115 会談の終わり
オレの話を聞き終えると、無言のまま織田信長は退出する。
…オレって客だよね。同盟国から来た賓客だよね。面会して何の言葉もなくホスト側が退出とか、お前社会人としてそれどうなんだよ。
お前は怒って帰ったけど、これってどう見てもオレが怒っていい状況だよな。
雅や風流を解した文化人織田信長なんて幻想だね。どう見ても、裸で馬の上で柿食ってるウツケだわ。
今回の件だって、オレには全く関係ない話じゃないか。善意の情報提供のつもりで話してやったのに、怒って出ていくとか、それを世間一般では八つ当たりって言うんだよ!!
そんな一般常識を飲み込み、代わりに一つ息を吐く。
相手がいないんじゃ仕方ない。とりあえず、堀殿と一緒に帰るとしよう。せめて今日くらいは豪華な部屋で一泊ゆっくり休んでいいはずだ。それくらいの働きはしたからな。
夕餉に一品甘味をつけてもらえるくらいの事はした。
そういう訳で、戻るべく振り返ると堀殿が泣いていた。
…え?
顔を伏せ、肩を震わせこぼれた涙が床に落ちている。
紅顔の美青年で、若くして責任者を任せられる文武両道のチート人間と思ったけど、たしかに改めて考えてみれば15歳の若者だ。エリートとはいえ現代ならまだ中学生か高校生程度の少年だ。
それが、他人のいる面前で上司の織田信長に怒られて物を投げられる。
順風満帆のエリート官僚が、公衆の面前で名指しで怒られるようなものだ。確かにそのショックは計り知れないだろう。
「大丈夫ですよ」
肩に手を置いて、微笑みかける。
堀殿はまだ若い。それに、失敗をしたわけではない。ちょっと世間知らずな回答を怒られただけだ。そもそも、信長の小姓からの抜擢者である。織田家の次世代の幹部候補生筆頭だ。一時の勘気をこうむったとしても罷免される可能性は極めて低い。
多少の事では、致命的なことにはならないだろう。実際、折れた扇子を投げられたけど、切腹しろとか謹慎しろとは言われていない。
「私は…私は…」
「わかっています。わかっています。大丈夫です」
言葉に詰まる堀殿を、落ち着かせるように背中をさする。
あれ?この状況って、まずくないか?夜の帳の落ちた暗い一室で、涙を流す若い男子と一人の坊主。何も起きないわけもなく…って、何も起きないからな!!
オレは聖職者だぞ。って、この時代は聖職者でもやばいのだが、オレは清潔(意訳)だ。
隣に座り、肩を組むように身を寄せて肩を優しくゆすって落ち着かせる。
こう見えても僧侶ですからね、相談に乗って心を安らかにするなんて、まさに本道にして本業だよね。
…そんな本業からあまりにも遠い自分の境遇に絶望しそうになるが、今必要なのは堀殿の心の安寧だと、努めて心を落ち着かせる。
マイナス思考のループにはまらないよう、話題を変えよう。
なにごとも、前を向かせるのが第一という事だ。
「今回の件は、堀殿が手を出すべき話ではありません。それだけの事。ですが、この先のことに関してはまた別です」
「この先?」
「浅井家が織田家と敵対するなら、浅井家のみで織田家に対抗することは不可能です。必ず朝倉家の支援を求めます」
オレの言葉を赤い目をしたまま聞く堀殿。
とりあえず思考を別方向に向けることには成功したようだ。
「ここで重要なのは、朝倉家は援軍であり、矢面に立つのは浅井家という事です。浅井家はまさに存亡をかけた戦いですが、朝倉家にとってはどうでしょうか?」
「朝倉家も、事の重大さは理解していると思います」
少し鼻をすすりながら、答える堀殿。よし、戻ってきたな。
「左様。浅井家が滅びれば次は朝倉家。しかし、それが分かっていても、浅井家の為に朝倉家も共に壊滅するような事はしないでしょう」
