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112 浅井家中の情勢

あいにく、京都という蟲毒の壺のごとき乱世の中枢では、チンケな護符に大した意味はないらしい。

氏真の言った通り、宝剣の方がまだましだったかもしれない。まあ、どちらにしろ役に立たなかったことは間違いなかった。

つまり、手ぐすね引いて待っていたのだ。


京都に行くのに三河尾張を通らず海路で伊勢志摩を回り、近畿地方の一大商業都市である堺に入ったのだが、港に降りて一休みしたところで捕まった。

今川家御用商人の友野屋経由で、堺の貸倉庫業の商人に茶の湯の手ほどきをしてもらう予定だったんだけどなぁ。

そういえば、織田信長が上洛した際、将軍足利義昭から褒美を聞かれ、副将軍も管領の位も断って、手に入れたのが堺の町だった気がする。

京都まで行かなきゃ大丈夫かなと思ったけど、堺の段階で立派に鬼ヶ島入口でした。

旅籠で一泊していたら、青い顔をした宿の主人と、堺政所(奉行所みたいなところ)の使いという人が現れ、慌ただしく連行…じゃなくて出立。

そのまま、政所で責任者の松井有閑まついゆうかん様と対面。氏真から貰った紹介状が功を奏したが、京都が目的と分かると、堺の町での余暇の予定を華麗にスキップされて、京都に送り出された。

午前中には冗談交じりで「最近流行りの茶の湯を学んでみようと」とか言ってたら有閑様から「ならば教えて進ぜよう」と和気あいあいとなったのに、その日の午後には堺を出立する羽目になった。もちろん茶会の時間などなかった。

一応「帰りの際に是非」とは言われたけど、帰りにそんな時間があるかも不明である。行きの段階でこの有様だと望みは薄いだろうなぁ…


そして、連れてこられたのは、あの有名な「本能寺」。

やべぇよ。やべぇよ。燃やされちゃうよ。

しかも、本能寺って法華宗だよ。宗派までちがうよ。他宗派の寺で死ぬとかいやだね。こんな他宗派の寺にいられるか、オレは一人で堺に帰るぞ…だめですか?だめですね。

もっともこの時代、お寺はお参りをする場所だけではなく、防衛施設を兼任しているものも多い。まあ、公的な理由としては民衆を戦火から守る避難場所となっているからだ。

あとは、民衆は人間である事を過大解釈し、権力者も仏の前では同じ人間であると仮定すると、あら不思議。人災の原因である権力者が避難場所を我が物顔で占拠する事になるのである。

