十五 立身国射手矢郷・六車兵庫 火の玉小僧
立州天翔隊は、第一から第五までの五つの部隊を擁している。
拠点は立身国北部、中央部、東部にそれぞれひとつずつあり、本拠である北部の鉢呂砦には由解虎嗣率いる第一隊と、六車兵庫率いる第五隊が駐留していた。士大将の石動博武と、副将の真境名燎もこの砦にいることが多い。
各部隊を構成する兵数は八十人前後で、部隊長と副長の下、四人の班長によって運用されている。
かつて天翔隊の部隊長や班長には侍しかなれなかったが、博武が統括し始めてから、立天隊では身分にかかわりなく実力本位の登用を行っていた。とはいえ、現在五人いる隊長たちの中で侍身分でないのは六車兵庫だけだ。
兵庫は黒葛家と守笹貫家の戦いが始まった翌年から戦陣で働き続けているが、立場はずっと雇い兵のままであり、今も決まった主人や仕える家などは持っていない。しかし合戦で幾度も手柄を立ててきた実績を買われて天翔隊士に抜擢され、班長、副長を経て二十四歳の時に第五隊を預かる隊長へと昇格した。
神速果敢、精強無比の〈六車隊〉――近ごろではそんな呼び声も聞こえるようになりつつある第五隊は、兵庫が四年かけて育て上げた古兵揃いの荒くれ部隊だ。隊士にも雇い兵や足軽上がりなど、ひと昔前なら天翔隊の一員になるなど考えられなかったような者たちが交じっている。
機動性に優れる第五隊は、合戦では先鋒を任されることが多く、目前に迫った百武城攻めでもその任を負うことが決まっていた。
「おれが戻るまでに、百武城天守をどう攻略するか考えておけ」
数日前、石動博武は兵庫にそう言い残し、真境名燎を伴って出かけていった。これから数日以内に地上で行われる予定の、二拠点同時決戦に加わるためだ。
黒葛軍の右翼は耶岐島郷、左翼は由淵郷でそれぞれ戦い、勝利したその足で街道を一挙北進。百武城下に両軍集結したのち、守笹貫家の本城に攻めかかり最終決戦に臨むことになっている。
立天隊は、地上軍が戦端を開くと同時に鉢呂砦を進発。百武城天守曲輪の守りに就く江州天翔隊を撃破し、三州から来る三天隊と共に空から曲輪へ突入して三基の小天守と五重七階建ての天守内部を制圧する手はずだ。
天守の最上階には、守笹貫家の宗主道房が籠もっているらしいと言われている。本当にそうなら、曲輪全体にかなりの守備兵が配置されているに違いない。
突入後は激戦が予想されるため、邪魔な江天隊は合戦が始まる前に外へ引っ張り出し、空で片づけてしまいたい――と兵庫は考えていた。
しかし、日に何度か偵察騎を飛ばし、天守曲輪に近づいて敵を煽るような行動を取らせているが、今のところ相手が挑発に乗ってくる様子はない。おそらく彼らは、合戦になるまでは曲輪を飛び立つなと命じられているのだろう。
籠城を決め込んでいる敵を浮き足立たせるためには、何か途轍もなく奇抜な手段が必要だ。そのための策は、すでにいくつか頭の中にあった。しかし、どれもいまひとつ決定打に欠ける気がしている。
この日も、兵庫は朝飯もそこそこにして早朝から陣屋へ行き、奇策をひねり出すべく執務の間に入った。狭い部屋の中はそれなりに片付けられているものの、机上には昨夜深更まで目を通していた戦略書や絵図面が所狭しと広げられたままだ。それらをかき分け、畳の上に胡座をかいて百武城の鳥瞰図を取り上げたところで、廊下から訪う声が聞こえた。
入室を促す言葉を待って襖を開けたのは刀祢匡七郎だ。
「おはようございます」
爽やかに朝の挨拶をしながら、彼は兵庫の執務机に近づいてきた。片手で小さな盆を支えており、その上に湯気の立つ湯呑みをひとつ載せている。
兵庫は手元の絵図から視線を少し上げ、匡七郎のきっちりと結い上げた髪や、剃り残しひとつなくきれいに髭をあたった顔に思わず感心した。
