107 今川家の養女
岡崎城で徳川元康との会談を終え、とりあえず三河に来た目的を果たしたオレは、奥の部屋で一人の女性と会談する。
瀬名の方様。
徳川元康の正室にして、徳川元信の母親だ。
かつて徳川家が今川家と敵対するにあたり、今川家の養女であった彼女の立場もあり徳川家居城の岡崎城には住めず、近くの築山に館を構えて住んでいた。
しかしこの度、今川家との同盟締結により岡崎城に居を移す事が出来たのである。
それまでは住んでいた場所から三河では『築山殿』と呼ばれていたそうだが、今は元の名前である『瀬名の方』と呼ぶようになっているらしい。
まあ、この時代の女性は生まれや住んでいる場所で呼ばれる事もあるようで、要するに築山殿というのは「(三河の)築山に住んでいる姫」。瀬名の方は「(駿河の)瀬名の姫」という事らしい。
要するに徳川側の人間か今川側の人間かという事だ。
中には、お互いを出会った当初の名前で呼び合い親密な関係を維持するケースも見受けられる。新婚ラブラブという奴だ。ちなみに、三河に来てからも前の名前で呼んでいたのが夫の徳川元康らしい。
仲睦ましいようでよかったな。地獄に落ちろ。
そのころから、瀬名の方様とは良い意味で面識があった。
そもそも、徳川家(当時松平家)と険悪になった際、彼女が人質交換で三河に行く算段をつけたのが今川家に仕えたオレの初仕事だ。
それ以来、彼女との縁は切れていない。
「遠路はるばるよう来られました」
「なに、これもお役目故の事にございます」
ねぎらう瀬名の方様に、オレも笑顔で返す。
そして、懐から手紙を出すとそっと差し出す。
当たり前だが、恋文とかではない。今川家に養女となった瀬名の方様の実家である関口家からの手紙を携えてきたのだ。
「いつも、ありがとうございます」
「いえ、大した労力ではありません」
過去に何度か三河に来た際も、オレは何度か関口家からの手紙を瀬名の方様に届けたし、逆に関口家への返事も受け取ってきた。
まあ、この段階からオレは三河徳川家との外交窓口になることが確定していたのだ。そのために人質交換で三河に帰った人間に、駿府からの手紙をやり取りして縁をつないでいた。
外交窓口になる以上、こういった地道な努力もしていたのである。
もちろん当時は、徳川家は敵対国であるために直接渡すことはできず、手紙は徳川家家臣の石川数正を経由したり、返事を受け取った際も一旦今川氏真に中を検めてもらってから渡していた。
しかし今回からは、両国の関係改善により直接渡せるようになったのだ。
今後も今川家と友好関係を続けるなら、養女とはいえ形式上は今川氏真の妹である彼女の存在は大きくなる。徳川家中の今川派にとって有力な後見人の一人となるだろう。
それを徳川家も理解したうえで、呼び名を瀬名の方に変えたのだ。つまり、今川家の人間という形である。
…マッチポンプとかいわないで。努力の結果という事にしよう。日本語は、容赦ない言葉の本質を優しくオブラートに包んでくれる素晴らしい言語である。
「元信様の件に関しては、どうかお許しください」
「いいえ。これも武門の習わし。元信に関しては徳川家の嫡男として必要なことと存じます。月斎様も気になさらず」
そんな重要人物の大事な長男を7歳で元服させて隣国との前線に送ったことを詫びるが、実母からやんわりと返される。徳川家と今川家の今後の関係を考えると、必要なことだと理解してもらえているようだ。
とはいえ、だからと言ってはいそうですかと受け入れるだけでは芸がない。
「徳川元康様ともお話は進んでおりますが、近いうちに当家の関口様が遠江の浜松城へ出向くことになります。その際、時機を見て瀬名の方様も浜松城でお会いになられますようとりはからいます」
「…いえ、月斎様。わたくしはすでに徳川家の人間です。関口家との縁こそあれ、その縁を優先させるわけにはいきません」
