二十 江蒲国百武郷・黒葛寛貴 三兄弟
百武城攻略は力攻めでいく。
早いうちから黒葛寛貴はそう決めていた。
先の戦では平城の由淵城をじっくり攻めたが、左右両軍が集結して兵数で勝ることになる次戦は、まどろこしいやり方をする必要などない。
主要な支城と砦はすべて潰したので、もう後詰めに横槍を入れられる心配もなかった。
しかも今回は天翔隊が使える。
かつて険峻な山城相手の攻城戦はもっとも困難とされていたが、頂上の天守曲輪を空から直に急襲できる天翔隊が確立されて戦事情はすっかり変わった。ひと昔前ならいざ知らず、今の時代に山上城砦に籠もって戦おうとするなど愚の骨頂だ。
この最終決戦では、聳城国最強と謳われる立州天翔隊が天守攻めを主導する。江州の天翔隊もそこそこ精強だと聞くが、立天隊と三州から合力する三天隊の連合部隊を打ち破れるほどではないだろう。
とはいえ、黒葛軍が誇る天翔隊も無敵ではない。想定通りに空中戦を制しても、曲輪に突入したあとは天守を守ろうとする城方を相手に熾烈な乱戦を強いられることとなる。
連合部隊の兵数は四百人あまり。対する城方の守備兵は、天守曲輪の中だけでも二千人近くは配備されているだろう。〈隼人〉は刀槍での戦いにも長けた者ばかりだが、禽を降りれば多勢に無勢だ。地上軍はできるだけ早く防衛戦を突破して山に攻め登り、頂上で彼らと合流しなければならない。
寛貴がそんなふうに展望しながら百武郷へ入るのと相前後して、耶岐島で敗軍となったとおぼしき江州兵が城へ逃げ戻り始めた。
攻囲陣を敷いたあとなら易々と入れたりはしなかったが、こちらも着いたばかりでは手の打ちようがない。寛貴は物見に人数だけ把握するよう命じ、まずは陣の設営と城攻めの準備に専念した。
守笹貫家の主城である百武城は、高さ二百丈ほどの岩がちな山城だ。五層七階建ての天守と三基の小天守から成る天守曲輪を中心に、尾根に沿って四つの曲輪が配置されている。
山の北東二方は断崖絶壁。南はなだらかな緩斜面。西は裳裾のように細長く伸びている。
寛貴は豪壮な麓御殿がある山裾の本曲輪から半里ほど離れ、屋敷町を囲む堀のすぐ外に本陣を敷くと、着到した諸将の部隊を城の周囲に次々と配置していった。
登るにも下るにも厄介な断崖のある北と東の布陣は薄めでかまわないだろう。三本の堀切で切断された西側の尾根は、時をかければ攻略できるはずなので少し厚めに。残る部隊は主力隊も含め、すべて南側の大手口に集結させる。
百武城表御門の備えは元は枡形虎口だけだったが、三年ほど前に曲輪の塁線よりも突出する位置に半円形の丸馬出が構築されていた。前面に幅二間半の空堀、三つの櫓、全方位に三重の柵を設けた大型のもので、一万人ほど兵を収容できそうだ。
戦端を開くと同時に、城方の守りの要と思われるその丸馬出を全力で叩く。最初の一撃を仕掛けるのは、極限まで練度を高めた自慢の鉄砲隊だ。
「釣井楼を七……いや十基にしておくか」
寛貴はつぶやき、攻城兵器に見立てた碁石を布陣図に置いた。
唇に小さく笑みが浮かぶ。
陣屋の奥座敷にひとり静かに座り、布陣図を前にあれこれ考えるのは楽しいものだ。
今のうちに大まかな戦略を立てておき、あとで右翼大将の貴昭が着陣したら、双方の意見を出し合って微調整を加えよう。
そう思いながらさらに検討を続けていると、小半刻ほどして小姓が右翼軍の到着を知らせた。先頭で陣所へ入ったのは、手勢を預けて耶岐島へ救援に向かわせたいとこの黒葛俊宗らしい。
そのまましばらく待っていると、だいぶ疲れた様子の俊宗が座敷へ顔を出した。くすんだ肌と目に憔悴の色が表れている。
「耶岐島では、だいぶ難儀をしたようだな」
微笑みながらいたわりの言葉をかけると、ふたつ年下のいとこは暗い眼差しでうなずいた。
「お伝えせねばならぬことが……ございます」
そうして彼は〈耶岐島の戦い〉を語った。
鯉登郷から向かっていた、中央本陣の援軍はついに間に合わなかったという。
