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玉響(たまゆら)の群像  作者: 唐橋遠海
第五章 波紋
153/161

六十一 天勝国大光明郷・久渡阿紀 野生児

 大光明(おおみや)城に出仕するようになって、(はや)半月が過ぎた。仕事にはだいぶ慣れたし、自分は存外うまくやっている――と久渡(くどう)阿紀(あき)は考えている。今のところまだ殺されてはいないし、殺されるきっかけになりそうな失敗もしていない。

 しかし主君志鷹(したか)頼英(よりひで)に馴染んだかというと、そうは言えなかった。彼と初めて顔を合わせた時に感じた底冷えするような怖さは今もまったく薄れておらず、傍に(はべ)っているあいだは常に緊張を()いられている。とはいえ、それは阿紀に限ったことではなく、頼英に仕える者たちがみな身分の別なく平等に耐え忍んでいることだった。

 この城内に、頼英の前で自由に呼吸をしている者などほとんどいないだろう。城主と同等に近い権限を持つはずの評定(ひょうじょう)衆でさえもだ。唯一の例外は筆頭家老の鏑木(かぶらぎ)祐充(すけみつ)で、彼だけは主人の冷たい威圧感に萎縮することもなく、時には近くで見ている阿紀のほうがひやりとするような無頓着な態度を取ることもあった。

 それを頼英が容認し、不快感を表さないかというと、そういうわけでもない。時には腹立たしげに舌打ちをしたり、睨んだり、あてこすりを言ったりもする。だが祐充は気にせず、たいていは「おや、何か気に障りましたかな」とでも言いたげなとぼけ顔で平然と受け流してしまうのだ。

 一見そうは思えないけれど、じつはふたりは親密なのかもしれない。

 阿紀がそう考え始めていた矢先に、ある出来事が起きた。

 この日は最近の懸案事項について協議するため、朝から表御殿の広間に頼英と重臣たちが集まっていた。なんでも天州(てんしゅう)西部の〈御領(ごりょう)〉と呼ばれる志鷹家直轄地で冷害と病害が二年続いており、稲が未曾有の不作となって追い詰められた三か郷の百姓たちが税の減免を訴えているという。先走った一部の血気盛んな者たちが武装蜂起するひと幕もあったが、それは()の地を預かる代官がかろうじて抑え込んだらしい。

「昨年の秋には追い打ちをかけるかのごとくウンカも大発生したため、それはもう目も当てられぬ有様になったとのことです。今年は各郷で早々に〈虫祓(むしはら)い〉の行事を執り行い、田畑の周囲に虫除(むしよ)けの札竿(ふだざお)も立てているとか」

 家老のひとりから報告を受ける頼英はいつもと変わらぬ無関心顔で、あまり話に集中していないように見えた。一段下に座っている鏑木祐充は、小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべている。

「〈虫祓い〉などと」ひと通り聞き終えたあと、祐充はそう吐き捨てて鼻を鳴らした。「そんなもので、ほんとうに虫が追い払えたら苦労はないわい」

「いやまったく」

「愚かなことをするものですな」

 すかさず何人かが追随する。

「そのようなものにまで(すが)るしかない民の苦衷(くちゅう)を、少しも思いやられぬのか」

 祐充を鋭く見ながら、次席家老の来栖(くるす)篤之(あつゆき)が苦言を呈した。

「捨て置けば飢饉すらも起きかねぬ。何らかの救済策を打ち出すべきだろう」

 彼の意見にうなずく顔もいくつかあるが、頼英の傍に控えて話を聞いている阿紀の目には、その数はあまり多くないように見えた。清廉(せいれん)篤実(とくじつ)な人格者である篤之は城内で信望を集めているが、家老席の筆頭で権勢を振るう祐充ほどの圧倒的な支配力は持っていない。

 阿紀が亡き夫から聞いた話によると、かつて篤之の威光は祐充よりもずっと強かったが、十二年前に頼英が画策した謀反を機に立場が逆転したらしい。

 祐充はその企てに最初から加わっていた中心人物のひとりであり、頼英を焚きつけた張本人であったとも言われている。噂の真偽はさておき、彼は謀反を成功させて家督を継いだ頼英から最大功労者として遇され、やがて志鷹家家臣団の頂点に立った。それからは権力を(ほしいまま)にして公然と私腹を肥やしているが、頼英は黙認しているという。

 一方の篤之はというと謀反には加担せず、前代朋房(ともふさ)公失脚のあとも中立的立場を崩さなかったことで新たな主人の反感を買った。彼と同様の態度を取った人々を頼英は敵対者と見なして数多く粛清したが、さすがの暴君も天勝(ちよし)国で一、二を争う門閥(もんばつ)家である来栖家を、ただ気に入らぬからと言って取り潰すことはできなかったようだ。しかし粗略な扱いをして居心地の悪い思いをさせることはできる。代替わりからふた月と経たずに篤之は次席家老へ降格の()き目を見た上、かなり格下だった鏑木家に支族筆頭の座をも奪われてしまった。それでも耐え続けて現在も踏みとどまっているのは、主君を正道へ導かんとする(こころざし)と志鷹家への忠誠心を未だ失っていないからだ。

