第93話 後継者たち
事情を把握して部屋に戻ると、空気が一変しているように感じた。
誰もが互いを疑う視線を交わし、張りつめた沈黙が長テーブルを覆っている。
この中で容疑から外れるのは、俺とリンだけ。先ほどまで品定めをするようだった眼差しは、今や救いを求める色ともとれる。
全員の視線を浴びながら、勇気を出して声を張る。
「……失礼します。セカルズ様はいらっしゃいますか?」
上座で腕を組んでいた男が、静かに立ち上がった。
「私がセカルズだ」
鋭い目を細めたその顔は、神経質さと冷徹さを同時に感じさせる。背丈は俺とほぼ同じだが、纏う気配は重い。
「バックス辺境伯に献上した酒を、一本セカルズ様へ渡すよう仰せつかりました」
「父上が……? まさか、これは……」
瓶の栓を抜いたセカルズは、立ちのぼる香りを確かめる。
次の瞬間、彼の瞳がわずかに見開かれた。
「やはり……カリーシュか! これさえあれば、いざという時に活路を開ける……!」
重苦しい沈黙を裂くようなセカルズの声が響き渡ると、張り詰めていた空気がわずかにほぐれた。気分をよくした彼は言葉を継ぐ。
「――レオ、リン……兄弟を紹介しよう。サーディス、フォルラン、フィオージ……立て」
その声音には、場を支配する者の自信と余裕が宿っていた。
名を呼ばれた三人が椅子を引き、次々と立ち上がる。鋭い視線を俺に向け、順に存在感を示していく。
サーディス――軽薄そうな笑みを浮かべながらも、瞳の奥に冷たい計算を宿す、ニヒルな男。
フォルラン――一切の感情を表に出さず、無表情のまま静かに立つ、寡黙な影。
フィオージ――立ち姿からして闘志が溢れ出し、熱を帯びた視線で周囲を圧する、猛々しき熱血漢。
「――私が第二、サーディスが第三、フォルランが第四、フィオージが第五候補……兄ファスクが生きていた頃は、そうだった……」
セカルズが一瞬だけ視線を落とす。その仕草には、故人を悼む静かな哀惜が宿っていた。演技ではない――そう思わせるほど自然だ。
だが、油断は禁物。この場にいる誰もが、潜在的には牙を隠した獣。
「魔法師と冒険者については、私たちがそれぞれ出したクエスト出した者を通じて紹介を受けてくれ……だが、その前に決めねばならん――【闇玉】迷宮に潜る日だ。レオとリンの準備が整い次第と考えているが……異論は?」
誰一人として口を開かない。沈黙がこの場の合意としてみなされる。
「――よし。レオ、リン。お前たちは、いつから動ける?」
「……必要な持ち物の指示をいただければ、明後日からでも」
胸にひっかかる言葉はあったが、今この空気で問い質すのは無謀だ。疑問は、ひとまず心の奥に沈める。
「では、明後日から潜るものとする――二人はこのまま残れ。解散!」
セカルズの一喝で、まず兄弟たちが席を立つ。次いで魔法師、冒険者たちが音もなく続き、広間を後にする。セカルズの背後に控える三人――魔法師一名と冒険者二名、そして俺とリンだけだった。
「紹介しよう、私が雇った金証魔法師四段のライゼルだ。雷系統を得意とし、第四位階まで習得している」
セカルズの言葉に応え、一歩前へ出た男は、魔法師というよりは屈強な冒険者を思わせる体躯をしていた。肩幅の広さと分厚い胸板、足腰もがっしりとしている。
「ライゼルだ。セカルズ様のパーティの指揮を任されている。セカルズ様が【闇玉】習得に最も近い。万一の際は、セカルズ様の護衛を最優先にしてくれれば助かる」
俺はその大きな手を握り返し、すぐに疑問を口にした。
「一つ伺ってもいいですか。ライゼルさんは、バックス辺境伯ではなくセカルズ様個人からクエストを受けているのですか?」
「ああ、そうだ。俺だけじゃない。ここにいる魔法師も冒険者も、それぞれ護衛に就く方と直接契約している。だから契約内容も報酬も、全員違うわけだ」
契約内容も違うのか……詳細を聞きたいが、依頼者の目の前で掘り下げるのは無粋だ。俺は話題を切り替え、模範的な質問を選んだ。
「明後日までに、何を用意すればいいでしょうか?」
「そうだな……食糧、武器の手入れ道具、着替え、頑丈なテント。あとは――持てるだけの酒だ。アルコール度数が高ければ高いほどいい。それと金がないなら回復薬や毒消しは必須だな」
そんな量を、この人たちは本当に持っていくのか?
それになぜ、迷宮を潜るのに金まで必要なんだ?
頭の上に疑問符が浮かんだ俺を察したのか、ライゼルが先に口を開いた。
「荷物の大半は俺が背負う。少しでも冒険者たちが身軽に動けるようにな。だから、俺の荷物は毎回五十キロを超える。セカルズ様にも三十キロ以上は持ってもらう」
――五十キロ!?
思わず息を呑む。その体格と分厚い腕。なるほど、あれだけ鍛え上げられているのは、このためか。
「金はな……フォルランが雇っている金証魔法師――セイラに癒やしてもらうときに必要なんだ」
ライゼルは苦笑しつつ肩をすくめた。
「彼女はなかなかの守銭奴でな。一度の料金は小さくても、二カ月も続けば塵も積もれば山となるってやつだ。それに、サーディス様が雇っている金証冒険者――シャルロットも、第一位階魔法【解毒】だけは使えるが、しっかり請求してくる……まったく、女性はたくましいものだ」
雇われていない陣営から金を取るのは、確かに当然なのかもしれない。
――ただ、女性だからという理由で一括りにしないでほしい。
リンはお世話になった宿の女将さんに、倍返しどころか、有り金すべて――百倍返し以上の礼を尽くした。
それだけではない。俺には、惜しげもなく剣術を教え、さらには俺が潜る迷宮に報酬も求めず同行してくれる。
――これ以上の人が、果たしてどこにいるというのか。
「承知しました。明後日、用意ができたらここに来ればよいですか?」
「うむ……できれば朝一で出発したい。なるべく早めに来てくれ」
「かしこまりました。では、僕たちは準備を整えてきます。また分からないことがあれば、ご教示ください」
深く頭を下げ、屋敷をあとにする。
「……想像以上に過酷な迷宮だな。持ち込む量も尋常じゃない。リン、いざという時の回復薬や毒消しは、いつもの倍を。あと、少量でいいからカリーシュも持っておいてほしい」
「うむ……それと、できれば他の金証たちの契約内容も知っておきたい。私たちと違って、護衛対象が自分の依頼主だけなら厄介だ」
「だな。警備体制の見直しも考えないと……よし! とにかく必要なものを一気に買いそろえよう。まずは酒だ。年末だから品薄になる前に、確保しておくぞ」
リンの手を引き、バックス辺境伯邸の中に渦巻く陰謀など知らない街へと駆け出した。