それにもかかわらず、事前に立てていた綿密な策がすべて図に当たり、右翼軍は寡兵で高閑者軍を圧倒した。主将高閑者元嘉の首級を挙げたのは、立天隊から大将石動博武と共に参陣していた副将真境名燎だ。
そこへ守笹貫信康率いる本軍が到着して、その日二度目の戦闘が始まった。
第一戦で兵数を減らしていた右翼軍はさらに不利になったが、焙烙玉を用いた奇策で敵の先鋒部隊を一挙殲滅。控えの大部隊が乗り出してきたところで、こちらも旗本を含む主力隊が総攻撃に打って出た。
そうして側面から信康陣に迫るべく、旗本勢が突撃をかけていた最中――。
「味方の使い番を装う刺客に不意を突かれ、貴昭どのが相討ちでお命を……落とされました」
「なんだと?」
俊宗の言葉ははっきり聞こえていたが、訊き返さずにはいられなかった。
「貴昭が――弟が、命を落とした?」
「はい」
ひとつの戦が終結したあとには、勝っても負けても気の滅入るような報告がつきもので、それを受け入れる心構えは自ずとできていると思っていた。人生の半分を戦場で過ごしてきた身だ、今さら凶報にいちいち怯んだりはしないと。
だが、この報せは呑み下せなかった。喉の奥に支えて引っかかり、現実に抗おうとする虚しい言葉がその上に次々と積み上がっていく。
うそだ。まさか。あり得ない。
百年にひとりの軍略家と讃えられ、〝軍神〟とも称される男が。
十以上も年の離れた、兄弟の中でもっとも若い弟が――。
急に体の力が抜け、眼前の景色がぐにゃりとゆがんだ。視野が狭まり、耳が詰まり、胸の中で大太鼓を乱打するように激しく鼓動が搏っている。
暴風の中で為す術もなく揉まれる木の葉になったような数瞬が過ぎ去り、ふと気づくと俊宗がすぐ傍で湯呑みを差し出していた。
「水を」
「すまぬ」
どうにかそれだけ言って、寛貴は冷えた白湯をひと息に飲んだ。少し心が静まり、ようやく頭が働きだす。
「それでは負けたのか――耶岐島は」
「いえ、そのまま戦いを続行し、本隊と分かれて敵陣所へ侵入した別働隊が守笹貫信康を討ち取りました」
「大将を失って、なお戦を続けたと」
英断だ。最悪の状況下で、そこまで思い切った決断はなかなか下せるものではない。
「誰が決めた」
「貴之どのが」
一瞬、誰の名を言われたのかわからなかった。
「貴之?」
「甥御さまが」
重ねて言われ、ようやく理解できた。
甥の貴之はもともと由淵で初陣させる予定で手元に預かっていたが、父の陣への救援軍に加わりたいというのでしぶしぶ行かせたのだ。
「貴昭は息子を戦場に出していたのか」
「第一戦から、貴之どのは最前線に配置されておりました。鉄砲隊の撃ちかけに加わったあと、第一陣と共に騎馬で押し出して槍働きを」
聞くだけで肝が冷える思いがした。なんという豪胆な親子だ。
寛貴も由淵で嫡子俊紀を初陣させたが、本陣の中で戦陣の動態を学ぶに留めさせ、戦闘には加わらせなかった。本人もそれで満足していたように思う。
だが弟は大事な跡取りを平然と前戦へ送り出した。いや――平然とではなかっただろう。心中は複雑だったに違いない。しかし最終的に、そうすることを選んだ。そして貴之は父の意に従い、見事期待に応えてみせた。
「貴之は父の死に目に会えたのか」
「いえ……」俊宗の瞳がさらに陰る。「駆けつけたのは、息を引き取られたあとです」
「さぞ悲しんだろうな」
「わたしは旗本勢と共にその場におりましたが、声をかけるのも憚られるような――ひどく張り詰めた面持ちをなさっておいででした」
俊宗は暗く沈んだ声で、耶岐島の顛末の続きを語った。
最後まで戦を続けることを主張する貴之。引き分けでよしとすべきだと考える一部の将たち。
そんな中、貴之が独自に探り出していた隠れ道の存在を明かし、雰囲気が一変した。山中を通るその道を使えば、敵陣所に背後から回り込むことができるという。
すぐさま十人の精鋭による別働隊が組織され、貴之は大将の死を秘すために替え玉を務めて陣頭に立った。
「正面で貴之どのが敵を引きつけるあいだに、別働隊はうしろから本陣へ近づき、旗本勢との交戦の中で家久来龍史なる者が信康を討ち取りました」
