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第80話 交渉

「なんだったのだ……あの味は……今まで食べたものの中で一番甘く、美味しかったぞ!」


 食堂を後にしてもなお、カリハニーの余韻にひたるリンは、頬を紅潮させ、興奮を抑えきれない様子だった。


 俺もパンにたっぷりとカリハニーを塗り食べたが、口いっぱいに芳醇な甘さが広がり、舌の上を滑るたびに魔力のような力がじんわりと身体に満たしてくれた。

 まるで、甘さそのものが活力を吹き込んでくれるようだった。

 疲れが音もなく溶けていくこの感覚は、確かにただの蜂蜜とは一線を画しているのは明らか。


 そんな俺たちの様子を見て、カタリナが満足そうに微笑んだ。


「じゃあ、次は魔法使用の許可をもらいに、村長のところに行こうか」


 ありがたい言葉だ。が、ふと一抹の不安がよぎる。

 今回の任務はあくまでムスク伯爵家のサグマの護衛であり、俺たちは雇われの立場。その俺が先に村長と会うのは、立場的にどうなんだろうか……。


「カタリナさん。少し相談なんですが……今回の主役は、あくまでムスク伯爵家のサグマ様です。その僕が先に村長とお会いするのは、ちょっと立場的にまずい気がして……できれば、サグマ様と護衛、それに僕たちを案内してくれるって話だったヤンフィルさんも一緒に同行してもらえると助かるのですが」


「……それもそうね。うん、レオの言う通りだわ。にしても、案内役がヤンフィルとは驚いたわね」

「ほんと。村側も今回の交易に相当本気みたいね」


 ふと、二人の口ぶりから、ヤンフィルという人物への評価が思いのほか高いことに気づく。快活でちょっとお調子者なイメージだったのだが……。


「ヤンフィルさんって、実は……すごい人だったりするんですか?」


 思い切って訊ねてみると、カタリナとミザリーは顔を見合わせ、間髪入れずにうなずいた。


「まぁ、そうね。私たちと同い年なんだけど、この村ではもう立派に中核を担ってる存在よ」

魔力回復薬マジックポーションも、カリハニーも、もちろん鳳龍様の加護あってのものだけど、ヤンフィル一家の功績も大きいわ」


 そこまでの人物だったとは……。


「……すごいな」


 俺が思わず感嘆の声を漏らすと、突然カタリナがニヤリと意味深な笑みを浮かべ、ミザリーとアイコンタクトを取った。


「ま、でも今回はレオのために動いてあげるわ」

「そうそう、だってほら――部屋の隅に脱ぎたてほやほやのリンの下着があると思ったら、興奮して眠れないでしょ?」


 なんという直球ストレート!


「レオも年頃なんだからねぇ~」


 ニヤニヤと笑う二人の視線が、これでもかとばかりに俺に突き刺さる。

 否定しようにも、その言葉に反応した時点で負けなのは分かっている。

 横を見ると、リンはきょとんとした顔で俺と二人を交互に見ているが……今は説明できる精神状態ではない。

 いや、説明できるわけがない。なぜなら図星なのだから。


 二人に軽口を叩かれつつも、俺たちはヤンフィルの家に向かった。

 彼はすぐに家から出てきて合流し、サグマたちがいる宿を目指す。


 道中、俺とリン、そしてカタリナとミザリーの関係性についてざっくばらんに伝えると、ヤンフィルは相変わらず人懐っこい笑顔を浮かべながらも、興味津々といった様子で耳を傾けていた。


「へぇ〜! レオとリンはその若さで銀証冒険者っすか!? すっげーっすね! 今度、剣術教えてほしいっすよ!」


 無邪気な声に、こちらも自然と口元が緩む。

 彼の朗らかで飾らない態度は変わらない。だが、銀証と口にした瞬間、ヤンフィルの目の奥に一瞬だけ走った、尊敬とも、畏れともつかない光が印象的だった。


 その後、俺たちはサグマとエイガーを伴って、村長の家へと向かった。


 村の中心に構える大きな屋敷――それが村長の住まいだった。村の規模からすれば、やや場違いなほど立派な造りだが、ここが村政の要であり、鳳龍様との繋がりを担う者の家だと考えれば、納得だ。


 俺たちが門をくぐると、屋敷の扉が音もなく開き、一人の老人がすぐに姿を現した。


「初めまして。儂がこの北カリ村の村長、イシュバルです」


 そう言って、老人はサグマに向かって深々と頭を下げた。


 イシュバル村長は、白く長い髭を蓄えた穏やかな印象の人物だった。顔立ちは細く、年齢相応の皺こそあるものの、肌には血の気があり、背筋もまっすぐ。まるで老いた賢者をそのまま絵にしたような風貌だ。


