2. 直談判します
酔っ払いに薬をのませるのでもドキドキしたのに。次はもっと難しい。大人って、怖いもん。
「どうしよっかなー」
裏庭で木の実を調べながら考えてる。赤いの、青いの、黄色いの。木の実を触るたびに、おばあちゃんを思い出す。
「おい、それは食べられないぞ」
「キャッ」
急に声をかけられ、飛び上がってしまった。振り返ると、いたずらっぽい顔をした男の子。
「なんだ、ボビーか」
「なんだじゃねえだろ。失礼だな」
ボビーがぼさぼさの髪の毛をかきあげる。木の根っこみたいな髪がもっと逆立った。
「そういえば、ボビーって盗みが得意だったよね」
「おまっ、そういうことでかい声で言うなよ」
焦っているボビーを見ているうちに、思いついた。あの人、カギをベルトにひっかけてたっけ。
「ねえ、ボビー、ふわっふわのパン、食べたくない?」
「食べたい」
「じゃあ、アタシのやること、手伝ってくれない?」
「なんだよ。盗みはもうやらねえぞ。今度やったらブタ箱入りだって、前に衛兵に言われたからな」
「そっかー、そうだよね。じゃあさ、アタシにスリのやり方教えてくれない?」
「ぶはっ、お前みてえなトロくさいやつにできるわけねえじゃん。一瞬でつかまるぜ」
「むー」
そうかもしれない。うん、そうに違いない。スリって高度な技術がいるって、ボビーがしょっちゅう言ってるもん。
「まあ、話してみろよ。なんかいい考えが浮かぶかもしんねえじゃん」
「うん、あのね」
こそこそささやくと、ボビーは目を丸くしたり、頭をがしがしかいたりしながら、一緒に考えてくれた。
「こんな感じじゃねえかな。後は度胸だ」
「度胸。アタシに度胸ってあるかな」
「無理そうなら、何もせずに出てくればいいだろ」
「うん」
「臨機応変にな」
「うん。がんばってみる」
「おれも一緒に行くから。まあ、やってみようぜ」
「ボビー、ありがと」
ボビーが、度胸のある仲間を何人か集めてきてくれた。ふわふわパンを食べ隊が結成された。みんなで何回も練習する。
「いよいよ本番ね」
「どう考えてもサブリナにはできねえ気がする」
「ぼくも」
「同意」
「ぐぬぬ」
まったく否定できない。我ながら、不器用でドンくさいんだもん。
「この手がー。この手が小さいのが悪いんだもん」
「まあな、お前、チビだもんな」
「あ、でもでも。サブリナ、泣きまねは誰よりも上手」
「それ思った」
「じゃあさ、いざとなったら泣くから。あとはなんとかしてよね」
「すげー、丸投げ」
うだうだ言い合っているうちに、目的の場所に着いた。孤児院の階段をいくつも上がって、一番高いところの奥にある部屋。どっしりしたドアの前で立ち止まり、みんなで目を合わせる。ドアを叩こうと手を上げると、腕がブルブル振るえた。緊張する。怖い。やっぱり無理かもー。
ダンッと背中を強く叩かれた。ボビーだ。
やめるか? ボビーの口が動く。ちょっとだけ考えて、首を振った。
やる。そう口を動かす。
息を深く吸い、手の震えを止める。
ドンドンとドアを叩いた。
「入りなさい」
中から静かな声が聞こえた。ドアノブを回し、押す。動かない。ボビーがため息を吐きながら、ドアを押してくれた。ドアが開くと、中から葉巻の匂いが押し寄せる。
むせそうになるのをグッとこらえ、大きく足を踏み入れた。フカフカの絨毯。大きな本棚には本がぎっしりと詰まっている。別の壁には絵がいっぱい。風景画が多い。どれも金ピカの額縁の方が目立っている。
「なんの用だ」
問われて、慌てて額縁から目の前の人に視線を向ける。白髪の、鋭い目の孤児院長。
「あの、お願いがあって来ました」
院長が目を細める。値踏みされている目だ。夢の中で、色んな人にこんな目をされた。
負けない。一歩前に出る。
「食費の予算をあげてください。アタシたち、毎日お腹がペコペコなんです」
言えた。やった。
「却下だ」
「はやっ」
びっくりして思わず声が出た。やけっぱちで聞いてみる。
「ど、どうしてですか? あの金ピカの額縁より、焼きたてフワフワパンの方がいいと思います」
言えた。やった。
「あの金ピカの額縁は、由緒ある貴族からの寄付。あの金ピカの額縁を仮に売って、その金で焼きたてフワフワパンを買ったとしたら──」
「したら?」
「貴族界にはあっという間にウワサが広まり、二度と寄付をいただけなくなるだろう」
「そっか」
大人の世界って、色々あるんだな。しょんぼりしてると、院長はさらに追い打ちをかけてくる。
「孤児院の運営費は王家からいただいている。つまり、税金だ。血税だ。意味がわかるか?」
「わかりません」
税金だから、何がどうだっていうんだろう?
