116 茶会
信長との京都での会談を終えると、オレは自由の身になった。
まあ、別に捕らわれの身というわけではなかったが、そもそも拘束される理由もなかったので、当たり前の身分になったともいえる。
まあ、護衛という名の監視が付く事になったのだが、他国の人間である以上その辺は仕方ない。
状況的に、織田家が北近江の浅井家と敵対した以上、琵琶湖に近い京都は前線と言っても過言ではないのだ。
そんなところに、一応同盟国に正規登用されている人間がいるのだ。下手に害されて同盟関係を悪化させるわけにはいかない。
そんなわけで、オレも公的な役割を実行するために、京都の町を歩き回る。
オレが京都に来た目的は、今回の織田家と浅井家の騒動を調べる為なのだが、情報収集に京都まで行ってきますと言って、どうぞどうぞと言えるほど、駿河と京都は近くない。
しかも、旅費から宿泊費から遊興…交際費まで主家である今川家持ち(領収書不要)である。
重要な役目だからである。遊びに行くわけではないのだぞ(公式的見解)。
オレは今川家から京都に行く仕事を与えられ、そのついでに京都近隣の状況を調べてくるという立場になっている。ついでの方が重要なのだが。
そんな、名目上の仕事が郵便配達だ。
以前、今川家の当主である今川氏真が上洛した後、駿河に帰る際に京都から駿河に下向した貴族がいる。疎開みたいなものだ。
当然、引っ越しが終われば家族に無事を伝えるのだが、戦国時代に郵便局はない。
この時代に文字の読み書きができる人間というのはそう多くないが、文化の継承者である貴族達は例外である。当たり前だが、歌とか連歌は文字の読み書きが必須である。
実際、駿河今川家では、下向した下級貴族に領内の村で文字の読み書きなどを教えるように推奨していて、その際は謝礼を出していたりする。
そんなわけで、今川家のアフターケアという名目で、家臣の一人であるオレが貴族の実家への手紙を届けに来たのである。
速攻、織田家に連行されたけどな。
他人の善意(名目)を何だと思っているんだ。真の目的からは、こちらも好都合だったが。
そんなわけで、京都の町を数日かけて歩き回り、手紙の配達を終えて、ようやく自由時間となったのである。
雅な世界に触れられたかって?
無理言うなよ。無位無官の一庶民のオレが、血統と格式でメシを食っている貴族様とまともに付き合えるわけないだろ。
まあ、もともとオレが手紙を届ける先は、自前で京都に手紙を送れない下級貴族ばかりなので、そもそも歓待どころか、むしられそうになる始末である。
そんなわけで、最低限のやり取りでさっさと終わらせたので、個人的な用事に取りかかるとしましょうか。
「馳走になりました」
そういって茶碗を置く。
ここは京都の有力町衆の一人である長谷川殿の持つ茶室である。京都に連行されたオレだったが、堺の町でオレを拘束した堺奉行の松井有閑様より、京都の茶人を紹介されたのだ。
流石に、到着即拘束した負い目もあったのだろう。
そんなわけで、京都の茶人 長谷川宗仁殿に茶の湯についてレクチャーしてもらった。
こうして、ついに茶の湯を学ぶ事が出来た。
といっても、分かった事は金がかかるということくらいだ。茶入れに茶碗に茶杓に釜。さらに茶室まであつらえるとなると安くはない。さらに、茶道具にこだわりだすと金と時間はいくらあっても足りなくなるだろう。
「一通りの所作は、それでよいかと存じます」
返した茶碗を軽く洗いながら、長谷川殿がそう告げる。3日連日のレクチャーでようやく合格をもらえたようだ。ちなみに、1日一回のぶっつけ本番学習である。
「後は、体の固さをなくすこと。これは、幾度か茶会をこなせば慣れましょう」
「たしかに、まだ頭で考えてしまいますからな」
氏真からの経験談と、今回の実地練習で分かった事は、ようするにお茶を飲みましょうという本分から外れていない。落ち着いて、失礼にならずにお茶を飲んで味わいましょうという主旨だ。
失礼にならないというのは、相手に不快に思わせないようにするという事。その為の所作と作法というわけである。
「しかし、太観殿にとって、茶の湯は心の安らぎにはなりませぬな」
「…ほう」
何気ない長谷川殿の言葉に軽く返して視線を向ける。
「作法を学ぶ姿勢を見れば察せます。覚えがよろしゅうございます。学ぶ姿勢もよろしい。ですが、茶の道への熱はありますまい」
「…確かに」
指摘されて納得するように口元に笑みを浮かべる。
茶の湯に傾倒するには貧乏性過ぎる。茶器や茶室がどうのこうの言っている段階で、問題外だ。
そこまでしてお茶が飲みたいかといわれたら、水でいいやと返しそうだ。
「織田様と同じでございますな」
「は?」
突然何を言い出すんだ?