隊士たちは明け六つ前に起床すると、すぐに点呼のため兵舎の外へ集合する。さらにその後は朝食、洗面、居室の整頓などを定められた手順どおりに進め、六つ半を過ぎるころにはもう各々の役務に就かねばならない。となると当然、身形を整えるのに使える時間などは、かなり限られてくる。そのわずかな時間で、どうすれば毎朝このように一分の隙もない出で立ちに仕上げることができるのか、と兵庫は不思議に思った。
そんなふうに訝られていることなど思いもよらぬ匡七郎が、微笑みながら机に湯呑みを置く。立ち上る湯気からは、香ばしい煎茶の香りがした。
それを手に取りながら近くでよく見れば、匡七郎は頬骨の上あたりに不審な青あざをつくっている。昨夜までは、たしかになかったはずだ。
だが兵庫は敢えて言及せず、無言のまま茶をひと口味わい、ついでのように問いかけた。
「今朝、何か気づいたことはあったか」
「同室の保武が鼻をぐずぐずいわせていました。少し風邪気味のようです。それから第四班の周蔵どのが、朝飯にほとんど手をつけなかったように見受けられました。ここ何日か、あまり食が進まない様子なので、気がかりなことでもあるのかもしれません」
「そうか」
兵庫がうなずいた時、また誰かが襖の外へ来て声をかけた。
「よろしいですか」
「入れ」
招じられて入ってきたのは伊勢木正信だ。
匡七郎は兵庫に頭を下げると、正信と入れ替わりに軽く会釈をして出ていった。その後ろ姿を見送って傍へ来た正信が、兵庫の手に湯飲みを見つけて目を細める。
「朝からゆっくり茶を飲んでおいでとは、珍しいですな」
「毎朝、執務についた頃合いを見はからって、匡七郎が運んでくるのだ」
「それは気の利くことで」
「おぬしが申しつけたのではないのだな」
「いえ、まさか」正信はかぶりを振り、低く笑った。「本人がやりたいと思うから、やっているのでしょう」
兵庫は嘆息すると、散らかった紙類の隙間に湯飲みを置いた。
「いったい何を考えておるのやら」
「それはもちろん、兵庫さまのお役に立ちたいという一念でしょう」
「しかし、従者まがいの仕事にまで手を出さずとも、ほかにすることはいくらでもあるはずだ」
「調練には積極的に参加しておりますし、当番もきちんとこなしています。ご命令どおり、かなり厳しい長時間の飛行訓練を課しておりますが、そちらもいまのところ滞りなくやり遂げていますので、空き時間に多少好きなことをするぐらいは大目に見てやってもよろしいのでは」
正信の大らかな弁護を聞きながら、兵庫は苦笑いをした。
「それで、その訓練のほうはどうだ」
「あの頭抜けた飛行感覚は、おそらく天性のものでしょう。大胆不敵で、すさまじく速い。飛び方が派手なので戦場ではかなり悪目立ちしそうですが、技術的にはまったく申し分ないかと。ただ――」
「ただ?」
「天眼組では複座騎の前乗りを務めていたそうですが、好き勝手に飛ぶことに慣れすぎています。斬り手と組ませるのは、少々難しいやもしれません」
ここしばらく、正信は匡七郎の飛行訓練に連日つき合ってやっている。後鞍に人が立っている状態での、禽の操り方を再修得させるためだ。しかし匡七郎の操禽はあまりにも自由奔放かつ乱暴で、身に染みついた癖をそう簡単には矯正できそうにないらしい。
「普通に飛んでいる分にはさほど問題ありませんが、攻撃を受けたり不測の事態に出くわしたりすると、つい同乗者への配慮を忘れて本能に任せた回避行動をとってしまうようです。あの急加速や鋭い方向転換に、咄嗟に対応できる者はおらぬでしょう」
「おぬしでも難しいか」
