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玉響(たまゆら)の群像  作者: 唐橋遠海
第三章 新たな火種
129/161

三十七 王生国天山・石動元博 策謀家

 何も考えず、あとも見ずに逃げてしまうべきなのかもしれない。

 こんな場合を想定して、空閑(くが)忍びの政茂(まさしげ)が事前に用意してくれた脱出経路は、まだ敵に知られてはいないはずだ。

 だが、敵とは――いったい誰だろうか。

 石動(いするぎ)元博(もとひろ)は馬を駆けさせながら思案した。

 もっとも怪しいのは、むろん三廻部(みくるべ)亜矢(あや)だ。彼女は仲間を引き連れて南部衆の前に立ちはだかり、貴昌(たかまさ)に婚姻承諾の撤回を迫った。要求が通らなければ殺害するつもりで、林の中に撃ち手を潜ませていたのかもしれない。

 しかし浅慮な姫君とはいえ、たんに結婚したくないというだけで、ほんとうにそこまでするだろうか。

 現場から強引に連れ去ってきた亜矢姫は、手綱を取る元博の両腕の間でじっと馬の(たてがみ)にしがみついている。こちらを見ることはせず、まだ一度も声を発していない。

 この姫を脅し、いざとなれば危害を加えてでも、あの襲撃の真相を吐かせる――元博は瞬時の判断で彼女を馬に引きずり上げた時から、そう心に決めていた。

〝ここで起きたことをつぶさに御屋形さまに伝えよ〟と黒葛(つづら)禎貴(さだたか)から命じられたが、今わかっているのはすべて表面的なことばかりだ。黒葛宗家の嫡子を誰が、何の目的で(あや)めようと(はか)ったのか、確実なことはまだ何もわかっていない。故国へ持ち帰る情報をよりたしかなものにするため、亜矢の口から聞き出したいことは山ほどあった。

 真の敵を見誤れば、黒葛家そのものを危機に陥れることにもなりかねない。

 元博は曲輪(くるわ)道を突っ走りながら、どこへ向かうか考え迷った挙げ句、ほぼ一周して祭堂の前までやって来た。襲撃者たちがあとを追っているとしても、まさか大胆にも現場の近くへ、道の反対側からまた戻ってくるなどとは思いも寄らないだろう。少しは時間が稼げるに違いない。

 参道の入り口で馬を下りた彼は、亜矢を乗せたまま引き綱を取り、本堂の周囲に広がる森へと入っていった。昼でも薄暗い原生林の中は、夜ともなると自分の鼻もほとんど見えないほどだ。だが元博は日ごろよくここへ来ていて慣れているので、進む方向を誤ることはない。

 注意深く樹木の間を縫いながらしばらく歩くと、目指す小屋に行き当たった。雑多な道具類がしまわれている木造の掘っ立て小屋で、扉はいつも施錠されていない。

 元博は目立たないよう裏手の立ち木に馬をつなぐと、亜矢を降ろして一緒に小屋の中へ入った。屋内は漆黒の暗闇だ。

 亜矢を戸口近くに立たせておいてから、彼は壁伝いに歩いて小屋の隅へ行った。そこには大きな行李(こうり)が置かれており、上には古い竹箒や熊手が無造作に積まれている。それらを脇へ取りのけてから蓋を開き、中から風呂敷包みを取り出した。三の曲輪内の四か所に隠してある緊急逃走用の手荷物のひとつで、半月ほど前に彼自身がここへこっそり入れておいたものだ。中には少々の銭貨や変装用の衣類、夜道で使うための弓張(ゆば)り提灯などが入っている。

 手探りで提灯に火を入れると、ようやく視界を確保することができた。

 しばらく放置していたが、亜矢は逃げる様子もなく同じ場所に黙って佇んでいる。元博は提灯を小屋の壁に掛けてから彼女の傍へ行き、腕を引いて床に座らせた。まったく手応えがなく、すべてなすがままだ。

 訊くべきことを訊き、誰かに発見される前に逃げなければならない。

 だが、すぐには声が出なかった。

 にわかに足が()え、彼はよろめいて腰を下ろした。頭も体も疲れ果てて、胸の中が空っぽになったように思える。夜気に混じってかすかに漂う祭壇の薫香は、ふだんならば心を安らげてくれるが、今は何の慰めにもならなかった。

