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憧れと現実 その2

 宗次郎と奴隷二四七号は揃って音がした方へ振り向いた。


 刀を腰に帯びた男が一人いる。


 ━━━あ。


 男は緑色の羽織をまとっていたため、宗次郎はふと昔のことを思い出した。


 ━━━確か、この時代は波動の色に合わせたたんだっけ。


 宗次郎のいた時代では、八咫烏と呼ばれる波動師たちが漆黒の羽織をまとっていた。


 八咫烏は皇王国が建国されてから生まれたものであり、それ以前の時代では黒の羽織を纏ってはいなかったのだ。


「おい、行こうぜ」


 二四七号に言われるまま、野次馬根性で宗次郎は箸を置いて立ち上がる。


 宗次郎の他にも、周囲にいた奴隷たちが何事かと近づいている。


「貴様、何様のつもりだ!」


 波動師の男がうずくまる奴隷に激昂している。怒髪天を突く勢いとはこのことか、今にも抜刀しそうな雰囲気だ。


「ご、ごめんなさい。わざとじゃ無いんです……」


「当たり前だ! 舐めるな奴隷風情が! 戦いもできない女のくせに!」


 怒鳴り散らす波動師に宗次郎はドン引きした。


 大人気ない波動師の対応も問題だが、それ以上に奴隷の方が問題だ。


 べそをかいている奴隷は女の子だ。宗次郎より年は少し上だろうか。体は見るからに細く、骨が体から浮き出ていた。とてもではないが闘うどころではない。見るからに栄養が不足している。


 妖との戦いで国力が消耗しているのは、出される食事を見ればわかる。奴隷ならなおさら食えないのだろう。


 軟弱と罵られても文句は言えないが、波動師も文句を言える立場ではない。


「我らは国のために命をかけて闘うのだ! 奴隷ならばなおさら━━━」


 それから口汚く罵り出し、波動師の男はうずくまる奴隷を蹴り出した。


「っ!」


 我慢できなくなって宗次郎が動こうとすると、右腕を二四七号に掴まれた。


「バカ。何考えてやがる」


「見てられないから止めるんだ!」


「バカ! 俺たちは奴隷だ! 逆らったら殺されるぞ!」


 二四七号の言う通りだ。奴隷は丸腰。対して波動師は波動刀を装備している。この場では奴隷の数が多いとはいえ、戦いになれば必ず犠牲が出てしまう。


 が、


「知ったこっちゃないな」


 宗次郎は二四七号の腕を振り解いて争いの渦中に向かった。


「はぁ、はぁ。貴様のような軟弱な奴隷は、いらん!」


「おい!」


 波動師怒りに任せて抜刀しようとしたところで、宗次郎は声を張り上げた。


「あァん?」


 振り向いた八咫烏の体格は宗次郎より一回りも大きい。一三歳の宗次郎から見ればだいぶ大人だ。顔つきと目つきは鬼のように鋭く、死闘を潜り抜けたもののみがもつ覇気を宿していた。


 宗次郎より体格に優れ、実戦経験があり、何より波動刀を装備している。宗次郎に有利な要素は一つもない。


 が、


 ━━━怖くないな。


 妖と対峙した時に感じた圧倒的な恐怖は全く感じない。それどころか身体中に自信がみなぎっている。


「なんだテメェ、俺に文句でもあんのか?」


「大アリだ。蹴るのをやめろ」


 あえて挑発すると、波動師は身体全体を宗次郎へと向けた。


「生意気なガキだ。斬り殺されてぇか!」


 抜刀と共に怒号が響き渡るが、全く気にならない。


 勝てる。


 自分の整った呼吸が、開けた視界が、耳に入る音が、全てクリアだ。


 おかげで目の前の相手の重心、呼吸まではっきりとわかる。


 宗次郎はあえて腰を落として掌をクイクイとあげる。


 明らかな長髪の合図に波動師の男は激昂した。


「死ね!」


 男が波動刀を肩で担ぎながら、ジリジリとにじり寄ってくる。


 宗次郎は肩の力を抜いて、両手をだらりと下げる。


「キエエエエエエ!」


 男が加速と同時に肩に担いでいた波動刀を振り下ろしてくる。


 大柄な体躯に合わせた太い波動刀だ。当たれば間違いなく真っ二つになるだろう。


 当たれば、だが。


「っ━━━」


 波動刀が振り下ろされる瞬間に合わせて宗次郎は一歩前、それも右側に重心を移動させ回避する。


 波動師が驚愕に目を見開く。


 真上から振り下ろされる攻撃は単調で避けやすいように思えるが、自分より体格差がある相手から繰り出される攻撃の威圧感は尋常ではない。躱そうとしても身体はうまく動けない。


