64話 クリティカルモーメント
和訳『危険と隣合わせ』
無情にも時は過ぎ、激しい熱さと朦朧とする意識の中で、僕の心と体もついに限界を迎えていた。
――母さん、ごめんよ。親不孝な息子で……
無論、死への不安や後悔が無い訳では無かったが、晴希とこうして一緒に最後を迎えるならば、それもまた運命だったのだと、受け入れられる自分がいた。
――晴希……愛してるよ……
晴希を失うくらいなら……
このまま一緒に……
全てを理解した上で僕は。晴希と運命を共にする道を選んだ。これが正しい選択だったのかは分からない……だけど、不思議と迷いはなかった。
――さよなら、みんな……
ドッゴ-ーン
「うわぁ!!」
次の瞬間、激しい爆発音と共に、建物が大きく揺れ床の一部が陥没した……どうやらガス管へと引火したらしい。
穴の空いた床からは黒い煙がモクモクと漂い、視界を黒く染めてゆく……最早、一貫の終わりかと思った時、晴希の手錠が外れているのに気付いた。
――やったぞ……ココから逃げれる。
「いっ、痛っ……」
晴希を助けられると望みを繋いだ僕が、立ち上がろうとすると……瓦礫の破片が僕の右足へ当たり、真っ赤に腫れていた。骨は折れてはいない様だが、足に力が入らなかった。
――這いずってでも、脱出しなきゃ……
傷付いた体を奮い起たせながら、晴希を背負った僕は、痛みに堪えながら一歩、また一歩と、出口を目指して歩いてゆく……
「絶対に助けてやるからな」
大量の煙を吸い込んだせいで、僕の呼吸は次第に荒くなり、体からも力が抜けてゆく……
――あと、少し……あと……
そして出口を目前にしたところで、僕は倒れてしまった。薄れ行く意識の中で僕は祈る……
――神様、お願いです。晴希を……どうか晴希だけは……
そして僕は、意識を失った。
― 白い部屋 ―
ピッ……ピッ……ピッ……ピッ……
電子音が鳴り響く真っ白な部屋……僕が寝かされていたのは病院のベッドだった。口には酸素マスクが装着され、体には無数の器具が取り付けられている。
――ココは……そうだ、晴希は?
火事の事を思い出した僕は、無我夢中で器具を外すと、ベッドから飛び降りた。
すると……
「草原さん、ダメです。まだベッドで安静にしていないと……」
異変に気付いた看護師さんが、慌ててベッド押し戻したのだが、いても立ってもいられなかった僕は……
「僕と一緒に運ばれて来た女の子は、無事なんでしょうか?」
すると、看護師さんは優しく微笑みながら……
「安心して下さい。命に別状は無いそうですよ」
晴希の無事を確認すると、僕の顔も緩んだ。どうやら僕が倒れた後、すぐに消防隊が駆け付けてくれて救出してくれた様だ。
晴希は重度の脱水症となっており、救出があと5分も遅れていたら命を落としていた可能性すらあったらしい。
「良かったです」
「草原さんもですよ」
僕も大量の煙を吸い込んで呼吸困難に陥っていたが、駆け付けた消防隊の対応により、大事には至らず……2・3日もあれば退院出来るとの事だった。
現在、晴希は別の病院で治療にあたっているらしいが、無事の確認が出来ただけでも良かった。
バタバタバタバタ……
落ち着きを取り戻した僕が、ベッドに寝転がっていると、バタバタとした足音が近づいてくる。そして、病室の前まで来ると……
「大丈夫かい、直樹」
なんと現れたのは母だった。どうやら僕が火事に巻き込まれ事を知り、実家きら飛んで来てくれた様だ。
僕の元気そうな顔を見た母は、安心したのか大きく息を吐いた。よく考えると血を分けた息子だ……心配するのは、当然だったのかも知れない。
「心配掛けて、ごめん」
もし、あのまま晴希を救えずに運命を共にしていたらと思うと僕は酷く心を痛めた。晴希の為だったとは言え、自らの命を投げ出そうとしていたのだから……
暗く俯いていた僕を気遣ってなのか、母は事故の事については触れず、最近ハマっている韓流ドラマや店の経営が上手く行っていない話などをしてくれた。
時間は刻一刻と過ぎ、面会終了時間になると、母は、1枚の封筒を手渡して来る。
「退院してからで良いからね」
そう言い残すと母は、そそくさと病室を出ていってしまった。もしかしたら、お見舞にお金を包んでくれたのかも知れないと、期待を胸に封筒を開けると、そこには……
――なっ……3万!?
