57 土倉の会談
土牢から出ると満天の星空だった。眼が暗い所に慣れていたので、昼の光は眼にきついだろうと思っていたのだが、おかげで結構楽だ。
あたりまえだが、夜に岡崎城をウロウロする奴は少なく、せいぜいが見張りの足軽くらいだ。
酒井殿に連れられ、連れて行かれた先は城内に配置された土倉の一つであった。中は埃をかぶった荷物が置かれ、埃と土の匂いが篭っている。
入り口付近のスペースにゴザが引かれており、そこに座らされる。
向こうは土倉の二階に上がる階段に腰をかけてこちらを見下ろしている。
「さて、まずは単刀直入に聞こう。何の目的で三河に来た?」
「助言を与えにだな」
オレの言葉に、酒井様は眉毛を上げて、語彙を荒立てる。
「調略か。誰の造反をそそのかしているのだ!!」
「助言とは助けになる言葉だ。内通とか、そういう話ではない」
「とぼけるな、誰だ?誰と内通しておる。助四郎(石川数正)か?築山の従者か?」
その言葉で、なんとなく松平家の内情が分かった。
不幸な事に、前回遠江騒乱に際して、三河松平家の中の裏切り者について注意するよう警告していた。当然、現在の松平家の敵である今川家に親しい石川数正は、内通を疑われる可能性が高かった。築山は誰かよく分からないけど、同じように内通しそうな人なのだろう。
助さんに迷惑をかけるな。そう思いつつ口を開く。
「そうだな、会いに来た相手という意味なら、それは松平元康殿だ」
「……は?」
「このたびの一向一揆に対して、有益な話を持ってきたのだ」
「バカを言うな。お前がなぜ三河の一揆に対する助言などをする」
オレの言葉に意表を付かれ、返答に窮した酒井様に、そのまま言葉を続ける。
「それはご存知のはずだ」
「何を・・・」
「こう言わねば分かりませぬか?」
笑みを浮かべて酒井忠次を見る。
「ちと、酔狂が過ぎますな。松平元康殿」
「……ぐっ!」
オレの言葉に、酒井殿が怯む。
同時に、倉に置かれた荷物の影から二人の男が出てくる。
大穴と本命。松平元康と石川数正だ。
まあ、そうだろうと思ったよ。なんせ、尋問なり拷問するにしても、つれてこられたのは土倉だ。しかも、最近まで使った形跡のない埃臭い倉庫である。日常的に尋問があるとは思わんが、拷問器具もないし拷問によって地面や床に残る血の跡などもない。
オレが松平家に有益な情報を持ってきている事は、松平家当主のタケピーが知っている。オレの捕縛の報告を受けているなら、尋問してまで情報を搾り出す必要性がない事も理解しているだろう。何せ、普通に聞かれれば教えているのだ。
つまり、ここは本当にただの倉庫という事だ。しかも連れ出された時間は夜だ。人目を避けている理由を考えれば、どうしてこうなったかは分かるわけだ。
再び平伏すると、タケピーがゴローさんと場所を変える。
「十英」
「ハッ」
「助言というたな。いかなる助言だ?」
「無論今川家の動向にございます」
「言え」
タケピーの言葉に、笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「ハッ。まず、このたびの一向宗の一揆による問題に対して、今川家は関知いたしませぬ。すでに、氏真様より今川領の各神社仏閣に圧力をかけ、その頭を抑えております。今川家は仮名目録により守護不介入を廃止しており、遠江の一向宗が三河勢に合流する事はありません」
地元三河から成り上がった松平家と違い、今川領土は足利幕府に認められた領地である。その正当性をもって領地内の神社仏閣の持つ守護不介入地の特権を剥奪し、同時に庇護する事を約束していた。先代の今川義元と、師匠の太原雪斎の手腕によるものなのだが、これによって今川領土の寺社が勝手な行動を取れないようになっていた。
「それで、今川は動かぬと」
「今すぐにと言う意味であればそうなります。しかし、長引くようであれば軍を率いて三河に参ります。おそらく、年の暮れ頃には」
