142 婚姻…にかこつけて
元亀三年(西暦一五六八年)一月
岐阜にて、織田信長嫡男の織田信忠と今川氏真長女の霞姫との婚姻が執り行われる事になった。
他国への嫁入道中というイベントに、今川家の精鋭として編成した三千人の『白建て』が護衛として同行。
諸国に今川家の新設精鋭部隊を喧伝する事になる。
長女ではあるが、あくまでも嫁入りであるため、家格が上である今川家当主の今川氏真は道中に参加することはなく、代わりに今川家の親族が同行する事になった。
…なったわけである。
こんにちは。太観月斎です。
現在位置をお知らせします。
婚姻によりお祭り騒ぎの織田家本拠地の岐阜城城下です。
織田家からの強い要望により、今川家の新参家臣でしかないオレも、この嫁入り道中に同行することになりました。
なんでだよ!?
とツッコミを入れてみたが、今回の嫁入の為に徳川家と織田家の領土を通るにあたり、この両家と関係の深い今川家の人間が同行し、調整を取り計らうという事になったのだそうだ。
今川家が織田家と徳川家と結んだ三国同盟の立役者はオレだ。
つまり、それはオレの役目という事になるらしい。
今更、徳川家や織田家が今川家との婚姻にいちゃもんつけるわけないだろ!?
と正論を吐いてみたが、残念なことに、過去に同盟国に送られる予定だった人質を地元豪族(親族)によって敵対国に拉致られるという事件があったのである。
なお、その事件現場が今回通過する三河であり、さらに当時の被害者は徳川家(当時松平家)。敵対国だったのが織田家。ついでに、人質が送られる予定だった同盟国というのが今川家だ。現場と関係者(被害者と加害者)が今回も完全に一致するのである。
各国が不安を覚えるのも当然と言えるだろう。
さらに、懸念事項として婚姻の婿側である織田家は、現在一向宗と敵対している真っ最中。その一向宗は北陸から東海地方に影響力を持つ宗教だ。つまり、今川領から織田領までの駿河、遠江、三河、尾張はばっちり一向宗の信仰圏内なのだ。
本願寺一向宗にしてみれば、今川家と織田家との同盟強化を阻止する為に、この婚姻を妨害しようと考えてもおかしくはないのである。
でも、その為の白建てでしょ!!
と、当然の主張をしてみたが、「万全を期する為、両家と連携して安全を確保したい」と正論を言われると今川家の一家臣では抗えない。
これがパワハラである。
まあ、反織田勢力として今川家を取り込みたい本願寺としては、暴力で婚姻の邪魔をして今川家の反感を買うのは得策ではないと考え、無理な強硬策はしないはずだ(あくまで希望的推測)。
そんなわけで、徳川家では石川数正と道中のスケジュールを組み、尾張の清州城では尾張通過に伴う手はずを整えて文書にまとめて、また今川家の白建てという武装勢力が各国を通るにあたっての注意事項を今川家の各指揮官に伝達するという事前準備を行う。
豪華絢爛な花嫁道中という花道は、下準備という名の血と汗と労力によって舗装されているのだ。
これが搾取の構造…
岐阜城に到着した際に、オレを指名して呼びつけた相手に「労働基準監督掌!!」と必殺技名を叫びながら右掌底を叩き込まなかった自分を褒めてやりたい。
事前に尾張で出迎えて同行してくれた旧知の堀秀政殿がいなかったら、たぶんゴングは鳴っていただろう。
とまあ、ここまで苦労して岐阜まで来たのだが、オレは当の婚姻には参加していない。というかできない。
なにせ、オレの立場は今川家の一家臣でしかなく、無位無官のただの坊主だ。
幕府の重職であり名門の今川家と、天下にその名を響かせる大大名の織田家との婚姻という一大行事に参加するには、完全に地位が足りていないのだ。
そんなわけで、織田家の居城である岐阜城にすら入城せず城下にある臨済宗の寺に滞在している。
別に迫害されているわけじゃないぞ。オレの今川家での立場は御伽衆だ。今川氏真の個人的な相談役でしかない。今回に関して言えば道中の調整役だ。道中の安全を確保するための役人でしかない。
華々しい婚姻の場に参加する必要性はないのだ。
そんなわけで、華やかさ皆無なお寺で精進料理を食べてオレの一日は終わる。
…はずである。
「堀殿は登城してもよいのですよ」
「いいえ。某は月斎殿をお守りする役目を承りましたので」
さりげなく誘導してみたが、笑顔でさらりとかわす堀秀政殿。
彼は織田信長の側近にして侍大将だ。織田家嫡男の婚姻であれば、家臣として参加する資格が十分にある。なので、自分の事は気にせず楽しんできてくださいとほのめかしてみたのだが、ご覧の有様だ。
「月斎殿になにかあれば、今回の婚姻以上に今川家との問題になりかねません。織田家の領地と言えど、万全を期する為に某にお任せください」
頼もしくも胸をはって主張する堀殿。