ひととおり聞き終えたあと、寛貴はしばらく声もなかった。
「日に二度の合戦、ふたつの大将首——」
噛みしめるように言う俊宗の目に、初めて力強い輝きが灯った。
「貴昭公の勇名と共に、〈耶岐島の戦い〉は千載ののちまでこの国の人々に語り継がれることでしょう」
そうだろう、おそらく。
主将黒葛貴昭の知略、黒葛家のために命を擲つ者たちの勇力、そして嫡子貴之のゆるぎない意志がこの大勝利を実現させた。千年にわたり戦に明け暮れてきた我が家の歴史を振り返っても、耶岐島に匹敵するほどの内容の戦いを見いだすことはできないはずだ。
「貴之も……あれは、たいした子だな」
つぶやく寛貴をじっと見て、俊宗は深くうなずいた。
「若さゆえに向こう見ずで、いささか才走ったところがおありだと感じておりましたが、あの局面で我を押さえ、悲嘆すらも押し隠して勝利のために為すべきことをなさいました。中でももっとも賢明だったのは、大人の力を借りたことです」
「大人の、か」
「己にできることとできぬことを弁え、その上で誠心誠意、父君を支えてこられた宿将らに助力を請われた。あれほど真摯な言葉で頼られて、否やを言える者などおりません」
父親に似ている。貴昭も人の心をつかむのがうまい男だった。
「それで、その貴之はどうした。おぬしと共にこちらへ来たのではないのか」
「七草衆と共に、行軍の殿を務めておられます。着陣されるまで、あと一刻近くはかかるかと」
「貴昭の遺骸……は」
「耶岐島で、国許へ送るための処置を施しているところです。じつは貴昭公の死は、一部の者にしか知らせておりません」
「そうか」
これから始まる最終決戦を前に、将兵を動揺させるのは得策ではない。賢明な判断といえるだろう。
「まだ布陣を始めたばかりで、完了までには数日かかる。宿所を用意させるから、ともかく体を休めるといい」
「では、何かご用があればお声がけください」
俊宗が下がり、小姓のひとりに世話を申しつけていると、俊紀が戸口から呑気そうな顔を覗かせた。
「父上、右翼軍が続々と到着していますよ」
「うむ」
小姓と入れ替わりに部屋へ入った息子を手招き、対面に座らせる。
「おまえに伝えることがある」
「耶岐島の大勝利ならもう聞きました」
「勝つには勝ったが、おまえの叔父が――貴昭が討たれた」
笑顔のまま、俊紀が凍りついた。その唇からゆっくりと笑みが消えていく。
「まさか」
「わしも、まさかと思ったが……事実だ」
こうして言葉にしても、まだ信じられないという思いのほうが強い。
貴昭は兄禎俊が今の俊紀と同じ十五歳、寛貴が十二歳の時に、誰にとっても思いがけなくひょっこり誕生した末の弟だ。彼は幼いころから、年の離れた兄たちに負けまいとするかのように文武に励み、またたく間に戦場で背中を預けられる頼もしい仲間へと成長した。
こと戦に関してはまさしく天才肌で、陣頭に立つ将としての力量は兄弟の中でも図抜けていたと思う。戦うために生まれてきたような男で、血みどろの戦場にあっても決して生気と輝きを失うことはなかった。
戦の神に愛されている――弟を見ていて、そんなふうに思ったことが何度もある。
耶岐島合戦が厳しいものになることはわかっていたが、貴昭ともあろう男が戦いの途上で命を落とすなどとは想像すらしていなかった。
共に果たそうと誓い合った南部統一を目前にして、よもや〝黒葛三兄弟〟の一角が崩れようとは。
つい物思いに沈んでしまったことに気づいて顔を上げると、俊紀は唇を噛んで声もなく泣いていた。
息子の泣き顔を見るなど、いつ以来だろう。
「俊紀……」
「貴之が可哀想です」ぎゅっと閉じた目尻からあふれた涙が頬を伝い、膝を掴んだ手の甲にぽたぽたと滴り落ちる。「あいつは父上のことが大好きなのに」
「戦とはこういうものだ。戦いの中で父が子を亡くすこともあるし、その逆もまた起こり得る。日ごろよりそう心得、常に備えておかねばならぬ」
つい説教くさい調子で言いながらも、寛貴は息子の意外な情の深さに胸を打たれていた。何ごとにも関心の薄い、どちらかというと冷淡な子だと思っていたが、これほどにいとこを思いやれるなら本当は人情に厚いのかもしれない。
