151 信長の保険
ぱくぱく
もぐもぐ
ヒゲむさいオッサンと向かい合って食事をする。
相手は無言。こちらも無言。
新手の苦行かな?
織田家と今川家の婚姻の為に、道中の調整を図るという役目(公式)を無事に達成したはずが、なぜか佐和山城攻略という戦争に非公式で参加する羽目になりました太観月斎です。
とはいえ、佐和山城も城主であった浅井家家臣磯野員昌が降伏。
面倒事も終了という事で、今川家本拠地駿府へと帰るわけだが、一つ問題が発生した。
降伏した磯野員昌の身柄である。
織田家ではなく、今川家に降伏した事で、今川家まで護送する必要がでてきた。
そんなわけで、ちょうど今川家本拠地駿府へ帰る予定の人間がいたため、捕虜と一緒に同行することとなったのだ。
そこ。自業自得と言わない。
そんなわけで、一応護衛対象ということで、オレとワンセットで駿河に向かっているわけだ。
当たり前だが敗軍の将が陽気なわけがなく、雰囲気は最悪だ。
坊主ですが帰路の空気が最悪です。
「お聞かせ願いたい」
食事を終えた所で、磯野員昌が聞いてくる。
「今川家は浅井家を手助けするお心つもりがあるのか?」
佐和山城で戦ったとはいえ、浅井家の家臣である磯野からすれば、敵国織田家との同盟国今川家である。浅井家と今川家との縁をつなぐという名目で、今川家に降伏しておとなしく移送させられているのだ。
「それを無位無官の拙僧に聞いてなんとするのです?」
「謙遜を。太観月斎殿といえば、今川家の宰相として辣腕を振るう名軍師。拙者もこたびの戦において何一つ抗うこともできずこの有様。ならば、今川氏真様の意向もご存じでしょう」
オレって、そんな大層なものでしたっけ?
別に今川家の内政を取り仕切っているわけではない。手伝いはしているけど、所詮は手伝いだ。そういう意味では、宰相とは決定的に違うのだが、師匠の後継者を騙っているので、師匠の役職まで継承したとみられているわけだ。
伝聞って怖いね。
とはいえ、その伝聞を利用しないといけないのも事実。
「…私心となりますが、浅井家を救う事は無理でしょうな」
「それは、条約をたがえると言う事か」
員昌の目に剣呑な光が宿る。
曲がりなりにも相手は名をはせた猛将。戦闘力5以下のオレなど瞬殺して逃げることも不可能ではないだろう。
約束をたがえたという名目があるなら、そうしないとも限らない。
「否。それ以前の話です。そもそも、朝倉家は幕府より討伐対象と認定された賊軍。それに加担した浅井家に、幕府の要職につく今川家が何故協力出来ましょう」
「それは朝倉家を攻める際は、浅井家に断りを入れるという約定を織田家が無視した事で…」
「朝倉家討伐は幕府の御下命。幕臣たる織田家が上意よりも個人の約束事を優先させるなど言語道断。浅井家にとって織田家との約定が、幕府の意向よりも上とみるか?恐れ多くも朝廷より賜った征夷大将軍の認可をなんと心得る」
忘れちゃいけないのは、主力が織田軍ではあったが、朝倉家討伐は幕府からの正式な命令である幕府軍である。
これが織田家と朝倉家との戦いなら話は別だが、朝倉家討伐は幕府の命令である以上、織田信長が他家に攻撃の情報を漏らすと言う事は立派な内通行為である。
義兄弟だからとか同盟国だからとかそういう問題ではないのだ。さらにいえば、討伐対象は朝倉家であって、どれだけ縁があろうと浅井家ではないのである。
いってしまえば、幕府と朝倉家との問題に浅井家は無関係だ。
にもかかわらず、幕府の討伐軍である織田軍を攻撃して撤退にまで追い込んでしまった。
大名間の約束事以前の問題である。
「ならば、此度の佐和山城降伏の条件はなんなのだ。月斎殿。貴殿は某を、いや浅井様を謀られたという事か!」
まあ、金ヶ崎の正否がどうとかはともかく、今回の佐和山城降伏については、今川家と縁を持ち、今川家を反織田家にする布石だと浅井家には説明している。
それなのに、今川家は浅井家に協力しないと答えられれば、立派な条約違反。もちろん、条文にしていないので罰則があるわけでもないのだが、信義に反すると言えるだろう。
「否。拙僧の言葉をよく思い出してください。今川家は幕府の重職。それゆえに、浅井家に協力出来ぬと言っているのです」
「それが!」
「将軍家が織田家を信頼するなら、今川家は幕府を、引いては織田家を裏切ることはありません。しかし、将軍家は織田家ではありません」
