四十八 立身国射手矢郷・真境名燎 負けず嫌い
「跳べ。怖がるな」
「はい」
怖がるな、だと? 簡単に言ってくれる。
真境名燎は苦々しく思いながらも覚悟を決め、立ち鞍を蹴って青空に舞った。眼下の仮想敵に目を据えたまま、空中で半分身をひねりながら抜刀する。
よし、捉えた!
しかし、わずかに間合いがずれ、相手に打ちつけようとした木太刀は空を斬った。そのまま、なすすべもなく体が落下し始める。
すぐさま、教えられた通りに両腕両脚を大きく広げ、全身で均等に風をはらむ体勢を取った。こうすると、空中での姿勢が安定するのだという。だが、それで怖さが軽減されるわけではない。
落下しながら拾われるのを待つこの瞬間が、燎はもっとも苦手だった。
気道が狭まる。冷や汗が出る。全身が総毛立つ。男なら玉が縮むところだろうが、そんなものはついていないので、みぞおちがきゅっと痛くなる。
まだか……早く。早く。
焦れ始めたころになってようやく、翼を大きく広げた天隼が下に滑り込んできた。膝を伸ばしながらその背に下り立ち、風に煽られる前に素早く腰を落とす。鞍に固定された革帯を掴むと、やっと人心地つくことができた。
前鞍で手綱を取っている真栄城康資が、肩ごしに声をかける。
「外したな」
「はい」悔しかった。「あと二寸、跳びが足りませんでした」
「読みが甘いからだ。相手も飛んでいることを考え、その動きの先の先を読まねばならん」
「難しいです」
「慣れだよ」康資の声に、ちらりと笑みが混じる。「経験を積めば、自ずとわかるようになってくる。そら、あそこに、もうその片鱗を示している者がいるぞ」
彼は天隼を滑空させて訓練空域から外れ、広大な森の縁をゆっくりと回った。指差す先に見えるのは、石動博武を乗せた一騎だ。
「わざと敵を引きつけているな」
康資が分析した通り、博武は乗り手にこまごまと指示を出し、敵騎を周囲に集めるような飛び方をさせていた。今は左右とうしろを三騎に囲まれている。
燎が固唾を呑んで見守る前で、博武が鞍を離れて宙に跳んだ。
あ――と声がもれそうになる。どう見ても跳びすぎだ。
だが彼の目測は燎よりもずっと正確だった。絶妙な角度と速度で右前方に跳び、寸分の狂いもない間合いで真横の一騎に襲いかかる。
敵騎に舞い降りながら斬り手に一撃加えたあと、さらに博武はその禽の鞍を蹴って後方に跳び、別の一騎にも斬りかかった。
「すごい」
今度は声が出た。革帯を握る手に力が入る。燎は首をひねり、大きく目を見開いて彼の動きを追った。
残り一騎――行くか。まだ行くのか。
彼女の期待に応えるように、博武は最後の一騎に向かって再び跳躍した。しかし、さすがに三人目の斬り手は、もう鞍上で抜刀して待ち構えている。
ふたりの剣が激しくぶつかったあと、双方の体が宙に舞った。そこへ、離脱して滑空していた博武の禽がやって来る。彼はとんぼ返りを決めて鞍に下り、すぐにまた別の敵騎に向かって飛んでいった。
乗り手との連携もできている。攻撃し損ねた上、無様に落ちたわたしとは大違いだ。
燎は屈辱感でいっぱいになった。博武は先着組で、何日か早く訓練を始めていたとはいえ、こうも差をつけられるとさすがに気が滅入る。
しかし落ち着いてよく見ると、彼のように動けている者はほかにはいないようだった。少なくとも、攻撃は大半が外している。落下しながら恐慌状態に陥り、教えられたことを忘れて手足をばたつかせている者もいた。
あれが現時点の標準だとすると、落ち込むのはまだ早いかもしれない。
康資は禽を操り、練兵場の広場に着陸させた。禽の世話をする籠番がすぐさま、舞い散る砂埃をものともせず駆け寄ってくる。
手綱を任せて鞍を降りた康資は、燎が地面に下り立つのを待ってから歩き出した。
「跳ぶ時に、まだためらいがあるな」