「そうか」
タイムリミットは設けられている事を知らせる。状況的には今川軍が三河にくれば侵略者に対抗する為に彼等は手を携えるだろう。そう動かざるを得ない。
何の問題も解決させぬまま。
「さて、ここからが助言でございます」
オレの言葉に、タケピーの眉毛がかすかに動く。
「そも、松平家と一向宗の間には大きな隔たりがあります。松平家にとって問題であるのは一向宗に参加した家臣達。それに対し、一向宗の目的はあくまでも己が利権の確保にございます」
「……」
「つまるところ、一向宗は松平家を滅ぼす事が目的ではありません。一向宗の面子を立て、その上で松平家は必要な相手を取り込めば、今回の問題の大半は片がつきます」
あくまでも、一向一揆に参加した松平家臣達の大半は『義理』で参加しているだけだ。逆に言えば、一向宗に参加したことで既に義理は果たした事になる。「お前に言われたように戦ってやったぞ」という意味で義理が立つ。
別に一向宗だって、松平家ではなく一向宗に永遠の忠誠を誓えと求めたわけではない。(一向宗にとっての)道理からはずれた松平元康に、忠言差し上げるとお題目を掲げただけだ。
つまり一向宗の面子が立つように和解すれば、義理を果たした家臣達を、再度取り込めるわけだ。
そして、堪忍袋に緒があるように、義理と人情にも限界がある。「もう一回」を繰り返すのは義理ではなくあつかましいだけだ。
重要なのは一向宗に参加した武士達のすべてが、松平家を裏切りたくて裏切ったわけではないという事。頑固な三河武士が義理という最大限の譲歩で参加しただけだ。
ならば逆に三河武士の頑固な性格を利用すればよい。『義理は果たした』という名分をもって取り込む。
逆に、一向宗は現在の松平家臣側を取り込む名分も力もない。こちらが取り込んだ分、両者の差は開くだけ。
「……」
オレを見たまま動かない松平元康。
申し訳ないが、タケピーに選択肢はないのだ。オレが宣言したように年末まで解決しなかった場合、今川家が軍を率いてやってくる(と脅している)。
つまり、ダラダラ小競り合いをしながら事態を解決させるという選択肢は存在しない。短期で決着させる必要が出てくる。
雌雄を決して一向一揆を壊滅させる事は、松平家にとっては禍根にしかならないし、被害が大きくなるだろう。となれば、どうやっても融和策しかない。
「十英。今川家が暮れまで動かぬ証は?」
「ありません。しかし、そうですな……」
まあ、その根拠は飛車丸の言葉だけで、何の保証もない。
松平家に提示できるような証拠も持っていない。となると、身を切るくらいしかできないよな。
「その証として、拙僧が人質となりましょう」
飛車丸がわざわざオレに嘘を言う理由もない。オレが松平家に人質になる事で、飛車丸も家中の暴発を抑える事が出来るかもしれない。
そう言って笑顔を向けると、なぜかタケピーとゴローさんどころか、助さんまでもが一斉に嫌そうな顔をした。
おい。待てよ幼馴染にして学友諸君。別に贅沢三昧させろとは言わないよ(前科一犯)。ただ、牢屋暮らしよりはまともな生活が出来るよね。
しばらくぶりに見た感情を顔に出した松平元康は、咳払い一つと共に努めて元の表情に戻すと、後ろに従う二人の部下に視線を向ける。
「小五郎(酒井忠次のこと)、部屋を用意せよ。だが見張りは決してはずすな。助四郎(石川数正のこと)。世話を頼む」
「ハッ」
「ハハッ」
そう命じて、土倉から出ようとするタケピー。
出口側で膝を付いていたオレの横を通り過ぎる前に声をかける。
「ご妻女様は、健勝ですか?」
「……いま、腹にヤヤ子がおる」
一瞬足を止め、ぶっきらぼうに返事をするタケピー。しかし、さっきまでの話し方より少し言葉が明るい。
「それは、おめでとうございます」
流石に空気は読もう。「地獄に落ちろ」は胸の中でとどめた。