 ただ虚しく、静寂がひしひしと身を押し包むように感じられる。

 首をうなだれて小さく吐息をついたとたん、たまらないほどの悲しみが込み上げてきた。

 どうしてこんなことになってしまったんだ――。

 元博は背中を丸め、片手で目元を覆ってむせび泣いた。両目から熱い涙がほとばしって手のひらを濡らし、そこにまだついていた主人の血と混ざり合う。

 ややあって、背後で亜矢がかすかに身じろぎをした。

「石動元博」

 女々しいやつめと嘲笑(あざわら)うのかと思ったが、呼びかける彼女の声は奇妙にか細く、どことなく怯えたような響きを含んでいる。

「元博……な、泣いているのか」

「そうですよ」

 答えると、また新たな涙があふれ出した。

「あのかたは、わたしにとって……かけがえのない……」

 (あるじ)であり、友人であり、ただひとりの――弟だった。

 その命を奪った者を、決して許しはしない。

「いい気味だと笑ったらどうです」

 元博は彼女に背を向けたままで辛辣(しんらつ)に言った。

「思い通りになって、ご満足でしょう」

「違う」意外なほど切迫した口調で、亜矢が即座に否定する。「思い通りではない。あんなことを望んではいなかった。貴昌を死なせるつもりなど……」

 弾かれたように顔を上げ、元博は振り向いて彼女に詰め寄った。

「では、どういうつもりだったのです。一部隊ほどの人数を引き連れて、鉄砲まで用意して我々に襲いかかっておきながら、ただ脅すだけのはずだったのだとでも?」

「鉄砲など知らぬ!」

 亜矢は元博の剣幕に怯みながらも、必死の面持ちで抗弁した。

「あとから出てきた連中は、わたしの見知らぬ者ばかりだった。あんなやつらが奧に潜んでいたとは、少しも――」

「信じられない」元博は腰を浮かし、彼女にのしかかるようにしながら()めつけた。「あなたは嘘つきだ。昔からそうだった」

 殺したい。

 腹の奥からどす黒い感情が()り上がってきた。

 若殿が最後に感じたであろう痛みを、苦しみを、無念さを、この姫にも味わわせたい。その胸に刃を突き刺し、己がどんな過ちを犯したかを思い知らせてやりたい。

 我知らず右手がさまよい、指先が刀の柄に触れた――その時、かつて耳にした言葉がふいに蘇った。

〝誰の中にも同じように善と悪はあります。そこから何を出すか、出さぬかは本人次第〟

 元博を信仰に導いた伝道者であり、天門信教(てんもんしんきょう)の信徒になるための〈(かど)迎えの義〉を授けてくれた〈門師(もんし)〉でもある五葉(ごよう)祭宜(さいぎ)の声が、記憶の底から浮かび上がってきて滔々(とうとう)と頭の中を流れていく。

〝人の本性とは結局、それをどう選ぶかで決まると言えるのではないでしょうか〟

 わたしの本性は――。

 胸苦しいほど動悸が激しくなるのを感じながら、元博は凝然と目を見開いて自問した。

 怒りに任せて悪心に囚われ、無抵抗な者を情け容赦なく(あや)めるのか。

 そんな道を選ぶのか。

「嘘では……」

 亜矢が蚊の鳴くような声で囁いた。

「嘘などではない。貴昌が死んで、わたしも悲しい」

 意外な言葉にはっとなり、元博は彼女をまじまじと見つめた。

「悲しい? あなたがですか」

「貴昌のことは……好きではなかった。昔から母上が実の子のわたしよりも、彼のほうをずっと可愛がって気にかけていたから。いつだって憎かったし、早くいなくなってしまえばいいと思っていた。それでも――」

 亜矢は顔を伏せ、悄然としながらつぶやいた。

「彼が言った通り、わたしたちは……(おさな)友達だった。わたしを友達だと言った者は貴昌だけだ」

 体の力が抜け、元博は床にへたり込んだ。

 言い逃れようとしているのではと疑い続けることもできたが、彼は亜矢が真実を語っていることを直感した。彼女の言葉を信じられると感じたのは、出会って以来初めてのことだ。

「では、教えてください」

 声を(やわ)らげて語りかけると、亜矢はゆっくり顔を上げて元博を見た。

「最初に雑木林から出てきたお仲間は、あなたが連れて来られたのですよね」

「そうだ」

「〈竜王(りゅうおう)の間〉を出たあとに、ご自身で呼び集めたのですか」

「いや違う。父上に怒鳴られて気がくさくさしていたので、あのあと離れ家で酒を飲んでいたら、いつもの腰巾着が機嫌を取りにやって来たのだ。貴昌との縁談をどうにかして壊したいと愚痴をこぼしたら、手勢を集めてくるから南部の一行を帰り道で待ち伏せ、ちょっと脅しをかけて怖がらせたらどうかと」