ずばりと指摘され、ぐうの音も出ない。燎はうつむき、唇を噛んだ。
「乗り手を信頼していないのだろう」康資が穏やかに言う。「必ず拾ってもらえるという確信が持てないから、跳ぶのを躊躇してしまう。よくあることだ」
「康資どのが、わたしを落とすなどとは思っていません。ただ……苦手なのです。他人に対して絶対の信を置く、ということが」
「そればかりは、いかな熟練の〈隼人〉でも教えることはできん」
彼はからからと笑った。
「まあ焦らずやることだ。同じ部隊で苦楽を共にすれば、いずれ気心は通うようになる」
「はあ」ほんとうだろうか。ほかの者はそうでも、自分はどうかと考えると、少し疑わしく思える。「みなと打ち解けるよう、心がけます」
広場の端で康資と別れた燎は、森のほうを向いて空を見上げた。
飛行訓練は主に、副郭の北側半分を占める森の真上で行われることになっている。もし誰かが禽から落ちたとしても、豊かに葉を茂らせた木々が受け止めてくれるので、地面に激突せずにすむというわけだ。むろん樹間をすり抜けて墜落する可能性はあるが、とっさに枝を掴むぐらいのことは、ここへ来ている者たちなら容易くできるだろう。
ふと見ると、次に飛ぶ待機組が近くに集まって、同じように模擬空戦を見物していた。騎影を目で追い、指差し、口々に何か言い交わしている。
わたしもあそこへ行って、話しかけてみようか。でも、何を言えばいいのだろう。
迷いながら少し近づいてはみたが、会話の糸口になるような言葉が出て来ない。その時、見物衆の中に博武の従者の伝兵衛が混じっていることに気づいた。身分がら控え目に下がってはいるが、ほかの者たちと同じく、熱のこもった表情で訓練に見入っている。
「伝兵衛どの」
傍に行って声をかけると、彼は驚いたように振り向いて頭を下げた。
「燎さま」
「博武どのを見ているのか」
「はい。万一の時は真っ先に駆けつけて、今際のお言葉をいただかねばなりません。近くにいないと、聞き逃してしまいますから」
真顔で言って、燎を笑わせる。
「おまえには長年苦労をかけたゆえ、七草の屋敷と家財はすべて譲る。器量のいい嫁をもらい、安楽な余生を過ごすがよい――と、それぐらいのことは言っていただけるだろうと期待しております」
「そうやって軽口を叩いているが、内心では心配で、見守らずにいられないのだろう?」
つついてやっても、伝兵衛は小揺るぎもしない。
「わたしなぞが心配せずとも、あのかたは何であれそつなくやります」
「たしかに」
燎はうなずき、博武の騎影を探して目を上げた。
「彼は、まるで軽業師のような身ごなしをするな。なぜああも軽々と跳んだり、宙返りをしたりできるのだろう」
「幼いころから無鉄砲で、危ないことをするのが大好きなお子でした。お屋敷の庇に上ったり、高い枝で逆立ちをしたり。落ちて怪我をしても、一向に懲りません。落ちぬようになるまで、何度でも繰り返すのです。とんぼ返りもはじめは下手でしたが、延々とやり続けて体得しました」
「努力家なのか……」
意外だった。博武はいつも涼しい顔をして、難しいことを易々とこなす印象がある。生まれながらの万能人で、たいして苦労しなくとも何でもできるのだろうと思っていた。
「負けず嫌いです」伝兵衛の唇を笑みがかすめる。「他人ではなく、己に負けるのが我慢ならぬ性分で」
そこへちょうど、当の博武がやって来た。いつの間にか着陸していたらしい。それを伝兵衛が、噂話をしていたことなどおくびにも出さず迎える。
「三人目を逃されましたな」
「だがともかく、禽からは弾き落としたぞ」
博武はそう言って、燎のほうを見た。
「康資どのと組んでいたな。彼はうまいだろう」
「ええ。禽の挙動が安定しています。博武どのは、乗り手とずいぶん息が合っておられたようですが、あのかたはどなたですか」