 そんな篤之と祐充は共に頼英の治世を支えてはいるものの、水と油のように相容(あいい)れない関係であり、この日も直轄地の仕置きについて当然のように意見が割れた。

 祐充は税の減免など許しては沽券(こけん)にかかわると言い張り、篤之はそのように無慈悲では民の心が離れるだけだと()く。どちらも譲る気配はまったくなく、喧々(けんけん)囂々(ごうごう)たる議論が繰り広げられたあと、ずっと黙り込んで部外者のように傍観していた頼英に祐充が初めて水を向けた。

「さて、もはや御屋形さまのご裁定を仰ぐほかありませぬな」

 部屋の隅にいる阿紀はうつむいたまま目だけ上げて、脇息(きょうそく)にゆったりともたれている頼英を盗み見た。彼は重臣たちを無表情に睥睨(へいげい)したまま、なかなか口を開こうとしない。

「ご意向をお聞かせ願いたく」

 ()れた祐充が促すと、頼英は蛇が首を(もた)げるように頭を起こした。

「そうか。ならば申そう」平板で体温を感じさせないが、圧迫感のある声で彼は言った。「騒ぎを起こした三か郷の税を二割上げよ」

 広間に沈黙が落ちた。居並ぶ重臣たちは聞き間違えでもしたかと、(いぶか)しげに視線を交わしている。

「御屋形さま」

 いち早く気を取り直した祐充が、へつらうような猫なで声で訊ねた。

「二割下げる――のでございますか?」

 頼英の瞳がきらりとした。

「役立たずの耳がついているようだな」

 全員が一斉に固唾(かたず)を呑む気配がした。祐充は二の句が継げずにいる。

「ろくに使えぬものなら、ふたつもいらぬだろう」

 阿紀はぞっとして、小さく肩をすぼめた。以前息子から聞いたが、頼英は些細(ささい)な理由で側仕えの鼻を切り落としたことがあるらしい。阿紀自身も侍女に上がる前に拝謁した際、危うく指を切られるところだった。まさか筆頭家老にも同じことをするのだろうか。

「あ、上げる!」

 祐充が声を裏返して叫び、みなの視線が集まった。彼は耳を(かば)うかのように両手でぴたりと覆っている。阿紀と同じことを思い出したに違いない。

「こう、おっしゃったのでしたな。二割上げよ――と。不肖うっかり者にて、つい心得違いをいたし、ご無礼申し上げました」

 顔色を悪くしながらも、彼は精いっぱいの笑顔でなだめるように言った。

「しかし御屋形さま、二割というのはちと手厳しくはございませぬか」

「では三割だ」

 あくまで静かに、何の感情もにじませずに頼英は言い放った。

「さらに百姓どもへの見せしめとして、三か郷それぞれの名主(なぬし)、蜂起を先導した者、武器を取った中で最年少の者、計五人を(はりつけ)に処する」

 再び広間は水を打ったように静まりかえった。誰もが凝然として、何も言えないまま息を詰めている。祐充もそれ以上言葉が出なくなってしまった。何か言うたびに事態が悪くなっていくからだ。

 阿紀はその場の空気に肌がひりひりするのを感じながら、このふたりが親密かもしれないなどと一瞬でも思った自分にあきれていた。何らかの利害によって結ばれているのだとしても、爾汝(じじょ)の交わりとはほど遠い関係なのは明らかだ。

 日ごろ頼英が祐充のもの言いにほぼ無関心なのは、いちいち相手をするのが面倒で放置しているに過ぎないのだろう。謀反の共謀者だった彼を手先として使い続けるために甘い顔をしてはいるが、一度(ひとたび)不要と判断すれば耳どころか首すらも躊躇なく斬り落とすに違いない。

 祐充のほうも好き放題にしているようで、じつは注意深く主君の心の機微を探り、決定的に勘気に触れることのないよう立ち回っているのがわかる。

 信頼もなければ尊敬もなく、利用し合うだけ――阿紀はふたりの(いびつ)な関係を思い、冷えびえとした気持ちになった。

「御屋形さま、それはあまりに無体(むたい)なご沙汰(さた)にございましょう」

 来栖(くるす)篤之(あつゆき)の朗々たる声がした。

「蜂起の責めを負わせるにしても、五人も連座させる必要がありましょうや。のみならず、このうえ税を上げるなどすれば大勢が死にまするぞ」

 まあ、なんと豪胆な。

 阿紀は思わず感じ入り、一の間の左手に座っている篤之を見つめた。この雰囲気の中で頼英にもの申すというのは、誰にでもできることではない。

「大勢が死ぬ」頼英もまた篤之に視線を向けながら、ゆっくりと彼の言葉を繰り返した。「それがどうした」

「古くより志鷹家が治めてきた〈御領〉の民たちでございます。ご再考の上、何卒(なにとぞ)温情あるご沙汰を」

 篤之は頼英をひたと見据え、一歩も引かない構えだ。そんな彼を、部屋の反対側から祐充が見守っている。珍しくふたりの見解が一致しているので、加勢に入るべきかどうか迷っているようだ。