 亜矢姫の不満に乗じて、襲撃を焚きつけた者がいる。〝いつもの腰巾着〟。元博は身を乗り出し、彼女の目を覗き込んだ。

「それは、どなたでしたか」

「誰だったか……ふだんから、わたしにまつわりついている連中の誰かだ。正直どいつも似たり寄ったりの――」

「思い出してください」

 元博の真剣さに気づき、亜矢が真面目な顔で考え込む。

「あれは、たしか――正毅(まさたけ)だったかな」

杵築(きづき)正毅どの、ですか」

 両腕の肌に(あわ)が生じ、背中の毛がぞわぞわと逆立つのを感じた。

 核心に迫っている気がする。

 正毅が今夜の一件の黒幕とはとても思えないが、何らかの形でかかわっている可能性はかなり高そうだ。だとすると、彼はどういう意図で亜矢やほかの取り巻きたちを巻き込んだのだろう。浮浪人や牢人(ろうにん)者を金で雇い、夜盗を装って襲わせたとしても結果は同じになったはずなのに。

 いや――。

 元博はある考えにたどり着き、冷や水を浴びたような悪寒をおぼえた。

 同じではない。無法の(やから)に襲撃されて貴昌が命を落としたならば、それは悲劇ではあるが、あくまで三廻部(みくるべ)家にはかかわりのない不幸な事故だったとして釈明することができる。だが、亜矢姫やその取り巻きが徒党を組んで殺害したとなると言い訳のしようもなく、黒葛(つづら)家の怒りはすべて大皇(たいこう)天山(てんざん)へ向かうだろう。

 長子同士の結婚で生まれるはずだった宥和(ゆうわ)は幻と消え、この聳城国(たかしろのくに)西峽(せいかい)北部と南部を分断する争いに発展するかもしれない。

 だが、そんな大それた事態を引き起こして、いったい誰が得をするというのか。

「元博……」おずおずと亜矢が呼びかけた。「顔が真っ青だぞ」

「亜矢姫、ここで――この天山で、何か恐ろしいことが進行しているのかもしれません」

 あらためて言葉にすると、途方もない恐怖と重圧がずしりとのしかかってきた。

「貴昌さまも、あなたもすでに巻き込まれた。これ以上進まないうちに、なんとかして食い止めねば」

 亜矢はよくわからないながらも、元博の焦燥だけははっきりと感じ取ったようだった。

「ど、どうやって食い止める」

「わたしと一緒に、今すぐ城へ行ってください。ほんとうは天山から脱出するつもりでいましたが、大皇陛下が敵ではないと信じて、今夜起きたことをすべてお話ししようと思います。あなたには、わたしの言葉を裏づけていただきたい。やってくださいますか」

「むろ――」

 ん、と結んだ亜矢の言葉尻に、外から聞こえてきた別の声が(かぶ)さった。

「それは困りますねえ」

 涼やかなその声の主は小屋の扉を開け、悠々とした足取りで中へ入ってきた。

「城へはお行きになれませんよ」

 元博は彼を見上げ、胃袋に石が落ちたような感覚をおぼえた。

 椹木(さわらぎ)彰久(あきひさ)……。

 桔流(きりゅう)家に仕える下士で、主人の和智(かずとも)公から黒葛家の人質一行の待遇を任されている世話役。

 元博が心のどこかでずっと疑いを感じ、政茂と共に身辺を探っていたにもかかわらず、これまでどうしても尻尾を掴むことができなかった謎めいた男。

 一見したところ彰久は南部衆に対しては丁重慇懃、気配りが行き届き、何かと便宜を図ってくれるありがたい味方だ。だが元博は、いつごろからか彼の言動や振る舞いに何か違和感めいたものをおぼえ、漠然とした警戒心をかき立てられるようになった。

 彼の親切の裏には、常にしたたかな計算が働いている。人の望みを聞くと見せて、実際は自分の望むほうへ巧みに導くような狡猾さを持っている。そう感じ始めてからは彰久と少し距離を置き、気を許しすぎないように用心していた。

