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第91話 バックス辺境伯からの依頼

 年末のバックスは、いつにも増して華やかに賑わっていた。

 【海嘯タイダルウェーブ】迷宮を抜け出した俺たちは、色とりどりの魔石灯に照らされた石畳を、軽やかな足取りで進んでいく。

 通りには、香ばしく肉を焼く匂いと、熟れたフルーツの甘い誘惑が入り混じり、胃袋をくすぐってきた。


「うむっ! やはり肉は、あの露店がいちばん美味いな! フルーツ串も最高だ!」


 すべての誘惑に負けたリンは、両手いっぱいに肉と串を抱え、頬をほころばせながら声を弾ませた。

 ギルドの前で、冬の夜風に頬を撫でられつつ街行く人々を眺め、肩を並べて熱々の肉と甘い果実を味わう。噛みしめるたび、街の喧噪と灯りがいっそう鮮やかに感じられた。


 腹を満たした俺たちは、扉を押して冒険者ギルドの中へ。

 途端に、場のざわめきが一瞬止まり、無数の視線がこちらに集まる。

 金証魔法師と金証冒険者――しかも最年少。その肩書きにリンの美貌が重なれば、注目を浴びるのも当然だ。

 憧れと羨望の視線を背に、俺たちは三階、金証冒険者専用ロビーへと階段を上がっていく。


「……いつ来ても、ここで人と会うことがないな……」


 冒険者よりもギルド職員のほうが目立つ閑散としたフロアに足を踏み入れ、俺たちは迷うことなく、いつもの受付嬢のもとへ進んだ。

 カウンターの向こうで、リリアがいつもの柔らかな笑顔を浮かべて出迎える。


「レオ様、リン様。第四位階魔法最難関と謳われる【海嘯タイダルウェーブ】迷宮は、いかがでしたか?」


「ええ、かなり手強かったですよ。クラーケンに引きずり込まれたら、間違いなく命はなかったでしょうね。まさか魔法陣が海底にあるとは思いませんでした」


「さすがのレオ様でも、習得は諦められたのですか?」


「ええ……まぁ、そんなところです」


 本当は習得しているが、あえて言う必要もない。金証魔法師として、これ以上目立つ必要はないし、何よりリンと組んでいるだけで十分に嫉妬を買っている。


「それは致し方ないですね……ですが、そんなお二人にぜひお願いしたいクエストがございます」


 金証冒険者ともなれば、掲示板に貼られた依頼など目にすることはない。担当職員が直接、力量に見合った案件を用意してくれる。

 リリアが静かに引き出しを開け、一枚の羊皮紙を取り出す。

 それは、赤。


「緊急クエスト……!? 下の階には掲示されていませんでしたが!?」


「はい。その通りです。これは金証冒険者にのみ与えられるもの――依頼主は……バックス辺境伯です」


 赤い羊皮紙を受け取ると、そこに記されていたのは、たった一行だった。


『バックス辺境伯との謁見』


「な、なんですか……これは……?」


 今まで受けてきたどの依頼書ともまるで違う。報酬も、危険度の注釈すらない。ただ一言――謁見。


 リリアは表情を崩さず、静かに説明を続けた。


「このクエストは、バックス辺境伯と謁見するだけのものです。その後、辺境伯から新たなクエストを直接提示されることになります。それを受けるかどうかは、もちろんお二人の自由です。ただし……辺境伯が提示される内容について、私は知っておりますが、お伝えすることはできません。どうかご容赦ください」


 ギルドはあくまで橋渡しにすぎないということか――。


「……いつですか?」


「なるべく早い方が良いでしょう。ただ、依頼される内容は【海嘯タイダルウェーブ】迷宮関連よりも難易度が高いと、お考えください」


 バックスにある第四位階最難関の【海嘯タイダルウェーブ】迷宮よりも難易度が高い――そう聞かされると、候補は限られる。いや、実質一つしか思い当たらない。


「……分かりました。では、明日伺うことにします。ここに来ればいいですか?」


「いえ、そのままバックス辺境伯邸へ向かってください。こちらからアポイントメントを取っておきます。場所はお分かりですね?」


「貴族街というのは知っていますが、その先には入ったことがなくて……」


「大丈夫です。一番大きなお屋敷がバックス辺境伯の邸宅です。そこだけ警備も厳重ですので、迷うことはないでしょう」


 ……ざっくりだな。

 そもそも貴族街なんて、庶民の俺には縁がなかった場所だ。こんな旅装のままで本当に大丈夫なのだろうか、と一瞬不安が胸をよぎる。


 こうして俺たちは、翌日、バックス辺境伯邸を訪問する約束を交わし、賑やかなギルドを後にした。


「リン、俺は初めて貴族街に行くんだけど、こんな服装で大丈夫か? あと、下見に行きたいんだけど……」


 こういう時は、やっぱりリンに聞くのが一番だ。


「私たちは金証魔法師と金証冒険者として招かれているのだ。このままの姿の方が、むしろ失礼がないだろう。それに……下見はやめておけ。不審者と間違われたら厄介だからな」


