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15.紅髪の魔将

「ガレリウドさま。――エンディリシカが、戦から帰還したようですが……」


 イグネルフがしかめっ面で、私室に入ってきた。

 ちょうど、香子と茶菓子について談義していた折のことだ。

 いつもなら、香子を追い出すための合図としてノックをすることが多いのだが、今日は唐突である。


「が、……何だ?」

「はぁ。ガレリウドさまに目通りしたいと……エントランスに陣取っております」


 エントランスからは、香子を退室させたら、廊下を歩く香子の姿が見えてしまうだろう。

 そうでなくとも、エンディリシカは人間を嫌っている。

 好戦的で戦帰りに寄ったとなれば、随分と殺気立っているに違いない。

 そういった意味では、香子を見た瞬間殺してしまいそうであるからに、イグネルフがノックをしなかった理由がわかる。


「わたくしはお部屋に戻ります」

「いや。そのままで良い。いずれは、そなたの存在を知らしめねばならぬ。だが――その前に」


 ガレリウドは執務机の引き出しより、小刀を手にすると徐に自分の掌を傷つけた。

 どうするのだろうと、見ていた香子は小さく声をあげて扇の下からでも目を閉じて。

 イグネルフはその意味がわかったのか、目を見開いて驚いたかと思うと、複雑に表情を変えてガレリウドの前に立ちはだかった。


「なりませんっ、血の契約など。ガレリウドさま、この娘は人間です」

「だからこそ施さねばならぬ。イグネルフ、お前はエンディリシカを私室に呼んだら、琴式部が部屋から出ないように言い含めて来い。邸内で死人を出したくなければな」


 返答に詰まったイグネルフは、フンっと鼻を鳴らすとガレリウドの私室を退室していった。

 ガレリウドは小刀を片づけると、血を見て怯えた香子の傍へと寄り添った。

 魔族といえど、その血の色が変わっているわけではなく、人間と同じ赤い色をしている。

 青や緑といった色は物語の中で魔族が怖いと示すための虚偽にすぎない。


「香子。目を閉じたままで良い。時間がない故、そなたへの説明は後になるが……口を開けよ」


 香子の扇を取り払い、ガレリウドは傷ついた掌から滴る血を開いた香子の口へと落とした。

 飲み込め――と、命を下して傷ついた掌を、反対の手を翳すことで傷痕を跡形もなく癒した。

 血の契約。

 それは、魔族が眷属として対象を配下に置くことを意味する。

 配下に置かれた対象は、血を与えた者を主として庇護の保証の元、主以外の魔族からの干渉を持たない。

 干渉されるとすればガレリウドよりも強いとされる魔族ぐらいなものだ。

 その実力は公爵以上と噂されるガレリウドであれば、そのあたりに居る伯爵や侯爵クラスの魔族でも干渉することは出来ない。

 故に、血の契約は鉄壁の守りにもなる。

 香子の喉が僅かに動いて飲み込んだのを見届けると、ガレリウドは契約の呪詛を言葉に乗せて、香子の頬を撫でる。


「普段通りにしておれば良い。エンディリシカは血の気が多い愛妾ゆえに、そなたに危害を加えようとするかもしれぬが、案ずることはない――」


 そこまで言ってから、私室の扉が勢いよく開かれた。

 背の高い、戦乙女とも言える戦装束に身を包んだ長身の娘が紅の髪を片手でかきあげながら、ヒールの高い軍靴を鳴らして部屋に入ってきた。


「ガレリウド。貴様、戦を休んで何をしているかと思えば、邸で何を――!」


 苛々とした口調で入ってきた娘、エンディリシカは行儀悪くもソファーに片足を乗っけて、ガレリウドを睨み付けた。

 だが、ガレリウドが触れている黒髪の娘に目をやり、なんだこの娘は? と、怪訝そうに顔を顰める。

 戦に出ない代わりに、このどこの馬の骨ともわからぬ娘を囲って遊んでいたというのか?

 あの戦ばかりしか考えないガレリウドが。

 しかも、邸にわざわざ置いている、だと?


