7. アッフェン男爵夫妻
計画を何度か修正して、パイソン公爵もこれならいいだろうと言ってくれて、もうすぐ初仕事。
「パンが食べられるなら、もう仕事しなくてもいいんじゃ」っていう声もちょーっとだけ出たけど、「給金でジャムを買ってパンに塗ったらうまいぞ」ってジョーさんが言ったら、みんなやる気になった。
古着だけどボロボロじゃない、シャツとズボンも買ってもらった。ズボンは大きめで、お腹あたりがスカスカしてる。そのままだと落ちちゃうので、ズボン吊りをしてる。これなら、大きくなっても、ちょっと太っても、かがんだり走ったりしても大丈夫。
安全のために、アタシとエラは男の子のフリをすることになっている。大きめの帽子にしばった髪を隠すんだ。
「ワン」
大きな犬も仲間になった。胸元と鼻の周りだけ白くて、あとは真っ黒。牛みたいに巨大な犬。
「オリー、子どもたちをよろしくな」
ジョーさんがオリーをわしわし撫でる。ジョーさんが知り合いからオリーをもらってくれたんだ。オリーはネイトのお兄ちゃん。ネイトは普通の大きさなのに、不思議。
王宮までオリーが引っ張る荷車で行くの。王宮内でも、オリーがアタシたちを守ってくれるはず。
「オリーは優しいし、強いから安心だ。もし変態が出ても一撃でやってくれる」
ジョーさんもピエールさんも、変態シュバイン子爵の登場以来、過保護ぎみ。
「そうだ、餞別を持ってきたんだった。一時間おきに休憩するようにって言ったけど、時間がわからなきゃ無理だなと思ってさ」
ジョーさんがオリーの首に何かをつける。
「懐中時計をオリーの首につけておくから。これで時間を見て休憩するように」
オリーの首につけられた赤い懐中時計。
揺れる赤い懐中時計を見ていると、足に力が入らなくなった。
「おっと、サブリナ。大丈夫か?」
ジョーさんに支えられたけど、体が震えて止まらない。伝えなきゃ、止めてもらわなきゃ。
「ピエールさんは? ピエールさんはどこ?」
「ピエールさんなら院長室じゃないか」
「ピエールさんに会いに行く」
言うことを聞かない足を無理やり動かして、院長室に向かう。隣を歩いているジョーさんが、よろけるアタシの背中に手を置いてくれる。オリーとネイトもふんふん言いながらついてきてくれた。
思い出した。つながった。ピエールさんが、夢の中に出て来ていたのに。あまりに目の前のピエールさんと違い過ぎるから、わからなかった。
院長室に着くと、ピエールさんは壁の絵を見ながらブツブツ言ってる。
「ピエールさん」
振り返ったピエールさんは、アタシの様子がおかしいからか、慌てて近寄ってくる。
「サブリナ、なんだ? どうした? なにかあったのか?」
「ピエールさん。奥さま、奥さまの馬車を調べて。車軸が折れそうになってるかもしれないの」
「ユリアの馬車? 車軸?」
「奥さまって、人形つくってますよね?」
「そうだけど。よく知ってるね」
「赤い髪に青い目で、白いドレスをきた女の子の人形はもうできあがりました?」
「どうしてそれを?」
ピエールさんの目が泳ぐ。
「見えたんです。未来が。奥さまの馬車が事故にあって。川に奥さまと人形が落ちて行くのが見えたんです。止めてください、早く」
アタシの震えが、ピエールさんに移った。ピエールさんの赤い髪と緑の目が揺れる。ああ、あの人形は、ピエールさんの赤い髪と、奥さまの青い目を持っているんだ。
「い、行ってくる。サブリナ、ありがとう」
「早く、早く。行ってください。奥さまを止めてください」
ピエールさんの足音が遠ざかって行く間、跪いてずっと祈った。
あの場面が、本当にならないでください。本当にしないでください。神さま。
祈っていると、オリーが頬を、ネイトが手をなめてくれる。オリーにクルクルッと巻き込まれ、オリーのモフモフの中で目を閉じた。あの恐ろしい光景が浮かぶたび、ネイトがくぅーんと鳴く。慰めてくれるんだ。優しいね。
「サブリナ、サブリナ」
「んあっ」
呼ばれて目を開けると、モフモフに包まれて何も見えない。かきわけて顔を出すとジョーさんがいた。心配そうな顔をしていたのに、すぐに笑いだす。
「なんで笑うの?」
「毛だらけになってるから」
クックッと笑いをかみ殺しながら、オリーの中から引っ張りだしてくれる。ジョーさんが渡してくれたハンカチで顔を拭くと、いっぱいオリーの毛が取れた。
「髪にもいっぱいついてる。後でブラシをかけるといいよ。さあ、おふたりがお待ちだ」
ジョーさんがさっと横に動くと、前の方にピエールさんと丸顔の女性。
ふたりは、対照的な顔をした。泣きそうなピエールさんが駆けよってくる。優しそうな女性はニコニコしながらゆっくりと歩いてきた。
「サブリナ」
ふたりがアタシの前でひざまずく。ピエールさんがアタシの両手を取って、額に当てた。
「ピエールさん」
それって、王さまにする仕草じゃなかったっけ。どうしちゃったの?
