118 新人将軍マニュアル『殿中御掟』
織田信長が岐阜に帰った事で、オレが京都にいる理由もなくなった。
また、今後織田家は軍を率いて浅井家と戦う事になるわけで、当然その戦火は近江に近い京都にも波及する。
巻き添えで死ぬなんて御免である。
こんな危ない京都にいられるか。オレは駿河に帰らせてもらうぞ。
とまあ、一応京都で歓待(強制)をしてきた織田家に対してお礼の手紙を送り、留守役にはこのまま駿河に帰りますと伝える。
なんか、引き留めようとしていたけれども、そもそも織田家にオレを止める権限などないので、礼を尽くして帰路につかせてもらった。
ちゃんと堀殿には別口でお手紙は出しておきました。
半日ほど長谷川様に挨拶をして京都を出ると、そのまま堺へ。
さて、駿河に帰るといったな。アレは嘘だ。
「この度は、お手数をおかけしました」
そう言って頭を下げる相手は、堺政所の松井有閑様。
何を隠そうオレの堺遊興ツアーを強制中止して京都に送還しやがった人だ。
まあ、本人も悪いと思ったのか、京都の著名人で金持ちでもある長谷川殿を紹介するなど色々と骨を折ってくれたので、その辺の遺恨はすっぱり水に流している。
強制的に呼びつけた当人の分際で、礼の言葉もなかった某尾張の大名。(あえて)明言するが、テメーはダメだ。
まあ、そんな傍若無人な大名の家臣の中で、立派に社会常識を理解している文化人松井様は、堺に来た際のオレとの雑談で茶の湯に興味があった事を覚えており、駿河に帰る前にぜひ一席設けたいと申し出てくれたのだ。
上司に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
そんなわけで、オレが帰る前に堺の著名人を集めた一席まで設けてもらった。日本最大の交易都市堺の著名人である。帰る日程を遅らせてでも出る価値のある一席に、お礼を申し上げている所だ。
礼儀って大事だな社会人。どっかの尾張の大名にきっちり教えておきたいね。
「茶を駿河で栽培するなど氏真様も茶の湯に興味がおありとか、是非太観殿の手で東海にも茶の湯を広めてください」
「ええ、昨今の世情から、今川家でも武辺に偏っていた者が多いですからな。駿府には、京から来られた方々もおられる。きっと、気にいる者も家中から出るでしょう」
実際に、駿河で茶が栽培されれば、入手が楽な茶を使用した趣味は爆発的に広まる事が予想できる。現代のようにインフラが整っていない以上、手軽に手に入る趣味というのは、それだけ流行しやすい事を意味するのだ。
ましてや、それが日本の中心である京都で流行しているなら、手をだしてみようという者は少なくないだろう。
まあ問題は、駿河で茶の栽培を推進している話をしたのは、京都の町衆である長谷川殿だけだったはずなんすけどね。
この辺も、茶の湯の新しい側面かねぇ。
「さて、こちらを…」
そう言って差し出すのは、一通の書状。
「これが織田様が公方様に提出した殿中御掟ですか」
そう言って手に取る。
実は、この松井有閑様は織田信長の右筆(書記)を勤め、公文書の作成にも携わる文官のエリートでもある。
そんな彼に見せてもらったのが、織田信長が将軍足利義昭に渡した殿中御掟とよばれる条文だ。幕府からは織田家による制限ではないかとの声も上がっており、今回足利将軍家の連枝である今川家の代理人として、それを見せてもらうよう松井様にお願いしていた。
で、実際中を見た感想。
殿中御掟の要約「何かする前に周りの人の意見を聞く。もしくは過去の事例を調べて返答しましょう」
新入社員の教育マニュアルみたいな内容だ。報連相がコンプリートされていたりするのが笑える。
「公方様は政務を得手としておりませんか」
「近年まで仏門におられた故、武門や宮中の慣例に疎い所があるようで…」
アメリカ帰りのボンボンが、会社を継いで経営システムをアメリカ式に転換しようとした所、株主から「ここは日本です」と掣肘を受けた。そんなところだろう。
ボンボンがどんなに感化されようと、お客様や取引相手は現代社会に生きている日本人である。「顧客のニーズ」といっても「アメリカ人の客のニーズ」と「日本人の客のニーズ」に差がある事を忘れているのである。まさに、表面しか理解していないと公言しているようなものだ。
