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148 織田家の現状

佐和山城降伏に話が進んだ事で、オレの当初の目的が完了した。

後は帰るだけである。もちろんお土産を忘れてはいない。

そんなわけで、佐和山城攻略拠点の百々屋敷の別室に入ると、庵原元政が待っていた。

オレの顔を見ると、机の上に置かれた文箱を親指で指す。


「言われていたものはそろえたぞ。近年の織田家の動向と、本願寺とのやり取り、京都近郊の動き。それと…」


そういって文箱から手紙の束を取り出すと、分類毎に重ねていく。


当たり前のことだが、京都と駿府とは距離がある。電話もテレビもラジオもない戦国時代に、日本の中心地ともいえる近畿地方での騒動を知るには、人伝手に話を聞くか、現地からの報告を読むしかない。

当然、それにはタイムラグがあるし、手間もかかる。個人の見解による情報は内容も偏る。

そこで白建てによる織田家への援軍だ。ご当地にいるという事は、現地の正確な情報を得る事の出来る立場というわけだ。

そんなわけで、佐和山城を包囲しているだけのヒマな時間を利用して、近隣の情報を庵原元政に調べてもらっていたのである。


とりあえず、まとめると。

姉川での浅井朝倉軍との戦いに始まり、三好家との戦。本願寺一向宗の敵対。そして、織田家による休戦。

この休戦では織田信長が自ら頭を下げて和睦したらしい。

あの信長が「ごめんなさい」と頭を下げる姿は、きっと胸がすっとする思いだっただろう。まあ、頭を下げただけで目的を達成できるなら、オレだって頭を下げるだろうがな。


こうして和睦により、織田家は窮地を脱したものの、状況が好転したわけではない。

織田家の状況は四面楚歌だ。まあ、東の徳川家と今川家が同盟国なので、三面楚歌といったところか。

今回、佐和山城を抑えた事で、美濃から京都までの安全な直通ルートを確保できたが、本質的な意味で敵が減ったわけではない。

織田家が敵に囲まれている状況に変わりはないのだ。


そして、敵対している浅井朝倉と決着をつけるのは現状では厳しい。

金ヶ崎を見れば分かるように、地理的に浅井家を無視して越前朝倉領に攻め込むのは無理だ。かといって、先に浅井家を滅ぼすには小谷城が堅牢すぎる。

城を包囲しての持久戦になれば、朝倉家から援軍が来て織田軍は退かざるを得ない。

かといって、強硬策で小谷城を攻めれば被害が出るだろう。そんな状態で、朝倉家からの援軍が到着したら目も当てられない。

堅実に戦うなら、小谷城には抑えの兵を置いて、先に朝倉家を倒し、取って返して浅井家を攻めるべきだが、それをするには織田家には敵が多すぎる。

本願寺に三好家に六角家の残党と対処しなければならない為に、織田家は兵力を集中できないのだ。

かといって先に三好家や本願寺に対処しようにも、先の野田福島の戦いの時のように、浅井朝倉家が京都に攻め入る事で、織田家は退路を断たれてしまう。

そして、この三好家と浅井朝倉の間を取り持つのが石山本願寺。

各個撃破の為に敵を切り分けるのは難しいだろう。

となれば…


「次の相手は比叡山になるだろう」

「織田家が攻めるというのか?天台宗の総本山だぞ」

「それになんの意味がある」


そういえば織田信長の悪行の一つに、比叡山の焼き討ちがあった。

なるほど、こういう状況なら納得だ。


「比叡山は孤立している」

「孤立?」

「反織田勢力に与していながら、それらの勢力とつながっていない」


織田信長が比叡山を焼き討ちにしたので、織田信長と天台宗との仲は悪かったと思われがちだが、実はそうでもない。

もちろん親密な関係ではなかったし因縁もあった。

過去に領土問題(寺領)で比叡山と織田家に確執があったのは事実だ。だからといって、織田家と武力衝突をするほどの問題ではなかった。

野田福島の戦いから織田軍が退いた際に、京都へ侵攻していた浅井朝倉軍が比叡山に籠った。

それに対して、織田家は比叡山に手紙を送っている。織田家に味方をすれば便宜を働く。無理ならせめて中立を保てと。

つまり、この段階ではまだ織田家にとって比叡山天台宗は敵ではなかったのだ。

そして、比叡山はそれを断った。

