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108/155

108 受け継ぐ者

ブックマーク11,000件突破

読んでくださる読者の皆様に感謝いたします。

三河での連絡を終え、駿河に帰り駿府の今川館へ。

今川家に仕官したての頃のオレは、学友でもある今川家家臣庵原家の館に居候をしていた。当時は縁故採用された出生不詳の不審者同然で信用がなかった為、庵原家が保証人になる形で、今川家に出仕していたのだ。

しかし、太観月斎と改名し外交官としての名声を得たため、いつまでも居候という立場ではいられなくなった。

この時代、家を持って一人前という感覚が全盛期である。

一応僧職でもある身なので、師匠の太原雪斎のように手ごろな寺の住職に収まるのがよいのだが、師のように寺を建立して聖職者として名を上げたわけではなく、そもそも本山や名刹などで正規の教育を受けた経歴もないので、格式ある寺の住職になれるわけがない。

現代でも、エリート官僚などの世界に東大卒や京大卒のような出身校の派閥があるように、この時代にも似たような区分けがあるのだ。名前が売れたからと言って、地方教育機関(臨済寺)出身者に自分たちの利益を好んで分け与えるような事はしないのだ。今川家の圧力でもあれば別だろうが。

そこまですることもなく、オレは今川館に一室をもらって、そこで暮らしている。

職場が自宅である。365日24時間即時対応可能という事だ。嫌な予感しかしない。



三河から帰ったばかりだが、しなければならない事がある。

旅の垢を落とし、一休みしてからやや暗い雰囲気の今川館を出る。

活気がない理由は分かっている。それ故に急いで戻って来たのだ。

元亀元年十一月。寿桂尼死去。

夫、子二人、孫と四代にわたって今川家を支えていた女傑も大往生となった。

臨終には立ち会えなかったが、そもそも無位無官のオレが同席できるわけもなく、駿府にいたからと言って何かが出来たわけでもない。

実際、小田原城で北条家と交渉した際に、紹介状が今川家当主の正室早川殿であった事からも分かるように、あの時点ですでに床に臥し、介助を必要としていた。

齢70歳を超えており、誰もが覚悟はしていたのである。

すでに葬儀は終わり、夫である今川氏親の眠る曹洞宗『増善寺』に収められた。

一応オレは今川家家臣なので、別宗派ではあるが特に邪険にされることもなく、寺の住職に少しよそよそしい挨拶をしてから手を合わせる。

特にそれ以上会話もなく帰宅すると、今川館の侍女から呼び出しの連絡を受ける。

呼ばれた先は、『今川館』奥の院。つまり、今川家当主今川氏真正室早川殿だ。


「この度は、お悔やみ申し上げます」

「ご丁寧に」


さすがに、いつもの元気はない。まあ、すでに三児の母であり、年齢も三…いや。なんでもない。少なくともオレ、氏真、早川殿は“おおよそ”同年代であり、その中でも彼女が一番の年上である。


「葬儀に出席できず不調法いたしました」

「お役目ゆえの事です。…徳川様はお変わりなく?」

「はい。瀬名の方様とも仲睦まじく」


オレの言葉に、少し口元をほころばせる。

なにげに、早川殿は三河に行った瀬名の方様を気にかけていた。なにせ瀬名の方様も同年代で(ちなみに徳川元康はオレ達より年下だ)、早川殿が今川家に嫁入りした数年後に、瀬名の方様が徳川家(当時松平家)に嫁入りしている。

婚姻後も駿府にいた瀬名の方様が、今川家の正室と近しいのも不思議ではない。


「月斎様のおかげですね」

「さて、どうでしょう。徳川様が不器用で頑固すぎただけの気もしますがね」

「瀬名の方も、敵地に乗り込む気丈な気質です。お似合いですよ」

「左様で」


正直、地獄に落ちろと何度願ったことか。


「寿桂尼様も、安堵なさっておりました」

「左様で」

「それも、月斎様のおかげです。今川家の安泰を見ての穏やかなお顔でしたから」


早川殿の言葉に、軽く苦笑する。

確かに、桶狭間直後の状況であったなら、死んでも死にきれなかっただろう。

事実、寿桂尼様の北条家への根回しのおかげで、最後まで北条家は今川家と敵対することはなかった。武田家と組めば駿河の東半分くらいはとれたであろう状況だったのだが、それでも北条家は今川家に味方した。

その最大の理由は、寿桂尼様による今川家の北条派閥の取りまとめと、北条家への取りなしに他ならない。

実際、武田家と事を構えると決めたときから、北条家への対応からは手を引き寿桂尼様に丸投げしていた。もし、彼女がいなければオレの手間は倍以上になり成功率は格段に下がっていただろう。