 確たる根拠があるわけではなかったが、やはりあの違和感は正しかったのかもしれない。今ここへ彼が現れたことが、すなわちその証左と言えるのではないか。

「彰久どの」

 低く呻く元博に、彰久が親しげな笑みを向ける。

「元博どの」

「なぜ、わたしたちがここだと」

「ほかの者なら、この場所へはたどり着かなかったでしょうね。ですが、わたしはあなたのことをよく存じ上げています。敵がどれだけいるかも判然としない中、顔見知りの屋敷などに不用意に逃げ込むほど迂闊(うかつ)なかたではないこと。熱心な天門信教の信徒でいらして、日ごろから月に数度は祭堂へ参っておられたこと。そんな元博どのが危急の場合に、ほかよりも安全だと感じてしばし身を寄せられるのはどこなのか――考えるまでもなく、すぐにわかりましたよ」

 憎らしいほど朗らかに言って、彼は小さく苦笑をもらした。

「初めは本堂の中かとも思いましたが、少し辺りを見回ったら、この小屋が目に止まりました。明かりをおつけになったのは失敗でしたね」

「わたしを、どう――」

 彰久は手を上げて元博を黙らせた。

「先にすませておくことがあります」

 そう言った彼の横をすり抜けて、別の誰かが小屋へ入ってきた。その男を見て、亜矢姫が戸惑いの声を上げる。

「正毅? なぜここにいる」

 杵築正毅は問いを無視してずかずか中へ踏み込むと、やおら彼女の腕を掴んで乱暴に引き起こした。

「何をする、離せッ!」

 亜矢は喚き、怒った猫のように彼の手に爪を立てた。間髪を入れず、正毅が彼女の顔面に拳を三発叩き込む。ぐしゃりと(いや)な音がして鼻血が飛び散り、亜矢はくらくらとなって足をもつれさせた。崩れかけたその体の下に彼が素早く肩を入れ、軽々と担ぎ上げる。

 元博は唖然としてその光景を見ていたが、はっと我に返って腰を上げた。

「ま、待て! そのかたをどうするつもりだ」

 だが引き留める間もなく、正毅は亜矢を土嚢のように担いだままで外へ出ていった。

「彰久どの、彼は何を――」

「まあまあ、落ち着いて」

 いらつくほどのんびりした調子で言いながら、彰久は前に出ようとする元博を両手で押しとどめた。

「お気の毒ですが、ここからは出られません。と言っても、非力なわたしにはあなたを止められないでしょうから、別の者がその役目をします」

 彼の言葉が合図だったように、第三の人物が屋外の闇からうっそりと姿を現した。前に彰久と連れ立って正毅の屋敷内に消えるところを見かけた、人相のよくない牢人(ろうにん)(てい)の三十男だ。そのあと桔流邸内の〈賞月邸(しょうげつてい)〉近くで、玉県(たまかね)吉綱(よしつな)に南部から届いたと思われる封書を手渡すところも目にしたので、顔かたちまでよく覚えている。

 記憶にある通りの特徴的な鷲鼻。意固地そうに下がった口角。細い吊り目の眼光は冷たい。

 男は扉を閉めると、その前に仁王立ちした。いつでも鯉口が切れるよう、左手を大刀の鍔に軽くかけている。

 元博は一歩下がって彰久との距離を空け、鳴り響く太鼓のような動悸を静めるために深呼吸をした。

 今、すべての謎の答えが目の前に出揃っているのだと感じる。だが、知りたいことを何もかも聞き出せるだろうか。そして果たしてこの窮地を抜け出し、それを故国へ持ち帰れるのか。