「!」
口を閉じ唇の端を持ち上げて意味深に笑みを浮かべて締めくくるオレに、磯野の顔が驚愕にゆがむ。
ようするに、幕府が織田家ではなく、浅井家や朝倉家につくのなら話は変わってくると言うわけだ。
それは、幕府と織田家が敵対すると言う事。そして、先の野田福島の戦い以前から、幕府と織田家の間に不審な流れができつつあった。
ぬるくなった白湯を飲み、舌を湿らす。
「それと、此度の件は織田様の配慮でもある」
「信長の?」
「左様。此度の佐和山城攻略に今川家を用いたのは織田様の采配。そして、磯野殿を今川家に迎え入れるのも、その配慮の内」
「それがしには、その意向が読めませぬが」
手に持った茶碗を置きつつ、笑みを浮かべたまま磯野を見る。
「そも、今の浅井家の立場を見れば、織田家に抗う事は至難の業。幕府を味方につければ活路もありましょうが、穴熊を選んだ浅井殿がそこまで耐えるのは無理というもの」
口には出さないが、すでに織田信長はそれらに対抗するために戦力を集中しようと戦略を進めているはずだ。
オレの想定通りなら、比叡山の焼き討ちによる浅井朝倉家への牽制。
本願寺による攻勢は、一向一揆の名からわかるようにその構成員の多くは農民だ。となれば農繁期の軍事行動は極力控えなければならない。無理をすれば不利になるのは数の多い一向一揆側だ。
三好家への対処がすめば、その戦力を浅井朝倉に集中できる。
「浅井様にもお伝えしたが、磯野殿のご家族についてです」
「某の家族?」
「さよう。浅井家と織田家に対し、有事の際は磯野殿の家人の身柄を保護するよう求めました。しかし、磯野殿は今川家では新参。その家人の素性を知る者は今川家にはおりませぬ」
「それがなんの…」
「浅井殿の御正室は織田様の妹君。事至れば浅井家より織田家に戻ることになりましょう…しかるに、その和子は?」
「!!」
今回、織田家と浅井家の争いが佳境に入るようなら、磯野家の家族の身柄を、今川家に引き渡すよう取り決めた。
今川家の家臣となった磯野員昌の家族は、今川家家臣の家族である。当然、その家族の安全を今川家が配慮する義務がある。
現在浅井家に身を寄せる磯野家の家族は、あくまでも佐和山城降伏の保証に残るだけという状況だ。まあ、その人質がいつまでという取り決めはないのだが、それは浅井家と今川家の問題で織田家には関係のない話である。
つまりは、『磯野家の家族』とする事で、特定個人を安全な今川家に避難できるという保険だ。
事前に確認したところによれば、織田家と浅井家が同盟を結んだ際、浅井長政は信長の妹を正室にいれている。その間には子供が3人も生まれており、夫婦仲は良好だった。
地獄に落ちろ。
そして、織田家との同盟破棄により婚姻関係も破綻したかと思いきや、信長の妹は織田家に戻る事はなく、今も子供と一緒に小谷城で夫婦生活を続けているのだそうだ。
つまり、夫婦の仲は良好という事だ。
大事な事なのでもう一度言うが、地獄に落ちろ。
「今川家に磯野殿の家人を知るものは少ない。見分は駿府に送られた後に行われるでしょう。それまでは織田家にお委ねすることになります」
「それは…」
ゆっくりと息を吐き、その意味を理解させる。
オレが織田家に求めた保険がこれだ。浅井家と決着をつけなければならない以上、浅井家の一族の滅亡は免れない。
朝倉家と浅井家は幕府より敵と認定されてしまった。仮に織田信長が助命したいと思っても、この時代の罪は連座が基本。死すべき名分が整ってしまっている。
男児はもとより、女児ですら死罪になる可能性がある。
「織田殿もその件を承知してくださいました」
だからこそ、保険として逃げ道を用意しておくのだ。
これで「処断したくないが、立場上せざるを得ない」という状況を回避できる。
もちろん、それが後の禍根となりかねないのだが、それを飲み込んででも逃げ道を用意しておきたいという配慮。
つまり、保険という事だ。
「磯野殿が今川家に身を寄せると言う事は、その重責を担うわけです」
「…」
オレの言葉に思案するように無言になる磯野員昌。
オレは笑みを消して、再び白湯を取って飲み干す。
とはいえ、大事なことなので、伝えはしない。
織田信長は保険を掛けた。
つまりは、決着をつけると言う事だ。