 まして相手は奴隷である。避けられるはずがないとたかを括っていたのだろう。


 ━━━舐めやがって。


 宗次郎にとって先の攻撃を躱すのはさほど難しいことではなかった。


 波動の加護。

 波動の総量が多い者は波動の属性に応じた能力を得ることがある。例えば、炎の波動師が火傷を負わないと言った具合に。


 時間と空間の属性を持つ宗次郎の場合、他と隔絶した時間把握能力と空間認識能力を持つ。ゆえに波動師が刀を振り下ろすタイミング、その間合いが完璧に肌で感じ取れるのだ。


 まして相手はただの波動師。師匠の引地ならまだしも、舐めてかかった上段からの斬り下ろしなど避けるのは造作もない。


「ふっ!」


 宗次郎は左掌底打ちを顎に突き出しだ。


 ぐるん、と波動師の目が回りそのまま倒れ込む。顎を視点に脳を揺らされたのだ。意識が途切れても仕方ないだろう。


「ふぅ」


 宗次郎は軽く息を吐いて、周囲の気配に気づいた。


 周りにいた奴隷たちは皆、息を呑んでいる。驚きに目を見開くもの。宗次郎の強さに引くもの。


 現実の距離より心の距離はだいぶ遠い気がした。


「お、お前……」


 先程まで会話していた二四七号が口をぱくぱくさせながらつぶやく。


「波動が使えるのか?」


「……あぁ」


 これだけ派手に暴れてしまったのだ。今更否定しても意味がない。


 宗次郎はゆっくりうなずいてから、うずくまっていた奴隷に駆け寄った。


「おい、大丈夫か?」


「は、はい……」


 うずくまっていた奴隷が顔を上げる。黒い髪を伸ばした女の子だ。顔は泥と涙で汚れている。


 ━━━くそっ。


 波動師を倒しはしたものの、言いようのないムカつきを覚える宗次郎。


「おい、どうすんだ?」


「どうするって……どうにもならねぇだろ」


 ざわつく奴隷たちを無視して宗次郎は少女を起こす。


「あ、ありがとうございます」


「気にするな。俺は━━━」


 背筋にゾワリと悪寒が走り、宗次郎は振り向く


 ━━━何かが、来る。


 宗次郎の予感を裏付けるように、視線の先で奴隷たちが道を開けていく。



 やがて、赤、青、黄色の羽織を着た男が三人やってくる。


「何事だ?」


 静かな、されど威圧感を含んだ声で先頭の男が訪ねた。赤い羽織からみて炎の属性を持っているのだろう。


 ゾッとするような沈黙の中、奴隷の少女が小さく息をのむ音だけが聞こえた。


 宗次郎は少女をかばいつつ、小さく冷や汗をかく。


 ━━━強い。


 先ほど倒した波動師とは比べ物にならない。天地ほど差がある。肌で感じる圧迫感が尋常じゃない。たとえ波動刀を手にしていたとしても勝てないかもしれないと宗次郎は思った。


 そんな相手が、三人も。


「どうした? 何があったと聞いているんだ」


 赤い羽織の男は年が三十くらいに見える。体格に優れていて、三人の中でも一番肩幅が広い。威圧感が凄まじく、鬼のようだ。


「……状況から察するに、そこの少年がうちの隊員をのしちゃったんでしょうよ」


 黄色の羽織━━━雷の属性だろう━━━を着た男が緩い調子で口をはさむ。


 こちらの男は威圧感がまるでない。赤羽織とは対照的だ。雰囲気も軽く、ひょうひょうとしている。


「本当か?」


 赤羽織の男の問いに、宗次郎はゆっくり頷く。


「それは無いでしょう」


 すると、青い羽織の男が口を挟んだ。


 ━━━すげーかっこいいな。


 三人の中では一番顔立ちが整っていて、長い髪を後ろで束ねている。派手というわけではないのに、かといって地味でもない。存在感があるのだ。


「この少年にそんな芸当ができるとは思えませんが」


「なら、試しに斬りかかってみますかい?」


「そうしよう」


 赤羽織が一歩前に踏み出し、宗次郎との間合いを詰める。


「っ……」


 宗次郎の全細胞が逃げろとわめきたてる。戦っても勝ち目がない。逃げたほうがまだましだ。


 だが、


「……」


 後ろで震えている少女を見捨てて逃げるなんて、宗次郎はできなかった。


「……ほう」


 赤羽織の男はなおもにらみつけてくる宗次郎に対し不敵に笑う。


「ただの奴隷ではないようだな」


「あ」


 黄色羽織が何かを思い出したようにはっとした。


「そういや、剣城の旦那が波動を使えるガキを拾ったって噂を聞きたんすけれど、こいつじゃないですか?」


「あー」


 青羽織も思い当たるところがあるのか、納得したらしい。


「……なぜ奴隷にしたんだ?」


「陛下が奴隷にしろと命じたんだそうで」


 やれやれと肩をすくめる黄色羽織。そんな彼に同意するよう、他二人もあきれたように溜息を吐いた。


「わかった。俺から話をつける。おい、お前」


 射殺すような視線を向けられ、宗次郎は思わず身震いする。


「明日、迎えをよこす。戦ってもらうぞ」


「……」


 宗次郎がコクリとうなずくと三人はそろって踵を返した。


「いやー、儲けモンですな」


「まだわかりませんよ。どのくらい使えるか」


「静かにしろ」


 三者三様に好きかって言いながら、テントを出ていく波動師たち。


 どうやら助かったようだ。宗次郎はほっとする。周りの空気もいくらか柔らいだようで、奴隷たちは再びざわつき始めた。


 ━━━この人も連れてって欲しかったな。


 自分で倒しておいてなんだが、目の前で気絶する波動師がほったらかしなのは妙に寂しい気持ちになる。


「あ、ありがとう」


「いいって。気にしないで」


 少女は宗次郎にペコリと頭を下げると、足早に立ち去ってしまった。


 ━━━顔合わせてくれなかったな。


 ちょっとだけショックを受けたものの、それだけだ。何より、


 ━━━これで奴隷の仕事ともおさらば、かな。


 宗次郎は、息を吐き切って、鈍い色の天井を見上げた。 




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