131 三国同盟の罠
「お主、正気か?」
オレの言葉に、北条幻庵は聞いてくる。
周辺国と同盟を結んだ今川家が、あえてその同盟を破棄して隣国と敵対する。それも、二国を相手にするのだから、正気を疑うのもうなずける。ましてや、敵対を望むとなるとなおさらだ。
正気かどうかはともかく、オレは本気だ。
北条家を動かすには、オレの口先だけではだめだ。向こうに勝算が必要になる。少なくとも、北条家だけが被害を負うような決断は絶対にしない。
だからこそ、武田と北条との共同戦線。その為の三国同盟の破棄。
そして、それ故の三国同盟の罠。
「同盟の破棄には名分が必要でしょう。今川家を敵とする為の名分が。しかし、北条家が主張しても、それに武田家は同調しますか?」
「…」
オレの言葉に、沈黙で返す幻庵。
現在の状況で三国同盟を破棄しようとしても、北条家の意向ではまず武田家はついてこない。
武田家が北条家を潜在的脅威と認識している状況で、どれほど取り繕ったところで、武田家が北条家に同調してくれる可能性は低い。
「幕府のお墨付き。それならば両家とも今川家を敵とする事が出来ます」
「そこまでして、両国を敵に回して今川家が勝てると思うか?」
「武田が敵に回るなら、手はいくらでもあります」
オレの言葉に、幻庵の顔色が変わる。
そりゃそうだろう。何せ開口一番に態々嫌みまで言ってくれたのだ。
甲斐を北条に渡して不利になってまで得た罠。
無為に有利を捨てられないという勝者への罠。
まず第一に。今川家を敵に回す段階で、北条家は甲斐武田家を味方に引き入れるしかない。それをしなければ、今川家が武田家を味方に引き入れるからだ。北条家を脅威と見ている今の武田家なら、今川家が取り込むことは容易だろう。
では、武田家を味方にして北条家が今川家を攻めるとどうなるか。北と東から攻められた今川家は二面作戦を強要され不利になると思うだろう。
ところが、そうでもない。
そうなった場合、今川家は容赦なく甲斐武田家を攻める。
武田信玄との内戦で疲弊した武田家が復興するにはまだ長い年月が必要となる。また、北条家を脅威と見ている武田家と、武田昭信を甲斐の当主にするために協力した今川家。
武田家が幕府の意向で敵対しただけなら、彼らの抵抗など見せかけだけにすぎない。
今川の侵攻という現実を前に、甲斐から北条家を追い出すという余禄を付けただけで、武田家が容易に手の平を返すのは目に見えている。
それを避ける為には、北条家は積極的に甲斐武田家を支援しなければならなくなる。
武田家が今川家に抵抗できるだけの援軍を送り、内通しないように監視し、今川家の北上を抑える必要が出てくるのだ。
その戦力は、当然北条家が東から駿河今川家に攻め込むための戦力から割り振られる事になる。
この段階で、限定的ではあるが北条家も二面作戦を強要されるのだ。
そして、今川家は「仮名目録」による大軍勢の徴用システムを持っている。さらに織田勢力につく事で、西の徳川家も味方となり、今川家が警戒するのは武田家と北条家のみ。
それに対して、北条家は関東勢力への備えも必要となる。
どちらの二面作戦がより負担となるかは明白だ。
どちらでもよかったのだ。武田が予想通りに荒廃して弱体化しているなら、守るために北条が甲斐に送らなければならない兵力が増える。信虎によって強固になった武田なら、警戒するべく北条家は兵を出す必要がある。
そして、北条が兵を出さなければ、甲斐を味方につける時間的余裕も今川家にはある。
「最悪、東駿河までなら取られることも想定しております。なにせ、取られた経験がありますからな」
そして言外に告げる「取り返した経験もある」と。
氏真の父今川義元の時代に、北条家と敵対し東駿河を北条家に奪われた事がある。当然、ちゃんと取り返しているのだが、取ったからこそ、そこから先に攻め込むのが難しい事も北条家は知っている。薩埵峠とよばれる天然の要害があり、そこを抜けなければ駿府へ行くことはできない。
そして、甲斐が今川家につけば、強大になった敵に対抗するために、北条家は戦線を縮小させなければならない。当然、侵略したばかりの不安定な新領土は弱点となる。
現状で、北条家が全力を出したとしても、どうみても不利で、五分の状態まで行ければ快挙ともいえる。
その上で、取り返される事も想定された土地を奪ったところでどんな意味があるだろうか。
なにより、そこまでしても本命である織田家に何の影響も出せないのだ。
であれば、北条家の取る道は決まっている。
幕府の意向を汲んだうえで、北条家への被害を出さないように織田家と敵対するしかない。
オレの望む、今川家との睨み合い。
膠着する前線。
「そこまでして、何を求める」
「…」
それに答える事は出来ない。まだ、状況は動きだしただけ。坂を転がり出した弾がどこまで転がるかは、わからない。
「…」
「…弟子は」
言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
それは、確かに真実の一つ。幻庵老人の問いの答えとしては間違っているだろう。だが、オレ自身の答えとしては真実だ。
「弟子は、師の名を継いで一人前」
オレは臨済寺を出てから亡き師を追ってきた。桶狭間によって不安定になった今川家を復興させ、三国同盟を結んで師の名を継いだ。今川家の家中でも、太原雪斎の後継者と見られている。
だからこそ、無位無官でありながら、小田原城で北条家の縁者と対等に話もするし、名門武田家の当主の前に出ることも許される。
だが、
「なればこそ」
そこで終わりではない。
弟子は、師の名を継いで一人前。
しかし、それは目標であって目的ではない。
「師の誉となる」
太原雪斎の功績は何だ?
今川義元を海道一の弓取りにしたことか?三国同盟を結んだことか?どこかの戦で勝利をおさめた事か?
違う。
それは行為でしかない。目的のための手段でしかない。
だからこそ、オレ達は逃げることを止めて来た。
父を超える事こそ、子の宿命。
師を超える事こそ、弟子の使命。
今川氏真の、そして太観月斎の望み。
我らが進むべき道だ。