金髪の女性がじっと見つめてきて、嬉しそうに笑う。夢で見た青い目が細くなる。ピエールさんのシャツの色。人形の目の色。
「ピエールさんの奥さまですか?」
「そうです。あなたに命を救ってもらったユリアです。本当に、ありがとう。馬車に乗って出かけようとしたときに、ピエールが血相を変えて戻ってきたのよ」
「すぐに車軸を調べたら、わずかだが亀裂が入っていた。あのまま走って、石の上にでも乗りあげたら、車輪がはずれて事故になっていただろう。サブリナ、君はユリアの命の恩人だ。心から感謝する」
「間に合ってよかったです。あの、緊張するので立ってください」
ひざまずかれると、どうしていいかわからない。
「そうだね。座って話そう」
四人でソファーに座って向かい合う。
「それで、君の力のことだけど。もしかして、サブリナは未来が見えるのかい?」
そうだよね。そうなるよね。あのときは先のことまで考える余裕がなかったけど。あんなこと言ったら、そう思われるよね。
「言いにくいと思うのよ。でも、わたくしたちを信じてくださらない? あなたに命を救ってもらったのだから、決して裏切らないわ。神様でも国王陛下にでも誓えるわ」
ユリアさんが静かに言う。その声を聞くと、なんだか落ち着いてきた。それに、この人を救えたことは、絶対に後悔しないもん。夢で見た、やつれてやけっぱちになってるピエールさんになってほしくないもん。今のピエールさんが好きだ。
「あの、アタシ、未来の夢がときどき見えるの」
「そうか」
大人三人がため息を吐いた。ピエールさんがうなりながら髪をひっぱる。赤い髪があっちこっちの方向にいって、おもしろいことになってる。
「サブリナ、その力はできるだけ秘密にする方がいい。悪いやつに知られたら、何をされるかわからないからね」
「はい、アタシもそう思います」
「一番いいのは、力のある貴族の養子になることだ。もしオレでよければ、喜んで養父になる。パイソン公爵閣下という手もある」
そのことは考えた。パイソン公爵の養子になっていた未来も見た。でも、あの未来はイヤだった。
「パイソン公爵の本当の子どもとうまくやっていけると思えません。だから、それはイヤです」
「なるほどなあ。孤児が公爵家の養子になったら、なにかと面倒だよなあ」
ユリアさんが少し身を乗り出した。
「あのね、わたくしたち、子どもに恵まれなかったのよ。本当に辛いの。ずっと我が子を抱きたかった。この人との子どもなら、赤い髪で青い目になるだろうと思って、人形まで作ってね」
ユリアさんが大きなカバンの中から人形を取り出す。ああ、この子だ。馬車から投げ出されて、川に沈んでいくユリアさんが最後まで離さなかったこの子。今は悲しそうじゃないのね。
「勝手なことを言うけれど。さっきあなたを見たとき、まるで自分の娘のように感じたの。あたくしの金髪とピエールの赤髪がまざったら、あなたのようなピンクの髪になるわねって。あなたの緑色の目はピエールの目にそっくりねって。ごめんなさい、こんなこと言って。気持ち悪いわよね」
「いえ、そんなこと」
別に気持ち悪くはない。誰にもほしがられなかった。実の親に捨てられたアタシを、そんな風に思ってくれる人がいるのは、気持ち悪くなんてない。
「あの、ピエールさんとユリアさんの養子になるのは、イヤではないです。でも、考える時間をください」
「そうね、時間をゆっくりかけて。簡単に決められることではないものね」
ユリアさんが少しもじもじした。
「あの、もしよければだけど。抱きしめさせてもらえないかしら」
「あ、はい、どうぞ」
ふたりでもじもじオドオドしながら立ち上がり、近づく。ユリアさんが少しかがんで抱きしめてくれた。優しい匂いがする。温かくて柔らかい。お母さんって、こんなかな。お母さんは、アタシのこと、抱きしめてくれたのかな。どうして、アタシのこといらないってなったのかな。
考え出したら、涙が止まらなくなった。ユリアさんがいつまでもアタシの頭と背中を撫でてくれた。ユリアさんの腰にぶら下がっている赤い懐中時計が、ユリアさんの時が止まらなかったことを告げるようにチクタクと言っている。




