全てが終わって
天主極楽教の襲撃から一週間。
八月の中旬。修了式が終われば夏休み。
実家へ帰り家族と過ごす者。寮で友達や恋人と過ごす者。それぞれの生徒が各々の準備に取り掛かる中、宗次郎は生徒会棟に割り当てられた自室にてぼんやりしていた。
「宗次郎、入るわよ」
「……あぁ」
自分でした返事は、かつてないほどは力が入っていない。
部屋に入った燈も心配そうにこちらを見ている。
「大丈夫?」
「……平気だ。少しぼーっとしてただけだから」
宗次郎は顔を叩いて立ち上がった。
「後始末は終わったんだろ。お疲れ様」
学院に進入した天主極楽教の信徒並びにスパイは、宗次郎、燈、玄静が連れてきた対天部の八咫烏が全員捕縛した。
学院内で正体不明の生徒昏睡事件を引き起こしていた生徒会副会長の数納里奈は舞友とシオンの協力により拘束が完了している。
戦闘による死傷者は、学生側は玄静の働きのおかげでゼロ。教師側は進入した信徒との戦闘により重傷者が三名でた。うち一人はいまも意識不明の重体だそうだ。
結果から見れば大勝利したといえる。敵を全員捕らえて、かつこちら側の損害は軽微なのだから。
だが、宗次郎の顔は浮かないままだ。
宗次郎の教育係であり、天主極楽教に内通していた正武家尚美が自爆した事実の前には、あらゆる功績は彼方に消える。
「まだ……気にしてる?」
「そりゃあ、な」
宗次郎は力無く腰を下ろした。
「自分のツメの甘さをいやってほど理解したよ」
正武家は宗次郎に語っていた通り、今回の事件における真の黒幕だった。
捕縛した信徒いわく、今回の襲撃は正武家が発案したそうだ。
玄静の推論通り、八咫烏として対天部に所属していた頃から正武家は天主極楽教と通じ合っていた。八咫烏を引退してからは学院内の信徒を統率する立場をとっていたらしい。
その責任からか、もしくはそう指示を受けていたのか。正武家は自爆した。
「今回の事件の経緯、聞いた?」
「玄静からな。小言と一緒に言われたよ」
まず正武家は、精神感応の素養があるからか、武家である数納家の長女に生まれながら精神感応の才能に目覚めた数納里奈に近づいた。
自分は数納の生まれではない。今まで家族だと思っていた人たちは本当の家族ではなかった。そんな悩みを聞きつつ、こうアドバイスしたそうだ。
「精神感応の素養を磨けば、いずれ本当の家族に出会えるのでは?」
こうして、里奈は精神感応を使った。
その手段は実に巧みだった。
副会長の立場を利用して自分に悩みを持ちかける生徒の中から、自分と同じく家族関係の悩みを持つものに対して行使した。選定基準が家族に起因するため、犯行が発覚しても学院側は被害者の共通点を把握しずらく、友人にもわからない。
さらに、里奈は術式をかけた相手に相手自身の願望を幻として見せるだけでなく、波動の減少に伴う記憶喪失にも手を加えていた。術をかけた里奈と、悩みの種だった家族関係について綺麗さっぱり忘れるようにしたのだ。
犯行が発覚しても犯人象が特定できないよう徹底していたために、学院内で十名以上もの犠牲者が出てしまった。
そうして、学院全体の注意を内側に向けたところで、外から奇襲をかける。
玄静が天主極楽教について調べ、かつ燈から事件について共有されなければ今回の奇襲で間違いなく生徒に被害者が出ていただろう。
だが不安要素はまだ残っている。
なぜ奇襲を仕掛けたのか。何が狙いだったのか。
今となってはわからずじまいだ。捕らえた信徒の取り調べは進んでいるが、末端の構成員からの情報では憶測の域を出ないだろう。
宗次郎は天井を見上げる。
━━━俺は、負けた。
体育祭でも、卒業試験における襲撃においても。宗次郎は最後まで正武家を捕らえることはできなかった。
自分の経験不足や実力不足なんて言い訳にならない。
完璧な敗北。
もう取り返しがつかない敗北だ。
「……っ」
不意に目から涙がこぼれた。
「宗次郎」
「わかってる」
