117 戦国時代の梟雄
数日後、長谷川殿の茶会が行われる茶室に入ると、一人の壮年の武士がいた。
客は一人らしい。まずはご挨拶。
「太観月斎と申します」
「松永久秀と申します」
長谷川殿が茶頭(主催者)を務める茶会に出席したところ、大和地方の大名ご本人が同席する茶会となった。
この松永久秀は、戦国時代でも有名な悪役だ。
将軍足利義輝を抹殺した永禄の変の首謀者の一人であり、さらに三好家に仕えていた時にはライバルともいえる主君の一族が次々と不審死。
史実では、どこかの有名なお寺を燃やして灰にしたらしい。あの織田信長は対面した際に「三悪を成した男」と呼んだそうだ。
もしその場にいれば、某尾張の大名に「お前が言うな」と言ってやるべきだろう。ウツケ時代の罪状を並べて五十歩百歩の故事を話してやろうか。
話はそれたが、そんな戦国時代の梟雄代表の松永久秀である。
思っていたほど戦国武将という感じはしない。どちらかと言うと小柄だ。髪も白くなっており、定年前のサラリーマンを連想させる。たしか年齢は60歳位だったと思う。
戦国時代では立派な老人だ。
「一度お会いしたいと思っておりました。先の上洛の折、今川治部大輔様(氏真)ともお会いしたかったが、あいにく機会がなくてな」
「駿河はなかなかに難しい地でして、それ故の不調法をお許しください」
「なんのなんの。そんな駿河をよく治めておられる。すでに甲斐の武田は虫の息とか」
「なればこそ、窮鼠が虎では最後まで気が抜けません」
「はははは。怖い怖い」
そう言って笑う久秀。まあ分かっていた事だけど、絶対こいつタダモノじゃない。雰囲気が反骨心バリバリの時の武田信虎と同じだもん。
まあ、信虎のように己を誇示する威圧感はない。だが、問題はそれが全く安心できる要素でない点だ。
武田信虎を虎とするなら、松永久秀は狼だ。それも餓えた狼。餓狼だ。
「しかし、そんな虎にとどめを刺す時に、治部大輔様の隣に、太観殿がおられなくてもよいのかな?」
「拙僧に戦の心得はありません。甲斐の戦で役に立てる事などありはしません」
「しかし、畿内にはある…と」
そう言って、松永久秀は長谷川殿より差し出された茶碗を取って飲み干す。目を閉じて堪能する姿は、文字通り絵になっていた。飢えたオオカミが飢えを満たした瞬間のような安らぎの表情が窺える。
なるほど、長谷川殿のいっていた「茶の湯の安寧」というのは、こういうことを言うのか。確かに、そういう意味ではオレでは、茶の湯に安寧は得られないな。
無心に満足を得られるときというのは、貴重なのかもしれない。
久秀が飲み干した茶碗を長谷川殿に返してゆっくりと目を開く。すぐさま一枚の絵は欲に塗りつぶされた。あくまでも満たされるのは一瞬か。
視線が合うので笑みを作って答える。
「そのために、ここに呼んだのでしょう?」
「…ワシが、太観殿を?」
長谷川殿に呼ばれた茶会。しかし現れたのは松永久秀一人。
オレが長谷川殿に利益を提供して、紹介する相手が一人というのもおかしな話だ。しかも相手は城持ちの大名様だ。昨日今日で調整がつくような暇人ではない。
オレが長谷川様に茶の湯を学び始めた段階で連絡を取り、さらに数日の猶予を入れてようやく相手に出来る人だ。
ちらりと、長谷川殿に視線を向ける。だが向こうはそんな事を気にすることなく、オレに出す茶の用意をしている。
茶の湯に必要な道具は面の皮の厚さかもしれない。
「…」
「…」
しばらくお互い無言のまま見合う。
「信長が岐阜へと戻る。おそらく浅井に向けて軍を出すのだろう」
「左様で」
「ついこの間まで、女々しく浅井家に媚びを売っておったのにな」
そういって、可笑しそうにオレを見る。
「お前が来たのが6日前。信長が浅井を見限ったのもその辺だ」
「左様で」
飢えた狼が涎まで流し始めた。気が付けば「お前」呼ばわりである。まあ、こっちは無位無官。向こうは官位持ちの大名だからまあ、間違ってはいない。
「そして、三河に援軍を頼んだ」
「…」
それは初耳。というか、浅井家との対決も予想というだけで確証はなかったけどね。