「実際、何度も振り落とされそうになりました。実戦でもあんな調子だと、相方を殺しかねません」
冗談めかしているが目は真剣だ。兵庫は少し考え、ゆっくりと言った。
「ならば斬り込む側に回すのもよかろう。刀も槍も、人並み以上に使う男だ」
「たしかに。しかし、あれだけの腕前を実戦で用いぬのは、いささかもったいないようにも思えます」
本気で惜しがっている口調に、兵庫は少し驚きをおぼえた。あまり物事にこだわらない正信がここまで固執するからには、匡七郎の腕前はよほどのものなのだろう。
「いますこし時間をかけて訓練すれば——」
「どうにかなるか」
「したいですな、どうにか」正信は呻くように言い、にやりと笑った。「兵庫さまも、あいつの飛ぶさまをご覧になれば、必ずやそうお思いになられるかと」
「ならば、午後にでも様子を見にいくとしよう」
「北西の演習空域を使いますので、第二練兵場からご覧になれます」
「わかった」
そこへ兵庫麾下の四人の班長が連れ立ってやって来た。本日の訓練と、その合間に行う偵察行動の詳細を確認するためだ。
昨夜も何か理由をつけてしたたか飲んだのであろう彼らは、みな揃って腫れぼったい目をしていた。さらに全員の顔に、明らかに酒のせいだけとは思えない奇妙な腫れも見受けられる。
ひととおり打ち合わせを終えたところで、兵庫は穏やかに問いかけた。
「棋八郎、義明――誰と喧嘩をした」
名指しされたふたりは決まり悪そうに目を見合わせたが、やがて観念した様子で異口同音に答えた。
「匡七郎です」
予期していた通りの名が出てきた。
「何があったのだ」
「聞いてくださいますか、兵庫さま」
その言葉を待っていたというように身を乗り出して、班長たちが口々にしゃべり始めた。
「あいつは、まるで火の玉のようなやつです」
「いいや癇癪玉だ。当たればたちまち破裂する」
彼らが言うには、酒宴は途中まで何も問題なく、なごやかに進んでいた。ところが、匡七郎が初めて鉢呂砦へ来た際に、兵庫の前で気絶して倒れた話を誰かが持ち出したあたりから、一気に雲行きが怪しくなったらしい。
ちょうどいい酒の肴とばかりに、棋八郎らがふざけて「軟弱な野郎だ」「面相も女顔で柔すぎる」などとからかっているうちに、匡七郎が猛然と暴れ出した。初めは彼が酩酊しているものと誰もが思ったが、その攻撃は峻烈そのもので、まったく酔っている様子のないことが次第にわかってきたという。
「いやもう、手当たり次第に殴るわ蹴るわで、なだめてもすかしても止まるもんじゃありません」
「しかもあの野郎、優男のくせに腕っ節の強いこと強いこと」
「それで」兵庫は当惑顔で訊いた。「どのように場を収めたのだ」
脇に控え、黙って話を聞いていた正信が、そこで初めて口を開いた。
「頃合いを見て、わたしが匡七郎を殴り倒しました」
「あの見事な青あざは、おぬしが拵えたものだったか」
兵庫が楽しげに言うのを見て、他の隊士たちが苦い顔つきになる。
「笑いごとじゃありませんよ、兵庫さま」
「あんなに気性の激しいやつだとご存じなら、せめて先に教えておいてくだされば」
不平を鳴らす彼らに向かって、兵庫は静かに言った。
「いや、幼いころはじつに従順で慇懃な子供だった。軍役に就いて、気性が変わったのやもしれん」
「あるいは兵庫さまの前でだけ、何枚も猫をかぶっていたのか」
正信が含み笑いをしながら言うのを聞いて、兵庫の脳裏に昔の記憶が蘇ってきた。
そういえば椙野道場の平蔵、篤次郎親子が口を揃えて、弟子の匡七郎は頑固者で気が強い、腕白小僧で手を焼かされると言っていたような気がする。しかし結局、実際にそれを裏付けるような様子を目の当たりにすることはなかった。
あの時「おぬしには、よい顔を見せていたいらしい」と言って笑ったのは、篤次郎だっただろうか。