「あれを」


そういって目くばせをすると、早川殿付きの侍女が棚から小さな箱を取り出して持ってくる。

オレの前において蓋を開けると、中には一組の数珠が置かれていた。

現代でもそうだが、数珠というのは各宗派によって様式が異なる。ましてや、一応オレは禅宗の寺に籍を置く僧職の身だから重要だ。

その数珠は禅宗派の僧が持つ本格的なもの。それも、職人に注文して(あつら)えた品だ。しかも親珠(一番大きな珠)が珊瑚でできている逸品だ。


「寿桂尼様からの形見分けです」


分かっていると思うが、オレは寿桂尼様とは血縁もない他人である。当然、分けてもらう遺産があるわけもなく、そういう意味で、この数珠はオレの為に誂えてくれたものと見て取れる。

寿桂尼様が眠るのは曹洞宗の寺だ。臨済宗の数珠を作らせる理由は他にない。


「ありがたく頂戴いたします」


手に取って数珠を手に滑らせる。今まで持っていた安物の出来損ないとは、それこそモノが違う。


「月斎様にとって……」


数珠を指で(はじ)いて感触を確かめていると、早川殿が聞いてくる。


「月斎様にとって、寿桂尼様とはどのような方でしたか?」

「そうですね……」


指を止めて目を伏せて思い出す。

今川家に仕えるようになって、最初に挨拶に出向いた相手が寿桂尼様だった。氏真から、家中を一手に取り仕切る大御所と聞いていたので、まずはご挨拶と伺っただけだ。

初対面で、あの対応とか正直どうかと思う。

つまるところ…


「お世話好きのおばあちゃんという所ですか」

「……」


オレの言葉に、目を丸くしてこちらを見る早川殿。

結構見ものである。


「フ、フフフ。ホホホホホホ」


そして、口元を(たもと)で抑えながら笑いだす。

別に笑わせたかったわけではない。初対面での対応はともかく、寿桂尼様がしてくれたことを考えれば、納得できるだろう。

当時駿府にいた武田信虎を紹介したのは寿桂尼様だったし、そのあと今川家家中の武田派閥が壊滅した際のフォローをしてもらった。甲斐武田家と事を構える時、北条家を抑えてくれたのも寿佳尼様だ。

当時無名のオレが、今川家家中を気にせず、尾三駿三国同盟を結ばせる事ができたのは、それが今川氏真の意向であった事もあるが、それ以外にも家中の統制を取っていた寿桂尼様の力によるところが大きい。

要するに、稀に会うとポケットにお菓子を詰め込んでくる田舎のおばあちゃんみたいな感じだ。

まあ、確かに孫である今川氏真の友人という立場なら、そうなるだろう。礼儀にはうるさいが、家にお邪魔して居ると次々と食べ物が出てくる、田舎にいる世話好きのおばあちゃんである。

異論は認めない。


最近、気が滅入っていたせいかわからないが、気が済むまで笑う事にしたのか早川殿はしばらく笑い続け、最後に大きく深呼吸をして息を整える。


「初めてお会いした時も、こんな感じでしたね」

「でしたな」


思い出に浸るように、お互い笑みを浮かべて沈黙する。

それを破ったのは、早川殿だ。


「年明けには、北条本家の縁者が武田昭信様に嫁ぐことになります。その準備はこちらで行います。その後のことは殿方にお任せします」


背筋を伸ばし、毅然とした態度でそう言う早川殿。

その意味は理解している。そもそもオレは早川殿の紹介で小田原北条家へと赴き、武田家との婚姻と三国同盟の継続継承を結んできた。

つまりは、この祭事は寿桂尼様から早川殿に、対北条家の窓口が移譲されたと伝える意味も含まれている。その公的な発表が、早川殿の差配によって駿河で行われる武田家と北条家との大々的な婚姻だ。

今川家のみならず、新しい武田家と北条家へのお披露目としてこれ以上の場はないだろう。当然、北条家とのやり取りをしたオレはその尖兵だ。彼女との意思疎通は必要不可欠である。


「委細、承知いたしました」


そういって頭を下げる。

つまりは、準備が整うということ。

北条家と武田家の婚姻が終わるという事は、甲斐への侵攻が始まることを意味しているのだ。

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[良い点] 〉まあ、すでに三児の母であり、年齢も三…いや。なんでもない。  いやはや、さてもさても………… ときのたつるは はやかわの はなもはじらう わかつまも うれたししおき においたつ …
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] お婆ちゃんが「飴チャンおたべ」と持たせてくれた飴玉は 口に余る程の大きさだったけれど、それが無ければ 晩ご飯までにはお腹が空いて泣く目にあっていたかもしれない…
[気になる点] 寿桂尼の実家北条家だったっけ?
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