「なればこそ、徳川元康様に許しを得たのです。今後徳川家と今川家は手を取り合う仲になります。徳川家にとっても、今川家の重臣である関口家との縁は重要なのです。残念なことに、徳川家家中の今川家に対する印象はあまり良くありませんが」
オレの言葉に、瀬名の方様が苦笑を浮かべる。
ついこの間まで徳川家と今川家は敵対して争っていた。同盟関係になったとはいえ、両家の関係が改善したとは言い難い状況だ。さらに徳川家は、遠江の徳川領に今川家に縁のある家臣を集めた。つまりは、三河に残るのは駿河今川家に歩み寄るのが難しい人材という事になる。
そう言う意味では、岡崎城に入れたとはいえ瀬名の方様の立場というのは、実はあまり良くなっていない。
実家に入れてもらえなくて別宅で旦那の帰りを待つだけだった嫁が、実家に迎えられたものの、意地悪な姑が同居しているという状況のようなものだ。
家庭板的なスキャンダルは勘弁してほしい。
そんな状況へのストレス解消に、公務的な意味合いで自分の実家の人や出張している息子に会いに行けるよう都合をつけるのは、当然のリスク管理である。
「これも、大名家の御正室の役目と思ってはいただけませんか」
「それは、再び今川家との関係が悪化する事になれば、わたくしのみならず遠江の元信の将来にもかかわる事。それを避けるために…ですか?」
リスク管理とは、つまりそういう事だ。
うん。正直、侮っていなかったわけではない。
名門今川家譜代の関口家の娘で、今川本家の養女となる程の資質を持つ女性だ。当然、英才教育を受けている事は疑いようもない。ましてや今川義元の構想では、三河をまとめる松平家の正室になるための教育だ。
だからこそ、思考の泥沼にはまらないように前を向かせたりもしたが、大名の正室として覚悟を決めたら、ここまで変わるとかうれしい誤算でもある。
なにげに、氏真経由で来た浮気相談の手紙とかで片鱗はいくつかあったんだけどね。
実際、外交に関して徳川家家臣では微妙な現状、名門今川家の血筋であるという彼女の肩書と、今川本家に繋がるその実家関口家の縁戚は、徳川家に足りない諸外国との外交の後ろ盾として十分な素養となる。
「左様。そうならないよう、拙僧も全力を尽くす所存にございます」
「月斎様がそこまで言われるなら、仕方ありませんね。しかし、時期は見るように」
言葉尻から瀬名の方様の了承を得たものの、どうやら遠江での実父母との会談の段取りもオレがすることになるらしい。やっぱりこの人、癒し系に見えて結構抜け目がないぞ。
「いっそ、浜松で子を産んでみようかしら」
「…ご懐妊で?」
突然の爆弾発言に、一瞬言葉が詰まる。徳川元康との話でも石川数正との話でも、そんな話題は欠片も出てきていない。
口元をほころばせながら、一本指を口に当てる。
「まだ母としての勘しかありません。なので元康様にも伝えてはおりません。しかし、わたくしが元信のいる浜松城で子を産む事は、徳川家において意味のある事ではありませんか?」
先ほども言ったが、遠江の徳川家は今川家との緩衝地帯だ。そこで、正室瀬名の方が出産のために長期滞在をする。当然生まれる子供は徳川家当主と今川家養女の子供である。
そして将来、浜松城主徳川元信が徳川家を継いだとして、遠江の徳川領土を治めるのは誰になるか。遠江の重要性を考えれば親族になる可能性が高い。
その際、遠江で生まれ、産後の状況から安定するまで遠江に滞在しているという実績。
ましてや、両家が敵対していた時期の人間ではなく、同盟国となってから生まれた子である以上、両家の確執による影響が薄くなる。
「御見それいたしました」
何も言う事はないといわんばかりに頭を下げて降参する。男には絶対に勝てない手段を取られたら、当然勝てるわけがないのだ。
女は怖い。いや、母は強しか。
とりあえず、タケピー(徳川元康のあだ名)。
尻に敷かれつつ、地獄に落ちろ。