兵庫は文机を挟んで居並ぶ隊士たちを見渡すと、重々しい口調で言った。
「ともあれ、新入りにやられっぱなしでは、班長としての顔が立つまい。次に同様のことがあったなら、遠慮はいらん。力でねじ伏せて、おぬしらの流儀を存分に叩き込んでやれ」
「それがよろしいでしょうな」
正信が涼しい顔で合いの手を入れ、隊士たちが「簡単に言わんでくれ」と言いたげに悄然と眉尻を下げる。しおしおと引き揚げていく彼らを見ながら、兵庫はめったにないほど朗らかな笑い声を上げた。
つられ笑いをしていた正信が会釈をして、「では、わたしもこれで」と腰を上げる。
「正信」
「は」
「近ごろ、周蔵は何か問題を抱えているのか」
不意打ちを食らった驚きも露わに、正信は凝然と目を見開いた。
「よくご存じで」
「目端の利く雀を飼い始めたのでな」
兵庫の言う〝雀〟が誰のことなのか、あらためて問わずとも彼にはわかったようだった。参ったというように肩をすくめながら、再び文机の前へ戻ってくる。
「今回の作戦が終わったら、お話ししようと思っていました。じつは三日前、周蔵のもとに郷里の母御が病に伏したとの報せが届いたのです」
「あやつの家はたしか、母ひとり子ひとりだったな。母御のご容態は思わしくないのか」
「療師の見立てでは、もうさほど長くはなかろうと。しかし周蔵自身は、最終決戦が近いいま、隊を離れるわけにいかぬことをよく承知しております。ゆえに、この件を兵庫さまにお知らせするつもりはない、と申しておりました」
「いかにも、融通の利かぬ生真面目者が言いそうなことだ」
「温情にすがるような真似は、あの実直な男にはいたしかねるのでしょう」
「郷里は三州北部――津々路連峰の麓にある村だと聞いた気がするが」
「はい。周蔵は古満村の出です」
「三州天翔隊の砦がある福寿山の近くか」
「さほど遠くはないかと」
「では伝令役をさせよう。役目のついでなら、さほど気に病むことなく母御を見舞えるはずだ。実家で数日孝行してから、三天隊と共に戻ってくればいい」
伝令を出すということは、作戦の詳細が決まったということだ。すぐそれを悟り、正信の顔つきが引き締まった。
「天守攻めの妙案が浮かびましたか」
「本日、宵六つ半から、ここで班長たちに策を申し渡す。みなに伝えておけ」
「承知」力強く答えた正信が、さりげない調子で問いかける。「此度の策、もしや匡七郎を使われるおつもりで?」
「先読みするな、正信」
思わずにじんだ苦笑を隠すために素っ気なく言い、兵庫は冷めかけた茶を一息に飲み干した。
午後になり体が空いたところで、兵庫はぶらりと第二練兵場へ出て行った。
ここに砦ができた当初からある第一練兵場は主に天隼の離着陸に使われるが、のちに増設された第二練兵場では武芸の調練がよく行われている。
天翔隊の隊士にとって刀槍での戦いに習熟することは、空戦の腕を磨くことに負けず劣らず重要だ。空での戦いを制して砦なり城なりに突入すれば、守備兵との苛烈な戦闘が待っている。
その時に備え、今日も隊士たちは実戦形式の稽古に励んでいる――はずだったが、彼らは広場の中央に寄り集まって空を見上げていた。
「おおっ、すげえな」
「あれを捕捉するのは至難の業だぞ」
言葉を交わしながらも、男たちの目は演習空域で行われている飛行訓練に釘付けだ。
「なんだ、稽古の真っ最中かと思えば、練兵場の真ん中で大口を開けて」
兵庫が呆れ声で言うと、三班と四班の隊士たちはいかにも決まり悪そうに頭を掻きながら、にやりと笑ってみせた。
「えー、只今、我らは匡七郎の訓練の見守りを……」
「なにが見守りだ」