「彰久どの……」

 元博は緊張で閉じた喉を無理やりこじ開け、慎重に彼に話しかけた。

「何もかも、全部あなたが」

 答えないだろうと思ったが、彰久は拍子抜けするほどあっさりとうなずいた。

「ええ、そうですよ」

 晩飯はすませたか訊かれでもしたかのように、返答に淀みがない。

「別の思惑もからんではいますが、大筋はわたしが書いたと言えるでしょう」

「最初から? わたしたちが天山へ来た十二年前から、すでにあなたの企みは始まっていたんですか」

「そうです。南部のかたがたがいらしたことは、わたしにとって僥倖(ぎょうこう)でした」

「若殿――貴昌さまを……(あや)めるつもりだった?」

「とても残念ですが、ええ、その通りです」

 一瞬にして頭に血が上り、気づいた時には大刀の柄に手をかけていた。だが扉の前の牢人がじりっと動き、すかさず元博を威圧する。

「あの若君は人品骨柄ともに申し分のない、ほんとうに素晴らしいかたでした。できることならば、生きていていただきたかったと思っていますよ」

 元博は吐き気を感じながら、黙って唇を噛んでいた。こんな男に、貴昌(ぎみ)のことをあれこれと語られたくはない。

「ほかの皆さんもです。わたしはあなたがたのことがとても好きでした。実際、ずいぶんと肩入れして、いろいろとお役に立ってきたでしょう」

「なら、どうしてこんなことを」

「あなたに大儀があるように、わたしにもわたしなりの大儀があるということです。そのためにはどんなことでもすると、昔から心に決めていました。好意すら抱いた人たちを死なせてもいいし、わたし自身が死んでもかまわない」

 彰久の口調が凄味を帯び、元博は少し気圧(けお)されるのを感じた。

「それでも、あなたには生き延びていただくつもりだったのですよ。あの連中には、元博どのだけは傷つけぬようにと、よくよく言い聞かせてありました。だから攻撃されず、簡単にあの場から去ることができたでしょう」

 元博は息を呑み、懐疑的な眼差しを彰久に向けた。

「わたしを天山の外へ逃がそうと?」

「ええ。亜矢さまをさらったりなさらず、おひとりで行っていただきたかった。もし脱出をためらって桔流屋敷へ戻って来られたら、秘かに三の曲輪(くるわ)を抜け出て下層まで行けるよう、わたし自身が手をお貸しするつもりでいました」

「なぜ――」問うより早く、答えが頭に浮かんだ。「暗殺の首謀者が亜矢姫だという誤った情報を……国に持ち帰らせるため」

 彰久が満足げにうなずく。

「ご名答」

「そんなことをしたら戦になる。黒葛家と三廻部家の――」

 つぶやきながら、元博は彰久の表情を見て愕然となった。彼は微笑んでいる。

「それが……目的だった?」

 彰久はちょっと肩をすくめ、ふうとため息をついた。

「さあ、話はこれぐらいにしましょう。何もかもお教えしてもいいですが、もはや意味がありませんからね」

 あなたはここで死ぬのだから。

 言葉にされなくとも、彼の言いたいことは明確に伝わってきた。

 だが、まだだ。まだ死ぬわけにはいかない。ずっと疑問に思っていたことの答えを得るまでは。

「前にも一度、貴昌さまはお命を狙われた」元博は鋭く叫び、(きびす)を返しかけた彰久の足を止めた。「あれも、あなたが仕組んだのか」

「はい。本来ならばあの時に、けりがつくはずでした。ですが月下部(かすかべ)知恒(ともつね)どのがたまたま助けに入られたので目的を果たせず、そうこうしているうちに黒葛家は守笹貫(かみささぬき)家と戦争を始めてしまったのです」

 だからあれ以来――この十二年間、貴昌の周辺では何も起こらなかったのか。大がかりな戦争中の黒葛家には、ほかに矛先を向ける余裕がなかったから。

「戦が終わるのを待っていた?」

「ええ。長くかかりましたね」

「先ほど言っていた、別の思惑とは何です。誰がかかわっているんですか」

「今さら知って、どうなるというのです」あきれたような口調だ。

玉県(たまかね)家ですか」

 その問いは、不意討ちのように元博の口から飛び出した。自分で訊いておきながら驚き、少なからず動揺もしたが、思えばその名前はずっと頭の片隅にあったような気がする。

「随員の玉県吉綱(よしつな)どのも、あなたの企みに荷担していた。そうでしょう」

 返事を待たずに言葉を続けながら、元博はふいに気づいた。

 あの襲撃の場で、吉綱は敵に名乗りを上げていたのではない。〝自分は味方だ〟と伝えようとしていたのだ。それはおそらく、味方のはずなのに――攻撃を受けていたから。

「仲間だったのに、口を封じようとした?」

 彰久が深く嘆息した。

「あなたは……わたしが思っている以上に、いろいろなことを見抜いてしまっていたようですね」

「吉綱どのがいなくなっても懸念材料が減るだけで、計画に支障はない。なぜなら、あなたの真の同盟者は南部にいる玉県家の誰かだから」

 断定的に言いながら、元博は急いで考えをめぐらせた。

 同盟者は誰だ。玉県宗家の現当主で、吉綱の兄である玉県綱保(つなやす)か。あるいは分家の、安須白(あずしろ)家当主輝綱(てるつな)か。それとも――。

郡楽(ごうら)の……黒葛宗家の奥方、富久(ふく)さまですか」

 前に吉綱が、ここにいる牢人者から受け取った訳ありげな封書。その中に書かれていた、あの一文。

〝仕掛けは富久様御指図に従い遂行〟

 今夜のことが、その仕掛けだったのだろうか。なさぬ仲の子である貴昌(ぎみ)を亡き者にするため、椹木彰久と結託して十二年も前から奸計(かんけい)をめぐらせていたのか。

