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74 撒いた種に保険はかける

掛川城に入ると、城主の朝比奈泰朝様が歓待してくれた。

遠江騒乱で色々動いたからか、この人のオレに対する評価が高くてちょっと戸惑う。


「不穏な動きがあります」

「遠江にですか?」

「いいえ、三河です」

「松平ですか」

「左様」


オレがここに来たのは、アリバイつくりと保険だ。

前にも言ったように、井伊谷に行くために遠江中央部で降りた以上、遠江での行動が必要となる。なので、井伊谷からトンボ帰りで中央部に戻り、さもそこが目的地のように掛川城に入ったのだ。何せカレンダーなんて無い時代だから、数日の差なんて誤差だ。途中で風邪を引いて休んでいたと誤魔化せば、アリバイ完成である。

そして、やるべき事は保険。

なにせ、井伊家をそそのかして松平家に侵攻させるという100%裏切り行為をしているのだ。三河との縁が切れており、松平家の遠江侵攻をコントロールできない以上、どこかで保険を掛けておく必要がある。

松平家による遠江侵攻は規定路線ではあるが、一気に侵攻されても困るし、かといって失敗されても困る。

そのための保険だ。


「敵はどれほど?」

「およそ三千から五千ほどかと」

「それほどの数が…」


オレの予想に、朝比奈様が言葉を詰まらせる。桶狭間で織田信長が尾張でかき集めた数が5千だ。三河一国を治める松平家なら可能な数だろう。

そして、家臣にせっつかれたとはいえ、遠江侵攻の意味をタケピーは知らないわけがない。「攻めました」「ダメでした」とは終わらない。井伊家の内通という利点があっても、油断も慢心もしない。勝つ為に全力を尽くすだろう。


「尾張織田家と美濃一色家の争いは大きく織田家に傾きました。織田家が勝利すれば、松平家は後顧の憂い無く動くでしょう」

「兵を集めて備えましょう!」


朝比奈様の言葉に首を横に振る。


「それが出来ぬのです。御所の騒動により今川家は動けません。どうあっても、後手に回らざるをえない」

「ならば、こちらも同盟を結んだ武田の力を借りれば」

「先に騒動があった遠江で隙があると、武田に知らせるのですか」

「あ……」


相手はあの武田信玄である。同盟を結んでいるからと安心できる相手ではない。ましてや、先の騒動の原因は実父である武田信虎だ。

朝比奈様が苦悶の表情を浮かべる。今川家はこの問題を独力で解決するしかないのだ。


「そこで、朝比奈様のお力を借りにきました」

「と、申されますと」

「松平が遠江に攻め込む事で、今川家は動くことが出来ます。となれば、懸念すべきはこの事が蟻の一穴となり、遠江の豪族達が松平家になびく事。逆に言えば、侵攻しても、足を止めさえすれば今川家が動く時間を作れます」

「しかし、五千もの松平の軍勢をとどめるのは至難の技かと……」


今川家の重臣朝比奈家とはいえ、所詮は家臣で遠江の豪族でしかない。地の利があり守りに適した篭城戦ならともかく、一国を治める大名の軍勢を正面から抑える力は持っていない。

桶狭間で今川軍四万という規模になったのは、駿河遠江三河の軍勢を合わせたからであって、豪族達が個々に持つ勢力は、そう多くはないのだ。


「そこで、天竜川を境にします」

「天竜川を」

「あくまでも足止めが目的なら、川をはさむ事で地の利を取れます。そして、松平の動きは鵜殿家にも伝えてあります」

「氏長殿に?」

「左様。天竜川近郊の地理に詳しく、敵が川を渡るならその側面を、渡らぬならその後方を攻めさせます。足止めが目的であれば小勢でも十分かと」


そういって懐から書状を出す。出発前に飛車丸に書いてもらった内容だ。ようするに、こっそり兵を集めておく事が今川氏真の命令であるという証明である。

中に目を通している朝比奈様に声を抑えて告げる。


「……終わりましたら、書状は処分してください」


なにげに、この書状はスキャンダルでもある。今川氏真が遠江の天竜川より西を捨てるという物理的証拠なのだ。とはいえ、そうでなければ朝比奈様が軍勢の用意という謀反一歩手前の準備をする事ができない。謀殺目的と疑われても困るのだ。書状はそのための保険でもある。

事が起これば、迅速に行動した朝比奈様は勲功第一となり、この書状は必要なくなる。

オレの言葉に朝比奈様は、視線を上げると短く返事をした。


「承知」

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