兵庫は低くつぶやき、十数騎が飛び交う演習空域を見上げた。匡七郎の操る禽は低めの位置を飛んでおり、二騎の仮想敵騎に追われている。
なるほど――速い。
思わずそう独りごちたほど、匡七郎は聞きしに勝る速さで禽を飛ばせていた。追尾する二騎はまったく追いつけていない。とはいえ、そこは百戦錬磨の古参組だ。二手に分かれて挟み撃ちをするなど、老獪な連携攻撃で新参者を突き回している。
匡七郎は禽を操っているというより、自分自身の翼を使って思うままに飛んでいるかのようだった。敵騎をかわし、振り切るために、急制動と急加速を繰り返し、見ているだけで目が回りそうなきりもみ飛行や背面飛びを続けざまに繰り出していく。
じつに爽快な飛び方だが、立ち鞍にいる正信はたまったものではないだろう。彼がまだ振り落とされずにいるのは、本人の身体能力の高さと経験値に依るところが大きい。
「おぬしら、あの男と組めるか」
兵庫が問いかけると、隊士たちは渋い顔で微妙な視線を交わし合った。
「まあ……是が非でもと言われ、ほかに選択肢がなければ……」
「ご命令とあらば致し方ないが、正直なところわたしはご免です」
「組めなくはないですがね、おれをうしろに乗せてあんな飛び方をしやがったら頭を叩いてやりますよ」
みな、やや及び腰だ。それも無理はない。
「兵庫さまが組まれては」
第三班に所属する徳兵衛が、ふと思いついたように言った。
「相方だった家久来金晴を失われ、いまはおひとりでしょう。次の乗り手を誰にするか、早めにお決めにならなければ」
「それはそうだが」
「兵庫さまを乗せると、どの禽もなぜか粛然として、みな行儀がよくなりますからね。匡七郎の荒っぽさをうまく相殺するやもしれませんよ」
おかしな理屈だが、妙に筋は通っているようにも思える。
「古くからのご友人なら、さぞかし息も合いやすいでしょうな」
「あの奔馬を御せるのは隊長だけですよ」
ほかの隊士も勢いづいて推し始め、兵庫は閉口しながらため息をついた。
「おれに押しつけようとしているな」
まさか、とんでもないと口々に否定しながらも、みな狡そうな目をしてにやついている。
「見守りはもういいから稽古をしろ。いつまでも油を売っていると、打ち込みの相手をさせるぞ」
真面目な顔で脅すと、隊士たちは首をすくめながらあわてて散っていった。すぐに方々で猛烈な打ち合いが始まる。
天翔隊の地稽古は乱戦が基本だ。一対一の形式を取らず、周りにいる者はすべて敵と見なして打ちかかっていく。刃引きしてあればどんな得物を使うのも自由で、背後や横からの不意打ちも、組み討ちを仕掛けることも許されていた。
練兵場自体も、実戦の場を想定して造られている。整地された広場のほかに、櫓や掘っ立て小屋が集まる一角があり、自然のままに叢林を残して堀切や土塁を配した森もあった。隊士たちはその中を縦横に駆けめぐり、刻々と変化する足場への対応や、周辺環境を巧みに利用する戦い方を身につけていく。
兵庫はしばらくその場に佇んで隊士たちの戦いぶりを見物したあと、第一練兵場へ向かった。一班と二班はそちらで飛行訓練中だ。
山腹を回り込んで北側の副郭に入ってみると、広場は禽と隊士でかなり混み合っていた。端のほうに由解虎嗣の姿が見えるので、彼が指揮する第一隊もこれから訓練を始めるのだろう。
黒葛家の古い支族である由解家の分家筋、菰田由解家の嫡男虎嗣は勇猛果敢で高潔な人物だ。だが少し頭の固いところがあり、新しい物事を受け入れることが苦手なため、兵庫が第五隊を任された当初は強いわだかまりを抱いていたようだった。
侍ではなく素性もよくわからない〝馬の骨〟が、天翔隊の一部隊を率いるなど前代未聞だし業腹だ、とはっきり言われたこともある。