 しかし、ほどなくして彼はすうっと目を逸らせた。仲がいいとは言えない篤之に下手に同調などして、これ以上主人の機嫌を損ねてはまずいと判断したのだろう。

「甘いことを」

 頼英がつぶやき、喉の奥でくぐもった笑い声を立てた。

「直轄地に住まう者としての矜持(きょうじ)も忘れ、志鷹家に弓引こうとした者どもに情けをかける必要などあろうか」

「反乱はすぐに鎮圧され、大きな被害は出ておりませぬ。現地代官の渡海(わたるみ)寿規(ひさのり)どのが――」

「でかした」

 思いがけない頼英の言葉に、全員が揃って困惑の表情を浮かべた。

「危うく失念するところであった。よくぞわしに思い出させたな、篤之」

 頼英は優しいとも思える口調で褒めると、脇息に載せていた肘を外して身を起こした。

「百姓どもを制御できず蜂起させた(かど)により、渡海寿規に切腹を申しつける。先に述べた五人を磔刑(たっけい)に処し、そののち寿規に腹を切らせて首を()ねよ」

 棒で打ち据えられたかのように、みなが身を固くした。

 祐充(すけみつ)はあんぐりと口を開き、篤之はその向かいで唇を噛み締めている。表情は対照的だが、ふたりとも完全に打つ手を失ったところは共通していた。

 税を減らすか、あくまで規定通り納めさせるかについて議論していたはずが、ほんの小半刻も経たない間に六人の死が確実となってしまったとは、なんと恐ろしいことだろう。篤之らがなおもとやかく申し立てれば、頼英はさらに死者の数を増やしかねない。

 阿紀は慄然(りつぜん)となったが、いたたまれない気持ちを表情には出さないよう注意した。

 祐充は早々にあきらめたらしく、もう澄まし顔をして落ち着いている。だが篤之のほうは憤懣(ふんまん)やるかたない様子で、両の拳を固く握り締めていた。

 あ、だめ――。

 彼が何か意を決したように顔を上げたのを見て、阿紀は心の中で叫んだ。

 篤之どの、ここは引き下がってください。お家のこととご家族のことをお考えになって。

 祈るような気持ちでそう思ったが、彼がどんな振る舞いに及ぼうとも、自分にはとうてい止めることなどできはしない。

 緊迫の一瞬、阿紀は最悪の事態を覚悟した。篤之はさらなる諫言(かんげん)で頼英の逆鱗(げきりん)に触れ、哀れな百姓たちをさらに死なせるか、あるいは彼自身がついに殺されてしまうかもしれない。

 しかし篤之は口を開きかけて、はっとなったように動きを止めた。視線は頼英を通り越し、その向こうを見ている。不思議に思いながら、ふと同じ方向へ目をやった瞬間、阿紀は心の臓が跳ね上がったように感じた。

 上段の間の右手奥、重厚な龍の水墨画で飾られた壁面の一部が細く開いており、そこから不気味な顔が覗いている。

 血の気の薄い青白い肌、落ちくぼんだ暗い(まなこ)。病人のように頬のこけたその男は、さながら闇から湧き出てきた幽鬼のようだ。

 面識こそないものの、阿紀はこの人物を知っていた。頼英が馬廻(うままわり)衆とは別に抱えている親衛隊〈黒塚(くろつか)組〉の首領で、たしか(あくつ)延隆(のぶたか)とかいう名だったはずだ。彼は腕の立つ配下を大勢従えており、頼英の命令一下であらゆる汚れ仕事をこなすという。

 延隆の姿を見たことで、篤之の激情は急速に冷めたようだった。

 主君の不興を買った者が夜更けの訪問者を迎え、それきりどこかへ消えてしまう――というのはよく聞く話だが、天勝(ちよし)国では決して根も葉もない風説ではない。延隆は篤之にそれを思い出させるため、彼からもっともよく見える位置に姿を現したのだろう。