徳川家による信濃侵攻は、武田家のような武力による侵略ではなく、あくまでも信濃の豪族を調略して、その援軍として信濃に軍を出しているだけだ。
そもそも、徳川家に信濃を侵略する大義名分がない。なので助けを求める信濃豪族に手を貸す形で紛争に介入するしかないのだ。
ようするに、現段階で徳川家は信濃に全力を差し向ける事が出来ないのが現状だ。ならば、同盟国の織田家に援軍を出す余裕もあるのだろう。
茶を点てた長谷川殿が茶碗を差し出してくるので、受け取って飲み干す。う~ん。やっぱり「お茶だな」という印象しかない。
松永久秀のように、堪能して浸る事はできそうもないな。
「馳走になりました」
「お見事です。体から余計な力が抜けておられる」
茶碗を返すと、うれしそうに長谷川殿が言葉を返してくれる。どうやら、まだレクチャーは続いていたようだ。見ると、久秀も口元に笑みを浮かべている。
なるほど、自然体である事が何よりも重要という事か。
もっとも、そんな事を知識で理解している段階で茶の湯を極める事は出来そうにない。
なら体裁など、気にするまでもあるまい。
「という事は、浅井家は朝倉家の援軍を待って対峙するというわけですな」
「で、あろうな」
「では、南近江に不穏な動きがある事は、松永様にお伝えすればよろしいので?」
オレの言葉に久秀の浮かべていた笑みが消えた。
今回の件が、織田家徳川家と浅井家朝倉家の対決なんて単純な話であろうはずがない。
もし、朝倉家の暗躍で、浅井家の暴走が行われたのなら、それだけで満足するような朝倉家ではない。
そうでなくとも、織田家の上洛により南近江から伊勢志摩にわたる豪族達は討伐されている。その残党を焚きつけるだけで、朝倉家は織田家の背後を脅かす事が出来るのだ。
オレが堀殿にいって一向宗を焚きつけるのと同じ策だ。
浅井家と、南近江の六角家は長年敵対してきた間柄だ。だが、朝倉家からの申し出なら、六角家は乗るかもしれない。六角家を滅ぼした織田家はまさに怨敵。敵の敵は味方というやつだ。
「そのような動きがあると?」
「…さて?どうでしょうか」
探るように聞いてくる久秀に、曖昧に笑って答える。
実際確証は全くない。そもそも、畿内で情報をあつめるツテなんてないからな。あくまでも、自分ならそうするという前提だ。
そして、織田家が近江で浅井家朝倉家と戦うなら、後顧の憂いに対処するのは誰か。
織田家家中で対処できればいいが、合戦を控えた織田家だけで対処しなければならない理由もない。友好国が手を貸す事で、織田家に恩を売る事もできる。
再度言うが、オレには畿内で情報を探る手段も、探るコネもないのだ。だが、京都近隣で長年勢力を維持してきた大名なら話は変わる。
ここで重要な点が二つ。
一つは、この情報を得た松永久秀は織田信長にどうするかというのを、オレは知る事が出来る。
さっき松永本人も言ったが、今川氏真との縁を持ちたいと思っている。だからこそ、その家臣であるオレと会うために、わざわざ京都まで出向いてきているのだ。
つまり、オレがこの情報を提供した事で、松永久秀は織田信長に何らかの行動を出来るわけである。
このまま何事もなく織田家に伝えて終わりなのか、自分が軍勢を率いて織田家を助ける為に戦うのか、そもそも織田家に伝える事すらしないのか。
大事なことは、その行動を今川家は見ているぞと伝える事。その上で松永久秀が今川氏真に縁を持ちたいというならば、それを評価しよう。
「…そうか」
そう言うと、それで話は終わりとでもいうように、久秀は黙る。
そのまま、特に大した話もなくお茶会は終了。
その日の夜、長谷川殿より、あの茶会の後松永久秀がその後の予定をすべて中止して大和に帰った事を伝える手紙が届いた。
さらにその数日後、京都より岐阜へと戻る織田信長に、南近江の六角家残党が蜂起。最短距離で岐阜へと戻る事が困難となり、甲賀方面から南の伊勢地方を経由して岐阜へと戻ったらしい。
そんな知らせを織田家の監視役兼護衛から聞きつつ苦笑する。
「梟雄か…」
さて、こんな縁でも縁は縁か。




