13. パイソン公爵の深謀遠慮
ウォルフハート王国で、最も話しかけにくい貴族であるパイソン公爵。気軽に相談してくる貴族はいない。そんな孤高のパイソン公爵にも、例外はある。ピエール・アッフェン男爵だ。
「また来たのか」
「また来ちゃいました」
ヘラッと笑うアッフェン男爵は、とても自分を恐れているようには見えない。むしろ、最近は懐かれつつあるかもしれない。今までのパイソン公爵であれば、格下も格下のアッフェン男爵などに、そのようなことを許しはしない。
「仕方のないやつだ。今度はどんな泣き言を持ってきたのだ。聞いてやる」
孤児院のできごと以来、頻繁に泣きつかれ、なんとなく慣れてしまった。バカな子ほどかわいいという、あれかもしれない。周囲にバカがいない環境で生きてきたため、珍獣を見るような感覚とも言える。
いつもなら、水を向けるとベラベラと話し始めるアッフェン男爵が、今日は媚びるような表情で大きな絵を差し出してくる。
「これは、賄賂ではありません、贈り物です。孤児院の子たちは、閣下のことをパンの人と呼んで感謝しています」
「パンの人」
いまだかつて、そのようなふたつ名で呼ばれたことはない。
「フワフワパンを食べられるのは、閣下のおかげだからです」
「なるほど。それで?」
「閣下にお礼の気持ちを伝えたいと子どもたちが考え、絵を描きました。ぜひ受け取ってください」
深々と頭を下げ、絵を押しつけてくる。金色の派手な額縁の中に、たくさんの小さな絵が繋ぎ合わさっている。パンの絵、パンを持った子どもの絵、パンを持った目つきの鋭い男の絵、つまり私だろうな。
「うむ」
うむ、としか言えまい。このような物をもらったことは初めてだ。少し首の後ろがむずがゆい。
「嬉しいですか? 今、ご機嫌ですか? 何を言っても、オレのことを怒らないですか?」
「さっさと話してみよ」
「閣下を陥れるつもりは全くありません。閣下にはいつまでも権力の頂点に立ち、オレと孤児たちを守ってもらいたいのです。悪意はありません。いいですね、いいですか?」
しつこいほど言ってから、やっとアッフェン男爵は書類の束を机に置く。
「閣下の甥の領地が税を少なく申告しているようですな。根拠は小麦の収穫と税の比率が合わないこと」
アッフェン男爵はいくつかの紙の数字に丸印をつける。
「閣下の甥は、実に巧妙ですな。毎年、税を中抜きする村を変え、中抜き率も変えているのです。規則性がないし、微妙な変化なので気づきにくい」
パイソン公爵は机の上を人差し指で叩きながら、頭の中で計算する。少しずつだが、積み上がるとそれなりの金額だ。
「閣下の税収、閣下が国庫に納めている金額に比べれば微々たるものです。問題は、彼がこの方法を広めようとしている気配があることですな。少しぐらい、いいじゃないか。閣下の甥がそう言えば、そうなのかなと思う徴税官も徐々に増えるでしょう」
パイソン公爵はよろめきそうな徴税官とすました甥の顔を思い浮かべる。表情を変えぬまま、奥歯を噛みしめた。あやつめ、羽虫の分際で、生意気な。
「それで、そなたは何を望む?」
まさか、またフワフワパンの予算ではあるまい。子爵位か、それとも、孤児院の予算の倍増か。
「金も利権も望みません。もし可能であれば、アッフェン男爵家の紋章を身につける者への庇護を少しばかり。不当に捕らえられたり、攫われたりした場合、閣下のお名前を出すことをお許しいただけないでしょうか」
今まで顔色を窺うようにしていたアッフェン男爵が、急に強い目でパイソン公爵をまっすぐ見つめる。パイソン公爵はじっくりと見つめ返した。やはり、この男はおもしろい。パイソン公爵は少しだけ口元をゆるめる。
「よかろう。たった今から、アッフェン男爵家の者は我の庇護下に入る。各貴族家に周知はしておくが、そうだな。なんらか印は入れておけ。そなたの紋章のサルと、パイソン公爵家のヘビ。それらを服にでも刺繍しておけばよかろう」
「ありがとうございます」