 頼英は延隆の出現に気づいているとしても、そんな様子は微塵も見せなかった。

「どうした、篤之」

 切れ長の美しい目で次席家老をまっすぐに見ながら、彼は穏やかに訊ねた。

「わしの下知(げち)が聞こえたか」

 篤之は引きつった片頬に口惜しさを残しながらも、居住まいを正して低頭した。

「は」

「では、この件はおまえに任す。万事抜かりなく、(ただ)ちに()せ」

「承知(つかまつ)りました」

 (うめ)くような篤之の返答を聞き終える前に、頼英はかすかな衣擦(きぬず)れの音と共に立ち上がった。

「御屋形さま、どちらへ」祐充があわてて引き留める。「まだ評議すべき事柄が二、三――」

「中で休む。評議はこれまで」

 有無を言わさぬ調子で決めつけると、頼英は阿紀の横を通って大広間を出て行った。そのあとを小姓ふたりが転げるように追っていく。

 阿紀は表使いの侍女なので、主人が中奥に引っ込んでしまえばもう出番はなかった。控えの間でしばらく待ち、何も沙汰がなければ下城してかまわないだろう。

 評議半ばで解散させられた重臣たちが、煮え切らない顔をしながら三々五々に席を立ち始めたので、彼女もまた腰を上げた。回廊から退出する前にちらりと見た上段の間の奥に、もう延隆の姿はない。壁面はわずかの隙間もなく閉ざされており、そこに人が佇んでいたと思ったのは気のせいだったかとすら感じられた。ほんとうに幽霊のような男だ。

 真夏にもかかわらずうそ寒いものをおぼえながら向き直ると、まだ部屋に残っていた篤之と目が合った。

「恐ろしゅう……ございますね」

 志鷹頼英も、垰延隆も。

 阿紀のつぶやきに、篤之が無言でうなずき返す。実際、今日はかなり危なかった。片や傍観者、片や当事者と立場は違うが、ふたりとも薄氷を踏む思いを味わったのは同じだ。

 篤之はゆっくりした足運びで歩き出し、阿紀とすれ違いざまに低く囁いた。

「阿紀どのも――」

 はっきり聞こえたのはそこまでだが、彼が何を言ったかは明白だ。

〝くれぐれも気をつけられよ〟。

 まったくその通りだ、と阿紀は思った。いま一度、肝に銘じなくては。


 二日後。

 出仕日で城へ上がった久渡(くどう)阿紀(あき)は、控えの間でひとり暇を持て余していた。志鷹(したか)頼英(よりひで)の出座がないまま、そろそろ(ひる)も過ぎようとしている。

 主人がいま奥や中奥にいるのか、あるいは城を出ているのか、彼女には知る由もなかった。出座があれば持ち場に()くよう知らせが来るが、ない時には誰もが阿紀のことなど忘れてしまっている。彼女は頼英の気まぐれで例外的に雇われている侍女に過ぎず、表御殿の運営に必須の人材ではないからだ。

 役目とされているのは頼英の身の回りの世話をすることであり、それがすべてだった。一方、彼女と同じ仕事をする小姓衆には、ほかにもいろいろと受け持ちがある。頼英の日々の予定は彼らが調整しているし、具足や太刀の管理、取次役、来客の接遇、さらに必要に応じて警護役も担う。それらはいずれも阿紀には任されることのない仕事で、手空きの時にできそうなことだけでもと手伝いを申し出てみても、慇懃(いんぎん)に断られるのが常だった。本来なら表向きにいないはずの女に割り振る仕事などないということなのだろう。

 持て余し者扱いされるのは愉快ではないが、不満を募らせたところでどうなるわけでもない。

 早々と割り切った阿紀はせめて待機時間を心地よく過ごせるようにと、登城のたびにさまざまなものを調達しては、自分ひとりだけが使う控えの間へ持ち込んだ。

 薄い敷物と、いくつかの座具。文机(ふづくえ)。茶器。私物を入れておく小さい行李(こうり)。目隠し用の低い衝立(ついたて)

 元は物置だったという控えの間には畳が敷かれておらず、窓はもちろん通風口すら(しつら)えられていなかった。この時季に暑さで()だりたくなければ(ふすま)を開けておくしかないが、そうすると廊下から部屋の中が素通しになってしまう。そこで阿紀は入り口と並行に衝立を置いて四畳間をふたつに間仕切りすると、奥側に敷物を敷いて座具や文机を整然と並べ、落ち着ける居場所をこしらえた。これなら外を通りかかった人が中を覗いたとしても、視線は衝立に(さえぎ)られるので彼女の姿が丸見えになることはない。

 その衝立の陰に座り、阿紀は大きな欠伸(あくび)をひとつもらした。膝の上には息子の泰俊(やすとし)に借りた『日月(じつげつ)記』の第三巻が広げてある。第十代大皇(たいこう)日月(たちもり)秀貞(ひでさだ)公から第十四代廣兼(ひろかね)公まで五代、百五十七年にわたる日月家の治世を記録した年代記だ。非常に興味深い読み物だが、朝からずっと読んでいたので少しくたびれてきた。