織田家と敵対してまで比叡山は何がしたかったのか。

何を隠そう。この野田福島の戦いに参加した織田家と反織田勢力は、双方共に戦略目的という意味では失敗している。

織田家は三好軍を倒す事ができなかったし、本願寺や三好家は織田信長を取り逃がしたし、浅井朝倉家は出陣したが京都を抑えられずに、最終的には自分の領土に戻っている。

全員が目的を達成していない。

しかし、比叡山延暦寺はこの降伏を受け入れる条件として、織田信長との確執の原因であった天台宗の寺領の回復を認めさせている。

朝廷を介入させての織田家と浅井朝倉家の和睦の条件とすることで、この問題に反対であった織田家も認めざるを得ず、さらに朝廷に保証人をさせているのだ。

したたかと言えるだろう。

織田家に従わない事で目的を達成し「比叡山を敵に回すと厄介だ」と印象付けたかったのかもしれない。


「もしかしたら、自分達は中立勢力とでも思っているのかもしれないな。だとしたら哀れな」


比叡山としてはこれで問題は解決したと思いたいのだろう。

だが、悲しいかな短絡的と言わざるを得ない。

浅井朝倉家は同盟を結び織田家に対抗している。本願寺も三好家と浅井朝倉家を結び付け織田家に対抗している。

しかし、比叡山天台宗は反織田家側の勢力と何の盟約も結んでいない。

それどころか、石山本願寺と比叡山は古くから対立し続けている関係だ。じゃあ、なんで本願寺に協力しているんだよと思われがちだが、比叡山にしてみれば協力したのは浅井朝倉家であり、その両家が誰と友好関係を結んでいるかは知った事ではないのだ。

利益さえあれば。

それが戦国時代というものだ。

なぜそれで強気なのか。常識的に考えて歴史ある宗教の総本山であるという事。さらに、比叡山天台宗の最高責任者である慈胤法親王は、天皇家の一族である。

比叡山を攻めるという事は、皇族に刃を向けるという事だ。

大名織田信長は武家の一つでしかない。朝廷の任命する征夷大将軍という軍事総司令官の部下だ。その朝廷の親類縁者を手にかけてまで比叡山と敵対する問題ではない。

比叡山が信長は泣き寝入りすると考えるのも当然だ。

前にも言ったが、法の下に平等でないということは、そこには法の強者と弱者がいる。

しかし、法は法でしかない。


「そこまでするはずがないと思うのは勝手だが、価値を決められるのは本人だけだ」


だが、比叡山は大事なことを一つ忘れている。

織田信長は比叡山に手紙を送った際、もう一つ条件を加えていた。

「断るなら比叡山を焼くぞ」

と。

(ちょっと武田信玄のすごいところ)

今回改めて分析考察してみましたが、史実の武田信玄は、まさにこの状況を把握して織田信長を攻めている点がマジでヤバイ。

比叡山焼き討ちで大義名分を得て、そのうえで織田家が戦力を集中できない状況を利用して決戦を挑んでいるわけです。(なお、武田家は北条と手を結んで全力を出せる模様)

この時、信長に出来ることといえば、兵力を集中できないので徳川家に武田の足止めを期待するしかなく、それをしても美濃方面から攻められる事に変わりはない。

さらに史実では徳川家康は籠城である事をみやぶられて惨敗。

信長に残された道は、美濃尾張での決戦という、地の利を生かすといえば聞こえはいいが、どう見ても本拠地まで攻め込まれている最終防衛決戦という状況。まさにドン詰まりです。

これが武田信玄。軍神ってレベルじゃねぇぞ…

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― 新着の感想 ―
[良い点] >姉川での浅井朝倉軍との戦いに始まり、三好家との戦。本願寺一向宗の敵対。そして、織田家による休戦。 この休戦では織田信長が自ら頭を下げて和睦したらしい。 この展開に持っていく主人公の知略…
[一言] 朝倉さんへのあの情けないお手紙を見る限りそこ迄武田信玄はすごいかというとね。
[良い点] あー、そりゃそうですよね。 ノッブからしたら織り込み済みというよりやんなかったら失望するレベルのお話ですわ。 [気になる点] 便宜を図ることはなかっただろうけど、邪魔したりフェイクを混ぜる…
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