「郡楽から助っ人に来ている古参の隊士で、檪浦良和どのだ。突飛なことにもつき合ってくれるから、おもしろいぞ。組む機会があったら、いろいろ頼んでみるといい」
「まだとても、そんな余裕は」
燎は正直に言い、小さくため息をついた。
「鞍を離れて跳ぶだけで精一杯です。それすらもためらいがあると、康資どのに指摘されました」
「なぜだ。怖いのか」博武が不思議そうな顔をする。「乗り手は練達の古参ばかりだから、地面に落とされるようなことはない。ほんとうに怖いのは、おれたち新参だけで斬り手も乗り手も務めるようになってからだ」
燎たちは今、もっぱら斬り手としての訓練ばかりしている。乗り手の訓練もするにはするが、ただうしろに古参を乗せて飛行するだけで、模擬空戦は行わなかった。新参はまだ禽を自在に操るところまでいかず、鞍を離れた相方を確実に拾えるだけの技量が備わっていないからだ。
禽の扱いに慣れてきたら、遠からずそちらの稽古もするようになるだろう。だが新参同士で組むようになったら、博武が言う通り、今よりももっと怖く感じるに違いない。
「たしかに、そうですね」
低くつぶやき、燎は次々と舞い降りてくる騎影に目をやった。
「斬り手には墜落の恐怖。乗り手には人ひとりの命を預かる恐怖」
博武がふふ、と笑う。
「まあ心配せずとも、すぐに麻痺して楽しくなってくる」
彼の言葉を聞いて、伝兵衛はやれやれというように首を振った。
「そんな図太い人ばかりではありませんよ」
博武が言い返そうとしたところへ、広場の中央に立つ康資が指示を飛ばした。
「乗り終えた者は飯を食いに行け。午後からはまた、たっぷり飛んでもらうぞ」
主郭の陣屋へ戻る道を三人で歩いていると、うしろから誰かが追ってきた。
「おい、博武」
新参仲間の由解虎嗣だ。意志の強そうな太い眉をぐっと寄せ、一見すると怒っているように見える。だが、何かに夢中になると、彼はいつもこういう顔になるのだった。仲間内では、秘かに〝鬼瓦〟のあだ名を奉られている。
「ちょっと教えてくれ」
博武は肩ごしに彼を見て、横に来るよう促した。
「なんだ」
「おまえ、敵に斬りかかる時や鞍に跳び下りる時に、よくとんぼ返りや錐もみをするだろう。あれはなぜだ」
はっとして、燎は聞き耳を立てた。自分も前々から気になっていたことだ。無駄な動作と思えるし、それをすることで間合いを外しかねない気もするが、彼はいつもうまくやっている。
「勢いをつけているんだ。ただ跳ぶだけだと風の抵抗を受けるし、浮昇力が働いて勢いが削がれ、こう――軌道が大きく弓なりになるだろう」
博武は手振りを加えながら説明した。
「目標に到達するまでの距離が増えるから、間合いもずれやすくなる。だから体をひねったり回したりして〝重さ〟を加え、軌道を短く、直線的になるように調整するんだ。ついでに、斬撃が軽くなるのも防ぐ」
なるほど、理に適っている。燎は感心しながら話に聞き入った。
足元に地面がない状態だと、たしかに斬撃が浮き気味になってしまう。古参の隊士は鋭角に跳ぶことで対処すると聞いたが、博武のやり方も悪くないと思えた。もっとも、それを自分でもやれるかどうかはまた別の話だ。
虎嗣もそう思ったらしく、眉間に皺を寄せて低く唸った。ますます鬼瓦そっくりな顔になっている。
「ううむ……いい考えだが、実際にやるとなると難しそうだな」
「いきなりは無理だが、地上で練習して体にしっかり覚えさせておけば、いつでも楽にできるようになる。特に、浮昇力の強いところではな」
「とんぼ返りは簡単か?」
「習得してしまえば、なんだ簡単だったじゃないかと思うさ」
博武はしれっと言い、呑気そうに笑った。一方の虎嗣は、真剣そのものの表情でうなずいている。
「そうか、うん。そうか」
それから彼は目を輝かせて博武を見た。
「なあおまえ、今度こつを――」