「……なるほど、聞いておいてよかった」


 胸を撫で下ろす俺に、リンは小さく微笑んだ。


 本当は年末のバックスを、もっとリンと二人で歩き回りたかった。露店を回ったり、彼女が嬉しそうに串を頬張る顔をもう一度見たり……。

 だが、明日のことを思うとどうにも気持ちがそわそわして、街の煌びやかささえ落ち着かない。


「……今日は宿で休もう。明日に備えないとな」


「うむ。それが良い」


 俺たちは互いにうなずき合い、イルミネーションのように灯る魔石灯の下を、宿へと歩き出した。


 翌日――


 銀を、まるで夜の墨で縁取ったかのように艶やかに曇らせた甲冑をまとった騎士たちが、立ち並ぶ街区へと足を踏み入れた。


 そこは、俗世の喧騒を遠ざけた貴族街。目に映る屋敷の数は驚くほど少ない。

 リン曰く――いかに迷宮都市バックスが大都市であろうと、貴族と呼べるのはバックス辺境伯とその血縁、辺境伯を支える下級貴族、それに叙爵されたわずかな冒険者たちのみだという。


 やがて、街区の中心――重厚な門と荘厳な石壁に守られた、ひときわ大きな屋敷が姿を現す。疑いようもない。こここそが、バックス辺境伯邸。


 その正面には、四名の騎士団員が立ち塞がっていた。

 俺たちが近づいた瞬間、彼らは無言で槍を交差させ、金属音が響く。


「すみません……ギルドのクエストで伺いました」


 差し出したクエスト用紙に、一瞬視線を落とした騎士たちが、すぐ俺たちの胸元――金色に輝く徽章へと目を移す。確認し合うようにわずかに頷き、槍を下ろした。どうやら、すでにギルドからの連絡が入っていたらしい。俺たちは無言のまま屋敷の門を通される。


 重厚な石造りを進むと、騎士に代わって一人の執事が現れ、無駄のない動きで先導していく。高い天井には銀細工のシャンデリア、壁には古い戦いを描いたタペストリー、さらには剣までもが飾られていた。


 やがて辿り着いたのは、大きな両開きの扉。

 執事は振り返り、俺たちに一礼すると、扉をノックし――返事を待たず、わずかに隙間を開けた。残念ながら、そこから中の様子を窺うことはできない。


「旦那様、金証魔法師レオ様、金証冒険者リン様がお越しになりました」


 その瞬間、扉の向こうから伝わる多人数の気配に、背筋が自然と伸びる。

 十……いや、二十近くの視線が、この先に待ち構えているのだろう。

 そして――重みのある、威厳を帯びた声が室内を揺らした。


「……入れ」


 執事に導かれ、重厚な扉をくぐると――視線が一斉に俺たちに注がれる。

 長テーブルには二十名ほどの男女が腰を下ろし、全員が息をひそめてこちらを見据えている。


 その中に、一人だけ見知った顔を見つけて思わず目を見開く。

 ワイバーン討伐の際に指揮を執り、【風絨毯エアリアル】の魔法書を授けてくれた――金証魔法師、フェイル。

 ということは……ここにいる全員が、金証以上か?


 そんな推測が脳裏をよぎる中、執事はさらに奥へ進み、玉座を思わせる豪奢な椅子に豪快に背を預ける男の前で足を止めた。

 圧倒的な存在感。

 この人物こそ――バックス辺境伯に違いない。


「お初にお目にかかります。金証魔法師、レオと申します」


 俺が深々と頭を下げると、隣でリンも静かに倣う。


「金証冒険者、リンです」


 沈黙が数秒続くと、辺境伯の低く威厳を帯びた声が響いた。


「……面を上げろ」


 その一言で、俺とリンは同時に顔を上げる。

 白髪交じりの髪、鋭い眼光――老練さと獰猛さを兼ね備えた男が、俺とリンを交互に射抜くように見つめた。


「お前が【虹魔法師プリズマギア】で……そして――【剣姫】か……」


 返答を許さぬまま、さらに言葉が紡がれる。


「お前たち二人に――ぜひ受けてもらいたいクエストがある」


 俺は唾を呑みこみ、一歩踏み出す。


「……はい。どのようなクエストでしょうか?」


 辺境伯は椅子の肘掛けを軽く叩き、僅かに身を乗り出した。


「後ろに座る者たちと共に迷宮へ潜り――後継者争いの渦中にある息子たちが【闇玉アビス】を習得するのを支援してほしい。そして……」


 次の言葉は、俺たち二人を動揺させるのには十分すぎる言葉だった。


「――後ろに座る者たちの中に潜む殺人鬼から、息子たちを守れ。この中の誰かが、【闇玉アビス】迷宮ボス部屋で、もっとも後継者に近かった者を刺し殺したのだ」


 瞬間――不可視で強烈な殺気に背中を刺さされる……そんな感覚を覚えた――

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