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憧れと現実 その5

 宗次郎が乱暴な波動師から助けた少女。小柄で線が細く、今にも折れてしまいそうだった。ぼさぼさの髪を後ろで束ねているだけで、格好もみすぼらしいものだ。


「君は……」


 宗次郎が声をかけると、少女はもじもじしてうつむいてしまった。


 なんと声をかけていいのかわからずに宗次郎が沈黙していると、ふと視界に少女が持っているものとらえた。


 それは、草でくるまれていた。おそらくおにぎりだろうと思った瞬間、


 ぐぅ~、と。


 宗次郎の腹が盛大に鳴った。


「~~~っ」


「……くすっ」


 いくら沈黙が気まずいからってこれはあんまりだ。宗次郎が顔を真っ赤にしていると、少女がほほ笑んだ。


 さっきまで緊張したとは思えない、柔らかで自然な笑み。その魅力は宗次郎の視線をくぎ付けにするだけでなく、お腹を鳴らしてよかったとさえ思わせた。


「これ、おにぎりなの。食べる?」


「え、こんなに?」


 宗次郎は少女から差し出された包みにたじろぐ。


 奴隷として過ごした期間が短いとはいえ、宗次郎は奴隷の食事事情が非常に厳しいことは骨身にしみている。だからこそ、差し出されたおにぎりに使われている米が少女にとって何日分の食料になるのかわかってしまった。


「やっぱり、いらない?」


「いや、食べる!」


 うつむきそうになる少女に宗次郎は即答し、包みを受け取った。


「うわぁ」


 両手で持たないと落ちそうなくらい大きなおにぎりが三つ、湯気とともに現れる。


 宗次郎はまたもお腹が鳴りそうになったのでぐっとこらえると、目の前の少女もじっとおにぎりを見つめていた。


「なぁ、せっかくだから一緒に食べないか?」


「え?」


「あっちに土手があるんだ。行こう」


 宗次郎はおにぎりをしっかり包んでから、少女の手を握って歩き出した。





 宗次郎が少女の手を引いてやってきたのは、大地と初めて出会った川辺にある土手だった。


 少女に限らず、奴隷は行動を制限されている。寝食をするテント、作業場など限られた場所以外に行ってはいけないのだ。


「ここで一緒に食べよう」


「い、いいの?」


「もちろん。食べ過ぎてもよくないからさ」


 つい先ほどお腹を鳴らした宗次郎からすれば悲しいくらいバレバレの嘘なのだが、他にうまい言い訳が見つからなかった。


 こうするしか、少女の勇気に報いるすべを知らなかった。


 本来なら宗次郎のもとを訪れることすら許されていないはずだ。ここまですんなり来られたのは幼い少女だからだろうか。


 ━━━ほんと、感謝しなきゃ。


 が、少女であることを差し引いたとしてもことはそう単純じゃない。少女は食料を、宗次郎に渡すおにぎり抱えていた。もし住民に見つかっていたら彼らは何の遠慮もなく少女から食料を奪うだろう。


 現に、すれ違う住民全員が宗次郎の抱える包みを見ている。それでも奪われないのは宗次郎が帯刀していたからだろう。


 そんな中でおにぎりを届けてくれた少女の前で、自分だけおにぎりを食べるなんてマネはできなかった。


「ほら」


 宗次郎は腰を下ろし、少女に隣に座るよう促す。


 少女は遠慮がちに目を伏せてしまったので、宗次郎は包みからおにぎりを出した。


「はい、どうぞ」


「……ありがとう」


 大きなおにぎりの魅力には勝てなかったか、少女は宗次郎の隣に腰を下ろし、おにぎりを受け取った。


「いただきます」


「いただきます」


 二人そろって大きなおにぎりを持つ。ずっしりとした重みがあり、かなりのボリュームだ。


「こんなにたくさん、よく用意できたな」


「うん。みんなが分けてくれたから」


「みんな?」


「うん。あの波動師が嫌いな人、たくさんいたの」


 宗次郎は手元のおにぎりに視線を落とす。


 あの波動師のふるまいからして多くの奴隷に暴力をふるっているというのは想像に難くない。が、あの場にいた奴隷たちが自分たちの食料を分けて集めてくれたと考えると、より重くなった気がした。