 本を閉じて脇に置き、両腕を上げながら背中を伸ばせば、肩のうしろと腰のあたりからコキコキと音がする。すっかり体が()り固まっていたようだ。

 ふーっと息をつき、阿紀は廊下のほうへ目をやった。玄関近くなので人の出入りする音や話し声は始終聞こえているが、こちらへ誰かがやって来る気配はない。このまま待っていても今日はもうお呼びはないのかもしれない――そう思いながら、彼女は台所から湯をもらってきて緑茶を()れると、持参した弁当で手早く昼餉(ひるげ)をすませた。

 それから午後になり、また半刻ほど読書に没頭するうちに、狭い部屋の暑さがいよいよ耐えがたくなってきた。天州(てんしゅう)は北部と南部でかなり気候に差があり、南寄りの大光明(おおみや)(ごう)は年間を通して比較的過ごしやすいが、夏には雨量が減ってひどく暑くなることもある。今年は特に暑さが厳しく、記憶にあるうちでいちばんの炎夏だと言う声もしばしば聞かれた。

 室内にはむっとする空気がこもり、呼吸するたびに胸に熱が溜まっていくようだ。息苦しさを感じた阿紀は本を閉じて立ち上がり、首筋や膝裏をべっとり濡らしている汗を手ぬぐいで丁寧に(ぬぐ)った。

 もう限界だ。外に出て、少し風に当たってこよう。

 しかし衝立を回り込もうとしたところへ、ふいに廊下から声をかけられた。

「御屋形さまがご出座なされます。表御座之間(おもてござのま)へお急ぎください」

「ただいま参ります」

 やれ、ありがたや。殿舎でいちばん涼しい部屋だわ。

 ほっとしながら表御座之間に向かった阿紀が室内の定位置に陣取ったのと、頼英が姿を現したのはほぼ同時だった。

 集まっているのは一部の家老衆と馬廻(うままわり)衆だけで、鏑木(かぶらぎ)祐充(すけみつ)はいるが来栖(くるす)篤之(あつゆき)はいない。してみると篤之は今日は非番なのだろう。

 頼英が高座に()くと、すぐに祐充が話を始めた。

「先ほど平州(へいしゅう)より、華表(とりい)家に不穏な動きありとの報告が届きました」

 隣の平等(たいら)国を治める華表家は志鷹家の最大分家で、当主の志鷹芳朋(よしとも)公は頼英の父方の叔父に当たる。彼は十二年前、宗家の新たな当主となった頼英に敵対して挙兵したが、わずか十日間で惨敗を喫して降伏した。

 以来、芳朋は甥に頭が上がらないのだが、今もまだ志鷹家宗主となる野望は捨てておらず、時折思い出したように人集めや軍備拡張を企てているという。しかし、それらはすべて頼英に筒抜けであり、事前に手を打たれてしまうため再挙兵に至ったことは一度もなかった。

 祐充が言うには、今回は華表城から東に半日ほどの距離にある支城と、そのすぐ近くの山にある古い砦をにわかに整備し始めたらしい。

「芳朋公は昨年も、八奈見(やなみ)街道沿いの支城に手を入れておいででしたし――」

 祐充は貧相な細い顎をなでながら、にやりと笑って言った。

「またぞろ野心を膨らませておられるやもしれませぬな」

 同席の人々が追従(ついしょう)笑いをした。この件については誰もさほど深刻に考えていないようで、みな緊張感のない表情をしている。

 頼英の彫刻のような端正な顔には笑いはもちろん、怒りも悲しみも浮かんではいない。祐充は上目づかいに主人の顔色を窺い、軽い口調で訊ねた。

「書状でも送り、やんわりと釘を刺されますか」

「いや」頼英は考えながら、静かに言った。「誰が支城の普請を命じられたかを調べ、その人物と交誼(こうぎ)ある者を送って探りを入れさせよ」

 敢えて親しい友人に間者(かんじゃ)の役を――。

 従うも逆らうも地獄のこの非情な命令でまた誰かが苦しむのだろうと、阿紀は沈んだ気持ちで思った。ほんとうにこのおかたには人の心がない。

 床に向けていた目をちらと上げると、頼英と視線がぶつかって肝が縮み上がった。いったい、いつから見ていたのだろう。

「阿紀」

 呼びかける声からは何も読み取れない。

「これを終えたら外出(そとで)する。小座敷(なか)の間に着替えを揃えて待て」

「かしこまりました」

 手をついて頭を下げ、そそくさと退室した。うまく取り繕えたとは思うが、まだ胸がどきどきしている。

 阿紀は衣装を整えるために、大廊下沿いにある呉服の間へ向かった。針子たちが作業する部屋に衣装部屋が隣接しており、そこに頼英が接見の際などに着用する衣装が整理保管されている。

 部屋に入ると、窓際で針子のひとりと話し込んでいる来栖(くるす)維織(いおり)が目に留まった。彼は伯父の来栖篤之(あつゆき)から阿紀に便宜を図るよう申しつけられており、出仕し始めたばかりのころに城内のことをいろいろと教えてくれたが、もう大方飲み込んだと判断したのか最近ではあまり構ってくれなくなっている。

