103 力は力
さて、甲斐の名門武田家の家系図を見ればわかるのだが、武田家当主に信玄なる人物は存在しない。
いるのは、十九代当主だった武田晴信であって、法性院機山徳栄軒信玄ではないのだ。
前にも言ったけど、仏門に入るという事は、世俗との関係を断つという事。出家とは「家を出る」と書く。つまり家を出た僧侶の信玄は、武家の名門甲斐武田家の当主ではないのだ。
では、なぜ一族ではない信玄が我が物顔で甲斐武田家を差配しているのか。
要するに武田家当主がいないから縁者(前当主)が代理で統治しているに過ぎない。
それでいいのかって?いいのだよ。ただ一つの条件を満たしていれば。
周りがそれを認める理由があり、従っていれば問題ないのだ。
武田家の家臣は信玄の命令を聞くし、周囲諸国は信玄の威光が武田家の威光だと認めるので問題ない。朝廷や幕府も信玄が甲斐のトップだと認識していればいいのだ。
え?認めなかったらどうなるのかって?そりゃ、当事者が認めるように努力をするのでしょう。戦国最強の騎馬隊を持つ武田信玄の敵意を受ける覚悟があるのなら何ら問題はないのだ。
事と是非はともかくとして、なぜこのような事になったのか。
理由は簡単である。
武田晴信が出家して徳栄軒信玄となったのは永禄二年。
そして、桶狭間の戦いが起こったのが永禄三年。
はい。今川家のせいです。
今川義元が上洛し天下泰平になるから、息子の武田義信に武田家を譲り引退しようと着々と準備を進めていたのだ。隠居する際に仏門に入るのは武家ではよくある話。戦国の因縁にまみれた自分は仏門に入って罪を償うために(建前)現場から退き、上洛し天下人となった今川家は、新しい武田家当主が支えよう(本音)としていたのだ。
それが突然の計画失敗である。この緊急事態に、抜本的な方向転換が必要になった武田家は、経験不足な後継者ではなく、引退(出家)しているが経験豊富な熟練者が陣頭指揮を執る必要があったのだ。
経済成長期に順調に全国展開をすすめ、国際化の波に乗ったので、息子に社長の座を譲り引退して会長になろうとしていたら、バブルが崩壊して経営方針の見直しが必要となり、次期社長就任を延期して会長兼社長代理として経営のかじ取りをしているワンマン社長。そんな感じだ。
本当に碌な事をしていないよな尾張の大名って奴は(責任転嫁)。
家の継承とは、当主が正式な後継者を指名し、技術や知識のノウハウを伝授し、自分の引退と権限の継承を行う。その家人達はそれを認め、申請をして正式に継承されるのである。
しかし、何事にも例外がある。継承を行う前に当主が死亡したり、家人が継承に異議を唱えたりといった不測の事態だ。
そんな例外事例の一つが武田信玄本人だ。
彼が武田晴信であったころ、当時の当主にして実の父親である武田信虎を追放している。この時、晴信は嫡男ではあったが、武田家の継承はしていない。つまり、後継者という立場であっても当主ではなかったのだ。
その状況で当主である武田信虎を追放。当たり前だが、この時に武田家の正式な継承などされるはずもなく、武田晴信は武田家当主の座を正式に先代から継承していない。
では、武田晴信はどのように甲斐武田家の当主となったのか。
甲斐の豪族が晴信を武田家当主として認めたからに他ならない。
本人の意思はともかく、武田家の当主となるために必要な要素が、武田家の当主とも武田晴信本人の意思とも関係ないところで決まっているのだ。
オレが当時の武田晴信を傀儡の主君と推測したのも理解できるだろう。
つまりは、武田家の継承に武田家当主の意思が関係ないと、自分自身で証明してしまっているのだ。
今まで異議申し立てがなされなかったのは、ひとえに戦国最強とうたわれた武田信玄の威光であり彼の敵意を買うだけの価値が甲斐武田家当主という名になかっただけだ。
ならば、こちらも同じ事をすればいい。
十八代目甲斐武田家当主武田信虎が、自分の血を引く子である武田信友に、同じ清和源氏にして武家の棟梁である征夷大将軍足利義昭の承認を得て、同盟国織田家が守っている京都の朝廷の認可を得る。
あと必要なのは、これから手に入れる甲斐武田豪族達の同意だけだ。
後ろ盾に関して問題はない。
駿河を追放された武田信虎が預けられた先は、京都の足利将軍家。当時先代の足利義輝の家臣としてだ。
その後、織田信長による足利義昭の上洛の際に再び将軍家に仕えている。
足利将軍家の連枝今川家を攻めて大敗した武田信玄と、先代から将軍家に仕える武田信虎。自分を支持する勢力を求めている足利義昭がどちらを支持するか、考えるまでもないだろう。
事実、現在武田家当主不在という名分まであるのだ。
「では、後は小田原よりの使者を待ち吉日を持って…」
「北条家の姫を娶り、武田家今川家北条家で再び同盟を結ぶのだな」
武田昭信はそう言ってうなずく。北条幻庵との会談で、北条家から武田昭信との婚姻と、その仲人を今川家当主今川氏真が取り持つ事を承知させた。
これで、三国の友好関係を再開させる事ができる。
とはいえ、それだけではない。昭信の言葉にオレは首を左右に振った。
「いいえ。先の今川家侵攻は徳栄軒信玄なる男の独断専行。条約の破棄は武田家の総意ではありません。今回はあくまでも条約の継続」
「わかっておる」
オレの言葉に、呆れたように笑って見せる昭信。それを頼もしくか、あるいは呆れているのか同じように笑みを浮かべつつ見る武田信虎。
これで、甲斐の豪族への調略が可能となった。今川家との戦いで被害を出した武田家だが、敗北してなお武田家は脅威だ。そもそも甲斐という土地が守るに適した土地。そこをまもるのは百戦錬磨の武田信玄率いる家臣達だ。
三国同盟によって包囲網を敷いたとしても、ただ攻めるだけでは、甚大な被害を出すだろう。だからこそ、武田信玄は遠江での敗戦の後、ひたすらに国の防備に奔走し、勢力の回復を図っているのだ。
武田信玄は敗北を知る名将だ。幾度も負け戦を経験しながら、それでも生き残り勝利を積み重ねた英雄だ。たった一度の勝利で侮れる要素など欠片もないのだ。
だが、この一手で武田家の家臣たちの結束にヒビを入れることができる。甲斐の豪族たちに必要なのは武田家の当主であって、武田信玄本人ではない。
それは、当主の武田信虎を追放し武田晴信を当主にした先の出来事で証明している。彼等は自分たちの望む武田家当主を求めているだけだ。
戦国最強と謳われる武田の騎馬隊。守りに適した甲斐という山岳地帯。百戦錬磨の名将武田信玄。
『武力』で征服するには、現状でも困難を極める。
だからこそ、オレが攻めるのはそこではない。
今川家の持つ最強の武器『治世』を振るう先は、貴様の稚拙な『治世』だ。