「もう貴之に会われましたか」
ぐいと袖で顔をぬぐい、俊紀が訊いた。
「いや、まだだ。行軍の殿を務めているそうだから、到着までしばらくかかる」
「出迎えに行ってもよろしいですか。せめて郷の入口まで」
かすかな不安がきざす。
「街道沿いには江州兵がうろついているやもしれぬ」
ここで待てと続けようとしたが、決然とした面持ちの俊紀に遮られた。
「もし立場が逆なら、貴之はわたしをひとりにはしておきません」
ふと――古い記憶が脳裏をよぎった。最初の妻小夜を不慮の事故で亡くしたときのことだ。あまりの衝撃に生きる気力を失い、魂が抜けたようになっていたあいだ、兄禎俊は片時も離れず傍にいてくれたし、まだ七歳だった弟貴昭も幼いながらにいたわりの心を示してくれた。
真の意味で兄弟三人が結束したのは、あれが最初だったように思う。
俊紀と貴之、そして天山にいる貴昌君は同じ親から産まれた子ではないが、濃い血縁のいとこ同士だ。宗家と分家の次代を担う彼らは共に苦難を乗り越えることで絆を強め、この先新たな〝黒葛三兄弟〟になっていくのかもしれない。
そう考えるとなにか心慰められ、片羽をもぎ取られたような痛みが少しやわらいだ気がした。
「では行け。護衛を何人か連れてな」
「はい」
俊紀は憂いのある微笑みを浮かべ、軽く会釈をして出て行った。
目元涼しく、鼻筋の通った男前だった。
くっきりと濃い、凛々しい眉。輝きのある瞳。少し口角の上がった唇。そこから発せられる声は深みがあり、確信に満ちて朗々と響いた。
布陣図を見ているつもりの目に、亡き弟の面影ばかりが浮かんでくる。
半刻あまり無駄な努力を続けたあと、どうやっても集中しきれないことを悟り、寛貴はあきらめて立ち上がった。これほど頭の中が貴昭でいっぱいになっていては、まともな布陣など考えられるはずもない。
「外へ出る」
声をかけて式台へ向かうと、隣室に控えていた近習の真境名和高がついてきた。
「和高、姉の話をもう聞いたか」
小姓として側仕えに加わった十歳のころから、あまり面差しの変わらない童顔の和高が怪訝な表情になる。
「どの姉でしょう」
「長姉の燎だ。耶岐島合戦に参加したのは知っているか」
「はい」ひそめた眉が不安そうだ。「姉になにか……」
「大将首を挙げたそうだぞ」
「ええ?」
ほっとしたのと驚きとが相まって、声がひっくり返った。
「意外だったか」
「は――いえ、あの姉ならやりかねません」
真面目な顔で言って、寛貴を苦笑させる。
「真境名家は女傑揃いだが、燎は群を抜いているな」
「〈隼人〉になったことや兵士として戦場へ出ていることも含め、何もかもが異例ずくめの人ですから」
「此度の殊勲で、大きく名を高めることとなろう。そろそろ三十路が近いはずだが、彼女は婿を取って家を継がないのか」
「まるでその気配もありません。よほど軍働きが楽しいのでしょう。兄邦高と次姉の瑛に女の子供がふたりずつおりますから、姉は独り身のままで当主になり、いずれ姪を養嗣子に迎えるやもしれません」
「真境名家は子だくさんだな。おぬしは四人兄弟だったか」
「末の妹の凜を含めて五人きょうだいです」
うらやましいことだ。
黒葛家はここしばらく、子供の少ない時期が続いている。宗家には貴昌君ひとりしか子供ができなかったし、寛貴自身の生明家も俊紀と奈々の一男一女で終わりそうだ。嫡子のほかにも男子が産まれたのは七草家だけで、貴昭が死んでしまったからには今後子供が増えることはない。
この戦が終わり、貴昌君が天山から戻られたら、何を置いてもまず縁組みのことを考えねばならないだろう。俊紀と貴之はすでに婚約しているが、長年故郷を離れて人質勤めをしていた貴昌君にはまだ決まった相手がいない。
宗家の跡取りに相応しい妻となると、見つけるのはなかなか骨が折れそうだ。俊紀には樹神家、貴之には雷土家から姫をもらい受けることになっているので、それらの名家より格の劣る家の娘では収まりが悪いという枷もある。