 打ち合わせ中なら邪魔をしては悪いと思い、声をかけずにそっと衣装部屋のほうへ行った。

 さて、どれをお召しいただくか――。山ほどある衣装の中から、今日の主人が気に入りそうなものを選び出さなければならない。

 この季節だから、小袖は薄く軽い上布(じょうふ)単衣(ひとえ)。袴は銀襴をあしらった華やかなもの。羽織は短袖がいいだろう。そこまではすぐに決まったが、小袖の色をどれにするかというところで迷いが出てきた。

 さらに暑さが増しそうな昼下がりの外出(そとで)と思うと、何となく淡い色味を選びたくなる。淡水色(うすみずいろ)白群(びゃくぐん)、あるいは牡丹鼠(ぼたんねず)浅支子(あさくちなし)。いや、いっそ暑さを吹き飛ばすような、くっきりと爽快な色にするべきだろうか。

 さまざまな色味の衣装を見れば見るほど、どれも決定打に欠ける気がして選びがたくなってくる。だからといっていつまでも考えていたら、頼英公のほうが先に小座敷中の間に到着してしまうかもしれない。

「白です」

 少し焦り始めた阿紀のうしろから、涼しい声がした。振り向いて見れば来栖維織がいつの間にか来て、衣装部屋の入り口近くに立っている。

「衣装に迷った時は、白を選べば間違いありません。毎回同じになってはいけませんが」

 維織はきびきびした足取りで中まで入ってくると、衣装箱のひとつから目にしみるような純白の小袖を取り出した。

「白は格調高く、夏の風景にも冬の景色にも馴染む、季節を問わず着られる色。御屋形さまには特にお似合いですし、もっともお好みの色でもあります」

 阿紀は彼から小袖を受け取り、微笑みを浮かべた。

「まあ維織どの、助かりました。ありがとうございます」

 別に――とか、これしき――とか、そのようなことを維織は口の中でつぶやいた。視線は素っ気なく横に()らされている。

「早く行かれたほうが」

「はい。そういたします」

 愛想のない少年に精一杯の感謝を込めて会釈すると、阿紀は衣装を入れた乱れ箱を捧げ持って部屋を出た。

 目指す小座敷中の間は殿舎の北東、大廊下の突き当たりで右へ曲がった先にある。中奥の殿舎につながる渡り廊下に近い十畳間で、頼英は表御殿にいる時には着替えや整髪の際にそこを使うことが多かった。

 部屋に着いたらまず毛氈(もうせん)を敷き、小物を並べて……いや、その前に誰かに水桶を持ってくるよう頼もう。殿は着替える前に汗を(ぬぐ)って、さっぱりしたいと思われるかもしれない。

 そんなことを考えながら渡り廊下の前を通り過ぎた時、何か弾力のあるものが濡れた音を立てて背中に当たった。痛くはなかったが、ぎょっとしながら振り向いて見下ろせば、床板の上に大きいヌマガエルが転がっている。

 それが起き上がってのそのそ歩き出すのを唖然として見ていると、中庭の植え込みの陰から人が出てきた。十歳かそこらに見える痩せた少年で、左手にもう一匹カエルを握っている。

 阿紀はその時、ふたつのことを思った。

 まあ、どちらの若君かしら。

 なぜこんなところに浮浪児が。

 そんな相反する疑問が同時に浮かんだのも無理からぬことだった。

 少年はひと目で高価とわかる絹織物の小袖を身につけている。衣装の胸元と裾には見事な枝振りの松が色鮮やかに描かれ、図案全体に金彩や銀彩、豪華な金駒(きんこま)刺繍などが施されていた。しかしその着物は泥とも何とも知れぬ染みで無残に汚れ尽くし、襟元や袖口、裾などは垢じみて黒くなっている。

 どこかの凋落(ちょうらく)した名家の御曹司が、保護する者もないまま一年ほど物乞(ものご)い暮らしをすれば、あるいはこんな外見にもなるだろうか。

 戸惑いをおぼえながらも、阿紀は慎重に少年のほうへ近寄った。彼は植え込みの傍に立ったまま、上目づかいにこちらを睨んでいる。渡り廊下の屈曲部まで行き、ようやくはっきり少年の顔を見ることができた阿紀は思わず息を呑んだ。

 なんという美少年。

 まだ幼さを残しながらも、可愛いというよりは美しいと感じさせる高貴な顔立ち。しかし、彼はあまりにも汚かった。

 肌には垢と土汚れと草の汁がこびりついているし、たっぷりした黒髪は伸び放題でもつれ合い、埃をかぶっている。この距離までくると、においも耐えがたかった。()えたような、かび臭いような、掃除されていない(かわや)のような、さまざまな不快なにおいが入り交じった独特の体臭を立ちのぼらせている。