眉間に皺が寄る。
「人との縁を繋ぐなら、茶の湯は理にかなっております。駿府に戻る前の松井殿との茶の湯が良き機会となりましょう」
確かに、尾張の田舎者が京都で人との縁を繋ぐなら、なにがしかの共通点がいる。
それも血筋や歴史に寄らない新しい文化概念であり、必要なものが資金力なら、成金大名にとってはちょうど良い文化への入門となるだろう。
要するに、趣味で共通の話題を持つなら、伝統と格式のある高尚な趣味より、金で買えるトレーディングカードの方が手を出しやすいという事だ。
後は、スポンサーになり大々的にメディアミックスすればブームが起こる。
この時代、茶の湯は文化人の必須スキルではなく、まだまだマイナーな趣味でしかなかった。逆に言えば、今から学んでおけば古参として大きな顔が出来る。
経済概念に基づく文化への接近と考えれば、伝統も格式も不要な新興文化の茶の湯はうってつけだ。
つまるところ、高尚である必要はない。
学ぶのがこれで終わり。というならば…
「氏真様も京都滞在の折、茶の湯に感銘を受けておられました。最近では、駿河の領内でも大々的に茶の生産を進めておられるようです」
「それはよろしゅうございますな。茶を安定して得られる事は、私たちにとって大切なことですから」
「左様ですな」
そう言うと、長谷川殿とオレは視線を合わせて同時に笑みを作る。
長谷川殿の言う通り、本当に人の縁を繋ぐ良い方法だ。
なぜかって?
長谷川宗仁殿は京都の町衆。つまり、商工業者の顔役である。茶の湯のレクチャーをするのは趣味の世界で、本業である商売があるのだ。
そしてオレは、その本業と趣味の両方に関係する商業的価値のある情報を伝えた。
後は、駿河の新茶を堺経由で京都に輸入する準備を始められるというわけである。
当たり前だが、この茶室には長谷川殿とオレしかない。この情報が他に漏れる事もない。
この貴重な情報をどう扱うかは長谷川殿の胸三寸。商売人として動いても、茶人として動いても、長谷川殿の利になるだろう。
そして、商売人である以上、商品を受け取れば代価を支払うわけだ。無形の物々交換は果たして、商取引としての退化か進化か。
どちらにしろ双方に利が出るなら問題はないだろう。
「太観殿は、まだ京都におられますか?」
「ええ。もうしばらくはいるつもりです」
「では、近々開く茶会に出席なさいませんか。なに、私の主催するもので、肩ひじ張ったものではありません」
「それはありがたい。ぜひ、お願いいたします」
ぶっちゃけ、予定なんてあってないようなものだ。
そして、わざわざ有益情報という利を提示したオレに対しての招待だ。長谷川殿からその情報のお礼として、縁を繋ぐに値する誰かを紹介しようという事である。
「先方にも話をしておきましょう。なに、作法に関して気にする必要はありません」
そう言って、長谷川殿は一人の名前を口にする。
その名前はオレも知っている有名人の名前だった。
笑顔で招待の礼をいいながら、心の中で少しやりすぎたかなと反省する。
瓢箪から駒と言うべきか、藪から蛇と言うべきか…




