8. 号外
ついに号外が出た。ジョーさんが直々に号外を孤児院に持ってきてくれた。
「見てくれ。俺の初の署名記事。しかも号外」
ジョーさんのドヤ顔はキラキラだった。みんなにせがまれて嬉しそうにジョーさんが読み上げてくれる。
「孤児院長、公金横領。爵位はく奪の上、追放」
「やったーーー」
「ざまあああああ」
みんなで飛び跳ねて抱き合う。
「孤児院の食費を私用に流用。つまり、自分で勝手に使ったってこと。だから、みんなはお腹が減ってたんだ。許せないね」
「今はね、お腹いっぱいなんだよー」
「毎日フワフワパンが食べられるんだもん」
パイソン公爵が動いてくれたんだ。司法省が元孤児院長の私財を没収して、孤児院の食費予算をちゃんと戻してくれた。だから、最近はちゃんと食べられる。
他にも色々なことが明らかになって、孤児院はすっかり変わった。みんなもう、ガリガリじゃない。これなら、全員で冬を越せる。よかった。よかった、夢を見て。
***
ガタゴトと揺れる馬車の中で、元孤児院長は手をきつく握りしめていた。今は、手のひらに突き刺さる爪の痛さでしか、生きていることを感じられない。
「なぜだ。誰だ」
それだけが、頭の中を渦巻く。ほんの数週間前までは、慈善家として名高く、何不自由のない暮らしをしていたのに。どうして。
「なぜ、あのときに限って口が滑ったのか」
聞こえのいい建前しか話さないのが常であったというのに。あのときだけは、口から言葉がすべり落ちてしまった。
「薬をもられたのであろうな」
油断した。しかし、いったい誰が。
「私が失脚して得をしたのは、アッフェン男爵」
あの、赤毛のサル。下品で粗野な男。いや、あのようなアホに策謀を巡らす知恵はなかろう。
「それでは、やはりパイソン公爵」
そう考えるのが一番しっくりくる。孤児院長の地位が目的ではないはずだ。そんなもの、あの大金持ちの公爵家当主が欲しがるはずがない。
「であれば、不正を暴くことで国民人気を得ようとしたのであろう。卑怯な」
許せぬ。許さぬぞ、パイソン。必ず復活し、お前の息の根を止めてやる。
***
「ハクシュン」
生まれ落ちた瞬間から貴族の中の貴族と評されるパイソン公爵。くしゃみでさえも上品である。
「閣下、窓をお閉めいたしましょうか」
侍従が静かに問う。パイソン公爵は軽く首を振った。
「いや、いい。大方、追放先に向かっている元貴族が私に恨み言を述べているのであろう」
あの男の頭脳では、黒幕にたどりつくこともできまい。
「まさか、幼く哀れな孤児の少女が筋書きを立てたとは、夢にも思うまい」
腹の底から笑いがこみあげるが、表情にまでたどりつくことはなかった。
「私を恨め。私を憎め。できもせぬ復讐計画を立てよ。お前の一挙手一投足を、配下が監視するであろう。仲間がいるならあぶり出し、更なる絶望に突き落としてくれよう。それが、神聖なる税金を私利私欲に使った報い」
財務大臣である己への許しがたき暴挙である。幼子を飢えさせた上に、税金を払わぬタダ乗り族と罵ったあの恥知らずを、パイソン公爵は決して許しはしない。
***
自宅で蟄居しているシュバイン子爵は、監視人から渡された号外を見て興奮に震える。
「私の名前がどこにも載っていない。よしっ」
よしっ、よしっ、よしっ。何度も繰り返しながら、部屋を歩き回る。
「私は何も悪いことはしていないからな。間もなく無罪放免となるだろう」
まったく、ひどい目にあったものだ。謹慎が解かれたら、何をしようか。
「女はやめておこう」
ほとぼりがさめるまでは、女人禁制。特に、幼子は。そうだな、一年ぐらいは我慢するとしよう。一年後、あのサブリナちゃんを手に入れる。一年なら、サブリナちゃんはまだ小さいままでいるはず。
「グフフフ、楽しみだ。会えない時間が愛を育てると言うものな。グフッグフグフ」
音もなくドアが開き、男たちが入ってくる。屈強な男たちは、物も言わずにシュバイン子爵を椅子に縛り付けた。何かが、首に巻き付けられる。ヒンヤリとした首の感覚に、シュバイン子爵の全身が震えた。
「な、なんだね、君たちは」
「シュバイン子爵、沙汰が出たので執行する」
「沙汰―? 何の罪で?」
たかが孤児の少女のひとりやふたり。一体何の罪になるというのか。
「本気でわからないのか? 終わっているな。ウォルフハート王国の基本法に明確に書いてある。ウォルフハート王国の全ての民は国王の子どもである。国王の子どもを害する者は、処罰されると」
「いやいや、あれは建前でしょう」
「陛下がお怒りであらせられる。もう、黙れ。去勢、処刑、額にイレズミ、様々な罰が検討された。被害者たちの意見を尊重し、お前の罪は公表されず、島流しとなる」
「島流し?」
島か。それは、悪くない。青い海、青い空、白い雲。明るい太陽の下カクテルを飲み、ほてった体を冷やすためにひと泳ぎ。島なら、女たちは薄着であろうしな。よいではないか。
「無人島だ。週に一度、近くの島民から食料が届けられる。間違っても島民の幼子に近づかないように。邪なことを考え、実行しようとすると、首輪が作動する」
首が熱くなる。なんだ? 苦しい。
「や、やめて、ブヒッ、ブヒブヒッ、フガ」
言葉が出ない。どういうことだ。
「新しく開発された魔道具だ。無人島には野ブタが生息している。人が何もしなければ、野ブタも無視してくれる。だが、お前が女性や幼子に無体なことを考え、行おうとすると、首輪が野ブタを呼ぶ」
「ブヒッ、ブヒブヒ」
意味がわからん。なんのことだ?