なにはともあれ、次代の三人にはできるだけ早く身を固め、ひとりでも多くの子供を儲けて欲しいものだ。
「おぬしはまだ結婚しないのか」
陣屋の外へ出ながら訊くと、和高は少し照れくさそうな表情になった。
「この戦が終わったら、と考えております」
「相手は誰だったかな」
「ご家老の――真栄城邦元さまの孫の恵里どのと婚約を。お父君は立州におられる真栄城修資どのです」
真栄城家は宗家も分家も男きょうだいばかり大勢いて、みな黒葛三家のどこかで要職に就いている。修資はたしか七草城家老のはずだ。
いくつになっても若々しく元気のいい男で、博労も舌を巻くほど馬の扱いに長けていると聞いたことがある。
「真境名家と真栄城家は、元は同じ家だったらしいな」
「はい。といっても今ではもうほとんど血のつながりはなく、苗字や家紋にわずかに名残が見られるだけですが」
「その両家の血が、おぬしの子の代で再び交わるわけか」
支族同士の縁組みは、本来は手放しで歓迎されるものではない。力ある家臣が結婚によって結びつき、さらに力を強めることを嫌う主家は多いはずだ。
だが黒葛家は昔から、そういう方面にはかなり鷹揚なほうだった。支族は身内同然であり、彼らの繁栄は主家のそれにもつながるという考え方が根付いているからだ。また、この二百年あまり謀反なども起きていないため、君臣の絆に絶対の自信を持っており、なおさら大らかになっているところもあるだろう。
しかし今後はどうだろうか。
貴昭が亡くなったということは、立身国の支配者がいなくなったということだ。嫡子の貴之は跡取りとして申し分なく成長しているが、如何せんまだ年が若すぎる。空席となった立州国主代の座に、野心をかきたてられた支族の誰かが手を伸ばす可能性は考えておくべきだろう。
むろん仕置きを決めるのは兄禎俊だが、黒葛家の宗主といえども立州の有力家臣たちの意向を無視することはできない。
「頭の痛いことだ」
口の中でつぶやくと、隣で和高が小首を傾げた。
「お薬湯を――用意させましょうか?」
言葉通りに受け取ったらしい。
「いや、いい」
寛貴はゆっくり歩いて城下町の目抜き通りへ出ると、北に聳える城山を見やった。そちらの方向が少し靄っているのは、本曲輪近くに攻城兵器を立て並べる場所を作るため、近隣の建物を次々に打ち壊しているからだ。そうして破壊する一方で、塹壕を掘り、土塁や楯などの仕寄りを築き、釣井楼や走り櫓などの大型攻城兵器を続々と建設してもいる。
「夕餉の前に、普請奉行から進捗を聞きたい」
「は。伝えます」
寛貴は城山に背を向け、宿所の準備に勤しんでいる各部隊の旗印を道の左右に確認しながら南へ下っていった。
陣所の南端に定めたあたりはすでに長い木柵で仕切られ、両開きの扉がついた冠木門も建てられている。その門前で、今しも馬を下りようとしている貴之の姿が見えた。
従者に馬を任せて門をくぐった甥が、寛貴を見つけて微笑む。
「伯父上」
どこか陰りのある笑顔に胸が痛むのを感じながら、寛貴は彼に近寄って肩にそっと手を触れた。
「よくぞまいった。大事ないか」
ふと気づけば、出迎えに行くと言ったはずの息子がいない。
「俊紀は?」
「わざわざ来てくれて嬉しかったのですが、おれと目が合うたびに涙ぐむので、先に陣屋へ帰ってもらいました。事情を知らぬ者が見ると不安がりますから」
苦笑しながら言い、貴之はうしろから来た駕籠に手で合図を送った。黒漆塗りで金の蒔絵が施された、格式の高い長棒駕籠だ。四人で担ぎ、その周囲を護衛衆が取り囲んでいる。
「あれは父です」
通り過ぎるのを横目に見ていた寛貴は、はっとなって振り返った。貴之は恭しく運ばれる駕籠に感情のこもらない眼差しを向けている。
「――という態で扱っています。中は空ですが」
「貴昭の死をまだ知らぬ者たちには、どう話しているのだ」
「耶岐島で合戦を終えたあと、熱を出して寝ついたことにしました。重体には陥らざるも重篤、と。軍勢への指図は宿将たちが代行していますし、さしあたり疑念を抱かれてもいないようなので、最終決戦が終わるまではしのげるでしょう」
