137 優秀な弟子
徳川家による信濃侵攻が終わった。
南からは小笠原長時を総大将に徳川軍が北上。さらに北の越後から上杉家の支援を受けた村上国清が信濃に攻め込んだ。
分かっていたことだが、信玄亡き信濃に、この両軍に対抗できる勢力はなく、最後の懸念であった旧武田家の家臣達も、硬軟織り交ぜた交渉により徹底抗戦を諦め降伏した。
信濃の全豪族が徳川家に従ったわけではないが、信濃の主要な領地は徳川家の支配下となった。
信濃守小笠原長時の返り咲きともいえるが、その軍勢の大半が徳川軍である事。また、小笠原家の嫡男と徳川家の長女福姫の婚姻がなされていることから、徳川家の間接支配といえる。
ふと、気が付いたのだが、最近大名家で婚姻ラッシュだ。
徳川家と織田家。小笠原家と徳川家。織田家と今川家。武田家と北条家の婚姻も含まれるか。
どうでもいい話だが、この慶事ラッシュの波がオレに影響する事はない。 or この慶事ラッシュがオレに波及する事はない。
地獄に落ちろ。
まあ、そんなホホエマシイ祝い事ラッシュを横目に、オレもまた信濃に入っていた。
目的は、そこにいる縁者に会うためだ。
「活躍しておるようだな」
「此度の戦のお膳立ては済んでいましたので、そこまで苦労はありませんでした」
そう言ってほほ笑むのは、小諸城城主 鵜殿氏長。
今川家の縁戚であり、今川家と徳川家に仕える鵜殿家の当主。さらに、オレの一番弟子でもある。
信濃侵攻の功績により、旧鵜殿家の領土であった上ノ郷領を正式に召し上げられ、信濃への領地替えを徳川家から命じられたのである。
これについては徳川家の思惑があったのだろう。上ノ郷領は徳川家が今川家から独立した際、鵜殿家から武力で奪い取った領地である。
今川家と徳川家が和解し同盟を結んだ際に、鵜殿家の当主に旧領を返還し両家の騒動の芽を事前に潰したのは流石と言えた。
そして今回、徳川家は配下の鵜殿家に正式に領地替えを命じ、鵜殿家はそれを受け入れた。
つまり、鵜殿家は正式に上ノ郷の権利を徳川家に渡したのである。
同盟国とはいえ他国とも縁の深い鵜殿氏長を、徳川家の本拠地である岡崎のすぐ近くの上ノ郷に置いておくのは、看過できなかったのだろう。
今回の正式な命令によるやり取りで、この問題を根本からの解決を図ったというわけだ。
それは、信濃侵攻に際しての鵜殿氏長に与えられた役割でもうかがえる。
本隊に随行こそしなかったものの、別動隊を率いて信濃東部を攻略する大将に抜擢されたのだ。失敗すればその責任を取って切腹もしくは上ノ郷召し上げ。うまくいけば加増の上で信濃に領地替え。
信賞必罰というやつだ。
この抜擢に、鵜殿氏長は元々交流のあった東信濃の諏訪氏の協力を得て、問題なく東信濃の佐久郡の攻略を成功させていた。
「良い城ではないか」
こうして、東信濃に領地を得て、そこの名城の城主に命ぜられた。
まあ正直、オレは築城とか城塞といったものに詳しくなかったので、この小諸城がどれだけ防衛に優れているのか、よくわかっていない。だが、城主の鵜殿氏長と面会するために城内をぐるぐると移動しなければならず時間を要した。
複雑な構造。それは同時に、城内に攻め込まれたときの防衛能力という認識だ。
「はい。なんでも武田信玄の軍師山本勘助の建てた城だとか」
「ほう」
その名前は知っていた。オレの師匠である太原雪斎に並び称される変人3人の一人だ。
「師匠は、山本殿と会ったことは?」
「ない。が、わが師なら面識もあったであろうな」
オレが山本勘助の名前を最初に見たのは、今川家に仕えてすぐの頃で、第四次川中島で討死したという報告でだ。当然、会った事もなかった。思えば、師匠は老衰だし、最後の一人の北条幻庵も骨と皮の老人だ。
そう言う意味では、同年代と思われる年齢なのに、戦場に出て討死したという山本勘助って、どれだけ元気なんだよと突っ込みたい。
「で、信濃の状況はどうか?」
「御指摘の通り。小笠原様が戻られたと言っても、まだまだ信濃が治まるには時間が必要となりましょう」
「小笠原殿は徳川家の支援を。信濃北部に戻った村上殿は上杉の支援を受けているからな」
「そして、東信濃の諏訪様は徳川家についております」
オレの言葉を補足するように、氏長が笑みを浮かべながら付け加える。
