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第86話 恩返し

 その夜――


「見たか!? あの光!」

「鳳龍様が俺たちを救ってくれたんだ!」

「俺たちには鳳龍様がついているぞ!」


 村人たちは歓喜に沸き返り、何度目か分からないほどの乾杯を交わしていた。

 その笑顔には、安堵と興奮、そして生き延びたことへの感謝があらわれている。


 当然と言えば、当然。

 カリの木は蘇り、失われかけた希望も、奇跡とともに戻ってきたのだから。


 しかも聖属性の第五位階魔法という、元宮廷魔法師イシュバルでさえ知らない魔法を目の当たりにした今、たとえ村がミノタウロスに蹂躙されてたとしても、彼らの眼には、満足感と達成感が漲っていた。


 俺も鳳龍という存在については半信半疑だったが、認めざるを得ない。


 そんな中、これまで村長から事情を聞いていたサグマが、俺たちの輪へと加わる。


「……大活躍だったそうだな」


「必死だっただけですよ」


 そう答えると、サグマは少しだけ口元を緩めた。


「謙遜するな。私としても、王国にしても、この村が……いや、カリの木が消滅していれば、大きな損失だった。本当に、よくやってくれた――レオン」


 手に持った空のグラスに、サグマが酒を注いでくる。

 アストラリアで初めて口にした酒――思いのほか、悪くない。

 ……と言っても、今グラスに満たされている『カリーシュ』というかなり度の強い酒だけだが。

 他にも何種類か勧められて試してみたが、どうにも口に合わなかった。


「で、リンスはどこに行った?」


 問いかけに対して、俺は目線だけで応える。

 サグマがそちらを見て、眉をひそめた。


「リンスは……誰と話しているんだ?」


「ブルホーンの第一発見者です。リンはどうしてブルホーンの接近に誰も気づけなかったのか、納得できないことがあるみたいで……」


 普通に考えれば、この村に魔物が現れるには、断崖絶壁から転げ落ちてくるか、あるいは山道を登ってくるしか道はない。

 けれど、俺たちは毎日のように北カリ村と麓の集落を往復している。

 もし山道を通って来たのであれば、誰かしらが気づいていて当然だ。


 では、断崖から転げ落ちてきたというのか?

 だとすれば、体のどこかに傷が残っていてもおかしくはない。

 だが、発見時のブルホーンには、それらしい損傷が一切見当たらなかったという。


 ……つまり、どこからも来ていない。

 あるいは――来たことに気づかせなかった。


 そんな俺の推理と重なるように、村長イシュバルが静かに口を開く。


「転移のような魔法を用いたか……あるいは――」


 イシュバルの目が宙を睨む。


「認識阻害魔法……【隠蔽コンソール】などを使った可能性があるな」


 そう思うのが当然だよな。

 そのとき、ちょうど聞き込みを終えたリンが戻ってきた。


「やはり、どうにかして隠れていた……あるいは隠していたのだろうな。目撃者によると、ブルホーンは突然現れたらしい。地面にも空にも、魔法陣は見当たらなかったそうだ」


 ――となると、やはり認識阻害が本線か。

 だが、イシュバルの表情はまだ腑に落ちない様子だった。


「確かに【隠蔽コンソール】であれば隠すことも可能。しかし、こんなにも大勢の目を欺くとなるとよほどの使い手……そんな人物は一人しか思い浮かばぬ。それも既に死んだ隣国の魔法師だ」


「隣国って……ヴィーレ勇国ですか?」


「ん? ああ、そうだ。まぁ本人は魔法師ではなく、傭兵と名乗っていたがな」


 傭兵か……。

 依頼さえもらえれば冒険者とやることは変わらないのかな?


