144 白建ての将
岐阜での婚姻の祝いも終わり、白建てはそのまま織田家への援軍として参戦する事になった。
五日ほどで、物々しい軍装で岐阜から進軍を始めた。
その間に、今川家は織田家への助力を控え様子を見るべし、と示唆する手紙が京都にいる将軍足利義昭から駿府の今川家に来ていたが、事前に取り決めていたとおりに、岐阜のオレの元にその手紙は届けられる。
忖度してくださいという内容を鼻で笑って筆を取り
『将軍家を支援する忠臣織田家に手を貸すことは、ひいては上様に手を貸すことになります。幕臣今川家は今後も幕府の為に力を尽くします』
という正論で糊塗した返事を織田家の手を介して幕府に送ってもらう。何せ、オレ個人では幕府のそれも征夷大将軍に手紙を出す権利はないからな。
今川家に送ったはずの手紙が、織田家経由で帰ってくるのだ。将軍は手紙の内容が信長に知られていると考え、不用意な連絡は出来なくなるだろう。
「となれば、別の方法で今川家と連絡を取るしかない…」
そして、その為の連絡方法は、すでに用意してある。
その為に、大和の大名松永久秀と今川氏真との縁を取り持ったのだ。天下の梟雄は抜け目がないがゆえに、独自に結んだ連絡ルートを有効に使うだろう。
己の利益のために、己を省みることもなく。将軍家に恩を売るのもその為だ。
その為のタイミングもばっちりだ。
なにせ世間一般の噂では、今川家の相談役の中に織田家に親しい人物がおり、織田信長からも厚い信頼を寄せられているらしい。
オレにはとんと心当たりがないが、そんな奇特な人物が現在今川家本拠地である駿府から離れているらしいのだ。
今川家と秘密裏に連絡を取りたい人物からしてみれば、これほど都合の良い展開はないだろう。
「何か言ったか?」
「いや、なんでもない」
「しかし、白建ての初陣にお前が出てくるとはな」
「安心しろ。オレは戦ったりはしない」
「当たり前だ。お前が前線に出てきたら、おちおち槍も振るえん」
横で馬に乗っている白建て侍大将庵原元政が、同行するオレに話しかける。
そもそも、外部からの要請で白建てに同行する事になったものの、今川家の最底辺戦闘員(足軽)ですらないオレが正規精鋭兵団に入り込む余地などなく、個人的に縁のある庵原元政の同行者という名目でついていくしかなかったのだ。
鎧武者姿の庵原元政とは対照的に、オレは編み笠に黒の僧衣の旅装だ。戦場に出るなど言語道断。矢の一本で討ち取られる自信がある。
臨済寺で共に学んだがゆえに、オレに戦闘能力が皆無な事は元政も知っている。まあ、だからこそ、オレに態々武装しろと言わないわけだ。
「…つまり、お前が出てきた時点でこの戦は決着か」
オレに聞こえるように元政は小声でつぶやき、オレはそれに同意するように笑みを見せてうなずく。
長年の付き合いのせいか、そのあたりを察してくれるのが楽でいい。少なくとも、白建ての3分の1は、これで無意味な突撃だの、功績を求めての強攻策だのをとりはしないだろう。
「オレはいいが、他の二人がどうするかはわからんぞ」
白建てには3人の侍大将がいる。その一人が庵原元政であり、他の二人と共に今川家から抜擢された約1000の精鋭をそれぞれが率いている。
当然、大将達は今川家の有力者の一族から選ばれ地位は高い。
そして重要な事だが、今川家でも新参者のオレには、名門今川家の譜代家臣(重臣)に命令をする権限なんてない。
一応、師匠である太原雪斎の後継者を自称し、その威光を笠に着ているが、そこに公的な強制力は存在しない。
だから「突撃して死んで来い」なんて命令をしようものなら逆に無礼討ちされても文句を言えない立場なのだ。
あくまで助言者として以上の権限がオレにはない。だからこそ、そのための準備はしている。
「何、その辺は考えているよ」