しかし第五隊が戦果を上げ始めると、真っ先に兵庫の手腕を認めてくれたのも彼だった。それ以降は気が置けない仲間同士として接してもらえるようになり、良好な関係が続いている。
「兵庫」
広場へ現れた彼に気づくと、虎嗣は黒々とした太い眉を上げ、白い歯を覗かせた。
「最終決戦の戦略は立ったか」
「どうにか。あとで少々お時間をいただけますか。第一隊との連携について、ご意見を伺いたい」
「晩飯を一緒に食いながら話そう。従者を呼びにやらせる」
「では、夜にまた」
軽く会釈をして虎嗣と別れ、兵庫は第五隊の隊士たちがいるところへ近づいた。
第二班の班長怡田棋八郎がすぐに気づき、明けっ広げな笑顔を見せる。
「これから模擬空戦をやりますよ。参加されますか」
「いや、正信に匡七郎を任せきりにしているので、少し手伝ってやろうと思ってな」
「ははあ。隊長直々に火の玉小僧を仕込もうってわけで」
兵庫はかすかな戸惑いを感じ、横目に棋八郎を見た。
「ほんとうに、それほど手に余る男なのか」
「長いつき合いじゃなかったんですか」
「出会ったのは子供のころだが、共に過ごした日々はわずかだった。おれには見せなかった顔があるのやもしれん」
「短気なやつですよ。目上に殴りかかったのは今回が初めてだが、聞けばすでに何度か同輩とやらかしているらしい。挑発やからかいを受け流せない質なんでしょうな。これまで大きな問題にならなかったのは、さっぱりした性分で、気が静まるとすぐに謝罪なり和解なりするからだそうです」
棋八郎の言葉を聞きながら、兵庫は刀祢匡七郎を初めて見た時のことを思い出していた。
椙野道場の前の道で、仲間と取っ組み合いをして遊んでいた小柄な少年。自分よりもずっと大きい、負けて当然の相手に敗れたにもかかわらず、口惜しさを全身からにじませていた。
人に教えることがあまり得手ではない兵庫が、柄にもなく勝ち方指南などしてみたのは、その負けん気を好ましく感じたからだ。
そうか――思えばあのころから、鼻っ柱は強かったのだな。
ひっそり苦笑をもらす隣で、棋八郎が上空を指差した。
「そら、降りてきますよ」
北西の演習空域に出ていた第一班が戻り、広場の空いた場所に次々と降り立った。それと入れ替わりに第二班が飛び立ち始め、棋八郎も乗騎へと向かう。
匡七郎が手綱を取る禽が森の近くに舞い降りるのを見て、兵庫はそちらへ近づいていった。
鞍から降りた正信が険しい顔つきをしている。気分が悪そうだ。
「正信、だいじょうぶか」
思わず声をかけると、彼は黙ってうなずき、額の冷や汗を袖でぬぐった。優れた平衡感覚を持つ屈強な男だが、珍しく足をふらつかせている。
「かなり振り回されたようだな」
「渦潮に巻き込まれた気分です」
重い声音でそう言うと、正信は大きく息をついてこめかみを揉んだ。その背後で、匡七郎が情けない顔をしている。
「すみません」
無茶な飛び方をしてしまったという自覚はあるらしい。それなのに、なぜ衝動的な操禽を控えることができないのだろう。
兵庫は不思議に思いながら、正信を休憩に行かせた。これ以上引き留めていると、吐くか倒れるかしそうだ。
次に彼は、飛行を終えたばかりの第一班隊士から、乗り手だけ五人を選んで呼び集めた。
「おぬしら、まだ飛べるだろう。五騎で連携して、匡七郎を追い回してくれ。鬼ごっこのようにな」
しゃべりながら森の際の草むらに入り、手ごろな枯れ枝を拾い上げる。
「これを投げ合って、匡七郎に当てたら鬼の勝ちだ」
「前期訓練を思い出しますよ」
ひとりが枝を受け取りながら言い、ほかの者たちが声を揃えて笑った。物を投げ合いながら飛ぶのは、隊士候補のころによく行う訓練のひとつだ。
彼らが乗騎に戻ると、兵庫は当惑している様子の匡七郎に歩み寄った。