でも、それって世間一般では「監視」って言いますよね。という言葉はもちろん口には出さない。
まあ、堀殿もそれは分かってのことだろう。
そういえば、最初に堀殿(当時幼名菊千代)に出会った時も、オレの監視兼護衛だったよな。
思い出に浸りつつ、ため息を一つ吐く。
「わかりました。では、織田様のお話は何でしょう?」
全力で話題にする事を避けていたのだが、オレが観念したように聞くと堀殿はうれしそうに目を細めて笑みを浮かべる。
やはり、当人の知らないところで今後の予定も入っていたのね。まあ、わざわざ信長がオレを名指しで呼びつけているのだ。なにかやらせたい事があるのだろう。
「はい。大殿(織田信長の事)は月斎様に、今川家からの援軍への指示をお願いしたいそうです」
「白建てには、今川家でも選りすぐりの侍大将がおります。拙僧の出る幕はありますまい」
「月斎様にお借りしたいのはそのお知恵です」
そう言うと、部屋の隅に置かれた行李(物入れ)から数枚の地図を持ってくる。
なんというか。すごい準備万端です。
「大殿は今川家の援軍を得て、東近江の問題に対処したいと考えております」
「東近江というと浅井家ですか」
そう言うと、琵琶湖の東側の地図に次々と駒を置いていく。
山の上にはひときわ大きな敵の駒を置き、その南に織田家の駒を配置。
「姉川での戦いで織田家は東近江の横山城を手に入れました。これは、浅井家居城小谷城の目の前にあり、織田家の武将が守りについています」
まあ、敵の喉元にある城だ。ここの確保は浅井家対策としては絶対に外せない。たとえば、浅井家が本拠地を離れて織田家を急襲しようとした際に、本拠地を攻撃して浅井家の進軍を鈍らせることができる。
たとえ、それが戦力的に無理でも「できる」と思わせるだけで、浅井家の行動を制限できる。
すると次に、横山城の南に浅井家の駒を置く。
「その横山城の南にあるのが佐和山城です。ここを浅井家の猛将 磯野員昌が守っています」
「横山城だけを見れば、北と南を浅井家にはさまれているのですね」
「はい。また、佐和山城の南には美濃と京を結ぶ街道があります」
要するに横山城の逆だ。織田家にとって岐阜城のある美濃から京都への最短距離は琵琶湖の南を通る道であり、その近くにある浅井家の支城は用心を怠れば奇襲を受けかねない位置にある。
これも「かもしれない」と思わせるだけで、織田家側は対応する必要がでる厄介な難所となる。
そういう意味でも、横山城の安全のためにも、早急に確保したい城という事である。
で、当然それを確保できていないのには理由がある。
「猛将という事は、その磯野殿の武勇は疑いようもないわけですか」
「はい。姉川での戦において、織田軍は磯野隊によって大きく陣を乱されました」
「織田家としては、これ以上の被害を出したくないというわけですね」
その為に、精鋭である白建ての軍を配置して浅井家に対応するというのは理にかなっている。
だが、前にも言ったが、今川家の白建ては精鋭である分被害からの回復が極めて難しい。
今川家としては可能な限り被害が出るような激戦は避けたい。多少ならともかく、多大な被害を出して白建てが瓦解してしまうと致命傷となる。今川家の今後を考えると、そうなる前に手を引くべきだろう。
そして、それは織田信長も承知している。喉から手が出るほど欲しい常備兵対応の援軍だ。酷使した結果、「こんなブラックやってられない」と本国に帰られれば本末転倒。浅井家の猛将に対抗できる兵として派遣したいが、その武勇をいかんなく発揮した結果、いなくなられても困るというジレンマだ。
ついでに言えば、反織田家に取り込みたい浅井家や朝倉家も、禍根が残る形での今川軍との衝突は避けたいと思うだろう。
当たり前だが、戦争とは殺し合いである。終わったらノーサイド。握手してお互い健闘を称え合うとは、なかなかいかないのである。
名門今川家精鋭VS浅井家猛将という、「オラ、わくわくするぞ」とか言い出しそうな夢のバトルではあるのだが、全ての当事者がその展開を避けたいと思っているのが実状だ。
「となれば、力攻めは下策。調略ですな」
「はい。それゆえに月斎様の力をお借りしたいのです。」
堀秀政殿が笑顔でオレの言葉に同意する。
個人的にも縁があり、好感が持てる相手ではあるのだが、その肩越しに姑息な悪鬼が笑みを浮かべているのを幻視した。
なんだろう。威圧する信長に懐柔する堀殿って、アウトロー的な交渉術の手法であったような気がする。
とはいえ、ここで断れないのも事実。
オレは再度ため息を吐いて、諦めるようにそう言った。
「あまり長居はできませぬので、早急に対処しましょうか…」
名指しで呼ばれた時点で、こうなるだろうと分かっていたさ。