「だろうな。そうでなければ、お前が同行したりはしないだろうよ」
オレの言葉に、元政は勝手に納得して話を終える。
庵原元政はこちらの意向を汲んでくれる。
なら、あとの二人に白建てとしての目に見える功績を与えれば、白建ては軍として一体となるだろう。
つまり、勝利という軍功を与えればよいのだ。
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「船でございますか」
陣幕で聞き返すのは、今川家白建て侍大将の一人の伊丹雅高。今川家の水軍を統べる伊丹雅勝の養子である。
元は伊丹雅勝の腹心の一人程度の地位だったが、白建て設立にあたり水軍を率いる人材が必要とのことで、雅高を一族に迎え入れての抜擢となった。
「はい。佐和山城は琵琶湖湖畔にある城ゆえに、包囲したとしても船で兵糧を運び込めます。あいにく、助力する羽柴様の部下に水軍の達者な者はおらず、それが佐和山城を落とすことができない理由の一つでもあるのです」
そう言って、太観月斎は懐から書類を出すと伊丹に渡す。
それは大小さまざまな船の目録であった。水軍は船がなければ役に立たないために、織田家が近隣の船を買い上げて用意したものだと月斎は説明する。
「浅井家からの兵糧を止めよとおっしゃるわけですな。月斎殿」
「はい。しかし、すべてではございません」
「すべてではない?」
「佐和山城への兵糧のすべてを止めるのではなく…そうですね。半数ほど運び込める程度に加減してください」
「…それはなぜ?」
月斎の奇妙な指示に伊丹が疑問を持つ。包囲する以上、兵糧を断って相手の士気を挫くのは定石である。それをあえて、限定する理由が分からなかった。
「今川家の水軍によって兵糧が止められたと知れば、浅井長政は佐和山城への搬入を差し控えるでしょう。無駄になってしまいますからな。しかし、一部とはいえ兵糧が運び込めるのならば、被害が出ようとも送らざるを得なくなります」
「…なるほど」
月斎の言葉に、伊丹はとりあえず納得の言葉を返す。しかし不可解な内容ゆえに内心は半信半疑だ。
それを知ってか知らずか、表情を変えず月斎は頭を下げて願い出る。
「難しい指揮になるかと思いますが、よろしくお願いします」
「殿より聞いておる。無理はせぬよ」
とはいえ、水軍としての技量を買われての白建てへの抜擢だ。初陣で早くもその成果を見せられると気合を入れていたものの、こうして面と向かって言われては仕方ない。
もちろん、手を抜くつもりはないが、少なくとも自分に対して少なからぬ配慮をしてくれたという事なのだろう。
太観月斎の気配りに、伊丹はとりあえず納得してうなずく。
「で、月斎殿。拙者は何をすればよいのだ?」
そう言って口をはさんでくるのは、3人目の白建て侍大将の瀬名氏詮であった。
庵原元政ほど偉丈夫でもなく、かといって伊丹のように肌が焼けているわけではない。どちらかといえば白い肌で気品のある顔立ちは、武士らしい猛々しさに欠けていた。
彼は、今川家親族衆瀬名氏の本家の人間であり、今川家当主の今川氏真の従兄に当たる。なお、徳川元康の妻である瀬名の方(現在の築山殿)の瀬名は、実家の瀬名家の名が由来であり、徳川家からすれば正室の実家の一族となる。白建ての対外担当責任者であり、公式には同格とされる白建て侍大将達だが、実質的には彼が頭半分高い。今回の白建てにおいても総大将の役割を担っている。
「むろん。瀬名様には、大事なお願いがございます」
「お願い?」
「はい。この度の戦いの、もっとも重要な点です。これに関しては、伊丹様も庵原様でも無理な話であり、瀬名様でなければなりません」
「で、拙者に何を願うのかね?」
その言葉に、月斎は顔に笑みを浮かべ、頭を恭しく下げて答える。
「はい。名をお借りしたく願います」