「もっとも……【隠蔽コンソール】自体、いまや失われかけている魔法のひとつだ。使い手もほとんど残っていないはずだがな」


「失われた魔法? どうして?」


「ヴィーレ勇国など、迷宮を管理していない国に関しては、珍しい魔法を刻む迷宮核は、壁から抜きとられ、迷宮が崩壊することが多い。なぜか分かるか?」


 試すような視線を送ってくるイシュバル。


「独占したいから……ですか?」


「その通り。だから【治癒ヒール】が希少になってしまったのだよ。昔は何か所かあったのだがな……」


 確かに独占はしたいかもしれないな。

 珍しい魔法であればあるほどに……。


 そんな俺の思考を遮るように、イシュバルが口を開いた。


「それにしても、レオよ。今回ばかりは随分と助けられた。礼をしたいのだが……何か望みはあるか?」


 お――そうくるなら、ここは遠慮する必要はないだろう。


「魔法書が欲しいです。覚えていない魔法をもっと知りたくて」


 あえて子どもっぽく、無邪気な口調答えた。

 だが、それを聞いた村長の表情は、どこか曇った。


「魔法書か……この村で魔法を扱える者の多くは、いずれも外の世界に旅立ってしまった。だから残っている魔法書も少ない……正直、あまり期待はしないでくれ」


 まぁ、あまり期待はしないでおこう。

 そう思った矢先、カタリナが俺に声をかけてくる。


「レオは、【闇玉アビス】の迷宮に潜るつもりなの?」


「もちろん。そのためにも、早く金証魔法師になりたいんだ」


 俺とリンがバックスに居られるリミットは残り僅か。

 来年の夏あたりには、バックスを発ち、王都を目指さなければならない。

 それまでに、バックスに眠る第四位階魔法と第五位階魔法は是非とも覚えたい。


「もう、潜る準備はしてあるの?」


「準備? いや、特には……」


 正直なところ、【闇玉アビス】の迷宮については、まだ何一つわかっていない。


 すると、カタリナはふっと視線を逸らし、村長へと向けた。


「村長、レオは【闇玉アビス】の迷宮に挑もうとしています。けれど準備がまだのようですから、村からレオへの感謝の気持ちとして、カリーシュをと思うのですが、どう思いますか?」


 ……カリーシュ?

 酒を? なんで?

 俺が疑問を抱く間にも、会話はどんどん進んでいく。


「おお、それは名案だ! バックス辺境伯は無類の酒好きでな。酒を持参すれば、【闇玉アビス】の迷宮に入る許可も取りやすくなるだろう。いい賄賂になる」


 いやいや、今、堂々と賄賂って……それ、公言して大丈夫なのか?

 と、心の中で突っ込みを入れる俺をよそに、カタリナがさらに続ける。


「それもそうですし、闇属性の迷宮にはお酒が有効です。とくに【闇玉アビス】の迷宮はボス部屋までが長いと聞きますから」


 言われてみれば、確かに俺はまだ一度も闇属性の迷宮に挑んだことがない。

 今まで使ってきた【闇矢ダークアロー】も、【闇鎖シャドウバインド】も、【闇魔腕カイナ】さえも、すべて魔法書から覚えただけだった。


 最優先は【闇玉アビス】というのだけは確か。

 そのために必要なものなら、魔法書よりも価値がある。


「では、明日までにカリーシュを用意しておこう……これ以上飲めば、明日に響く。今夜はここまでとしよう」


 村長の一言で、宴は穏やかに締めくくられた。


 ♢


 翌朝――


 宿泊していた家の扉を開けると、外で待っていたのはヤンフィルだった。


「レオ、リン。ちょっと一緒に来てほしいっす」


 リンと顔を見合わせ、頷くと、俺たちはヤンフィルのあとをついていく。

 彼が案内した先は、村の中でもかなり大きな民家だった。


「ここ、オイラの家っす。遠慮せず、上がってほしいっす」


 言われるままに玄関をくぐると、室内にはすでにヤンフィルの母が待っていた。

 その腕には、ある物が慎重に抱えられている。


「おはようございます」


 俺が挨拶すると、リンもそれに倣って頭を下げる。

 だが彼女の視線は挨拶の相手ではなく――ヤンフィルの母が手にしている、それに、くぎ付けだった。

 俺も同じく、息を呑む。


 なぜ、ここにそれが……?

 リンの顔にも、まったく同じ疑問が浮かんでいるのが分かった。

 ヤンフィルの母はふっと微笑み、小さく頷く。


「ええ。おはよう、二人とも。やっぱり、これが気になるわよね?」


「はい……ここにあるのは、おかしい。いえ、ここでは育たないはずだと聞いていましたので」


 そう、ヤンフィルの母が持っていたのは、鉢に植えられたカリの木の苗木。

 洞窟の奥、鳳龍の魔力が満ちた特殊な環境でしか育たないはずの木が、今、目の前にある。


「そうっす。でも、この苗木は特別製なんっす!」


「特別製……?」


「実は、洞窟の中にある苗木って、ぜーんぶ挿し木苗なんすよ! カリの木の枝を挿して育てたやつ。でも、これはちがう! これは――実生苗なんす!」


 ヤンフィルが興奮気味に唾を飛ばしながら説明していると、それをなだめるように、彼の母が柔らかく口を開いた。


「……聞いたことがあるかもしれないけど、挿し木苗を育てるのにも、本来は【植賢プラントマスター】の力が必要なのよ。ましてや実生苗を育てるなんて、それこそ至難の業。この子がギフトを得てから、二人で何度も挑戦を重ねて……ようやく、この一本が芽吹いたの」


 その言葉にヤンフィルが胸を張り、大きく頷く。


「そうっす! しかも、母ちゃんが持ってるこの植木鉢は、洞窟内のカリの木の根元から丁寧に採石した特注品っす! 土も同じ場所から時間をかけて集めたんすよ! それだけでも何か月もかかったっす!」