「何をしている。我らも飛ぶぞ」
我らという言葉に若者がさっと顔色を変える。
「えっ、まさか……兵庫さまが立ち鞍に?」
「そうだ。急げ」
鞍に跨がるよう追い立て、兵庫は自分もひらりと後鞍に跳び乗った。
「模擬空戦中の第二班を邪魔せぬよう気を配れ。だが演習空域からは外れるなよ。ぐずぐずするな、飛べ」
矢継ぎ早に注文をつけ、離陸を急かす。
「承知」
緊張も露わに応じて、匡七郎は禽を飛び立たせた。北側で訓練中の第一隊を避けて大きく回り込み、再び北西の演習空域へと向かう。ほかの五騎も間髪を入れず離陸し、ぴたりと後を追ってきた。鬼ごっこはすでに始まっている。
「あれ?」
匡七郎が手綱を引きながら、訝しげな声を上げた。
「どうした」
「禽の反応が――なんだかいつもと違うのです。鈍いというか、おとなしいというか……。疲れたのかな」
そのつぶやきを聞き流し、兵庫は追撃組の位置を確認した。二騎が前に出て、攻撃する間合いを計っている。
「ときに匡七郎、おぬしいつ軍役に就いたのだ」
のんびり問いかけると、匡七郎が不安そうに身じろぎした。こんな時に何の話だと思っているに違いない。
「四年前——です」
「椙野家のかたがたはご健勝か」
「平蔵先生も若先生も相変わらずです」
「篤次郎先生は妻帯されたのか」
「先年ようやく」
「ほう。それはいつのことだ」
「あれは確か……六年、いえ五年前――」
「はっきりせぬか」
「すみま——」
匡七郎が息を呑み、言葉を途切れさせた。右上に敵騎が迫っている。
手綱を絞り、大きく左肩を落とすように降下した直後、棒きれがくるくると回りながら彼の頭上を通り過ぎた。斜め下で別の一騎がそれを受け取り、同時に力いっぱい投げ返す。軌道の先を読んだ、絶妙な位置への投擲だ。
直撃される寸前に匡七郎は禽を急旋回させ、二度目の攻撃も鮮やかにかわした――が、同乗者の存在は完全に失念しているらしい。
兵庫自身はこれしきで振り落とされたりはしないが、正信の〝相方を殺しかねない〟という言葉は合点がいった気がする。
「それで、篤次郎先生はいつご結婚されたのだ」
再び話しかけると、匡七郎はようやく彼のことを思い出し、ぎくりと背筋を強張らせた。
「はい、ええと……六年前です」
「ならばもう、お子もおいでだろうな」
「男の子がひとり」
「歳は幾つになる」
「確か今年で三つか、四つ――」
敵影を警戒しつつ禽を操り、同時に問いかけにも答えていた匡七郎が、そこまで言ってふいに口をつぐんだ。深いため息をつき、肩ごしに恨めしげな視線を向けてくる。
「操禽に集中できません。そう次々と質問しないでください」
「この程度で気が散るようでは、まだまだだな」
「五騎に囲まれ、攻撃を受けながら飛んでいるのですよ」
「そうした状況下でも集中力を保つための訓練と思え」
「では、せめて数字で答える質問はなしにしてくださいませんか」
「甘えたことを言っていると、暗算をさせるぞ」
兵庫は手を伸ばし、うしろから彼の肩をぐっと掴んだ。
「おぬしの操禽は巧みだが不安定だ。それに挙動が乱暴すぎて、このままでは乗り手として使い物にならん。矯正できるまで、これから毎日この訓練を行うことにする」
「は、はい」音を立てて唾を飲み、ちらりとこちらを見る。「あの、明日以降も……兵庫さまが斬り手役を?」
「そうだ。飛行中に一度でもおれを振り落としたら、すぐさまお払い箱にするぞ。そのことを肝に銘じておけ」
ぴしゃりと言ってやると、匡七郎は叱られた犬のようにしょぼくれた鼻声をもらした。
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