「改めて、今回の事を見ますと面白い事に気がつきました。小笠原、諏訪、村上、この三家は武田信玄が信濃を取る前に支配していた豪族達。今回の事で再び信濃に戻りました。そしてその支配地域はほぼ同じ」
「元々彼らの領地だ。かって知ったる…という奴だな」
「ですが、状況は大きく違います。小笠原家と諏訪家には、徳川家の影響があり、村上家は小笠原家に名目上従っていますが、実際には上杉家の影響が強い」
「そうだ。今後信濃においては、徳川派と上杉派の争いとなるだろう。表と裏とでな」
「ええ、そしてその中で一つだけ違った家があります」
「諏訪家だ」
頬を持ち上げながら氏長に答えると、一番弟子は深くうなずいて同意した。
「はい。諏訪勝頼様は武田信玄の血をついでおり、武田家との深いつながりがあります」
「小笠原家は徳川家の支援を外せまい。それを失えば村上家に信濃を奪われかねぬ。村上家もそうだ。上杉家の支援があるからこそ、信濃北部の自分の領土を守ろうとするだろう」
「となれば、両家が目を付けるのが残された一家。そして、諏訪様には第三の選択があります」
「小諸城はその立地から、信濃東部からの盾となりうるが、同時に信濃東部への矛ともなりうる」
「師匠がそうなるように徳川様へ?」
「いいや。だが、それくらいは徳川殿も察しよう」
「……それは、三河に来るたびに当家に逗留されておられたから?」
氏長の言葉に笑みだけで答えない。
実際、オレと今川家での鵜殿家との関係を徳川元康が知らないわけがなかった。
そもそも、人質交換で鵜殿兄弟を駿河に迎え入れたのはオレだ。
さらに、遠江騒乱の際に協力した井伊家(現在徳川家配下)に人質に出したのが、この鵜殿氏長。
遠江徳川家が信濃侵攻に兵を派遣した際に、氏長の弟で遠江秋葉城城代の鵜殿氏次を指定したのもオレ。
徳川家の持つ情報だけで、十分オレと鵜殿家との関係が深い事が窺がえる。オレと一緒に師匠から学んでいる徳川元康が、その辺を怠るわけがない。
そして重要なのは、信濃の旧武田家家臣を甲斐に送還する際に今川家が仲介した事だ。
信玄を倒した新生武田家当主武田昭信と徳川元康には接点がない。だからこそ、両家に縁のある今川家が仲介したのである。
それは同時に、武田家に近しい諏訪勝頼の甲斐とのつながりに、徳川家は何の縁も持っていないということだ。
だからこそ、今川家に縁の深い人間を諏訪家からの盾として、また交渉窓口として東信濃に配置した。
これで、諏訪家が甲斐武田家につき小諸城を攻めれば、今川家家臣鵜殿氏長を害した事で、武田家と今川家との関係が悪化する。
同時に、鵜殿氏長は武田家側につく事が出来ない。それをすれば今度は徳川家と今川家の関係が悪化する事になる。
徳川家にとってみれば、隣接した甲斐武田家の監視役をするのにうってつけの人材と言う事だ。
となれば、信濃での鵜殿氏長の仕事は、小笠原家と諏訪家との折衝だ。
「諏訪殿とは親しくしているのか」
「……ええ。実は息子の承十郎と勝頼様の娘との婚約を進めております」
……え?
こんな所でも婚姻ラッシュに影響されてるの?
「承十郎はいくつであったか?」
「まだ二つです。なので、あくまで元服してからの話ですが」
「徳川殿はそれをご存知で?」
「ええ、領地替えの際に許可をいただきました。信濃に根を下ろし上ノ郷への未練は断ち切りたいと申しましたところ快く」
そう言って満面の笑みを見せる氏長。
そりゃそうだろう。上ノ郷を合法的に手に入れたいと思っている徳川元康だ。「もう上ノ郷には帰ってきませんよ」と意思表明すれば、もろ手を挙げて受け入れるだろう。
たとえそれが外部勢力との紐付き勢力との接近であったとしても、そこに異論を挟めば「え?上ノ郷を返してくれるんですか」とか言われたら、藪をつつくだけの結果になる。どう転んでも、受け入れざるを得ない。
それを分かっていて行っているあたり、この弟子は優秀すぎる。
なんでこいつは100点満点のテストで150点くらいとっちゃうのかね。
そんな事をしたら、より難しい問題を出したくなってしまうじゃないか(暗黒笑)。
「氏長殿。これは他言無用に願います」
笑みを消して真面目な顔で氏長の目を見る。
オレの表情からなにかを察したのか、氏長も笑みを消す。
「はい」
「……近いうちに三国同盟が破棄されます。そなえておくように」
オレの言葉に、鵜殿氏長は大きく唾をのんだ。




