戦いが終わって その5
ボグ、という打撃音。こぶしから伝わる衝撃。感覚は生々しく伝わった。
その勢いを殺すことなく、宗次郎は右こぶしを振りぬいた。
「っ……はぁ」
殴られた大地はそのまま吹っ飛んでいた。テントの布に絡まっており、顔は見えない。支えている骨組みがきしみを上げている音だけが聞こえてきた。
「な、あ……」
一瞬にして起きた出来事に、爺が後ろで口をパクパクさせているのがわかった。
王を殴る。
その先に待つのは死だ。いかなる言い訳も認められないまま宗次郎は殺されるだろう。許されない罪だ。
嫌なものだった。心をざらざらとした何かで撫でられるような、不愉快な感じがした。
だが、そんなことは宗次郎にはどうでもよかった。
「てめぇ……いい加減にしやがれ!!」
震える手を握りしめて宗次郎は叫んだ。
「さっきから聞いてりゃ好き勝手なことをべらべらと……!」
「ぐっ……き、貴様ァ」
ゆらゆらと揺れる布の向こうから怨嗟の声が響く。
声の通りの形相だった。左の頬を赤く腫れ、目は血走り、歯ぎしりしている。大地ゆっくりと立ち上がった。
「元奴隷の分際で……王である俺を殴るか!」
「当たり前だ! 椅子に座ってふんぞり返ってるだけのお前は王なんかじゃねぇ!」
「っ……爺!」
宗次郎の発言に怒りが沸点に達したのか、今までで一番大きな声で大地は叫んだ。
「このガキを殺せ! 今すぐに! 首をはねろ!」
「陛下、落ち着いて」
「黙れ! これが落ち着いていられるか! 俺は国王なんだぞ!」
激昂のあまり地団駄を踏むと、大地は次に劍城へと視線を移した。
「剣城、お前が始末しろ!」
「……」
劍城の顔がゆっくりと宗次郎に向く。内面を読ませない黒い瞳と目を合わせないようにして、宗次郎は波動刀の柄に手をかけた。
「少年っ!」
慶次の鋭い声が飛ぶ。
宗次郎が剣城と戦えば、間違いなく負ける。剣城は緒方よりも強い。仮に時間と空間の波動を使ったとしても勝てないだろう。
さらに、剣城と戦えば尾州軍全体を敵に回すことになる。慶次と三木谷が刃を向けてくるかもしれない。そうなれば確実に死ぬ。
だからこそ、慶次は宗次郎に声をかけた。俺に刀を抜かせるな。その意図を含んだ声はかすかにふるえていた。
それを無視するかのように、宗次郎は波動刀を引き抜く。
鞘ごと。
「……?」
一触即発の事態になる、そう回りが踏んでいた周囲は一瞬動揺した。
当の宗次郎は引き抜いた波動刀を大地に向かって放り投げた。
「……何のつもりだ?」
すぐ目の前に転音を立てて転がった波動刀に、怒り狂っていた大地も冷静になる。
「お前がやれよ」
「……何」
「俺を殺したいんだろ。ならその波動刀を使って俺を殺してみろよ」
大地の額に青筋が走る。
「聞こえなかったのか? ハンデをくれてやるっつってんだよ。俺は御覧の通り素手だからな」
「……」
うつむいた大地の方がプルプルと震えだす。
そんなことはお構いなしに宗次郎はつづけた。
「どうした、かかってこないのか? まぁ無理もないよな。人に命令するだけで何にもできねえんだろお前」
「なめるなァ!」
激昂した大地が地面に落ちた波動刀を抜刀し、宗次郎に迫る。
━━━やっぱりな。
大地がこちらに向かってくる映像が、宗次郎にはスローモーションのように見えた。それによりあらゆる状態を読み取る。
大地は権を握ったことがないのだろう。多少の運動程度しかできない。体捌きはお粗末だし、刀の握りも構えも甘すぎる。
波動の加護により時間と空間を正確に測れる宗次郎にとって、素人の攻撃などよけるのはたやすい。タイミングに合わせて身体をずらせばそれで終わる。
だが、
「らぁ!」
「っ!」
振り下ろされる瞬間、宗次郎は活強で身体能力を強化したうえで腕を組み、波動刀を受け止めた。
ズン、という衝撃。右肩と右腕から血がしたたり落ちる。
痛みはあるが、それだけだ。宗次郎は大地をにらんだ。
「なっ」
