25話 スワンプヒーロー
和訳『泥まみれの勇者』
―藤見ヶ丘公園―
亜紀は待ち合わせ時間よりも、かなり前から公園のベンチで僕の事を想いながら待っていたらしい。その白いスカートが夕焼け色から夜空の漆黒へと変わっても、未だ連絡すら来ない事に違和感を感じながらも……
「お仕事が押しちゃってるのかしら……仕方ないわよね」
腕の時計を見ると、既に約束の時間から30分以上も経過していた。普通だったら怒って帰ってしまいそうな物だが、亜紀それからも僕の事を想いながら、ずっと待っていてくれたらしい。
― 港の廃倉庫 ―
僕が廃倉庫に到着した頃には……空は半分、黒いカーテンに覆われており、水平線の向こうにある太陽は今にも沈んでしまいそうだった。
僕は倉庫の扉を静かに開けると慎重に歩き進めた。不良達に見つかれば、きっと……ただでは済まないだろう。
薄暗く倉庫の中を音を立てない様に、細心の注意を払いながら進んでゆくと、開けた大きなスペースに夏稀はいた。
四人組の男に囲まれ、まるでサンドバッグの様に無防備に殴られている夏稀の体は、既にボロボロだった。
「散々、俺等の事をコキ使って来た癖に、バイトを始めたから辞めます? テメェは副長だろ……立場を弁えろやっ」
ドガッ……ドゴッ……
「ぐっ……」
男達の制裁により、その場で膝を付いてしまった夏稀……頬は真っ赤へ腫れ上がり、鼻からはポタポタと血が滴り落ちていた。
「はぁはぁ……はぁ……肝っ玉の小せぇ奴らだ。制裁するんだろ。こんなチマチマやってねぇでサッサと『 政斗 』を呼んだらどうだ」
政斗とは『炎の不死竜』の異名を持つ、この暴走族のリーダーである。情に熱く、楽観的な性格をしているが、一度キレると誰も手を出せない程、強いのだとか……
夏稀はチームを抜ける際には、この政斗と話をして制裁を免除して貰う約束を取り交わしていた様だが、これではまるで話が違う。
強い不信感を抱いていた夏稀は、この場に政斗を呼び寄せて真意を確かめ様としたのだが……
「政斗? あぁ、アイツなら死んだよ。バカだよな、ブレーキが壊れている事も知らず、高速でブッ飛んじまうんだからよ……くくくっ」
「宍戸、まさかテメェが……」
宍戸は嘗ての舎弟であり、現在は暴走族の副長を務めている……つまり夏稀の後任だ。
宍戸は予てから強い野心を持っていた様だが、政斗を陥れ亡き者にすると、今まで散々扱き使われて来た夏稀に対しても密かに報復を企てていたらしい。
「だったらなんだ。俺等をお前一人で相手してくれんのか? それに知ってんだぞ。お前、本当は……」
「黙れゲス野郎が、ぶっ飛ばしてやる」
だが、言葉とは裏腹に状況は最悪だった。いくら夏稀が強いからと言っても、この屈強な男達を一度に相手にするのは無謀に違いないからだ。
最悪の場合を想定して僕が警察へ通報しようと、外に向かって駆け出した瞬間だった……倉庫内に女性の叫び声が響き渡る。
「もうやめてぇ……これ以上、ナツを虐めないでぇ……」
声の主は……なんと、晴希だった。
どうやら夏稀のピンチに、いても立ってもいられなくなって出ていってしまった様だが、状況は更に悪くなってしまった
「バカ野郎、なんで来たんだよ。俺の事は気にすんなって言っただろが……」
「だって、ナツの事が心配で……」
すると男達は、嘗め回す様に晴希を見ると、今度はニヤニヤと嫌らしく笑いながら……
「君、もしかして俺等と遊びたいの? うほほっ」
「やめろよ。晴希には手を出さない約束だろ?」
「そんなの知るかよ。じゃあ皆で、楽しく乱交パーティーといきますか……うへへ」
後退りしながら震えている晴希を見て、いても立っても入られなくなった僕は、腹を括ると、ヤンキー達の前と降り立つ……
