155 今川氏真の目的
パチン…
パチン…
武田昭信との談話を終えて、後は帰るだけなのだが。
一人の客がオレの元にやって来た。
「ぜひ、一局」
そういって、盤を持って現れたのが、武田家家臣真田昌行と名乗った武将だ。
まだ若い。20代といったところだろう。
聞けば、武田信玄の遠江侵攻に参戦し、今川軍との戦で、父親と兄二人を失い、この若さで真田家の当主となったのだそうだ。
「それは難儀しましたな」
とりあえず、他人事として流す。
今川軍との戦だが、オレ個人としては参戦しているわけではない。事の正否を問うても話にならない。
「いえ、今川様には恩もありますので、遺恨はありませぬ」
と当人は殊勝に返す。
そういう理由は武田信玄が敗れた後、徳川家による信濃侵攻で信濃にいた武田家家臣は窮地に陥った。ましてや当主を交代した真田家は、風前の灯火ともいえる状況だったのだ。
それをとりなしたのが、今川氏真である。
同盟国である徳川家に要請し甲斐武田家への帰参を斡旋したのだ。
武田信玄のもとで厚遇されていた真田昌行は、そのまま徳川家に仕えるわけにもいかず、甲斐の武田昭信を頼ったのである。
敵でもあった武田信玄の家臣ではあったが、そもそも、武田昭信からすれば、甲斐侵攻で自分に味方した甲斐の豪族とて、寝返った元武田信玄の配下である。
それ故に、武田昭信は甲斐をまとめるために、武田家家中の親北条勢力への対抗という目的意識を持たせたのである。
結果、親北条勢力への対抗勢力として真田もまた武田家の家臣として認められたのである。
この辺の取りまとめができた武田昭信は、十分武田信虎の息子だといえよう。
パチン
流れるように駒を指し合う。
「して、今川様の狙いは上洛ですか?」
しれっとそうつぶやく真田昌行。
「…さて?」
とりあえずとぼける。
「武田家と北条家を反織田派にすれば、割を食うのは今川家です。両勢力の間を取り持ったとしても、決着はつけねばなりますまい」
「…」
パチリ。
無言で駒を指す。
「幕府。いえ、足利将軍と織田殿の確執は必定。であれば、今川様が付くのがどちらであれ、上洛もまた必定」
「…今川家が武田様を見限ると?」
笑って問いかける。
ようするに武田家が反織田家に与した結果、今川家が織田家についた場合、今川家は武田家の敵に回る。
北条家の支援があるとはいえ、武田家の内情はまだ戦をするには十分ではない。隣国信濃の徳川家の力を借りれば、甲斐の劣勢は確実だ。
しかし、真田昌行は首を横に振る。
「今川様は幕臣。ましてや織田の下につかねばならぬ理由はない。であるなら、なぜ反織田派に回らないのか」
「なるほど。すべては織田殿を討つため。そう読んだわけですね」
「…」
「…そちらの手番ですよ」
「あ…」
パチリ
督促されて慌てて駒を打つ真田昌行。
が…
「悪し」
パチリ
「っ…」
だが、慌てて打ったその手は悪手だ。駒を指し返すことで、盤上は一気に傾く。
「よくできましたが答えは否です。確かに、徳川殿を下し、三河遠江信濃を取り込んだ今川家は織田家と正面から戦う事ができる」
北条家と武田家との同盟が結ばれている中、駿河遠江三河信濃を持つ今川家は、国力の上でも、織田家に対抗することができる。そこに、本願寺や浅井家朝倉家といった反織田勢力が手を貸せば、正面から織田信長を倒すことは不可能ではないだろう。
だからこそ、足利将軍や石山本願寺が、今川家を反織田勢力にしようと躍起になっているのだ。
「ですが、今川様の本意は織田様を討つことではありません」
「では今川様の本意とは?」
「…乱世の終わりを」
手が止まった真田昌行に笑って答える。
ショックを受けたようにこちらを見る昌行。
「織田様を討ったところで、乱世は終わりませぬ。なにせ、織田家を倒すためだけに手を携えているのですからな。織田家を滅ぼせば、手が離れるのが定め。では、その先は?」
「…」
「勝ったか、負けたかでは、答えは出ませんよ真田殿」
無作法ではあるが、相手の駒を動かし、それに合わせて自分の駒も動かす。
すでに盤上での趨勢は決まっている。詰め将棋の要領で投了の形にまでもっていき、この局を終わらせる。
「本日はここまでです。答え合わせはいずれ」
そういって話を終える。
とりあえず、主人公(と今川氏真)の目的になります。




