150 白建ての方針
「それで、オレ達はどうすればいい?」
とりあえずオレの説明が終わった事を察して、庵原元政が聞いてくる。
オレの役目は織田家と今川家の婚姻の道案内で、なぜか浅井家との戦争に同行させられたが、ここから先については、オレが関知する必要のない事柄だ。
だが、今川白建て大将の一人庵原元政は、これからも織田家への援軍として参戦する以上、今後の転機に直接かかわる事になる。
ここで重要なのは、今川白建ては援軍ではあるが、織田信長の部下ではないという事だ。協力的な独立部隊に近い。
「比叡山を攻めるとわかった所で、横山城へ戻っていい」
「横山城って、羽柴殿の城か」
「そうだ。理由は用意できる。今川家は武門の家柄。武門の一分をかけて競うなら、義によって助太刀致す。しかし、延暦寺は仏門にて武門にあらず。織田家と天台宗の個人的な確執に巻き込まれるのはごめん被るとな」
戦国時代において身分の差は絶対だ。
身分差によって結婚すら認められないことが普通である。出自によって家を継げないことすらある。
まあ、だからこそ力で奪うという下克上なんて事になるのだが、それでも身分の差というのは越えられない社会の壁だ。
この時代の大名が、源氏や平氏の末裔を嘘くさくても名乗っているのは、この社会の壁の前提だからである。
だから、大名の同盟はあくまで軍事を司る武家同士の約束事だ。共に協力して戦いましょうという取り決めである。
そこに、仏門の関与する余地はない。「同じ宗教に入信しましょう」とか、「一緒にお寺を建てましょう」という軍事条約は存在しないのだ。
今川家の結んだ三国同盟の敵はあくまでも武家であって、仏門でも商人でも一般庶民でもないのである。
当然、それらに対する騒動に参加する義務は存在しない。
「おそらく、それは信長も理解しているだろう。今川家との不和の要因となりうるからな。そもそも白建てに声をかける事はないだろう」
「そういう意味で、横山城か」
「そうだ、小谷城に浅井家を釘付けにするにはちょうどいい」
横山城は小谷城の眼前にある城だ。もし、浅井家が比叡山を守るために出陣するなら、横山城に籠る戦力が増えることは、そのまま小谷城が落とされる可能性につながる。
必要なら、あえて小谷城を攻めずに、浅井家の退路を断ってもよいのだ。
「比叡山の後は?」
「三好攻めでも、おそらく白建ては使われないだろう。今回の佐和山城攻略で、わざわざ使う必要はなくなったからな」
「で、石山本願寺は?」
「おそらく、向こうからこちらにつながりを持とうとしてくるはずだ」
「今川家の兵にも一向宗はいる…か」
宗教の怖い所だが、信者のすべてが坊主の命令を妄信する狂信者というわけではない。あくまでも利益があると説得されて協力する賛同者にすぎない。
そして、一向一揆のあった三河徳川家や現在進行形で争っている織田家とちがい、今川家は一向宗と事を構えた事はない。
家臣の中にも、普通に一向宗の信徒はいる。その縁だけで、今回の浅井家のように縁を作る必要がない。この時代の宗教家が優秀な外交官である理由の一端だ。
「まあ、そううまくもいかないがな」
その為の白建て制度である。
各家から選抜された精鋭兵の白建ては、それぞれの家の名誉を背負っている。三河一向一揆の逆だ。三河武士の個々人なら、個人の義理と人情で一向宗に協力する事ができる。
だが、ここにいるのは各家から選ばれた人材だ。家のつながりを捨てて個人に走れば、家から放逐されるのは目に見えている。義理は今川家が先に来る。家門を背負っている以上、自分の独断専行がそのまま実家に影響するのだ。
「話は聞いていい。駿府館への取次もかまわない。せいぜいむしってやれ」
オレの言葉に意外そうな表情を向ける。
さっきも言ったように、本願寺は仏門、今川家は武門である。本願寺から今川家に命令をする資格なんてない。
個人をターゲットにしようにも、そもそも白建ての指揮官は大将三人だ。
万が一独断で本願寺側に寝返るようなことになれば、今川氏真の面目丸つぶれである。裏切り者の汚名どころではなく、実家までただではすまない外交問題だ。
そしてそうなった場合、名門今川家の家名に泥を塗った本願寺一向宗をどう扱うかは目に見えている。
今川家を反織田家にしたい本願寺からすれば、今川氏真の反感を買わずに織田家に反意を持たせるには、氏真本人に反織田家に乗り換えてもらう必要があるのだ。
となれば、白建てを経由して今川氏真との交渉を持つしか方法はない。
だが、本願寺が今川家に提示できる利益がない。
金銭による利益供与で今川家は動かない。周囲を同盟国に囲まれた駿府の都は安全な文化圏として、繁栄の一途をたどっている。
一向宗による一揆も無意味だ。すでに駿河に浸透した『仮名目録』により寺社への守護不介入が廃止されている。駿河において寺社は聖域ではない。
結構忘れがちだが、宗教組織であっても支配体系が一元化しているわけではないのだ。
世は戦国乱世。自分の寺社を守る為に地元勢力と結びつくのは当然ともいえる。何もしないで上納金だけ持っていく本山と、外敵から守ってくれる地元勢力。宗派の看板を掲げるために上納金を支払いはするが、不義理と自爆覚悟で地元勢力に手のひらを返せるほどの狂信者というのはそう多くないのだ。
駿河内部において一向宗が発言力を持つことは難しい。
「今の段階で白建てに話を持ってくる一向宗なら怖くない」
そもそも、今川家本拠地駿府には無数の浄土真宗の寺社がある。今川家とコンタクトを取るなら、そこを経由すればいい。
事実、尾張に呼び出される前からそう言った話はあったし、一部は露骨に話題を振ってきたりもしていたのだが、どうも親織田家派の家臣が今川氏真のお伽衆に存在しており、交渉は遅々として進んでいなかったようだ。
まあ、「今川家は幕臣故に、武門の習いに従うものである。仏門からの要請に従う義理はなく、必要であるなら上様(将軍)の判断を仰げ」と正論でお返ししていただけだ。
正論には正論で返す。
なお、不思議な事に現在その親織田家派の人間は駿府を離れているとのことで、これを機に今川家当主今川氏真に様々な要請が来ているだろう。
まあ、そこまでしても今川家が本願寺につく利益がない事に変わりはなく。今回、白建てという交渉の窓口ができたのはいいが、交渉材料が増えたわけではないという悲しい状況だ。
「となれば本願寺の取る手は一つ…」
「悪い顔をしているな月斎」
頬が持ち上がるのが分かる。それを見て旧友の庵原元政がたしなめる。
いかんいかん。仏門に属する以上あまり欲望を前面に出すのは問題だ。高潔とはいかないが、高潔たらんという姿勢は重要だ。
つまり、交渉の窓口を見つけても交渉材料がない現状で、取るべき道は一つしかない。
「外から圧力をかける。それしかないからこそ、そうせざるを得ない」
オレがここに来る前、どうして東奔西走していたのか。
つまりそういう事だ。