「おまえだれだ」

 悪臭ふんぷんたる美少年は警戒心に満ちた眼差しを阿紀に据えながら、傲岸な態度で誰何(すいか)した。その声は外見よりもさらに幼く感じられる。

「わたくしは久渡(くどう)阿紀(あき)と申します」彼女は丁寧に答えた。「若さまのお名もお教えくださいますか? 親御さまはどちらにおいででしょう」

 それに対する少年の返答は、もう一匹のカエルを力いっぱい投げつけることだった。

 自分に当たるのはいい。だが乱れ箱の中の衣装に不浄なものが触れるのはまずい。

 咄嗟の判断で身をひねった阿紀にカエルは当たらず、渡り廊下を飛び越して反対側の中庭に落ちた。

「このやろう、よけたな!」

 少年が怒りに満ちた金切り声を上げた。大きく見開いたその両目は吊り上がり、威嚇する犬のように歯をむき出しにしている。子供とは思えない凄まじい形相だ。

 彼は爪に黒い汚れをためた手を(たもと)に突っ込むと、そこからさらにヌマガエルを掴み出した。

「くそ、よけやがって!」

 憤怒の叫びと共に、またカエル(つぶて)が飛んできた。

「くそ! くそ!」

 次々とカエルが袂から出てくる。

 さすがに避けきれず、阿紀はいくつかの礫をまた背中で受けた。それを見て、少年が興奮した猿のようにキャキャキャと笑い出す。(たが)の外れた、聞く者を不安にさせる笑い声だ。

 いくら幼くとも、この振る舞いは――。

 阿紀はカエル礫が尽きるのを辛抱強く待ちながら、暗い気持ちで思った。

 もしやこの若君は気が触れているのだろうか。

「当てた当てた、クドウアキに当てた!」

 少年は手を打って喜んでいる。

「ざまあみろ」

 ようやくカエルが種切れになったらしく攻撃が止まったので、阿紀はほっと息をついて振り返った。

「若さま、わたくしは勤めがございますので、これにて失礼いたします」

「ならぬ!」

 瞬時に、少年の美しい顔が怒りで(しゅ)に染まった。

「おまえ、ここへ下りて来い。もっとカエルを捕りにいく。供をせよ」

 一転して、主筋の身分を思わせる口ぶりだ。命令することに慣れている様子が窺える。なんという掴み所のない、不思議な少年だろうか。

「お供させていただけるのはかたじけなく存じますが、先にせねばならぬご用がありますので」

「ご用など知るか」

 少年は鼻息も荒く大声で言った。

「言うことを聞かぬと(むち)()つぞ。カエルの池に沈めておぼれ殺してやる」

「どうかご容赦を」

「ならぬ! ならぬ!」

 彼は地団駄(じだんだ)を踏みながら叫び、渡り廊下に駆け寄ろうとしたが、その前に何かに気づいて立ち止まった。不自然な姿勢で固まったまま、あらぬほうをじっと見ている。

 阿紀は少年の視線を追って背後に目を向け、びくりとして乱れ箱を落としそうになった。

 いつの間に現れたのか、渡り廊下の入り口に(たたず)む細い人影。

黒塚(くろつか)組〉首領、(あくつ)延隆(のぶたか)がそこにいた。

和頼(かずより)(ぎみ)」彼はどこか物憂(ものう)げな声で、ゆっくりと言った。「そのかたを連れて行ってはなりませぬ」

 少年は見るからに彼のことが苦手そうだが、それでも反抗的な態度は崩さなかった。

「わしが連れて行くと言ったら行くのだ」

「久渡阿紀どのは、御屋形さまにお仕えするかたですぞ」

 その瞬間、少年の様子が豹変した。

「おお、お、お御屋形さま……?」

 自信なさげに問い返す彼の舌がもつれた。額に冷や汗がどっと噴き出し、行き場を失った目がうろうろしている。

「さよう」

 延隆が無表情にうなずいた。

「御屋形さまのご用よりも、和頼君のご用のほうが重んじられるべきだとお思いか」

 少年がうつむいて身を縮め、ひと回り小さくなったように見えた。

「おも、思わない」消え入りそうな声だった。

「ならば結構」延隆の目が、すっと阿紀のほうに向く。「さ、勤めに戻られよ」

 少年のことは気になるが、言われた通りにするほかない。阿紀は黙って頭を下げると、胸にもやもやするものを抱えながら表の殿舎へ戻っていった。


 勤めが終わって下城した阿紀(あき)は、家に帰り着いたその足で息子泰俊(やすとし)の居間へ行った。

「今日、お城で和頼(かずより)(ぎみ)をお見かけしました」

 開口一番そう切り出すと、文机(ふづくえ)に向かって書き物をしていた泰俊が背中をぎくりとさせた。

「和頼、君?」

「はい。〝頼〟は志鷹家の男子が受け継ぐ通字(とおりじ)のひとつ。あの若君は頼英(よりひで)公のお血筋なのですか」

「母上!」泰俊が小さく叫んで振り返り、急いで阿紀の傍までやって来た。「好奇心はほどほどになさらないと」

「でも、どうなのです?」

「――そうです」

 泰俊は一瞬息を詰めたあと言下に言い切り、急に秘密めかして声を落とした。息子は気の細やかな男で、人に聞かれたくないことを話す時は、たとえ聞く者が誰も周りにおらずともこうした用心をする。