「落ち着けエンディリシカ。その様子では、戦に勝ったのであろう?」

「アタシがこうして居るのだから当然だ」


 エンディリシカが負けたのは、侯爵閣下の命令でガレリウドの軍に攻め落とされたときだけだ。

 魔術を使って将兵を粉砕することを好むエンディリシカは、たった一人無防備に突撃してきたガレリウドに、幾度となく火球の魔法を投げつけても悉く避けられ、懐に飛び込まれて槍を突き付けられた。

 接近戦は得意としていないエンディリシカにとって、間合いに飛び込まれては、魔法を放つための身動ぎ一つだけで殺される。

 だが、ガレリウドはエンディリシカを殺すことはせず、その能力を買って生け捕りにした。

 反抗的なエンディリシカは、最初はガレリウドの下で戦をすることを拒んだが、従軍しているうちにガレリウドの戦ぶりに惚れて、ここ数千年は戦ときけば嬉々としてついてくる。

 功績を残せば、エンディリシカの名は広まり、ガレリウド以外の魔将から戦の話を持ちかけられ「戦に出たければ好きにすれば良い」というガレリウドの言葉に、様々な戦に出ている。

 今では勝利を飾る紅髪の魔将などと異名をとる程だ。


「この娘はなんだ。答えろ、ガレリウド」

「イグネルフから聞いているだろう。『客』だ」

「ただの『客』に貴様は女とみれば誰彼かまわず接吻をするのかっ!?」


 していない、断じてしていない。

 頬に手をあてただけで、そこまで勘違い出来る想像力の豊かさは、女性特有のものだろうか。

 それに、誰彼かまわず接吻するような節操なしではない。

 ……だが、事実上は愛妾が27人居るというと、節操はなさそうに見えるかもしれないが。

 香子の顔を己の胸に抱かせて隠しながら、奪った扇を香子に返してやりながらエンディリシカに向き直った。


「そう声を荒げなくとも聞こえている。『客』の前だと言うのに、そなたは変わらず血の気が多いな。……この娘は香子だ。和国の平安期より希求の声を聞いて連れてきた」


 ガレリウドが香子を紹介すると、エンディリシカは香子が持っていた扇を払いのけ、顎を掴んで顔を上げさせた。

 香子は怯えと不安の混じった表情で、潤んだ目をエンディリシカに向けていたが、羞恥に耐え切れずに目を伏せてしまったようだ。

 それを見たエンディリシカは、鼻で笑うと乱暴に顎を離して香子の長い黒髪を掴んだ。


「あんた、人間だね。アタシは人間は大嫌いでね、ガレリウドが連れてきたと言えど、あんたがガレリウドの戦の邪魔をするっていうならこの場で死んでもらうよ」


 おおよそ、予想のついていたエンディリシカの言葉にガレリウドは、嘆息した。

 人間と知ると、エンディリシカは問答無用で殺しにかかっている。

 毛嫌いしている理由を何度か訊いたが「胸糞悪い連中だからだ」と言って真実を言わずに、殺している。

 ガレリウド自身も、母が人間だったとしても魔族の世界で育ったために、人間に対しては儚く短命の存在は気にも留めていなかったが、香子と知り合ってからはその小さな存在に興味を示すようになった。

 香子は恐怖のせいなのか、一言も発することがなく袖で顔を隠している。


「命乞いをしない所は他の人間よりマシだね」


 そう言ってエンディリシカは得意の火球を掴んだ髪から燃え上がらせてしまおうと、魔力を展開し始め――それは、急速に魔力を跳ねのけて、パリンというガラスが割れたような音を立ててエンディリシカを退けた。

 吃驚したようにエンディリシカは自分の掌を見つめ、鬼の形相で香子の首元を掴みかけた所で、ガレリウドがエンディリシカにいつの間にか手にしていた槍を喉元に突き付けた。


「我の『客』だと言っただろう。勝手に殺すことは許さぬ」


 低く凄みのある声音でガレリウドがエンディリシカを諌めると、紅髪を揺らしてエンディリシカは身を引いた。

 払いのけた扇が床に転がってるのを見ると、納まりきらない怒りに任せ、軍靴のヒールで扇をぐしゃりと踏みつぶした。


「っ……、扇…――」


 それを見た香子が蒼白な顔で、エンディリシカを睨むと背伸びをして、紅髪の魔将と恐れられてもいる女魔将の頬を平手打ちにした――。

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