を貫いていたのだから。