言いさして、ふいに口をつぐんだ。いま気づいたというように燎を睨んでいる。険悪で不愉快そうな顔つきが、集中を示す鬼瓦顔に取って代わった。
邪魔だ。口に出さずとも、そう言いたがっているのがはっきりと伝わってくる。一瞬、強い反発をおぼえたが、燎は敢えて争うのは避けることにした。
「先に行きます」
短く言い置いて、すぐに彼らから離れた。足を速め、昂然と顔を上げて陣屋へ歩いて行く。
これしきのことで、別に傷つきはしなかった。男ばかりの中にただひとり女が混じっているのだから、良くも悪くも意識されていることはわかっている。
砦に集まっている隊士候補たちは、燎をそれなりに家格が高い家の娘として慇懃に接する者と、女の存在自体を不快に思い完全に無視しようとする者、その二手にほぼ分かれていた。
彼女が女だというのを忘れているかのように、こだわりなく接してくるのは博武ぐらいだ。もっとも彼は誰に対してもそういう態度なので、燎が特別扱いされているというわけではない。
男衆の抵抗はあるだろうと、最初から覚悟していた。隊士候補の徴募があると聞いて名乗りを上げた時、家老の柳浦実重からそれについて警告されもした。
女が軍備に加わる例は過去にもあったことだが、彼女たちは男に混じって戦場を駆け回ったわけではない。女だけの小部隊が組織され、その中で働いただけのことだ。むろん前戦に出されることはなく、役割はあくまで後方支援や陣内の雑用だった。
戦に女が出ること自体をとやかく言う者はあまりいないが、男と肩を並べて戦うとなるとまた話は違ってくる。そこの境界を踏み越えようとしている燎は、戦場は男の世界という昔ながらの考えに固執する者たちにとって、白眼視せずにはいられない存在なのだ。
つらい思いをするぞ、と実重は言った。おまえを朋輩として尊重してくれる者は、ほとんどいないだろう。男の仕事場に首を突っ込む出しゃばり女と蔑まれ、侮られ、敵意すら向けられるかもしれぬ、と。
それでも燎が意志を貫き通せたのは、主君である黒葛貴昭の後押しがあったからだ。
立身国の若き国主は、彼女の熱意と決意に深甚なる理解を示し、隊士になるための訓練に赴くことを許してくれた。七草を離れるにあたって御前に召された時のことは、今も脳裏に焼きついている。
「天翔隊の歴史は未だ浅く、かつて女が隊士に加わった例はない」
彼はそう言ったあと、輝く目でまっすぐに燎を見て力強く命じた。
「先鞭をつけ、草分けとなれ」
主のその言葉は、生来勝ち気な彼女をこの上ないほど奮い立たせてくれた。これを成し遂げられれば、後進に道を開くことにもつながるのだと思うと、自ずと身が引き締まる。
だから、実重の予言通りになっても後悔はしなかった。みなに侮られ、女が隊士になどなれるものかと陰口を叩かれてもかまわない。自分はこれをできると思い、少なくとも主君は彼女を信じてくれたのだ。
いま邪魔者扱いしている者たちも、いずれわたしを認めざるを得なくなる。きっと、そうさせてみせる。
いつの間にかすぐ目の前まで来ていた陣屋の戸口をくぐりながら、燎は自分も博武からあの曲技を教わろうと秘かに決意した。
昼食を終えて練兵場に戻ると、午前中とは異なる天隼たちが禽籠から出され、広場の中央に居並んでいた。その中に、見覚えのある禽が一羽いる。思わず駆け寄った燎に、籠長の榧野孫兵衛がゆっくりと近づいてきた。
「これにお乗りになりますか」
「試験の日に、わたしを乗せて飛んだ禽だな。そうだろう?」
「はい。よくおわかりに」
「顔を覚えていた。それと、尾羽の色を」
燎は伸ばしかけた手を一旦止めて、孫兵衛の表情を窺った。
「触ってもいいか?」
「もちろん」厳しい目を少しなごませて、孫兵衛がうなずく。「後ろ頭や首のあたりをなでてやると喜びます」
