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105 上ノ郷鵜殿家

浜松を出て三河の国へ入る。

徳川家の本拠地岡崎に行く途中で、宝飯郡の上ノ郷に入る。

理由は一つ。ここに知り合いがいるのだ。

鵜殿氏長。

遠江の今川領にある秋葉城の城主である。

なぜ、今川家の家臣である氏長が徳川領の三河にいるのかというと、そもそも鵜殿家は三河の豪族だったが、徳川元康(当時松平元康)が今川家から独立した際に、今川方として敵対したが攻められ敗北した。

その時、捕虜となった氏長は人質交換で駿府今川家に移る事になり、そこで養育され元服して武将となった。

その後、尾三駿三国同盟締結に伴い、上ノ郷の一部を返還する事を条件に徳川家に仕える事になったのだ。とはいえ、鵜殿家が今川の一門衆である事は変わらないので、鵜殿氏長は今川家と徳川家双方に仕える武将という形になる。

公的には、敵対した鵜殿家にかつての領地を返還して和解をするというもので、両家の関係改善努力の一環だ。

今川家からすれば徳川家に内部勢力を作る事になったわけである。とはいえ、後継者の徳川元信が国境線である浜松に送られたように、今川家の一族である鵜殿家当主を人質として手元に置いたという見方もできる。



事前に連絡していた為か、到着すると当主の鵜殿氏長が出迎えてくれた。


「し、月斎様。ようこそおいでくださいました」

「息災か」

「はい」


彼が住む上ノ郷館は、豪族時代の鵜殿家の居城であった上ノ郷城があった高台の麓に作られた館だ。流石に、かつて敵対した一族ゆえ城持ちというわけにはいかず、上ノ郷城を解体して代わりに居館を建ててそこに住んでいた。

氏長の後ろには、赤ん坊を抱いた正室の直姫もおり、今川家からの客人である自分を厚く持て成している。


「子は男の子であったな。直姫もよくやりましたな」


武家にとって後継者は重要な要素だ。男子の出産の有無は家の存続にかかわる重要事項。男尊女卑の戦国時代において、女性のもっとも重要な仕事の一つだ。

オレの言葉に、抱いた赤ん坊を笑顔であやして見せる直姫様。


「名は承十郎であったか」

「はい。月斎様の元の名を一字いただきました」

「そうであったな。さて、外の寒さは赤子の体に悪い。中に入ろう」


一応、オレの元の名である「承豊」から字を得てよいか問われたので、了承したが正直少し恥ずかしい。まあ、幼名だからね。元服すれば改名するし。

正直、結婚もしていないのに、孫を見せられたような複雑な印象である。

駿府での幼少期に居候先の家で家庭教師をしたり、今の妻である直姫の実家の井伊家との縁を繋いだのがオレであるため、オレと鵜殿家との関係は良好である。

おかげでこうやって歓待してくれるので、それを受ける。


そして、ささやかな歓待の後。夜に私室で二人きりになると、かつての敵地に一人乗り込んだ弟子に確認する。


「仔細はどうだ?」

「まずは近隣の不相家と柏原家と誼を結びましたが、あくまでも対等な立場を崩してはおりません」

「へりくだる必要はないが、傲慢にふるまうのもよくはない。遺恨なしとして対等に扱うように」

「はい。心得ております」


氏長の言うこの二家は、元々鵜殿家の分家で、鵜殿本家が徳川家と敵対した際、徳川側についた相手である。いわば、鵜殿氏長にしてみれば身内の裏切者だ。その点は徳川家側も理解しているようで、氏長を家臣に加えつつも、この二家を監視役として置いている状況だ。

さらに、鵜殿本家の居城は解体されているのに、分家の二家の城はそのままと、確執を煽る要素を残しているあたり、意地が悪い。

まあ、それが分かっているなら可愛いものだ。

そもそも、敵対する必要がないのだから防衛用の城など必要ない。他国から侵攻された場合、城がないという事を理由に逃げてしまえばいいのだ。


「上ノ郷には父上との親類縁者も多く。必要な者には声をかけております」


同時に、ほんの数年前に敵味方で別れて争ったという事は、鵜殿本家に与して負けた者達もいるという事。彼らは勝者の下につく事で生き延びている。必然的に、そういった者達の扱いは低くなるのが世の習わしだ。

そこに、鵜殿本家にして名門今川家の一門である鵜殿氏長が堂々の帰還を果たすのである。ほぼ敵地である三河に自分の勢力を確立させたい鵜殿氏長にとっては、まず取り込むべき相手だ。もちろん、その為に分家との関係を必要以上に悪化させるのは悪手であろう。だからこそ、自勢力を守りつつ、分家勢力にも配慮してふるまわなければならない。