 なるほど。つまり、実生苗で育てるには、洞窟産の植木鉢と土、さらには【植賢プラントマスター】のギフトが不可欠ということか。 


 ヤンフィルは小さく赤く色づいた実を一粒、苗木から摘み取って、俺に差し出した。


「レオ、魔力を消費してからこの実を食べてほしいっす!」


 言われた通り、【洗濯ウォッシュ】を唱えてから、カリの実をほうばる。

 うん! やっぱり甘酸っぱくてうまい。それに魔力がみなぎる。


 それを見守っていたヤンフィルの母が、少し心配そうに問いかけてきた。


「……本当に、体に異変はないのかい? 吐き気や痺れは?」


「大丈夫です。まったく問題なしです。むしろ、いくらでも食べられそうなくらいですよ」


 俺の言葉に、二人は安堵したように顔を見合わせた。

 その直後、ヤンフィルが思いもよらないことを言い出す。


「だったら……もしよければ、この苗木ごと、受け取ってほしいっす!」


「えっ……!?」


 言葉を失う俺に、ヤンフィルは続ける。


「鉢と土さえあれば、三時間に一度、実をつけるっす! ちゃんと水やりは必要っすけど……」


「こ、こんなに貴重なものを……俺なんかが受け取っていいんですか?」


 戸惑いを隠せない俺に、ヤンフィルの母が優しく笑いかける。


「あなたがいてくれたから、カリの木は救われた。鳳龍様の奇跡に立ち会うこともできた。感謝してもしきれないよ……だから、受け取って」


 確かにありがたいが――気になるのは、俺には【植賢プラントマスター】のギフトがないということ。

 受け取ったはいいが、すぐに枯らしてしまっては、それこそ申し訳が立たない。


 だが、その不安は、すぐにヤンフィルが打ち消してくれた。


「大丈夫っす! ここまで育った苗なら、もうギフトは不要っす! あとは毎日ちゃんと水をやれば、それでいいっす!」


「……ほんとに?」


「ほんとっす! それはもう検証済みっす!」


 そこまで言われては、もう受け取らない理由はない。


「……分かりました。ありがとうございます!」


 そう言って、俺は両手で苗木の鉢を受け取り、家を後にした。


 ♢


 そして、北カリ村から二度目の出発――


 一度目の旅立ちのときは、見送りに来てくれたのはごく限られた者たちだけだった。

 だが今回は違う。

 村中の人々が、まるで祭りでも始まるかのように集まり、俺たちの門出を見守ってくれていた。


「今回は……本当に世話になったな」


 村長が、村を代表して深々と頭を下げる。

 その後ろから、数人の村人が大切そうに五本の瓶を抱えて近づいてきた。


「これが、昨日話していたカリーシュだ。ぜひ受け取ってくれ」


 丁寧に包まれた瓶を両手で受け取る。

 結局、このカリーシュがなぜ【闇玉アビス】の迷宮に有効なのか、詳しい理由はわからないままだ。

 でもそれは、あとでカタリナやミザリーにでも聞けばいいだろう。


「ありがとうございます」


 礼を述べ、瓶を慎重に【収納ストレージ】へと仕舞う。

 その一連の動作を、サグマが静かに見届ける。


「……では、俺たちはこれで。今後も――」


 別れの挨拶を切り出したそのときだった。


「サグマ様、もう一つありますから、それからでもよろしいですか?」


 村長の声に、サグマが少し驚いたように振り返る。


「ん? 構わないが……?」


 頷くと、村長は静かに俺の前まで歩いてきた。


「村民たちに訊いて回ったのだが……残念ながら、レオが求めていたような魔法書は誰も持っていなかった……すまないな」


 村長の言葉に、俺は首を横に振る。


「いえ。カリーシュだけで十分すぎます。ありがとうございます」


 だが、村長の言葉はそれだけでは終わらなかった。


「……うむ。だがな――渡すべきものは、まだある」


 そう言って、村長は懐に手を入れる。

 取り出したのは、魔法書だった。


「昨夜、家に戻ると、洞窟で見たものと同じ、聖なる玉が突然出現してな。そして……この魔法書を授けよと、告げられた――【龍賜ドラリス】のギフトが、久方ぶりに反応したのだよ」


「「「――っ!?」」」


 その言葉に、場にいた全員が息を呑む。

 俺だけではない。リンも、サグマも、見送りに来ていた村人たちも、皆が目を見開いていた。


「こんなことは初めてだ……だが、これは間違いなく鳳龍様の意志だ。私は、それに従うまでだ」


 村長は一歩進み出て、ゆっくりとその魔法書を差し出す。


 恐る恐る受け取り、表紙をめくった瞬間――

 目に飛び込んできたのは、五重クインティプルの輝きを宿した、五つの神聖な魔法陣だった。


 そこに記されていた魔法の名は――


 【聖玉セレスティア】。


 宮廷魔法師すら知らぬ第五位階魔法。


 マジか……こんな貴重なものを……。

 けれど、これは確かに授けられたものだ。鳳龍の、そしてこの村の意思として。


「……ありがとうございます。皆さん。そして――鳳龍様」


 俺は魔法書を胸に抱きしめ、深々と頭を垂れた。


 その空気を感じ取ったのか、サグマは言葉を交わすことなく、静かにひとつ頷くと、くるりと踵を返す。

 まるで――俺の言葉がすでに別れの挨拶になったと、そう言ってくれているかのように。


 俺たちは、村民に見送られながら、北カリ村を後にした。

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