74話 カタルマシス
和訳『因果応報』
― 慶恩寺の屋敷 ―
「晴希が失踪しただと、セキュリティ体制は万全だったはずだ」
帰国した冨幸が、声を荒げて怒っていた。それも、そのはずだ晴希は逃亡してしまい、僕も取り逃がしてしまったのだから……
当然、怒りの矛先は、妹の天音に向いたのだか……
「お前、アイツ等に加担してただろ。兄に楯突くとは、どう言うつもりだ」
「お兄様、負け犬の遠吠えみたいでダサいですわよ。それに私が加担していたって証拠はありまして? それより、私の手伝いで来ていただいてた藤代さんを感電させたりして、どう責任を取るおつもりですの?」
天音の言うド正論にぐうの音も出ない冨幸は怒りを鎮める様にふぅーっと息を吐くと今度は……
「ふふっ……とは言え、誓約書はまだコチラの手の内にある。本当に逃げきれると思って……」
「冨幸様、誓約書の件ですが、先ほど春日野様から社長へ直々に連絡があって破棄したいとの申入れがあった様です。何でも示談金として500億円が既に支払われたとか……」
ポカンと口を開けたまま固まっていた冨幸。そんな様子を見て天音は、クスリと笑うと……
「ふふっ……中々、やるじゃありませんの」
そう呟きながら僕達の功績を静かに称えていた。
一方、その頃……
― 公園 ―
「これでやっと、直樹さんと一緒になれるね」
「……だな。ウチの母さんにも晴希を紹介しないとだけど、きっと驚くだろうな」
ブランコに乗りながら、幸せを噛み締めていた僕達。この頃になると日も伸びて、夕方でも少し明るくなっていた。
「じゃあ、明日にでもご挨拶に行きますか?」
「いやバイトも入ってるし、母さんも結構、忙しい人だからさ」
「そっか……」
少し残念そうにしていた晴希は、ブランコを漕ぐと勢い良くジャンプした。
フワリと着地をすると……
「私、直樹さんのお母さんに会うの、凄く楽しみ」
晴希の優しい笑顔は夕陽に明るく照らされ眩しくて……僕には天使の様に見えていた。
「そう言えば、まだプロポーズの答えを聞いてなかった気がするんだけど……」
そう言うと晴希は、少し悪戯っぽく笑みを浮かべながら……
「ふふっ……不束者ですが、宜しくお願いしますね。私、良いお嫁さんになりますから」
晴希は深くお辞儀をすると、僕へと抱きついていた。そんな様子を影から冷たく覗き込む男がいた。
「……あの魔女め」
この不穏な男は、晴希を睨み付けながら夕闇の中へと、消えてゆくのだった。
― 数日後 ―
晴希から連絡があって急遽、病院に行く事になった。何でもお祖父さんが突然、倒れたらしい。
「あっ、直樹さん。ごめんね、心配掛けて……」
「いや……それより、お祖父さんの容態は?」
あれだけ嫌っていたお祖父さんだったが、やはり唯一の肉親と言う事もあり、晴希はかなり取り乱していた。
「それが、お祖父ちゃんはもう……」
どうやらお祖父さんは末期の癌で、既に全身に転移しており、病院に運ばれた時には手の施し様の無い状態だったのだと言う。
寝ているお祖父さんの横でずっと泣いている晴希に対して、僕がどう声を掛けて良いのか分からず戸惑っていると……お祖父さんが目を覚ました。
「お祖父ちゃん!!」
「晴希か……今まで辛い思いをさせて、すまなかった。本当に……すまなかった」
お祖父さんは目が見えていないのか、焦点があっておらず、声のする方に耳を向けると、涙を溢しながら何度も、何度も晴希へ謝罪の言葉を口にした。
そんなお祖父さんに晴希は……
「そんなの、もういいよ。だからお願い、死なないでよ。ねぇ、お祖父ちゃん」
「晴希……」
ベッドの横で泣き崩れる晴希を僕は、後ろから抱き締めた。その目からは音を立てずに涙が溢れていた。
「草原君……君の言う通り、この子にはずっと辛い思いをさせて来てしまった。晴希の事は任せたよ、どうか君の手で幸せにしてやってくれ……」
「はい……約束します」
ピィーー……