微妙なバランスが必要となるが、それはあくまでも現在の一時だけの話。徳川家と今川家の関係が良好になればなるほど、今川家の力を借りられる鵜殿本家の力は増す。だからこそ、名声を得たオレが鵜殿館への来訪をして、弟の氏次が徳川家との友好関係の担当者に任命されたのである。これだけで周辺の弱小豪族への影響は計り知れないだろう。

元々三河の豪族であった鵜殿家の三河での根は深く広い。氏長の重要性が増せば、再びそれらを掘り起こすのはそう難しい事ではないだろう。

その為に、矢島殿を氏長に付けている。彼は鵜殿氏長の父親が徳川家と戦っていたころからの家臣であり、人質交換の際に駿河にまでついてきた忠臣だ。当然、三河鵜殿家の内情にも詳しい。彼の手助けを得られれば、氏長にしてみればそう難しい話でもないだろう。


「月斎様は、本日はどのような用件で三河へ?」

「信濃に攻め込む際に、今川家と歩調を合わせるよう説得する為だ」

「説得ですか?」


不思議そうに眉間に皺を寄せる。同盟を結び、領土間の条約を結んだ以上、信濃をどう攻めるかは徳川家の問題。今川家が考慮する必要はない。


「そうだ。今川家はこの度、新しい武田家と北条家とで同盟を結び直す。これで甲斐の豪族の取り込みを行う。旗印は武田信虎の息子だ。信玄がその対応に追われている隙に信濃を取るのが良かろう。双方にとってな」


オレの言葉に、氏長が驚きの表情を見せた。まあ、今川家でもトップしか知らない重要機密情報だからな。

その為に、独自に徳川家の大侵攻とかされると不確定要素が増える。今川家のこの話は徳川家側の戦略にも影響が出かねないのだ。

それで予定が狂ってしまっては本末転倒である。


「…師匠がその同盟の取りまとめを?」

「そうだ。甲斐の兵が精強である以上、彼らを取り込むことが甲斐攻略の要となる。そして、それは信濃を攻める徳川家にも言える事だ」


驚いた表情を見せた氏長だったが、すぐに表情を引き締めると、理解したようにうなずいてみせる。


「私も信濃の諏訪家に連絡を取り調略の準備を進めております」

「…諏訪家に?」

「はい。上ノ郷のある宝飯郡の隣の幡豆郡に諏訪大社の御分社を建立する事となり、その建立に尽力した行者様を当地で歓待しました。その際に本殿のある諏訪大社経由で、挨拶程度ですが縁を繋いでおります」


…え?

なにコイツ。最近まで敵国だった三河徳川家の中で一人で派閥構築するという難行をしつつ、信濃豪族にツテを作ってるの?どんだけ手が広いんだよ。


「し…いえ、月斎様?」

「…二兎は追うな。あくまでも縁に留めよ。ただ、縁は切らすな。戦端が開いてから元康様の判断を仰げ」

「はい」


なんというか、下手に先走って信濃が混沌としすぎるのはまずい。何せ、徳川家が信濃を攻める事に今川家側がどうこう言う権利はないのだ。オレ自身今回三河に来たのは情報提供とアドバイスの為であって、それ以上ではない。ただ、それを踏まえたうえでオレ達が望む効率の良い手段を取ってもらうためだ。

想定以上に早く信濃に攻め込まれてもまずい。

また、外部からきた氏長がいきなりやりすぎるのも困る。鵜殿氏長の立場として「今川家の家臣だが、徳川家に有益で友好的な武将」という立場でいて欲しいのだ。

徳川家の内部を掌握し徳川元康を傀儡にする必要性が今川家にはない。次代の徳川元信が親今川派であればすべてが事足りる。氏長の役目は、元信が当主になった際に今川派閥が受け継がれる体制を確立しておく事だ。

ようするに、あまりやりすぎると不要な妬みを買う事になる。勲功は譲りながら、地盤を固める事が第一なのだ。

もっとも、それに関しては氏長は十分すぎるほど知っているだろう。


「それとな…」

「はい」

「他の者がいない時は師匠でもよい」


そう言って笑って見せる。

改名したとはいえ、あまり様付けで呼ばれると気恥ずかしい。


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― 新着の感想 ―
[一言] 師匠「(この弟子いつの間か恐ろしく成長しておる・・・このままでは師匠の威厳がやばい、もっと精進せねば)」 弟子「(さすが師匠だ、いつの日か追いつけるのだろうか、もっと精進せねば)」 そして師…
[良い点]  師が師なら、ですね♪www
[一言] 信玄が悟りを開く日が早くなってる。(意味深)
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