淡々とした口調に、これを乗り切るという痛々しいまでの決意が表れている。
「大変な……初陣であったな」
泣くかと思った。
貴之は鋭く息を呑み、寛貴を見て一瞬唇を震わせた。
「――はい」
睫毛を伏せたが、涙はこぼさない。
「伯父上が耶岐島へ行かせてくださったお陰で、父の最後の戦に立ち合えました。感謝しております」
顔を上げた時には、彼は情動を抑え込んでいた。瞳は澄み、現実に挑みかかろうとするような引き締まった表情をしている。そんな甥を前に、寛貴は愕然たる思いでしばし佇んだ。
もう――子供ではないのだな。
由淵陣から送り出したのはほんの十日前だが、離れていたわずかのあいだに彼の少年時代は終わってしまった。
背後に控えている馬廻衆の雰囲気からして以前とは違う。彼らが貴之に向ける眼差しは、すでに庇護すべき子供に対するそれではなくなっていた。
頼もしいと喜ぶべきなのだろうが、そこはかとない悲しみをおぼえずにはいられない。それに加えて少し胸がざわつくのは、心の片隅で俊紀と貴之を無意識に比べてしまったせいだろう。
決して愚鈍ではないが、まだまだ甘さの抜けない嫡男に、このいとこと同じ試練が乗り越えられるとはとうてい思えなかった。少しばかり過保護に育て過ぎただろうか。
「伯父上」
低く呼ばれて我に返ると、貴之が怪訝そうにこちらを見つめていた。
「すまん、考えごとをしていた」
言い訳がましくつぶやき、寛貴は貴之を促して歩き出した。
「右翼軍の宿所には、町の西側を割り当てている。手ごろな建物を見つけてあるので、そこを陣屋にするといいだろう。奥の間を貴昭の病室ということにして、人を近づけぬよう護衛の衆で固めてな」
「そうします」
「陣屋を整えたら、おまえはわしのところで過ごしてはどうだ。俊紀や一門衆もいるので、多少は気が休まるだろう」
「お言葉、かたじけなく存じますが――」貴之は申し訳なさそうに、しかしきっぱりと言った。「当面は立身衆と共にいることにします。父の近侍だった者たちがひどく消沈していて気がかりですし、大将が倒れたと知らされて動揺している将士も少なくありませんから」
自身への慰藉は後回しか。そんなに我慢をしなくともよいのだぞ――と言ってやりたかったが、寛貴はぐっと言葉を呑み込んだ。
彼は何かしらの決意をもって、ひとりで立とうとしている。そして人の助けが必要になれば、自分の口でそう言うこともできる。心配だからといって、求められもしないうちから無闇に手出しをすべきではない。
おれがこんなだから、俊紀が甘ったれになるのだな。
かすかな自省の念を感じていると、彼の腹の裡を読んだかのように貴之が言った。
「伯父上が陣所を見回られる際には、ぜひお供をさせてください。野戦は父の陣でたっぷり見てきましたが、攻城戦はこれが初めてなので、いろいろ教えていただきたいと思っています」
おや、気をつかわせたか。そう思って苦笑がにじんだが、愛甥に頼られて悪い気はしない。
「あとで仕寄りの出来具合を見に行く。その時に声をかけよう」
「はい」
ちらりとだが、ようやく普段の彼に近い笑顔が見られた。ほっとしながら笑み返し、うしろをついてきていた近習を呼ぶ。
「和高、貴之を案内してやれ」
そこで別れて陣屋へ戻ると、腰を下ろすのを待ち構えていたように俊紀が奥座敷へ現れた。
「父上、貴之と話されましたか」
「うむ。思いのほか落ち着いて、己の役割に集中しているようだ。まずは西の区画に陣屋を構えるよう言ってきた。――待て、俊紀」
そのまま外へ出て行きそうな様子の息子を急いで呼び止める。
「会いに行くのは、向こうが少し落ち着いてからにしろ。すぐに押しかけると迷惑になる」
「あ……はい。そうですね」
素直にうなずいたが、表情は残念そうだ。
「では、しばらくどこかで暇をつぶしています」
屈託なく言う息子が、今の寛貴の目にはいかにも未成熟に見えた。
聳城国マップ https://13604.mitemin.net/i136505/