「たしかに御屋形さまのお血筋の若君ですが、それ以上のことを詮索してはなりません」

「無理です」

 即座に言い放つ阿紀を前に、息子があきれ顔になる。

「知ってしまった以上は委細を聞かねば。そなたが教えぬと言うなら、ご城内で詮索してしまうやも――」

「おやめください」

 ほとほと困ったと言いたげに、泰俊はうなだれて首を振った。

「どこでお会いになったのですか」

「中奥への渡り廊下で。庭の植え込みに隠れていて、通りかかったわたしにカエルを投げつけてこられたのです」

「カエル?」鸚鵡(おうむ)返しに言って、泰俊は大きくため息をついた。「日ごろはめったに、中や表にはお出ましにならないのですが」

「頼英公のお子なの?」

 志鷹(したか)頼英に正室はいるが重い(やまい)を患っているという噂で、もう何年も(おおやけ)の場に姿を見せていない。ふたりのあいだに子供はひとりも産まれていないはずだ。とすると側女(そばめ)と儲けた非嫡出子だろうか。

 泰俊は難しい顔でしばらく考えたあと、さも気乗りしなさそうに重い口を開いた。

「母上は、ご先代朋房(ともふさ)公のご正室比絽(ひろ)さまを覚えておいでですか」

 意外な名前が出てきた。が、もちろん覚えている。彼女とは顔を合わせたことがあり、その際に泰俊のいとこに同じ〝ひろ〟という名の娘がいるという話で盛り上がったことも記憶していた。

「お人柄の良い、優しいかたでしたね」

「十二年前にご先代さまが失脚された折り、じつは比絽さまは――四人目のお子さまを身ごもっておられました」

 なんと。

「つまり、和頼君は朋房公の忘れ形見(がたみ)? わたしはてっきり、ご先代さまのご家族はみな亡くなられたものと……では、頼英公は代替わりのあと、お子が産まれるまで比絽さまを生かしておかれたのですか」

 しかし何のために。自ら死に追いやった兄の最後の子供を、わざわざ誕生させた意図がわからない。いつか誰かが成長した和頼を正統な跡継ぎとして押し立て、政権転覆を図らないとも限らないではないか。その危険性がわからない頼英ではないはずだ。

「ご城内のかたがたは、あの若君のことをご存じなの?」

「御屋形さまのそば近くに仕える者はみな知っています。が、内でも外でも誰もその話はしませんし、なるべくかかわりを持たぬよう用心しています。母上も、今後もし若君をお見かけすることがあっても、話しかけたりお相手したりなさらないでください」

 それは向こうから絡んでこなければの話だ。カエルを投げられながら無視するのは難しい。

「どなたが育てておられるのですか」

 城内にいながら、山野で野生の獣と暮らしているかのような姿が気になっていた。幼く見えたが、謀反のすぐあとに産まれたならもう十二歳近いはずで、知能や情緒面の発達も少し遅れ気味に感じられる。誰もあの少年をまともに世話していないのではないだろうか。

「さあ、わたしは存じません」

 泰俊が憮然としてそっぽを向いた。こういう態度を取るのは、知っているが話したくない時だ。

「ともかく、訊ねられたことにはお答えしましたよ。これで満足して、もう書き物に戻らせてください」

 満足などできないが、あまり(わずら)わせるのも気が引けたので、阿紀はおとなしく引き下がった。

 しかし食事中も、雑事を片付けて寝支度をしているあいだも、ともすれば和頼のことが繰り返し頭に浮かんでくる。

 彼は〝御屋形さま〟と聞いただけで別人のように萎縮し、言葉がすんなり出てこなくなった。頼英はあの小さな甥御(おいご)を、どんなふうに扱っているのだろうか。

 好奇心はほどほどにと言われたが、気になるものは仕方ない。

 それに――阿紀は行灯(あんどん)を消して(とこ)に入りながら、心の中でつぶやいた。和頼君がああして生かされているなら、母君の比絽さまやほかの三人のお子さまがたもまた、未だどこかで生きておいでなのではないかしら。

 ならば、朋房公も……あるいは?

 自らの問いに戦慄(せんりつ)して、阿紀は夜具の中で身震いした。

 この感覚は恐怖か。それとも興奮か。

 いずれか判然としないまま、阿紀は瞼の裏の闇を見つめながらいくつもの謎の答えを探していたが、やがて抗えない眠りに落ちていった。

聳城国マップ https://13604.mitemin.net/i136505/

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