要するに、浅井家は負けたら終わりだが、朝倉家は越前に戻ってワンチャンスがあるのだ。たしかに、朝倉家単体で織田家を相手にするのはきついが、浅井家との戦いで疲弊していたり、あるいは浅井家残党を吸収し、地元越前で地の利を有効に使えるなら、対抗する事も可能かもしれない。
要するに、浅井家が負けたからといって、朝倉家もそれに殉じるわけではないのだ。
「そして、朝倉家には敵がいる」
「一向一揆ですね」
「左様。援軍とは他家に支援を行える余裕のある家が行う事。足元で一揆が騒いでいる状況で、朝倉家の全軍を浅井家の支援に出す事は出来ません。つまり、一向一揆の動きが朝倉家の支援の規模を左右するのです」
地元越前を守るために戦力を残せば、当然援軍に出す戦力は減る。国を守れるだけの兵力か、即時対応ができる精鋭と彼らを指揮する責任者を残して援軍を差し向けるといった手を打たざるを得ない。
全力で援軍に向かっていたら、自国を他勢力に占領されましたでは本末転倒だ。
「たとえば、援軍を出す時期に合わせるように、越前国内で一揆が発生する。規模は小さくとも、それに加賀一向宗が呼応する可能性があるなら、越前からうかつに動けなくなります。ましてや、浅井家の援軍に全力を差し向けようとはしないでしょう」
「規模が小さくとも?」
「ほんの100人ばかりが南無阿弥陀仏と唱えて徒党を組めば、それが一向一揆になります。一向宗は石山、越前、加賀とどれも一枚岩ではありません。越前の一向宗の寺を襲うことも、騒動の火種を起こそうとも、それが一向一揆であるなら、何ら不思議ではないのです」
「……」
「とはいえ、あまり欲を張りすぎないように。事の成否は関係ありません。必要なのは時期です。騒動の規模は今回の本分ではありません。そこは見誤らないように」
有望若手エリートの堀殿なら、自前の兵の100や200は持っているだろう。別に、自分の部下ではなく金で雇った傭兵でも構わない。騒動を起こすタイミングを計るだけで、成否は問題ではないからだ。
もちろん、そこで援軍に送る支援物資を狙ってみたり、防衛力の下がった町や村を襲うといった、より高い効果を狙って行動しても何の問題もない。
例え、失敗して捕らえられ織田家の策略だと発覚しても、やはり問題はないのだ。
「それと、あとで使いの者を用意していただけませんか?」
「使いといいますと、駿河ですか?」
「いいえ。北近江の小谷です」
「!月斎様」
「先ほどの話、織田家から伝えれば、まことにもって恥知らず。とても褒められた内容ではありません。しかし、他家の者が自主的に知らせるならば支障はありますまい。苦肉の策としてこのような方法がありますと伝えるだけ。説得とは違い、手間もさほど必要ありません。浅井家とは関係ない他家からの話。握りつぶすもよし、動くもよし、それは浅井家の都合です」
とはいえ、浅井長政の性格から実現はしないだろう。
だが、浅井長政を守りたい浅井家織田派の家臣経由で、父親の浅井久政が状況を察して行動する可能性もある。成功したら御の字程度の確率だ。
万が一に成功しても、父親を失った長政の恨みは無関係の今川家 (というかオレ)に向くだけ、元々離れた他国の人間だ。大した問題にはならないだろう。
もっとも、期待できる話ではない。久政にそこまでの行動力があれば、そもそも野良田の戦いで家督を譲ることはなかったはずだ。
そして、事を知れば浅井長政は父の行動を止めようとするだろう。
つまるところ、浅井長政と浅井久政の滅びは近い。
当人達の心情と、性格と、行動力のすべてが不十分なのだ。優しすぎるのは罪だよ。ましてや、汚れ役がいないとなおさらだ。




