97 お披露目の舞台裏
遠江に侵攻してきた武田家に勝利した。その上で、それまで敵対していた織田家と徳川家との和議を結び、新たに三国同盟を結ぶ。
こうして、美濃尾張の織田家、三河と西遠江の徳川家。東遠江と駿河の今川家による武田家包囲網を完成させた。
ついでに名前も変えた。
太観月斎。師匠の名前をもじった。師匠の功績である三国同盟をリスペクトする事で、今川家の「黒衣の宰相」と言われた師匠の太原雪斎の異名を利用したのだ。
とはいえ、そこまで行くのも楽な話ではなかった。
そもそも、桶狭間以降敵対していた織田家と徳川家との休戦協定、更には同盟締結である。徳川家の独立によって隣接しなくなった為に、直接争うことのなかった織田家はともかく、争い続けた徳川家とも同盟を結ぶ必要があったのだ。
遠江の半分近くまで徳川家が攻め取っていたのを、三分の一に減らし残りを返還するよう約束させ、さらにそこに徳川家の嫡男を城主にするという内容。
武田信玄との戦いに敗れ被害を出したとはいえ、不利とも取れるこの条約に徳川家家中に不満が出ないわけがなかった。
そこで、織田信長に働きかけ、14代将軍足利義昭に仲裁を頼むことで徳川家を押さえこむ。織田信長にしてみれば、支援する足利義昭が新将軍として実績を積む事にもなり、本拠地尾張の東側への懸念も減る。
徳川家にも利益がある。そもそも、遠江に攻め込む大義名分を持たなかった徳川家に対して、将軍家の公認という正当性を与えることになる。また、今後徳川家と今川家は武田家を攻める事になるのだが、徳川家が豊かな信濃を、今川家が山間部の貧しい甲斐を攻め取ることを約定に盛り込んでいる。徳川家にとってもただ悪いだけの話ではない。
後は、家中の統制と徳川元康がどうとるかという話だ。
半年もの間今川領土に戻ることなく、織田家の岐阜城と徳川家の岡崎城を往復する羽目になった理由もわかるだろう。
織田家重臣の村井貞勝様や、家老の林秀貞様と条約をつくり、三河徳川家家臣の石川数正と内容を詰める。
織田家の家臣とは面識がなかったが、事前に織田信長と内容についての協議はしていたので、とんとん拍子に話はついた。
また、徳川家に関しても、石川数正とは敵対前の人質時代から外交窓口としてのつながりがあり、条約内容の意思疎通に関して上手くいった。
最後の問題が、同盟を結ぶ大名家の当主3人が集まって盟約を結ぶというパフォーマンスを敢行する事だ。
この理由は、師匠の太原雪斎が甲相駿三国同盟を結ぶ際、駿河の善徳寺に三家の当主を集めて結んだからで、出来る限りは同じ状況にしようとリスペクトしたわけである。
そしてこのリスペクトの最大の問題は、条約締結の会場が尾張の『長光寺』であるという事。駿河今川家の当主が、三河と尾張を通る必要があるという事だ。
今川家からするとこの二つの地域は、ついこの間まで敵対国であった場所だ。
そんなところに、今川家の最高責任者がのこのこ出て行く危険がどれほどのものか、よくお分かりだろう。本人が了承しても重臣たちが認めない。最終的に、「足利将軍家の連枝である今川家の当主が、公方様に拝謁する為の上洛の途中で尾張に立ち寄る」という名目を得て、なんとか説得したのだ。
将軍家からのお墨付きを得て、今川氏真の道中の安全を保障したわけだ。
こうしてなんとか同盟が結ばれ、ようやく駿府に戻ったオレは、逆に今川氏真が上洛したため入れ違いに不在となった今川館で氏真のかわりに政務の仕事をしている。
もちろん、オレがするのは今川家の重臣達の手伝いみたいなものだし、権限が必要なものは京都に送り氏真に判断してもらうようにしているのだが、その手配をするのはコチラの仕事だ。
ちなみに、名前を変えたといってもオレの役職は「御伽衆」で変わってはいない。主な仕事内容は、雑談相手兼専門分野の助言を与える事、要するにアドバイザーだ。
アドバイスする相手は京都であり、駿河には居ない。
そして、アドバイザーに出来るのは助言であり、内務の諸問題を解決する権限などないのだ。
「太観様。兵糧の補充については」
「秋の年貢までで足りない分は御用商人の友野屋に伝えてください。証文をこちらに回し、奏者の三浦様に決済を頼んでください」
「太観様。遠江の支城の改修については?」
「後回しです。三河徳川家とは同盟関係となり、今後の敵は甲斐武田になります。三河方面の城は後回しにしてください。ただ、犬居城の改修は優先するので、その件に関しては岡部元信様が対応しています」
「遠江北部の豪族達から氏真様宛の手紙が届いております」
「掛川城の朝比奈泰朝様に送ってください。武田家に協力した豪族達への対応は、朝比奈様に一任しています」
「太観様……」
何でオレ、こんなに忙しいんだろう。
おかしいな。この前まで学友の庵原元政の館で居候をして、適当に弟子を教育するだけの生活だったのに。
まあ、理由はわかっているんだ。尾三駿三国同盟の締結により、同盟国との関係強化のために領地から飛んでいった今川氏真は、武田信玄との戦いの後、論功行賞など最低限の後始末しか出来ていないのだ。そのしわ寄せが重臣一同にのしかかるのは当然とも言えた。
つまり、今川氏真が悪い。
そういう事にしよう。