あの日、ゲームで晴希のピンチに駆け付けた『草原の騎士』の様に……
「君達、もうこんな事するのはやめるんだ」
「直樹さん!!」
「んだよ、このリーマン。ブッ殺されてえのか?」
前に飛び出した物の、何をして良いのかよ分からなかった僕は、引き攣った顔をしながら立ち尽くしていた。
「あっ……アンタまで何しに来たんだよ。サッサと、晴希を連れて逃げろ」
僕の登場に夏稀も目を丸くすると、声を荒げながら逃げろと叫んだが、男達は腕を広げて、行く手を阻んだ。
「俺等から逃げられると思ってねぇよな」
「有り金は全部渡す……だから、もう二人に手を出すのは、やめてく……ぐっ」
逃げられないと悟った僕は、財布を片手に土下座をしたが、不良達の一人が僕の鳩尾を蹴飛ばして来た。
「がはっ……はぁ、はぁ、はぁ……」
「思ったより、賢いじゃん。その誠意に免じて、オッサンだけなら見逃してやるよ」
一瞬、息が止まりかけて、苦悶の表情を浮かべた僕だったが、どうやら晴希達を見逃してくれる気は無いらしい。
「そっ……それじゃ話が……グホッ」
「大人の癖に、つべこべ言ってんじゃねぇよ」
僕が再び詰め寄ると、不良達は殴る蹴るの暴行を加えてきた。
ドガッ……ボゴッ……ドゴッ……
「直樹さーーん」
体に当たる度に骨は軋み、肉が爆ぜる程の痛みが全身に走る……僕の顔は腫れ上がり、床には夥しい血が飛び散っていた。
それでも僕は決して怯む事はなく、立ち上がっては謝罪、立ち上がっては謝罪を繰り返した。
「はぁ……はぁはぁ……お願いだ。僕の事はいくら殴って貰っても構わない。だから、この子達には手を出さないで欲し……ウグッ」
「うへへっ……格好良いなぁ。良い歳こいてヒーロー気取ってんじゃねぇよ」
「やめろ、その人は関係無いだろ。チッ……もう我慢ならねぇ、全員血祭りに上げてやらぁ」
「くくくっ……」
殴られ続ける僕を見て、ついにキレた夏稀が不良の一人に掴み掛るのだか、その横で宍戸は不敵に笑っていた。
「おい、宍戸。テメェさっきから何笑ってんだよ、気でも狂ったか?」
ブルゥウウウ……
ブゥウンブウン……
ブォーン……
すると、倉庫の外からは夥しい数のバイク音が鳴り響き……宍戸は鼻を大きく広げると、細く鋭い眼光で威圧しながら高らかに笑った。
「くくくっ……おめでたい奴らだ。今日は、ナツさん……アンタに怨みがある奴を、しこたま用意させて貰ったぜ。さあ楽しいパーティーの始まりだ」
倉庫のシャッターが、ガタガタと音を立てながらが開くと、目の前には数十台のバイクが立ち並んでいた。
辺りを眩しく照らすバイクのヘッドライトは、まるでスポットライト……僕達から逃げ場を奪っている様だった。
「俺が道を作るから、草原さんは晴希を連れて逃げてくれ。一生の頼みだ、俺の親友を……晴希を……これ以上不幸な目に、合わせないでやってくれ」
「ナツ……」
いつもとは違う弱々しい夏稀の発言に、僕も覚悟を決めた。まずは晴希を連れ出して、再びココへ戻って来ると……
「直樹さん、駄目ぇ……」
僕は黙って頷くと、そのまま晴希の手を引いて走り出した。そんな僕に呼応する様に夏稀が戦闘態勢で構えると……
「脱退記念だ、俺が直々に相手してやる。死にてぇ奴から前に出ろ」
挑発された事よって、数人の不良達が辺りを囲むと、崖縁へと立たされた夏稀の顔からは一切の余裕が消えていた。
晴希をこの場から逃がす為に、僕も必死で逃げ道を探していたが、辺りは完全に八方塞がりで……最早、万事休すだった。
そんな状況を見兼ねた晴希は、不良達の前に出ると、震える足を抑えながら、とんでもない事を口にした。