ぶっきらぼうに言い放って宗次郎は立ち上がった。
「次は絶対に死なせない。何があっても、必ず」
涙を拭った握り拳は、自分で思っていた以上に固くなっていた。
「そ。ならこれからの話をしましょう」
燈が壁にもたれかかるのをやめ、宗次郎の前に立つ。
「今回の件で天主極楽教の勢力がまだ残っているとはっきりしたわ。私たちの仕事はこれからが本番よ」
「あぁ。わかった」
「もっとも、まだ懸念事項はあるけど」
「?」
「兄さん、いますか?」
「こんにちは!」
「舞友。眞姫殿下」
宗次郎が首をかしげると、控えめなノックとともに制服姿の舞友が眞姫を乗せた車椅子を押して入室する。
━━━なんか、久しぶりだな。
舞友の目にはクマが浮かんでいた。里奈が起こした事件について取り調べを受け、かつ生徒会の仕事を会長から引き継いでいるのだから無理もない。
眞姫の方はなぜか心配そうにこちらを見ている。その理由を舞友が指摘してくれた。
「兄さん、その顔……」
「あー、何でもない。それより、何の用だ?」
赤く腫れた目元をぬぐって宗次郎は先を促すと、舞友は手に持った封筒を渡してきた。
「これは?」
「卒業試験の結果です」
宗次郎は口をへの字に曲げる。
「まさか、忘れてたんですか?」
「いや、そんなことはないぞ。ただ天主極楽教の件とかいろいろさ、試験より重要なものが━━━」
「ま、合格してるでしょう」
当然よね、という無言の圧に宗次郎はまたも泣きたくなる。
「そういえば、実技試験の採点はどうなったのかしら」
「詳しくは明言されていませんが、中断される以前の成績が基準になっているそうです」
「ということは、学術試験の結果が重要視されているのね」
試験結果を握る宗次郎の手が震えだす。
「ま。まぁ。侵入した信徒への対応も多少は反映されているらしいですから」
希望がありそうな口ぶりの眞姫に感謝しながら、宗次郎は封を開けた。
いずれは見なきゃいけないものだ。そう自分に言い聞かせて。
「あっ!」
用紙を開く。
そこに書かれていたのは━━━
合格。
「よし」
宗次郎は小さくガッツポーズして、ゆっくり息を吐いた。
学術試験の結果が重視されているのであれば、全体の成績では下から数えたほうが早いだろう。
だがそんなことはどうでもいい。
この二文字があればもう後は何もいらない。そんな気分だった。
「はぁ」
「おめでとう、宗次郎」
「兄さん、おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう」
宗次郎は頭を下げる。
「いろいろ教えてくれて、本当に助かった」
自分につきっきりで勉強を教えてくれた二人には感謝しても仕切れない。
「意外ね。もっと大声を上げて喜ぶと思ってた」
「もちろん嬉しいさ。けど、燈がさっき言った通り、これからが本番だからさ」
学生の時間は終わり、宗次郎はいよいよ八咫烏となる。対天部に所属し、激しさを増す天主極楽教との戦いに身を投じる。
今後はもう失敗は許されないのだ。
「……兄さんは、本当に卒業するんですか?」
少し寂しさを滲ませる舞友に、宗次郎の心が一瞬揺れる。
また妹に寂しい思いをさせるのかという自責の念を宗次郎は振り払う。
「あぁ。俺はこの学院を卒業する。そりゃ、もっとこの学院にいたい思いはある。勉強したいこともな。けど━━━」
燈に目を向けつつ、宗次郎は言い放つ。
「天主極楽教だけは、俺たちでなんとかしなきゃ行けないんだ」
自分の因縁、そして自分の主人である燈との因縁のためにも。
「だから、俺は行く」
「……」
「宗次郎」
なおも寂しそうな表情を浮かべる舞友を見かねてか、燈が名前を呼ぶ。
その意図は宗次郎にも伝わった。
「舞友。今から大事な話をしたいんだ。時間、あるか?」
「一応、大丈夫ですよ」
何の話だろう、と素直な疑問を浮かべる舞友。
宗次郎は意を決して、大きく息を吸う。
これからするのは、思い出の話。
千年前もの昔の、歴史の話。