 宗次郎はゆっくりおにぎりに口をつける。


 一つ一つが粒だっていて、嚙めば、嚙むほど味が出る。


 ━━━美味い。


 今まで米のおいしさなんて意識したことがなかった。食事としてあるのが当たり前だったから。


 そんな宗次郎にとって、このおにぎりは今まで食べたどんな米より美味しく感じられた。


「えへへ」


 ふと横を見れば、少女もおにぎりをほおばっていた。目を細め、微笑を浮かべ、実においしそうに食べている。


 その様子に胸がドキッとした。宗次郎はそれを振り払うように頭を振って、おにぎりをほおばった。


「ごちそうさま」


「……ごちそうさま」


 慌てて食べたせいか、少女の倍の量を食べているのに少女より早く食べ終わってしまった。


「こんなにいっぱい食べたの、はじめて」


 心底うれしそうにお腹をさする少女。宗次郎も同じくお腹いっぱいだ。


「俺も。こんなにうまいご飯食べたの、始めてだ」


 そういうと、少女は不思議そうな顔を向けてきた。


「剣士だからお腹いっぱい食べられるんじゃないの?」


「まさか、そんなことないよ。確かにちょっとはましだけど」


「そうなんだ……」


 ちょっと意外そうに、そして少し残念そうにして少女は口をつぐんだ。


「剣士さんたちもお腹空いてるのかな?」


「んー、まぁそうかもしれない」


 空きっ腹を訴えている剣士に宗次郎は会ったことがない。むしろ緒方のシゴキがキツいという愚痴の方が多い。


「そんなに意外?」


「うん。だって強い剣士さんはお腹いっぱい食べられるって、お母さんに聞いたから」


 少女は俯いてしまった。


「じゃあ、やっぱり負けちゃうのかな」


 瞳の奥に怯えを滲ませながらポツリと呟く。


「……」


 宗次郎は黙ってしまった。


 怯える少女を勇気づける。たったそれだけのことなのに、なぜか宗次郎は躊躇ってしまった。


 少女のリアクション、大地のあの理不尽な怒り、そして立ち並ぶテント。


 これだけ状況が揃えば、いくら宗次郎でも大抵の状況は整理できる。


 おそらく、大地たち尾州は妖との戦いに負けた。


 負けて、国を追われた。だから大地も国民もテントで暮らしていて、緒方は厳しい訓練を課して。


 奴隷の少女はこんなにも怯えている。


「大丈夫」


 宗次郎は小さいながらもはっきりと告げた。


 こんな簡単に大丈夫なんている状況ではないかもしれない。宗次郎にだって今の状況ははっきりとは分かっていない。


 けれど、目の前の少女が怯えるのを見たくなくて。


「俺たちは強いよ。食事は少ないかもしれないけど、ちゃんと訓練してるし。何より気合いが違うから」


 宗次郎は現代にいた八咫烏を思い出す。


 彼らは確かに強かった。宗次郎の目から見ても鍛え抜かれているとわかる。


 だが、それでもこの時代の波動師の方と一対一で戦えば、おそらく負けてしまう。


 戦いに対する気迫が段違いなのだ。相手を殺す。倒す。その執念は現在進行形で命懸けの戦いをしているがゆえだろう。


 波動の源は精神力だ。なら、簡単には負けはしない。特に緒方たち三人は十二神将に匹敵すると宗次郎はふんでいる。


「ほんと?」


「ああ」


「……もしかして」


「うん。俺も戦うよ」


 そうでなければ、緒方はあんなにシゴいてきたりはしないだろう。


 宗次郎は不安そうにこちらを見つめる少女に微笑んだ。


「大丈夫。俺も強いから」


 これだけは心の底から自信を持って言えた。


「今日もさ、新しい発見があったんだ」


「発見?」


「ああ、波動刀の振り方なんだけどさ、よく、振りが小せえって怒られるんだ」


「小さいといけないの?」


「戦う相手が人ならいいんだけどな。妖だともっと大きく振らないといけないんだと思う」


 宗次郎が引地から教わった剣術は人との戦いを想定したものだ。当然だ。現代では妖はほとんど発生せず、人と戦う機会の方が多いのだから。


 だがここでは妖との戦い方を徹底的に鍛える。よって同じ剣術でも剣の振り方、間合いの取り方、呼吸の測り方、重心の位置が微妙に変わってくるのだ。


 特に剣の振り方は顕著だ。皆が皆大振りだ。足を踏み抜いて、腕を伸ばしきり、遠心力で刀を振る。


 始めてその動きを見た時、宗次郎は度肝を抜かれた。あまりにも隙だらけで、次の動きを全く考えていない無謀な動きに見えたのだ。


 が、今なら分かる。


 ━━━あれだけ大きく振らないと、妖にダメージを与えられないんだ。


 人よりも図体がでかいことが多いので、小ぶりな攻撃では大したダメージにならないのだろう。


 よって隙だらけだろうがなんだろうが、大きく振らざるを得ないのだ。


「振り方が変わるから、間合いと、タイミングも重要になってくるし」


 圧倒的な波動の総量。そして時間と空間を司る波動の属性。剣術は十二神将の引地から教わり、妖と戦う心構えとコツは尾形から仕込まれた。


 ━━━むしろ、ようやく戦える時が来たぜ。


 引地と一緒にいた時間で模擬戦は何度もやったが、実戦は初めてだ。


 自分が鍛えた力を思う存分、妖にぶつけてやる。そう意気込んでいると少女が小さく俯いた。


「だ、大丈夫! 俺は強いから!」


「う、うん。じゃあ……」


 心配させてしまったのかと思いきや、少女はモジモジし始めた。


「約束、してくれる?」


「約束?」


 なんだろう、と宗次郎が首を傾げると、少女は顔を上げた。


「私を、助けてくれる?」


 少女は俯きがちにそういった。


「私を妖から、助けてくれる?」


「うん、約束する。絶対に助けに来るから」


 宗次郎は即答した。


「えへへ、そっか」


 少女は総合を崩して微笑む。


 その様子に宗次郎がまたしてもドキッとしていると、


「おーい、少年!」


 宗次郎に少女がきたことを教えてくれた波動師が呼ぶ声が土手の上から聞こえてくる。


 宗次郎と少女は顔を見合わせてから立ち上がり、土手を登った。


「ここにいます」


「お、いたいた。よかった」


 波動師は宗次郎を見つけてほっとしたようだが、まだどこか焦っているようだ。


「何かあったんですか?」


「いやぁ、それがな……」


 波動師は気まずそうに俯いてから、


「緊急事態なんだ。ついてきてくれ」


 といった。


 宗次郎に緊張が走る。


 ━━━もしかして、妖か?


 だとしたら文字通り緊急事態だ。そして、訓練の成果を見せる時でもある。


「わかりました。行きます」


「助かるよ」


 表情が和らいだ波動師から少女へ向き直る。


「じゃあ行ってくる」


「うん、気をつけて」


 祈るように手を前に組んだ少女に、宗次郎は大きく頷く。


 そして、波動師の後に続いて歩き出した。





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