まさか受け止められるとは思っていなかったのだろう。大地が目を見開いている。
宗次郎にとってはうっとうしい限りだった。
「そんなもんかよ」
「くっ」
「遅え!」
距離をとろうとする大地の足を払いのける。活強を使うまでもない、ただの蹴り。
それでも、腰の引けた大地に尻餅をつかせるには十分だった。
「はっ、はっ」
肩で息をしながら、怯えた顔で見上げてくる大地。
その表情に宗次郎は心底がっかりした。
「弱い」
ぽつりと漏れた一言は決して大きくはなかったが、静寂に包まれているテント内によく響いた。
「そんなに弱いのに、弱い波動師は恥だとか言ったのかよ」
先ほどまで湧き上がっていた怒りはどこへやら。今となっては虚しさでいっぱいになっていた。
「お前は王なんだろ? 人の上に立つ存在なんだろ? 勘弁してくれよ。俺たちはこんな奴のために戦ってたってのかよ」
身体から力が抜けていく。合わせて声もどんどん弱くなっていった。
あの皇大地が。のちに王の剣と共に天修羅を倒し、皇王国を建国し、初代国王と称えられる皇大地が。こんな自己中心的で、良心のかけらもない人間だとは思わなかった。思いたくなかった。
幼い頃に思い描いていた憧れがガラガラと音を立てて崩れていく。
耐えられない。
「なんで緒方さんが死んで、何もできないお前が生き残ってんだよ」
悔しい。悔しくてたまらない。こんなことでは、緒方たちの死は本当の意味で無駄死にになってしまったようで。
「…………っている」
「?」
宗次郎と同じようにうつむいた大地がぽつりとつぶやいてから、勢いよく立ち上がってきた。
「わかっているんだそんなこと!」
大地がいきなり立ち上がり、宗次郎の胸倉をつかんできた。
「俺だって戦いたい! 俺自身の手で妖を一体残らず殺してやりたい! けど……俺は王だ……戦えないんだよ!」
胸ぐらをつかまれたまま押し出してくる大地。宗次郎はなんとか足に力を入れて対抗する。
「お前に俺の気持ちがわかるか! 戦いたいのに戦えないだぞ!」
「知るか! だからってお前のわがままに付き合わせんじゃねぇ!」
「何がわがままだ! 俺は王だ! 誰よりも国を思っているんだ!」
「どこがだ! いい加減にしやがれこの野郎!」
宗次郎も負けじと大地の方をつかむ。
もはや取っ組み合いの喧嘩だ。押し合いながら二人は口汚くののしりあう。
「強いからと言って調子に乗るなよ!」
「弱いくせに調子に乗ってるお前が言うな! 人の死を何だと思っていやがる!」
「ふん! 俺も泣けばいいのか! 笑わせるな!」
大地は掴んでいた宗次郎を弾き飛ばした。
「お前たちはいつも勘違いしている!」
「はぁ!?」
息を荒くしながら汗をぬぐうと、大地は指を宗次郎へ向けた。
「どういう意味だよ!?」
「戦って死ぬのがそんなに偉いのか!」
大砲のように重い言葉が宗次郎に炸裂する。
怒りのあまりぶちギレそうになるが、それ以上に大地が起こっているせいでつい冷静になる。
「お前たちはいつもそうだ! 敵を多く倒せばいいと思っている! 死は誉れだと思っている! そうじゃない! お前たちは国を守るために戦うんだ!」
「!?」
「死ぬために戦うな! 生きて、生き残って、国のために戦う道を選べ!」
「……」
泣きわめく大地。そのあまりの迫力に宗次郎は押し黙る。
生き残る。その言葉が持つ重みを今の宗次郎は理解できる。できるからこそ、その意味を全く考えていなかった。
「お前たちは……」
「!」
出し切ったのか、疲れを見せ始めた大地の背後に剣城がやってくる。
「御免」
「かっ」
劍城の手刀が大地の後頭部に落ちた。
一撃で昏倒した大地を劍城がやさしく地面に寝かせる。
「っ」
宗次郎と劍城の目が合う。
相変わらず何を考えているのかよくわからない。王と喧嘩して怒っているかと思えばそうでもない。
何が何だかわからない。そう考えたところで、
「ぐっ」
後頭部に衝撃を感じ、宗次郎は悶絶する。意識はそのまま闇にのまれた。




