139 諏訪家
信濃の鵜殿家を出た後に向かったのは、諏訪家の居城の上原城である。
諏訪家について軽く説明をすると、古くから諏訪地方を治める名家で、社家でもある。
しかし、そんな名家にも甲斐の武田家の台頭により悲劇が訪れる。
武田信虎の時代にその娘を嫁に迎え同盟関係を結んでいたが、父である信虎を追放した息子の武田晴信(のちの信玄)は、諏訪家に攻め込み当主(つまり武田晴信にとって義弟)を殺してしまう。
まあ、信虎追放時に連合を組んで甲斐の国を攻めた諏訪家も諏訪家なのだが、武田家を継いだばかりの晴信はトコトンまでやってしまったらしい。
そして名門故に滅ぼすわけにもいかず、諏訪家の後釜をどうしようかという問題が残ったわけだ。放置はできないが、当主を殺した武田家に恨みをもつ人間に跡を継がせるわけにもいかない。
そこで、武田晴信は諏訪家の姫を側室に迎え、その子供を諏訪家の跡取りにしたのである。
どう見ても鬼畜の所業です。
そんなわけで、生まれたのが武田信玄の息子にして諏訪家当主諏訪勝頼である。
ちなみに、史実では信玄亡き後の武田家を継ぎ、甲斐武田家最後の当主として滅亡させる有名人だ。まあ、オレ達が甲斐武田家の系譜を差し替えた事で、武田家と共に消える未来はなくなった。もっとも、それが本人にとって幸福か不幸かは微妙な所だ。
なにせ未来は変わったものの、結局彼が守るべき諏訪家は滅亡の危機に直面したからである。
父親にして大黒柱の武田信玄が遠江で今川家に惨敗し、さらに三国同盟で外交的に孤立。その上、今川家の甲斐侵攻に合わせて甲斐武田家の正統を乗っ取られたことで、庇護者である武田家は内部崩壊まで起こしていた。
武田家の本拠地は甲斐であって信濃ではない。当然、劣勢になった武田家は戦力を先祖伝来の甲斐に集中させたのである。
つまり、その際に切り捨てられたのが諏訪家といった信濃の豪族達である。
そんな見捨てられた中で、諏訪家のとった行動は最善手ともいえた。
徳川家の信濃侵攻にいち早く協力し、甲斐の武田本家を切り離した。
他国の勢力が手を出す前に迅速に信濃を掌握する必要があった徳川家にとって、信濃の名門豪族である諏訪家の協力は大きなものだった。
その結果、諏訪家は本領を安堵され勢力を維持することができた。これは旧信濃勢力の中でも最高の待遇といえる。
とはいえ、実質的に父親すら切り捨てて生き残ったという事で、どんな陰鬱な人間かと思っていたのだが。
血だねぇ。
相手の顔を見てちょっと唾を飲み込んだ。
長身の体躯で堂々としており、他家の人間であり無位無官のオレに会うために、きちんとした佇まいで前に座っている。
祖父である武田信虎や父親である武田信玄は、戦国時代の体現者という印象に飲まれていたけど、そもそも甲斐武田家は名門の一族。そして、諏訪家も諏訪大社を守り続けた氏族の一つだ。
しかも、あの武田信玄の血を継いでいるわけである。戦場に出て手柄も立てている。武田家の名将猛将に比べても見劣りしないほどの武功だ。
その文武両道ハイブリットが、半端な人間なわけがないよな。
らんらんと輝く目は、陰鬱とかどこ行ったんでしょうという熱気を帯びてオレを正面から見ている。この眼力は間違いなく武田信虎の血筋だな。
これで二十歳というんだから早熟すぎるだろ。鵜殿氏長に、堀秀政にこの諏訪勝頼を加えたら、無敵なんじゃないかと思うくらいだ。
多分ゲームとかならこの三人でいいんじゃないかといわれるタイプだ。
「諏訪様。お初にお目にかかります。太観月斎と申します」
「ええ、鵜殿殿からお噂は聞いております。あの今川家の太観様にお会いできるなんて夢のようです」
もう一度言うけど、この人は名門名家諏訪家の御当主様で現在の甲斐武田家当主の甥にあたる。正真正銘上級貴人。対してオレは生まれも庶民で寺すら持たない最下級坊主である。
なお、勝頼は小姓を一人控えさせているが、他に家臣はいない。諏訪家の当主と面会するのに、監視にも護衛にも家臣がいないのである。
大事な事なのであえて言っておくけど、今日が初対面です。
「鵜殿様とも親しくされていると聞き、縁もありますればご挨拶をと伺いました」
「ええ、父信玄の大敗以降、鵜殿殿には何くれとなくご助力を受けています。それもすべて、師の薫陶によるものと聞いておりますれば、この諏訪勝頼、心より太観様に感謝をいたします」
お~い。氏長君。自分の功績はちゃんと自分の功績にしておきなさい。他人に丸投げとか、いらない恨みを買うぞ。現在進行形で言うんだから間違いない。
「して、本日はどのような悪だくみをするのですか?」
本当に大事なことなのでもう一度言います。この人と今日が初対面です。
勝頼の言葉にオレが驚いてみせると、それを見てうれしそうに目を細める。一見無邪気でありながら、広い度量がうかがえる。すこし、今川氏真と似ていると思ったが、考えてみれば祖父が同じだったな。
「悪だくみとは人聞きの悪い」
「いやいや。鵜殿殿から伺っております。諏訪家のためになる悪だくみだと」
なるほど、とりあえずはオレの行動を読んで、諏訪家と連携したようだ。でも口止めを忘れているぞ氏長君。いや違うな。あえて口止めせずに巻き込んだほうが、オレは好感を持つと踏んだか。
まったく、師匠の性格を推し量って他家を巻き込むなんて悪い弟子だ。
まあ、その方が話は早い。
「事の良し悪しはともかく、諏訪家のためにはなるでしょうな」
とりあえず、表面上はほほ笑んで答える。
嘘は言ってないからね。嘘は。




