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153 叡山僧の代価

とりあえず、甲斐に入って赴く先は、恵林寺である。

そこには、一つの墓があった


甲斐武田家の墓。


忘れては困るのだが、武田家と今川家は縁戚にある。今川氏真の祖父は武田信虎で、先代の武田家当主だった武田信玄は叔父だ。

そして、少なくない面識ある二人がこの墓に収まっているのである。

よくも悪くも、オレ自身はいまだに僧職であると認識されている以上、故人への敬意は重要という事だ。

オレ自身思うところがないというわけではない。


まあ、その点について現在の甲斐武田家への配慮がないというわけでもない。

幸か不幸か知名度のある今川家の家臣が、菩提に敬意を表しているわけだ、公的にも私的にも悪感情を持たれる事も無いだろう。




そんなわけで、武田家の本拠地である躑躅ヶ崎館へ到着。

事前に今川氏真より連絡が行っているので、特に問題もなく甲斐武田家当主武田昭信のもとに通される。


「天台宗についてと、今川殿の手紙にありましたが、どういう話でしょう」

「はい。近江において、延暦寺と織田家との関係は急速に悪化しております」

「織田が比叡山を攻めると」

「おそらく」

「それを今川家は許すと?」


おそらくだが、幕府や本願寺から反織田家勢力に協力するように武田家にも要請が来ているだろう。武田家は今川家と同盟関係を結んでいるものの、織田家は特に同盟は結んでいない。隣国信濃の徳川家に関しても、今川家の影響を考慮した冷戦状態だ。

そういう意味では、今川家を懐柔させる絶好の勢力と言える。


「無論。それを是とはしません。しかし、織田家と延暦寺の反目はあくまでも両者の問題。同盟国とはいえ今川家が手を出すことはできません」


この問題に対して今川家は無力だ。前にも言ったが、仏門と武門による身分の差がある。残念ながら、今川家にはこの問題の裁量権がないのだ。

事件が起きなければ動けない警察に近い。

もちろん、比叡山延暦寺が今川家に救いを求めるなどすれば、その限りではないが、わざわざ敵対する織田家の同盟国に救援要請をするわけもない。


「しかし、最悪の事態を傍観しているのは避けるべきかと思い、今回は武田様にお願いに上がりました」


そういって、頭を下げる。


「織田家と延暦寺の兵力差は決定的です。逆に言えば、織田家には余裕がある。同盟国たる今川家が仲介し、虜囚となった僧を保護し、近江から美濃信濃を経由して甲斐へかくまっていただきたい」

「織田殿が、敵対した比叡山の僧を今川家に引き渡すと?」


被害者ゼロとはならないだろうが、だからといって、天台宗を絶滅させる必要もない。

武家と武家との闘いなら、捕虜をどう扱うか決めごとがあるだろう。だが、延暦寺は仏門。武門の慣習は適用されない。

つまり、どうとでもできるのである。

下げていた頭を上げて笑顔で答える。


「すべての善僧を救えるとは思いませぬ。しかし、天台宗を根切り(皆殺し)にしようという意図でないことも確か」

「…なるほど織田殿の目的は天台宗ではなく叡山か」


オレの言葉で、武田昭信も信長の目的の推測ができたのだろう。

あくまでも、信長の目的が比叡山の防衛能力の破壊が目的であるなら、天台宗の僧侶の扱いは重要ではない。もちろん、抵抗した者を殺すことはあったとしても、無理をして殺す必要があるわけでもない。

同盟国今川家の要望があるなら、それを受け入れる可能性もある。

聞かない理由がなく、聞くことで今川家に恩を売れるからだ。


「ゆえに甲斐か」

「はい。比叡山を攻めた織田家は天台宗にとっては怨敵となります。しかし、甲斐に隣接するのは今川家と徳川家であって、織田家ではありません」

「…天台宗の敵意は、庇護する当家の同盟国である今川家ではなく、徳川家に向くか」

「しかし、隣接する信濃にあるのは今川家とも縁の深い諏訪家」

「…」


オレの言葉に、武田昭信がジロリと視線を向ける。

隣接する先代の血を引く諏訪勝頼への肩入れしているのを、武田家が見逃すわけもなく、その意味を考えているというところだろう。


「ゆえに、此度の甲斐への移送は、武田様主導で行っていただきたい。無論、今川家より仲介はしますが、当家は表に出ません」


実は、近江から帰る前に白備え大将の庵原元政に、織田家への仲介の手紙を渡してある。近江が主戦場になる白備えにとって、比叡山への攻撃を察知するのは容易だ。

その動きがあったところで、信長に手紙を渡すように伝えてある。

あとは織田家と武田家の話だ。

織田家は面倒な反対勢力を隔離できるし、武田家は天台宗を庇護したという名誉を手に入れる。その仲介する今川家は、双方のやり取りを保証する。

今川家がリスクだけを負う事になるが、それは必要経費というものだ。


「ほう」

「それで、先の婚姻について禊としていただけませんか?」

「…」


無言でこちらを見る武田昭信。

実際、この話は武田昭信にとって悪くない話だ。天台宗を受け入れる事で、日本全国の天台宗からは好印象を受ける事ができる。

だが、同時に問題もある。

つまるところ、領内に反織田勢力を抱える事だ。オレが言ったように、甲斐は織田家とは隣接していない。しかし、織田家と同盟関係を結ぶ徳川家と今川家がある。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とまんまな話もあるが、その矛先が同盟国に向く可能性もある。

なので、そのための予防線を張らせる。

武田家が天台宗を庇護すれば、当然甲斐にいる天台宗は、武田家におもんぱかる必要が出てくる。勝手に同盟国に厄介を持ち込んで悪印象を受けたら恥知らずというレベルではない。かといって、信濃徳川領に手を出そうにも、これも今川家に縁ができてしまった。

…という理由で、面倒事を起こさないように釘をさせるのである。


「…武田家を反織田家にしたい。そういう事か」


静かに殺気を込めた目でこちらを見て武田昭信が言う。

それを受けて、オレも歯を見せて嗤う。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 今話もありがとうございます! >静かに殺気を込めた目でこちらを見て武田昭信が言う。 それを受けて、オレも歯を見せて嗤う。 月斎どの、実にええ度胸しとる。w [一言] 続きも楽しみにして…
[良い点] 今回も楽しませて頂きました。智謀冴えわたるとはこの事か!といった感じでした。 後世の創作物では相当な腹黒キャラと描かれそうですね。 「黒衣の宰相の跡を継ぐ、衣どころか腹の底まで真っ黒系坊主…
[一言] 楽しませていただいてます 相手からはどれだけ「怪僧」に見えるんだかwこわやこわや 本人が意図してそう振る舞ってるとこと想定超えてそう見られちゃってるとこありますよねたぶん
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