「うむ、私はムスク伯爵家のサグマだ。早速だが、交易の件について話を進めたいのだがよろしいか?」


 サグマが簡潔に切り出すと、村長は頷き、にこやかに言葉を返した。


「もちろんですとも。こんなところで立ち話というのも無粋です。どうぞ、中へお入りください」


 村長・イシュバルの柔らかな口調に導かれ、俺たちは扉を抜けて屋敷の奥、応接間へと通された。

 簡素ながらも、古き良き工芸を思わせる調度品が並ぶその部屋で、サグマは躊躇なく切り出す。


魔力回復薬マジックポーションをメインに取引を進めたい。まずは、どの程度の供給が可能なのかを教えてくれ。量次第では、行路を整備し、定期的な交易の仕組みを構築したいと考えている」


 その問いに、イシュバル村長はふむと頷き、傍らのヤンフィルに視線を送る。

 合図に気づいたヤンフィルは、椅子から軽快に立ち上がり、胸を張って答えた。


「では、オイラから説明させてもらうっす! 現在、村での魔力回復薬マジックポーションの生成量は、一日あたり五十本が限界っす! 今、村には一万本以上の在庫があるっす!」


 一日五十本か……。

 俺の中ではかなり少ないという印象が先に立ったが、隣のサグマの表情はまるで逆だった。


「ほう、一日五十本。つまり、年間で約一万八千本……年に一度の交易だとしても、その数は悪くない。むしろ申し分ないと言えるな」


 サグマは即座に試算を始め、軽やかな指の動きで空中のそろばんを弾いているかのようだった。


「下代はいかほどか?」


 問われたヤンフィルは、これもまた自信ありげに答える。


「一本につき、大銀貨一枚っす!」


 一瞬、空気が静かになった。


「ふむ……大銀貨一枚なら、万本で金貨千枚――白金貨十枚か……それに行路の整備と警備人件費を乗せて……」


 その瞳は既に、利益と効率、拡張性までを見通す商人の目になっていた。

 数十秒の沈黙。


 やがてサグマの口元に、薄く笑みが浮かぶ。


「うむ。我々にとっても、かなりの好条件だ。一つ確認したいのだが……魔力回復薬マジックポーションを薄めて販売することは可能か?」


 サグマの問いに、ヤンフィルの表情が一瞬だけ曇った。


「……できるにはできるっす。ただし、それをやるには注意が必要っす!」


 彼は言葉を選びながら、少し真剣な声で続けた。


「というのも、魔力回復薬マジックポーションを生成するには、カリの実とカリ山脈で採れる清水が絶対に必要なんすよ。他の水で薄めようものなら、成分が変質して、副作用を起こすって言われてるっす!」


 そこまで語ったヤンフィルは、少し間をおき、付け加える。


「それでも、高値で売れるって理由で、薄めて売る商人や街の薬屋は多いみたいっす。宮廷魔法師の人が、信用できるところの薬しか使うなって言ってたっす!」


 俺の脳裏に、以前フェイルが服用していた、あの妙に薄い色の魔力回復薬マジックポーションが浮かぶ。

 あれが薄められたものだったのかは定かではないが、仮にそうだとしたら……副作用のせいで苦しんでいた可能性は十分にある。


「……なるほど。やはり安易に手を加えるのはリスクが高いようだな。まぁ、その件については追って検討しよう。まずは今回の分についてだが――今回は取引可能な全量を買わせてもらいたい」


 白金貨十枚の取引に、応接間の空気がわずかに張り詰める。


「一万本でも構わない。だが、村で必要な分があるなら、その分は尊重しよう。無理にとは言わん。とはいえ、五千本以上は確保したい。構わないか?」


 すると今度は、ヤンフィルが静かに村長へと視線を送った。

 どうやら、この先の話――取引量の決定権は村長にあるらしい。


「もちろん、現在ある在庫すべてをお持ち帰りいただいても構いません」


 村長は落ち着いた声音でそう答えると、すぐさま眉をひそめる。


「ですが、問題は運搬手段です。ここから麓の集落まで持ち出すだけでも一苦労。魔力回復薬マジックポーションはすべて瓶詰め。非常に繊細な造りで、割れやすく、慎重な取り扱いが必要なのです」


 その言葉に、サグマの眉がわずかに動く。

 商人として、運搬のリスクは最も慎重に対処しなければならない。


「ふむ……樽などに移し替えるというのは無理なのか?」


 サグマの問いに、すかさずヤンフィルが補足する。


「それは難しいっす。瓶じゃないと密封できないっすから。密封できなければ、瓶の中の魔力が空気に触れて抜けてしまって――ただの水になってしまうっす!」


 一瞬、場に沈黙が落ちた。

 いい案がないかサグマは必死に模索しているが、答えは出ない。

 その沈黙を、村長の声が静かに破る。 


「……ただ、手がないわけではございません」


 その一言に、サグマの目がかすかに見開かれる。


「――ほう?」


「実はこの村には【制震】のギフトを持つ者がおります。その者が、魔力回復薬マジックポーションを詰めた箱に手を触れながら同行すれば――たとえ揺れや衝撃が加わっても、瓶が割れることは決してありません」


 その言葉に、サグマの顔に確かな光が差す。 


 ――【制震】か。

 確か、ビーゼルの街で行われた天啓の儀で、そのギフトを授かった者がいたはずだ。そのときは用途がよく分からなかったが……まさか、運搬に特化したギフトだったとは。


「つまり……【制震】のギフトを使える者を、こちらに貸していただけると?」


「……ええ。ただし、一つ問題があります」


 村長は苦渋を滲ませた声音で続けた。


「【制震】のギフトを持つ者は、この村に二人しかおりません。そして、その二人は、この村で唯一、【治癒ヒール】を行える者でもあるのです。彼女たちが村を離れるとなれば、我々としても甚大な損失を被ることになります」


 えっ?