殿中御掟の中には、門跡(皇族や公家で仏門に入った人)や僧侶などを勝手に宮中に入れない事とか、もろ僧侶時代の縁故に関する事っぽい条文もある。
そりゃあ、幕府はお寺のような参拝地ではなく行政機関である。関係ない人を呼び込めば注意も受けるだろう。
「公方(様は)これを?」
「織田家からの意見書として吟味いたしました」
「左様で…」
それで終わりという事は、この意見書に対して幕府は公的な声明は出していないという事だ。
まあ、織田信長自身に幕府を指図する権限がそもそもないのだ。なにせ、今川氏真は相伴衆という幕府の地位を持っているが、織田信長には幕府での地位がない。幕府の運営に意見を言う資格すらないのだ。
信長は県知事かもしれないが、衆議院議員でも参議院議員でもないのである。国会で総理にクイズを出す権限すらないわけだ。
ただ、問題はその幕府のスポンサーが織田家であるという事。しかしこれは同時に、織田家は幕府の権威を借りなければならない事も意味している。
大株主の意見ならば、取締役社長は意見を聞き入れるべきだろう。もっとも、会社本体の利益を考えた場合、株主と取締役社長の意識にずれがあるなら、その限りではない。
それは先の越前討伐でも見て取れる。あくまでも将軍家の要請を受けての軍事行動であり、織田家単体での越前討伐ではない。
現段階では、織田家も幕府もお互いを切り捨てられない。だからこその殿中御掟。忠告をしているわけだ。
はてさて、この場合の問題の元凶は公方様なのか信長なのか。
「では、これを持ち帰り氏真様にお見せいたしましょう」
「…公方様につかれますか?」
書状を懐にしまおうとすると、松井様のワンオクターブ低い声がかけられる。
笑みを浮かべつつ、松井様をみながら首を横に振る。
「まさか。織田家と事を構えてまで、幕府につく事はありません」
「しかし、今川家は清和源氏足利家の分家。筋は通りますまい」
「はて。先代公方様の折、今川家は動きましたかな?」
たしかに、松井様の懸念も正しい。少なくとも、甲斐武田家の問題が解決すれば今川家の敵は消える。その時、全力を出せる矛先を織田家に向けるというなら、足利将軍家の威光をかかげられる今川家は大義名分を得る事が出来る。
当然、脅威と映るだろう。
「もし、今川家が織田家と事を構えるなら、今川家は全力を差し向ける事が必須でしょう。しかし、果たしてそれが可能ですかな?」
「…」
「同盟を結びこそすれ、背後の北条家は油断のならぬ相手。さらに武田家とて、新たな領土を求める野心がないともいえない。そしてなにより、今川家の領土は桶狭間の時の半分程度。逆に、織田家の領土は何倍ですか?」
「三河徳川家がおりましょう」
「はい。織田家とも同盟を結んだ徳川家です。三国での盟約は公方様とは関係はありません。もし、今川家が織田家に刃を向けるなら、徳川家は織田家に味方するでしょう。今川家は自ら結んだ盟約に首を絞められるのです。そんな愚かな真似を氏真様がすると思いますか?」
松井様はオレの言葉に、大きく息を吐いて肩を落とす。
とりあえずは納得したのだろう。
もちろん、これは織田家に対してのみ使える言い訳ではない。
この言葉が、そのまま織田家に敵対できない理由として、公方様にも使えるのである。
これは、とても大事な事だ。
もっとも、織田家と幕府が対立した時に、織田家につくなんてオレは一言も言っていない。
もちろん、それを求められても現状で答えられるはずもなく、それ故に松井様もそんな事を聞けはしない。
「駿河の茶の話。当家としては、京や堺で求められる茶の好みを知りたいと思っております。できる事なら松井様にも四季折々ご意見を伺いたいのですがどうでしょう」
「…ぜひ、よしなに」
「今後ともよろしく」
これでとりあえず堺から京都までのルートとコネをつなぐ事は出来た。
後は駿河のから堺に通じる東海の海路に、季節の手紙をのせるだけだ。
一応、わざわざ京都まで来た用事はこなせたかな。