「王都の民が払っている税金は主に、人頭税、水車利用税。農民なら土地税。商人なら売上税、通行税、塩税」
難しい言葉がたくさん出て来て、頭がクラクラする。
「君たちの生活費はすべて税金。だが、君たちは一生かけても、受けた恩恵分の税金を納めることはないだろう。わかるか、君たちは、恩恵を受けるだけで返さない。つまりは、貸し馬車に乗っても運賃を払わない、タダ乗り族なんだよ」
「タダ乗り族」
イヤな響き。なんだか、すっごくずるい人みたい。
「私はもちろん、きちんと納税している。貴族だからね。当たり前の務めだ」
越えられない線が、院長とアタシたちの間に引かれたように感じた。ちゃんとした人と、タダ乗り族。
「でも」
声が震えてちゃんと出ない。狙ってないのに、わざとじゃないのに、ポロッと涙がこぼれた。
「でも、ちゃんと食べて大人になったら、税金をはらえると思うんです。今のままだと、いつ死んじゃうかわからない」
負けない。負けない。だって知ってるんだ。夢で見たんだ。いつかの冬を、越せない子が出て来るって。お腹が減って、病気になりやすくなって、春を待てなかった子が出るんだって。アタシたち、食べなきゃダメって知ってるんだ。
「ほう。これはなかなか」
院長が立ち上がり、近寄ってきた。アゴを持たれて、顔を上げさせられる。涙がポロポロ、転がり落ちる。
「そうだな。その顔、声、涙。売れるかもしれんな。ふむ」
鼻をすすりながら、院長のベルトあたりに手を伸ばす。
「アタシ、売り物になるんですか?」
院長がアタシの髪を持ち上げ、耳や首を見る。
「売ってやろう。貴族と養子縁組できれば、こちらに代金と寄付金がくる。その分を、残された孤児たちの食費に回してやろう」
「養子縁組」
なんだか、不吉な響き? 院長に背中を押され、くるりと回る。院長が、アタシの全身を見た上で、ふっと笑った。なんだか、背中が冷たくなった。
「シュバイン子爵がよさそうだ」
「シュバイン子爵」
これは、ダメな名前。夢で見た。幼女趣味の変態だ。
「イ」
「まさかイヤとは言わんだろうが。お前が養子になることで、何人の孤児が幸せになる? 学のないお前でも、わかるだろう?」
「う」
わかる。わかるけど、わかりたくない。でも、どうしよう。神さま、神さまは、アタシにそれをお望みですか?
院長が離れていく。
「もういいだろう。出て行きなさい。私は忙しい」
院長は、もう何の興味もないみたい。椅子に座り、書類をめくり始めた。
アタシたちは、黙って部屋を出た。部屋を出ても、誰も、何も言わなかった。