 俺は反射的に横目でカタリナとミザリーを見る。

 すると、二人は俺の視線を察してか、いたずらっぽく笑いながらピースサインを掲げてみせた。


 ……やっぱり、そういうことか。

 サグマもカタリナとミザリーが【制震】のギフトを得ているということに気づいたようだ。


「……金を積めば、二人を一時的にでも貸してもらえるのか?」


 サグマがそう問い返すと、村長はすぐに首を横に振った。


「いえ、金銭の問題ではありません。我々が求めるのは対価ではなく、代替です。信頼できる【治癒ヒール】の使い手を、代わりに村に残してほしいのです」


 金で済めばよかったのかもしれないが、【治癒ヒール】の使い手をすぐに用意するとなると、さすがに厳しい。

 だが、ここは俺が、これまでの恩に報いるときだ。


「村長、【治癒ヒール】の使い手でなくとも、魔法書では代用できませんか? 信頼できる使い手を急に手配するのは現実的ではないので……」


 俺の問いかけに、村長は一瞬、眉をひそめたが、すぐに頷いた。


「ん? ふむ……それでも構いません。ただし、本物であればの話ですが……」


「ありがとうございます。では、これをお納めください」


 そう言って、俺は【収納ストレージ】の中から、【治癒ヒール】の魔法書を二冊、取り出して差し出す。

 運び屋クエストを受注していたときに、魔法書も描いていたのだが、換金せずに溜めておいたのだ。

 もしものとき、誰かと魔法書の物々交換をする可能性があると思ったからな。


「な、なんと……!? こ、これは……【治癒ヒール】の魔法書だと……!?」


 村長は目を見開き、信じられないものを見たように魔法書を両手で抱え込む。

 ページを開き、ひとつひとつの魔法陣を食い入るように見つめていた。


 すると、カタリナが口を開く。


「元・宮廷魔法師の村長に言うのは失礼かもしれませんが、これは間違いなく本物です。私たちは実際に、レオの魔法書から、【治癒ヒール】を習得したのですから」


 ――えっ!?

 村長って、元・宮廷魔法師なの!?


 思わず驚いてサグマとエイガーを見ると、彼らもまた目を丸くしてカタリナの言葉に動揺している。


「うむ……見事だ。この魔法陣の緻密さと美しさ……これほど立派な魔法書は、儂の現役時代にもそうそうお目にかかれなかった」


 村長――いや、元宮廷魔法師イシュバルは、本当に感心した様子で魔法書のページを丁寧にめくっていた。


「では、これで――カタリナさんとミザリーさんをお借りできますか?」


 そう問う俺に、村長は魔法書を大切そうに胸に抱えたまま、穏やかな笑みを浮かべて深くうなずく。


「もちろんだ。これほど確かな魔法書があれば、数ヶ月もあれば新たな【治癒】使いが育つだろう。むしろ、この村にとっては願ってもない贈り物だ……レオ、本当に、心から感謝するぞ」


 そう言って、村長は丁寧に、深々と頭を下げた。

 ――が、その直後に苦言が一つ飛んでくる。


「……しかしレオ、お主がさきほど魔法書を取り出したそれ、あれは……魔法ではないのか?」


 ――あっ。


 しまった。【収納ストレージ】は立派な特位階魔法だ。

 魔法陣こそ他人からは見えないが、魔法であることは明らか。


「す、すみせんでした!」


 俺は慌てて、深く頭を下げた。

 ところが、すぐさまカタリナとミザリーが間に入ってくれる。


「村長、実はですね。私たちがここに来たのは、レオの魔法の一部使用について、正式に許可を頂くためでもあるんです」

「今の【収納ストレージ】もそうですが、他にも便利な魔法をいくつか使えるので、運搬の際にはきっと役に立つと思いますよ」


 二人のフォローに感謝しながら、そっと顔を上げると、村長――イシュバルは目を細め、柔らかい笑みを浮かべた。


「うむ、少ししか話していないが……レオが悪い者でないことは分かる。なにより、鳳龍様も黙っておられるからな。レオの魔法の一部使用を、この場で認めよう」


「……あ、ありがとうございます!」


 これで、【洗濯ウォッシュ】を使うことができる。

 チャンスを逃したかもしれないと捉えることができるかもしれないが、俺の睡眠時間は確保されたのだった。

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