そう言い残すとお祖父さんは、静かに目を閉じた。
「お祖父ちゃん? お祖父ちゃん……嘘でしょ。まだ私、何も恩返ししてないのに……うわぁぁぁ」
この日、お祖父さんはこの世を去った。その表情はどこか優しく、安心した様な顔をしていた。
今、思うと晴希ウェディングドレス姿を見せてあげられなかったのは心残りだったが、最終的に確執や蟠りも取れて、良かったのかも知れない。
― 斎場 ―
お祖父さんは、春日野家の当主だった事もあり、葬儀は盛大に執り行われた。親族が晴希しかいなかった事もあり、何故か流れで僕も遺族席に座る事になってしまったのだが……
――何だろう、気まずさしかない……
晴希にお願いされたとは言え、遺族席に座るのは良く無かったのかもしれない。周りからは白い目で見られ、精神的にも参ってしまいそうだったが……
「晴希……大丈夫か?」
「うっ、うん。ありがとうね、直樹さん」
参列者が多く事もあり、喪主を努めた晴希は疲れている様に見えた。そんな時、参列者の中に見覚えのある姿を見つけた……冨幸だ。
冨幸は、不機嫌そうコチラを睨むと焼香を済ませ、参列席に戻ってしまったのだが……精進落としの際に再び目の前に現れた。
「ふん、死に際に誓約書を破断させやがって、ロクなジジイじゃ……痛っ」
「冨幸……お前は、なんて事を言うんだ。すまないね晴希ちゃん、ウチの息子が失礼な事を言って……後でキツく言っておくから」
「あっ、いえ……お気になさらないで下さい」
冨幸の頭を小突いたのは、なんと冨幸の父親だった。冨幸は尚も不機嫌そうな顔をしていたが、父親は頭を深々と下げ、何度も謝罪をして来た。
「晴希ちゃんは、遺言の事を聞いてるか?」
「はい、じいやから伺っております」
何でも遺言には、遺産の全てを晴希と僕に半分ずつ相続する様に書いてあったらしい。それを聞いた僕は……
「僕、それ聞いてないし、困るんだけど……」
「じいやが言うには、生きているうちに直樹さんと何か繋がりが欲しかったみたいよ」
実際には相続税等もある為、半分ぐらいになってしまう様だが、それでも凄まじい遺産が僕達の物になる事に頭を抱えていると……
「大丈夫だよ、草原君。二人の事は、慶恩寺家が責任を持ってサポートしていくから、どうか安心して欲しい」
何でも生前、お祖父さんは、冨幸の父親に僕達の事を頼んでいたらしい。示談金も始めはいらないと断ったそうなのだが……
「二人の事を頼むって事で、示談金は形式的に頂く事にしたんだ。だから気負わずに頼って貰って良いんだよ」
「ありがとうございます。私、どうして良いか分からなかったので助かります」
すると、得意気な顔で冨幸が前に出ると……
「あはは……じゃあ二人のサポートは、この僕がしてあげるよ。感謝をしたまえ」
――僕に恥をかかせた腹癒せだ。財産は全額ぶんどってやるよ。
「あら、お兄様では役不足ですわよ。その役目なら私が全うしますわ」
すると、後ろから現れたのは、なんと天音だった。天音は、そのまま晴希達の目の前まで来ると静かにお辞儀をして……
「この度は御愁傷様でした。今後は、この天音が責任を持って春日野家のサポートを……」
「おい、天音。副社長足る、この僕を差し置いて何様のつもりだ。これだから勘違い女は……」
すると天音はクスりと笑いながら、蔑んだ目で冨幸の事を見つめると……
「ふふっ……お兄様こそ、何の冗談ですの。今日から副社長には、私が就任する事になったじゃありませんの」
「はっ? じゃあ僕はどうなるんだよ。社長に昇格するなんて話は、まだ聞いて無いぞ」
すると、冨幸の横に父親がやって来て一喝する様に……
「恐喝に横領、パワハラに、セクハラ……お前がやって来た事は全て犯罪だ。今すぐに解雇にしてやっても良かったんだが、せめてもの慈悲だ……今日からは俺の秘書として、再教育してやるから覚悟しろよ」
副社長の地位を失った冨幸は、己の愚行を後悔しながら項垂れていた。