ようするに、本能寺は織田信長が焼き討ちから逃げ込んだ場所ではなく、普段から京都近辺で寝泊まりしている拠点だったという話だ。


そんな疑惑の本能寺に入ると、一人の男が出迎えてくれる。

現れたのは、堀秀政ほりひでまさ殿。美青年がまぶしい微笑みを浮かべている。アイドルのファンなんかが騒ぎそうな笑みだ。

まあ、面識があるのでそんな気は欠片も持たないけどな。

彼は、かつて尾張に連行されたときにお世話をしてくれた、織田信長の小姓の菊千代君だ。

あの後、元服して堀久太郎秀政として織田家に仕え、バリバリと頭角を現している。

なにせ、以前にオレが三国同盟を打診するために京都に来た際には、将軍足利義昭の住む城である二条城を作る奉行(責任者)をしていたほどだ。ちなみに当時15歳。

これが天才。エリート中のエリートという奴か。

まあ、尾張でお世話になった縁があるので、同盟締結後に何度も手紙のやり取りをしている。

大事な織田家の情報源だ。


「いきなりの来訪で申し訳ない。お手数をおかけします」

「いいえ、お待ちしておりました」


京都に行くって、誰にも言っていなかったんですけどねぇ…


「月斎様の歓待をするよう言われておりますので、遠慮なく何なりと」

「これはこれは、とはいえお手を煩わせるほどのことでは…」

「殿より、月斎様が来たのは、(さき)の織田家の敗戦についてであろうと伺っております」


大事な事なのでもう一度言いますが、京都に行くって、連絡していなかったんですけどね。


「北条家と徳川家が連携して甲斐の武田を攻めている状勢で、今回の織田家と浅井家の騒動を不審に思われたからかと」

「…」


どうやら、お見通しのようだ。まあ、それならそれで開き直って、全部教えてもらえばいいか。

少なくとも、信長が堀殿をつけたという事は、今川家に隠すような事態ではないという事だ。相手の配慮を利用することにしよう。




そういうわけで、堀殿から話を聞く。

結論から言うと、浅井長政本人は別に織田信長を裏切ったわけではなかった。

織田家進軍の理由もきちんと知っていたし、朝倉討伐に関しても積極的に支持はしないが、邪魔もしない。そういう事になっていたらしい。

だからこそ、信長自身も浅井家の裏切りをぎりぎりまで信じようとはしなかった。

それが、なぜこうなったかといえば要するに家臣の暴走である。

浅井家と朝倉家との関係は深い。当然、浅井家の家臣の中には、朝倉家に好意的な者たちがいる。

そして元々、朝倉家と織田家の仲が良くなかった。

これは、当事者間というより、過去の因縁にまで遡る。

朝倉家は主家である斯波氏を追放した家であり、織田家も斯波氏を追放して成り上がった戦国大名だ。要するに、織田家と朝倉家は斯波氏という名家の家臣時代からのライバルで意識せざるを得ない関係なのである。しかも、現在の当主である織田信長は織田家の本家ではなく、その分家である。

一流企業『斯波』で出世を競っていた越前支社長の朝倉さんと尾張支社長の織田さん。バブル崩壊(永禄の変)の混乱を収めて本社どころかグループ本体を牛耳ったのが、尾張支社の織田さん…ですらなく、ベンチャー企業でブームに乗って成り上がって尾張支社を乗っ取った、子会社(分家)の放蕩息子の織田信長だった。

いくら足利グループ(幕府)を抑えたからといって、朝倉さんだって頭を下げたくないだろう。

とはいえ、バブル崩壊の時に何もしなかった朝倉さんと、全力で支援した織田信長とに差ができるのは当然のこと。昔はやんちゃしていたが、今は立派な社会人で代表取締役だ。そんなわがままを言う朝倉家のほうが現在進行形で我侭役員で社会人(武家)失格だといえる。

まあ、そんな両家が仲良く出来ようはずがないのだ。


そして、その考えは朝倉家に親しい浅井家の家臣達にも言える。

同盟締結時はまだよかった。当初は、あくまでも浅井家は六角家に集中出来るように、織田家は美濃一色家に集中できるようにするための外交戦略の一環だった。

両者の関係は対等だったし、同盟締結に関しては両者は友好的というより利害の一致でしかなかった。

この時点では、浅井家朝倉派の家臣達は我慢できたし、朝倉家も目くじらを立てることはなかった。

しかし、織田家が上洛を成功させ勢力を急速に拡大させた結果、両者の力関係は大きく織田家に傾いた。

そして、織田家による越前侵攻。

彼らにすれば、織田家が朝倉家を討伐するという事は、自分達の浅井家家中での後ろ盾を失うことを意味する。浅井家の成り立ちは、朝倉家の支援を受けて大名となっている。つまりは、浅井家朝倉派は浅井家を黎明期から支えた古参の家臣だ。

もちろん、浅井家から放逐されることはないだろう。だが、新興派閥である浅井家織田派との関係は確定する。もちろん、朝倉家が滅びている以上、挽回の可能性はない。

ましてや、このまま織田家とつながっていれば、浅井家の行く末は織田家に臣従する可能性が高い。当主の浅井長政は織田信長の義理の弟だ。織田派閥の家臣も問題ないだろう。では寄る辺のない浅井家の朝倉派閥はどうなる。