羽根にそっと手を触れ、少し圧力を加えてなでさすると、禽は首を傾けて気持ちよさげに目を細めた。
「本当によく馴れているな」
「あなたのことを好きなようです」
そう言い残して孫兵衛が離れて行くと、燎は禽の首に両手の指を滑らせながら、大きな黒い瞳を覗き込んだ。
「そうなのか?」
低い囁き声で訊く。むろん、相手は何も答えない。だがまじろぎもしない瞳が、すべてを肯定するように静かに見つめ返してくる。
「おまえはわたしが女でも、ちっとも気にしないんだな」
禽に触れていると、妙に心が落ち着くのを感じた。人と一緒にいるよりも、ずっとくつろいだ気分でいられる。
しなやかな羽根にそっと頬を寄せても、禽は嫌がらなかった。よく愛馬にそうするように、首を軽く抱いて顔をうずめてみる。意外にも、想像していたような獣臭さはなかった。普通の鳥や猛禽ともまったく異なる、不思議な体臭が鼻をくすぐる。
「すっかり仲良くなったな」
ほがらかに声をかけられてそちらを見ると、すぐ傍で真栄城康資が微笑んでいた。
「次はこいつで飛ぶか?」
「はい」
「よし。午後は前乗りをやってもらう。わたしはうしろに立つが、くれぐれも振り落とさんでくれよ」
やった――燎の顔に大きな笑みが広がる。斬り手よりも乗り手を務めるほうがずっと得意だし、しかも楽しかった。できるものなら、一日じゅうでも飛んでいたいくらいだ。
いそいそと鞍に跨がり、手綱を短めに握って座位を安定させると、康資が立ち鞍にひらりと飛び乗ってきた。彼も太い革帯を掴み、両脚を踏ん張って衝撃に備える。
「いいぞ、上げろ」
「はい」
鞍の両脇に垂れたあおり革に腿を沿わせ、少し強めにぐっと締めつけると、禽は即座に翼を広げた。次の瞬間にはもう二十間も舞い上がっており、みるみる地上が遠くなる。
訓練空域に向けて飛ばしながら、燎は鞍前部の出っ張り――前驕を右手で掴んで前傾姿勢を取った。直線的に飛んでいる時は上体を伏せ、旋回する時には起こすのが基本だと教えられている。そうすることで疲労が軽減され、猛烈な加速や減速にも体が耐えやすくなるのだ。
「左旋回」
康資に聞こえるよう声を大きく張って言い、体を傾けながら手綱を引く。左の踵で軽く脇腹を蹴ると、飛行の速度がさらに増した。
「操り方が、もう身に馴染んでいるな」うしろから康資が言う。「乗馬も得意か?」
「はい、得意なほうだと思います」
そのせいだろうか。どれくらいの強さで手綱を引き、どの程度圧力を加えればいいかが直感的にわかる。禽のほうも、燎の操作にすこぶるよく反応した。
「高度を上げろ」
命じられるまま、彼女は上昇の合図を送った。気流に乗って大きく旋回しながら、禽が高く昇っていく。
「どこまでですか」
「もっとだ」
またたく間に森が小さくなり、鉢呂山の全景を俯瞰できるほどになった。ここまで高く上がったのは初めてだ。眼下を飛び回っている小雀のようなものは、ほかの仲間を乗せている禽たちだろう。
「耳が詰まってきました」
「呼吸はどうだ」
「少し息苦しいです」
「これが、天山の本曲輪を攻める時の高度だ」
そう教えられ、燎はあらためて下を見下ろした。もう人はもちろん、建物の形すら見分けがつかない。ただ緑と茶と灰色の濃淡が広がっているだけだ。
「こ――こんなにも……高いのですか」
「そうだ。この高度で鞍を離れて跳び、敵と斬り合う」
「どうかしていますね」
思わず正直に言ってしまった。しかしほかに表現のしようがない。康資は強風にも負けない大声で笑い、燎の上に少し屈み込んだ。
「せっかくここまで上がったのだから、〝拾い〟をやってみるか?」
思いがけない言葉に、にわかに鼓動が激しくなった。やってみたい。だが、まだ自信がない。
「もし失敗したら……」