 いちばん知りたいのはそこだったが、彰久は答えを与えることなく去ろうとしている。

「ほんとうに残念ですよ、元博どの。あなたのようなかたが、わたしの味方であればよかったのに」

「待て!」

 あとを追おうとしたが、牢人者がさっと眼前に立ちはだかり、その隙に彰久は扉を開けて出ていってしまった。見届けもせずに去るということは、この男の腕にそうとうの信頼を置いているのだろう。

 元博はぱっと跳び退(すさ)り、左手で刀の鍔元を強く握った。右手を柄に軽くかけ、相手の出方を窺う。

 剣技に自信があるかといえば、あまりなかった。天山での剣の師だった月下部知恒からも、〝たいして強くはならなかった〟と残念な評価を下されている。だが、じつは得意な技がひとつだけあった。立ち合いでの抜き打ちだ。

 得意だと知られている相手――たとえば師匠などにはほとんど通用しないが、初めて相対する者にはそれなりに有効だった。だが、稽古で使う木太刀と本身では勝手が違う。先に抜き、踏み込んで(せん)を取れたとしても、斬れるかどうかはやってみなければわからない。

 間合いが少し遠いと感じて、元博はじりっと前に出た。危険を承知で、抜き合いの勝負に誘う。

 牢人も爪先を進め、すべるように半歩前へ出た。こちらの意図は完全に読まれているようだ。

 双方の間合いが半間まで狭まった瞬間、ほぼ同時に抜いた。

 元博が下から逆袈裟を見舞い、対する牢人は抜刀の寸前に鞘を返して、上から袈裟懸けに斬り下ろす。

 わずかに速く鞘走った元博の切っ先は、牢人の左腰から胸にかけて大きく斜めに斬り払った。だが浅い。

 一方、牢人の刃は元博の左肩に入った。こちらも深くはなかったが、衝撃で鎖骨が折れたのがわかる。彼はたたらを踏みながら、急いで(たい)を入れ替えた。左手の肘から先は動くが、肩はぴくりとも上がらない。やむなく右手だけで刀を正面に構えると、そこへ牢人がまっすぐに斬り込んできた。

 受けて弾かれ、しのいで()され、立て直す間もなく次々と襲ってくる剣尖を、狭い小屋の中を逃げ回りながら必死にかわす。無様だが、なりふりかまってはいられない。

 右腕一本でかなり粘ったものの、じきに息が切れ、防戦一方で逃げ続けるのもいよいよ限界が近づいてきた。反撃しようにも、その糸口がまったく掴めない。

 何か打つ手は――疲労にぼやけてきた頭で考えたその時、横からの激しい斬撃を受け止めた刀が中ほどで真っ二つに折れた。

 牢人が初めて感情を見せ、ゆがんだ笑みを浮かべる。

 返す刀で大上段から打ち下ろされた次の一撃が、咄嗟(とっさ)に眉間をかばって上げた元博の右腕を肘の下で断ち斬った。

 膝が折れて仰向けに倒れ込んだ彼に(とど)めを刺そうと、牢人が血濡れた刃を構えながら迫ってくる。

 元博は半ば無意識に左手で床の上を()き、折られて落ちた刀身を探り当てた。一瞬の躊躇もなくそれを手のひらに握り込み、折れ口側を胸に押し当てて固定しながら、全身の力を振り絞って跳ね起きる。

 牢人の胸板はもう目の前だ。元博はそこに体ごとぶつかっていって切っ先を突き立てた。斬り下ろそうとしていた相手の勢いが(あだ)となり、刃が硬い肉に深々と埋まっていく。

「がッ……」

 牢人はささくれた声を上げてうしろに()()り、崩れ落ちてそのまま動かなくなった。

聳城国マップ https://13604.mitemin.net/i136505/

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