それ以外がないがゆえに、それを失う事を極度に恐れる。


彼らが勝手に動いたのか、あるいは、それを見越した朝倉家が彼らを唆かしたのかはわからない。ただどちらにしろ、このタイミングでの独断専行は、否応なく浅井家を朝倉家側に引き込むことができる。

もちろん、浅井長政が独断専行の家臣を切り捨てれば、その目論見も潰えるだろう。

しかし、だからこそ浅井長政は家臣を切り捨てられない。家臣が大事だという理由からではない。自分が家臣を統制できなかったという理由からだ。

家臣を統制できていないという事は、大名としての力量が足りていないと認めるようなものだ。

さらに、浅井家朝倉派の人間は、浅井家を独立させた立役者だ。浅井家の古参の家臣達として浅井家を支えてきた。彼らを切り捨てる事は、浅井家の運営に大きく影響する。

さらにまずいことに、そうやって家臣を切り捨てて衰退した家がある。

浅井家と長年争ってきた南近江の六角家。当主が個人的感情から長年仕えた古参の重臣を粛正し、他の家臣達からも見捨てられたのだ。

そんな六角家の失敗に付け込んで、勢力を拡大させたのが浅井長政本人だ。同じ間違いを選べるはずもない。

結果、浅井長政は、家臣の行動が浅井家の意思だったとして織田家に敵対するしかないのだ。

隣国に介入され、家臣に勝手な行動をとられた間抜けな支配者ではなく、独立独歩の支配者である戦国大名の浅井家当主であると示し続けるしかないのである。


何を隠そう、近年似たような事をして成功させた勢力がいる。

駿河今川家。というかオレだ。

当時、松平家が三河を統一した後、オレは三河一向一揆に参加していた松平家の家臣達の不安を利用して暴走させ、当主松平元康の思惑を無視した形で遠江へ侵攻させた。

その結果、今回の浅井長政と同じように、三河大名松平家として遠江侵攻となった。あそこで、侵攻した家臣達の独断専行だと断罪し、今川家と手を取り合っていたら、松平元康は多くの三河豪族から見放されただろう。当時三河を統一したばかりで不安定な国内であれば、そのような選択を出来ようはずもない。

こうして、徳川家が手を組める相手は武田家のみとなり、その武田家に裏切られ今川家の手を取る事になった。

だからこそ、あの時に松平元康は部下の暴走の危険性を理解し、豪族ありきの松平家ではなく、大名ありきの徳川家になったのだ。

そして、今回同じ苦悩を浅井長政は受ける事になる。


「…月斎様」

「手はないではないが、やる価値はありません。いや、害悪しかない」


一通り話を聞いたオレの表情を読んで堀殿が声をかける。だが、オレの表情は晴れない。

そういう意味では、浅井家の行く末は暗い。オレの時とは違い、織田家側にフォロー予定がないのである。浅井家は朝倉家の手をつかむしかなく、その手を離すことができなくなってしまった。こうなると打つ手は限られる。

そして、その限られた手というのは、いつも非情非道なものなのだ。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] >浅井家は朝倉家の手をつかむしかなく、その手を離すことができなくなってしまった。 ……なるほど、織田家・朝倉家・浅井家の間の難しい関係は、主人公の前世での史実とほぼ同じで、 今世でも…
[良い点] >害悪 なんだ、お坊さんが打つための策じゃないですか。 きてよかった!というか、待ってたようですよw 遅いとか言われそうな理不尽な未来の幻覚が 自分の威信をゴミ箱に投擲しつづけるような選…
[良い点] ここら辺が守護大名今川家と北近江の守護を追い出して成り上がった国人領主上がりの浅井家の違いだよな 長政が生き残ろうとしたら、大名を棄てて信長の義弟として織田家に付く以外無いんじゃないかな…
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