「むろん、わたしを拾わせるつもりはない。それをするには、もっと訓練を重ねないとな」康資は真面目な声で言った。「だが、拾う際の急降下を体験するにはいい機会だ。どうするかは自分で決めろ」
「やります」
はっと気づいた時にはもう答えていた。こうなった以上は引き返せない。燎はからからに乾いた口をすぼめて唾を溜め、ごくりと飲み込んだ。ふうっと大きく息を吐き、肩ごしに康資を見る。
「普通、拾いに降下する時は単騎ですが、いまはふたり乗っています。こういう場合、どうすればいいのですか」
「乗り手がすることは特にない。斬り手は、さすがに立ったままでは急降下に耐えられないから、立ち鞍に伏せることになっている。こうだ」
康資は革帯を右手にくるくると巻き、限界まで短くしてから鞍の上に低く伏せた。左手は燎が座っている鞍の後驕を握る。
「さて、何を放るか」
彼は少し考えてから、腰に差していた脇差しを抜いた。
「これは御屋形さまから拝領したものだから、地面に落として壊すわけにはいかん。必ず捉まえるぞ」
そんな大切なものを使うのはやめてくれ――と言いたかったが、燎はぐっと言葉を呑み込んだ。刀よりももっと大事な人命にかかわる技を習うのだから、稽古であっても死にもの狂いになれるほうがいい。
彼女は腹を決め、手綱を短く握った両手で前驕をしっかりと掴んだ。その出っ張りの先端に胸がつくまで、上体を思いきり深く倒す。
姿勢が定まると、燎は息が詰まるのを感じながらも決然と言った。
「いつでも行けます」
「よし。わたしが脇差しを投げたら、口笛で命令を出せ。追尾に入ったら禽は翼をすぼめ、頭を真下に向けて垂直に落ちる。ものすごい風圧だぞ。ぴったり伏せていないと弾き飛ばされるから気をつけろ」
「はい」
しびれるような興奮と緊張に包まれながら、その時をじっと待つ。康資が背後で腕を大きく振り、脇差しを横に投げ出した。
一瞬だけ、それが落下していくのを視界に捉えてから、顔を横にそむけて鋭く長く口笛を吹く。
たちまち禽が翼を縮め、体をひねりながら頭を下げた。視界がぐるりと回り、下から突き上げるような衝撃が襲ってくる。落下中に鞍からずり落ちるのを少し心配していたが、この風圧ではそんなことは起こり得ないとわかった。康資が言った通り、弾き飛ばされる恐れのほうがより現実的だ。
禽は翼をほぼ畳んで涙滴型になり、浮昇力から解き放たれたかのような凄まじい速度で、真っ逆さまに降下し続けた。何も命令せずとも、ちゃんとまっしぐらに脇差しを追っている。そのように調教されているとわかっていても、感心せずにはいられなかった。
ふと気づくと、もう標的が間近に迫っている。燎が短く口笛を吹くと、禽は目標を一気に追い越して下に回り込み、翼を広げながら急制動した。その機を逃さず、康資が素早く腕を伸ばす。
「よしっ、いいぞ!」
彼は狙い違わず脇差しを掴み取り、少し興奮気味に声を弾ませた。それに負けないぐらい燎の気分も高揚している。ここが鞍の上でなければ、成功した嬉しさで躍り上がっていただろう。
「今の間合いは完璧だった」康資は刀を腰に戻しながら言った。「人馬一体という言葉があるが、おぬしはまさしく人禽一体だな」
「この禽がすごいのです」
燎は口元をほころばせて、天隼のうしろ首を優しく何度もなでてやった。そんな彼女の肩を、康資がねぎらいを込めて軽く叩く。
「さあ、少し下りよう。一番乗りで〝拾い〟を成功させたんだ。得意顔をほかの連中に見せつけてやるといい」
彼の言う通り訓練空域まで下がり、森の上をゆっくり滑空すると、周囲を飛んでいる仲間たちの姿が目に入ってきた。その中に、由解虎嗣もいる。
ぽかんと口を開けてこちらを見ている彼の顔にあの敵意はなく、ただ驚愕と――そして紛れもない賞賛の色だけが表れていた。
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