そこに入っていたのは、なんとタクシーの領収書だった。話の流れからして、どうやら退院したら母へ送金する様に言っていたらしい。
確かに、遠方から駆け付けてくれたのは嬉しかったが、この高額な請求には驚きを隠せず、僕は茫然自失としていた。
「酷いよ、母さん」
再び、ベッドへ横たわると僕は、そのまま眠りについた。
― 数日後 ―
僕は無事に退院する事が出来たのだが、一つだけ分からない事があった……晴希からの連絡が無いのだ。
もしかしたら、冨幸にスマホを奪われていたり、壊れされてしまったのかも知れないと、ただ晴希に会いたい一心で、入院先の病院にも足を運んだのだったが……
「申し訳ございません。春日野さんはまだ、事故のショックが大きく、ご家族以外の方とはご面会をお断りしております」
「えっ!?」
――晴希には、会えないのか……
期待を胸に、お見舞いへと来た僕はすっかり肩を落としていた。あの太陽の様に眩しい笑顔に会えるかと思っていたからだ。
「分かりました。じゃあ、コレだけ渡して貰えますか?」
僕は、手に持っていたお見舞い品を看護婦さんへと渡すと、静かに病院を後にした。
帰り道、バイト先のスーパーへ立ち寄ると品出しをしている夏稀と遭遇した。目が合った瞬間、まるで獣の様な目付きで僕の首元を掴んだ夏稀は、そのままバックヤードへと引っ張ると……
「草原さん、どういう事か説明しろよ」
「…………」
いつになく、強い口調で僕へと当たる夏稀だったが……どうやら夏稀の方もスマホも壊されていた為、連絡が取れず、ずっと心配していた様だ。
僕が事故の経緯と、晴希の無事を知らせると……夏稀の表情が少しだけ緩んだ様に見えた。
「まあ、無事だったんなら良いけどさ」
そう言うと、夏稀は品出しへと戻ってしまった。
「あっ、草原君。もう良くなったんだね」
そのまま事務所へ足を運ぶと今度は、テンダイと鉢合わせになったのだが、僕は不機嫌に睨み付けると……
バシッ
言葉をよりも先に僕の掌はテンダイの右頬へと当たっていた。そして、僕は追い討ちを掛ける様に……
「アンタ、自分が何をしたか分かってんのか?」
「……すまない」
晴希との仲を引き裂こうとしていたテンダイを僕は、どうしても許す事が出来ず、更に拳を振り上げると……
「アンタのせいで、晴希は……」
「本当にすまなかった。でも分かってくれ……紗綾を救う為には、他に方法が無かったんだ」
紗綾はテンダイの一人娘であり、生まれつき体が弱く、先天性の心疾患を患っていた。最近は病状も悪化しており、色んな病院を巡っていたらしい。
そんな時に声を掛けて来たのが、冨幸の妹である天音だったらしい。
天音は自身の手掛ける販売事業の拡大を目指しており、有能なテンダイをヘッドハンティング……娘の治療が出来る病院を紹介する事を条件に、慶恩寺グループへ協力する事にしたらしい。
そんな様子を陰から覗き込んでいた冨幸は、店への裏切りをネタに強請を掛けて来たらしい。テンダイも直樹に恨みがあった訳ではないが、この悪魔の誘いには従うしか無かった様だ。
「理由はどうあれ、君を陥れたのは……この僕だ。さぁ、気が済むまで殴ってくれ」
「…………」
憧れだった人の裏切りに、心を痛めていた僕だったが、理由を聞くと……そのやりきれない思いに振り上げた腕を下ろし、その場を後にするのだった。