アッフェン男爵は深々とお辞儀をし、ゆっくりと部屋を出る。パイソン公爵は部屋の隅で控えていた侍従に合図した。
「各貴族家に周知して参ります」
侍従が出て行った部屋で、パイソン公爵は甥をどのように料理するかを考える。
「処分するのは簡単だが。つまらんな」
ほのめかせば、這いつくばって泣いて許しを請うだろう。茶番だ。退屈この上ない。
「所詮、小物。それに引き換え、あの孤児院はおもしろい。アッフェン男爵を男にし、このような機密事項を調べ上げさせるあの少女とは」
パイソン公爵はコツコツとペンで机を叩く。
「カーラをここに」
「はっ」
残っていた侍従がカーラを呼びに行く。カーラはすぐに来て、パイソン公爵の机の前に直立した。
「なにかわかったか?」
「平民の孤児では知り得ないことを知っていると思える節があります」
パイソン公爵が先をうながすように手を広げ、カーラは具体例を挙げる。
「白ソーセージは皮をむいて食べることを知っていて、手を使わずにフォークとナイフで皮を取り除いていました」
「他の孤児は知らなかったのか」
「はい。皮のまま食べようとするのを、彼女が止め、食べ方を教えておりました。調べたところ、孤児院で白ソーセージが出たことはないようです」
「ふむ。他には?」
「アレックス第一王子殿下、ファビウス第二王子殿下と遭遇し、すぐに王族と認識したようです」
「おもしろい。殿下に取り入ろうとする様子はあったか」
「いえ、全くなかったと報告がありました。むしろ、なんとかしてこの場を離れたいという顔であったと」
「権力欲はないのかもしれない。そこはアッフェン男爵と似ている。それだけか?」
「閣下のご親族が使われている紋章を瞬時に見分けたと。書類を持ち帰っていることはご報告済みかと思いますが」
「ああ、泳がせておいたのだ。結果は実に興味深い」
パイソン公爵はしばらく考え込む。カーラは直立したまま指示を待った。
「引き続き、監視と保護を。彼女に、あの子たちに害が及ばないよう気をつけてやれ」
「はっ」
カーラは敬礼し、キビキビと部屋を出て行った。
パイソン公爵は、子どもたちの絵を眺める。
「今日は早く帰るか」
あの時、必死に戦う少女を見て、少しばかり心が揺れた。少女のことを調べさせ、年齢が七歳から九歳と報告を受け、胸が痛んだ。
「孤児院の扉の前に捨てられていたとき、何歳だったのか、誕生日がいつなのか、名前が何なのか、知るすべがない子であったな」
孤児は、そうであることが多いと知ってはいたが、深く考えたことはなかった。哀れだと感じた。我が子には父親がいるが、仕事ばかりで親子のかかわりは薄い。
「私が逝っても、今となんら変わらぬかもしれん」
ある意味頼もしいが、それではいけないのではと思うようになった。あれ以来、子どもたちと過ごす時間を増やしてきた。子どもたちが、特に末娘のロザムンドが明るくなったと妻が言っていた。
「間に合ったのかもしれぬ。間に合わせたい」
勉強ばかりではなく、子どもらしい時間をロザムンドに送らせてやりたい。アレックス第一王子殿下を部下として、友人として、いさめることができるよう、ロザムンドを導いてやらねばならない。
「我が子も、孤児院の子らも、元気で大きくなれるよう、できることをしようではないか」
それが、父親であり、血税を預かる財務大臣である己の責務だ。
「財務省の働き方改革も進めねばならぬな。部下たちが妻や子どもと過ごす時間を増やしてやらんと」
不夜城と呼ばれることもある財務省である。それは、恥ずべきことであると、今は思っている。
「財務省の者たちが、夕食を家族と共に食べられるようにするには何が必要か。不夜城という汚名を返上するにはどうすればいいか。各部署に案を出させるように。突飛でもなんでもよい。忖度なしに、本気の改善案を求むと、至急通達せよ」
「はっ」
帰路に発つパイソン公爵を送る部下たちの顔は、心なしか明るく見えた。ひとりの少女の勇気が、静かに王国を変えていく。