「野ブタのオスは恐ろしいらしいぞ。追われて、逃げ切れるだけの脚力があるといいな」
「ブヒーッ」
シュバイン子爵の悲鳴を、男たちは誰も気にしなかった。シュバイン子爵を追い立てる男たちの多くは、妹や娘を持つ。男たちにとって、シュバイン子爵は唾棄すべき存在。
シュバイン子爵は、馬車に乗せられ、野ブタの王国に送り込まれる。
***
院長室でアッフェン男爵が壁を見ながら、ああでもないこうでもないとうなっている。
「ピエールさん、お呼びですか?」
ジョーがひょっこり顔をのぞかせる。アッフェン男爵は笑顔でジョーを招きいれた。
「まずは、素晴らしい号外をおめでとう。実に切れのあるいい文章だった。それでだ。聞いてくれ、ジョー君。仮の孤児院長から、本物の院長になってしまった」
「それは、おめでとうございます。子どもたちは大喜びでしょう」
「まあね。オレもここまで来たらやりきりたいなと思っていたから。最善を尽くすつもりだ」
アッフェン男爵はキリッと言ったあとで、腕を振り回しながら壁を指す。
「壁に新しい絵をかけたんだけど、どう? 順番とか配置とかさ、ジョー君の意見を聞かせてよ」
「ああ、なるほど」
壁にはたくさんの絵がかけられている。
「ええと、なんというか、それぞれが、方向性がバラバラの絵ですね」
ひまわりの絵、小麦の落ち穂を拾っている農婦の絵、革命を率いる半裸の女神の絵、橋の上で叫ぶ薄気味悪い人の絵、海を泳ぐ大きな魚の絵、青いスカーフを巻いた少女の絵、神秘的な微笑みを浮かべる美女の絵。
「オレが今まで私財をつぎ込んで買った傑作だよ」
アッフェン男爵が誇らしそうに体を反る。
「あの、前に飾ってあった風景画はどうするんですか? 正直、あっちの方がこの部屋には合っているような気が。なんというか、主張があまりなくて溶け込んでいた気がしますけど」
個性豊かで、まったく調和の取れてないたくさんの絵を見て、ジョーが感想を言う。アッフェン男爵がくわっと目をむいた。
「ジョー君、わかってないな、わかってないよ。あれはねー、あれは、我が国の画家の絵じゃないんだよ。しかも、贋作。偽物。いいですか、ここにある絵はね、才能ある我が国の画家の絵です。推すべきはこっち」
アッフェン男爵の勢いに押され、ジョーは少し後ずさりする。
「はあ、そうですか。って、いや、ちょっと待って。贋作って本当ですか? どうしてわかるんですか?」
「え、だって、見たらわかるよ。見てみる?」
ジョーがうなずくと、アッフェン男爵は木箱の中から絵を出してきた。
「ほら、ここ。右下に画家のサインが書いてあるだろ。ロシェル王国の有名な画家のサインだね」
「はあ。すみません。俺、絵はあんまり詳しくなくて」
「そうか。まあ、このサインはね、すごく似ている。よーく見ないと違いがわからない。でもね、この左上を見て、金のカギが描いてあるだろう。これがね、贋作者のサインなんだ」
「ちょっと、意味がよくわかりません。どうして贋作者が自分のサインを入れるんですか? 入れなきゃバレないのに」
「それが、人の自己顕示欲ってもんだよ。たいていの贋作者は、どうしても自分が描いたとこっそり誇示したがるんだ。人間というのは、そういう理屈の通らないことをしてしまうんだ」
ジョーは木箱の中から他の絵を出し、じっくり見る。
「本当だ。こっちの絵にも金のカギが描いてある。探そうと思って見ないと、わからないもんですね」
「そう。人はね、有名な画家のサインが書いてあれば、それで本物と判断してしまうものさ。うーん、どうしようかなあ」
アッフェン男爵は色んな絵を並び替えては、遠くまで下がって配置を見続けた。
***
ジョーとネイトは、孤児院と王宮の中間ぐらいにある、小さな家に入った。上着と帽子をかけ、カバンを机に置き、ネイトに水とごはんをあげる。
カバンの中から、孤児院でもらった残りごはんを出し、皿に移した。パンとゆでたじゃがいも。ぬるいビールを飲みながら、ごはんを食べる。
「めまぐるしい日々だったな」
サブリナに出会ってから、ずっと忙しい。
「不思議な子だ。未来が見える少女か」
目の色を黒色に見せる魔道具メガネを外し、壁にかけている鏡の前に行く。金色の目がこちらを見返す。鏡に近づき、髪をかきわけ念入りに見る。
「うーん、そろそろ染めないといけないな」
ところどころ、銀色に戻ってしまっている。銀の髪と金の瞳は、王族の印だ。誰にも気づかれないように、隠さなければならない。
「明日の新聞には国王の声明が載るのか」
久しぶりに会った国王は、疲れているように見えた。
「それはそうか。慈善家で知られた孤児院長の汚職。変態貴族の処分。ロシェル王国がなにやら仕掛けてきているし。気の休まる時がないだろうな」
その上、あの贋作。なにか匂う。気になる。気になると言えば、カバンから飛び出している金ピカ。
「そうだった。ピエールさんに額縁もらったんだった」
金ピカの額縁に号外を入れて、鏡の横に飾った。ここなら、毎日ヒゲを剃るときに目に入る。
「いい仕事ができてよかった。さて、明日から次の特ダネを掘るかー」
ジョーはうーんと伸びをした。ネイトがつられたように、大きく口を開けてあくびをする。




