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第57話 レオの選択

「随分上手くなったものだな」


 柔らかな声が背後から届いた。

 リンが、窓辺で魔法書を開きながら、目を細めて俺の様子を眺めている。


 高級宿の広く清潔な一室。

 天井は高く、床には厚手の絨毯、窓からは夜の灯が優しく差し込んでいた。

 そんな中、俺は空中に、水球ウォータースフィアを浮かべていた。 


「ああ、かなり迷惑をかけたが、もうだいぶ慣れたよ」


 調子に乗った俺は、二つ目の水球ウォータースフィアを発現させようと試みる……が、すぐに支配を失い、制御が利かなくなる。


「くっ――!」


 慌てて、水球ウォータースフィアを浴室方向に飛ばす。

 水音が軽く跳ねたが、幸い、床も調度品も濡らすことなく収まった。

 高級宿で室内を水浸しになんてしたら、きっと大銀貨どころじゃ済まない。


 まだ二つ同時は無理か。

 しかし、水球ウォータースフィアに仕込むこと自体はできている。

 訓練し、練度を高めればいつかきっと……。


 確かな手ごたえと共に、また水球ウォータースフィアを浮かべ、今度は素振り。

 室内で素振りをしても余裕の広さ……まぁいくら広くても、室内で素振りするなよと思われるかもしれないが。


 料理もまた、言葉に尽くせぬほど贅沢だった。

 味、香り、彩り――どれも貴族の宴席に出されるようなものばかり。

 リンも口数こそ少ないものの、満ち足りた表情でゆっくりと食事を楽しんでいた。


 食事中、疑問に思っていたことをリンに訊ねる。


「こうやって魔物が襲来することはよくあることなのか?」


 笑顔を崩さぬまま、リンの瞳が真剣なものとなる。


「うむ……場所によるのではないだろうか? 私もこの辺の地理には明るくないが、南には、かの有名なカリ山脈があるからな。そこから追い出された魔物や、入りたくても入れなかった魔物たちが群れを成すということは往々にしてあると聞く」


「カリ山脈とはそんなに危険な場所なのか?」


「魔物にとってはな……私も昔に聞いた話ゆえに、これ以上は控えさせてもらう。誤情報を話してしまうかもしれぬからな」


 今更リンの人となりを疑うことなどはないが、それでも彼女がそう望むのであれば、これ以上聞くのはやめておこう。


 こうして俺たちは、明日に控えた緊急クエストまでの束の間の時間を過ごした。




 ――そして、緊急クエスト当日。


 ギルドの正面扉は朝から開け放たれていた。

 が、広々としたはずのロビーが、いまや通勤ラッシュの電車内さながら。

 押し合いへし合い、熱気と怒声で空気は濁っている。


「……すごい人数だな」


「うむ……これほどまでとはな……」


 リンもやや顔をしかめている。


 無理もない。

 この人口密度では、誰だって疲れる。

 案の定、あちこちで不満と苛立ちがぶつかり合い始めた。


「ちょっと!? どこ触ってんのよ!?」

「なんだと!? 誰がお前のなんかに――」


 ある場所では男女が揉め――


「お前、今わざとだろ……? やんのかぁ! コラァ!」

「あぁぁぁあん! 表出ろ! オラァ!!」


 ある場所では輩のような冒険者たちが胸ぐらを掴みあう。


 そのときだった――


「静まれッ!!」


 鋭くも通る声が、吹き抜けの二階から落ちてきた。

 視線を上げると、二階の手すりに立つ一人の男の姿があった。


 長身痩躯。

 淡い翡翠ひすい色のローブを身にまとい、胸元には銀の魔法陣の徽章が光っている。


「この場の指揮を任された、銀証魔法師十段――フェイルだ! 今回は、我々銀証魔法師を軸とした作戦を取る!」


 フェイルの背後には、九名の銀証魔法師が並ぶ。

 その列の中に、あのフリードの姿もあった。

 魔法師の後ろには銀証冒険者がずらっと整列していた。


「まずは戦力を把握したい! いったん冒険者はこの場から退いてくれ!」


 その言葉に、場がざわめいた。

 まるで戦力外と言わんばかりの指示に、冒険者たちが口々に不満を漏らす。


「ふざけんなよ……こっちだって命かけてんだぞ……」

「上から目線で言いやがって……」


 それでも、相手が銀証魔法師とあっては逆らえない。

 皆、しぶしぶとギルドの外へと押し出されていく。


「リン、分かるところで待っててくれ」


 俺がそう言うと、リンは小さく頷いた。


「うむ……だが、何かあればすぐに飛び込むからな」


 俺は小さくうなずくと、その背中を見送った。

 やがて、冒険者の群れが引いたギルド内には、三十人ほどの魔法師たちだけが残された。

 その人数の少なさに驚いたが、それ以上に、意外だったのは女性の比率の多さだった。


 ざっと見て、十名近くが女性魔法師。こんなにいたのか……と、思っていると、そこにはカタリナとミザリーの姿。

 二人も俺に気づいたのか、小走りに近づいてくる。


「レオ、ずっと探してたんだけど、見つからなくて」


 まぁ俺だけ飛びぬけて背が低いからな。

 見つかるわけがない。


 フェイルは残った人数をざっと見渡し、手すりに手をかけると、なんと、そのまま身を投げ出した――!


「危ないッ――!」


 思わず落下地点へと駆け出し、受け止める体勢をとる。

 だが、いつまで経っても彼の姿が落ちてこない。

 不思議に思って見上げると……


「……浮いてる!?」


 フェイルは宙に浮かんだまま、ニヤリと笑ってこちらを見下ろしていた。

 そしてそのまま視線を全体へ移し、声を響かせる。


「では、今から三人一組で十グループを作れ! 本来であれば実力を見て編成すべきだが、今回は時間がない!」


 三人グループか……ってか、誰もフェイルが浮いていることに驚いていない。

 ここではそれが常識なのか? と、思っていると、カタリナとミザリーが俺の左右に寄ってきた。


「私も……あの魔法、覚えたいんだぁ……!」


 ミザリーが目を輝かせながら、空に浮かぶフェイルを見上げる。


「あれ……魔法? なんていう魔法なのですか?」


「風属性の第三位階魔法――【風絨毯エアリアル】! 空を飛べるなんて、最高じゃない? でもね、このバックスの迷宮には【風絨毯エアリアル】はないの。代わりにあるのは第三位階の【風詠サーチ】。探索とかにはすごく便利なんだけど……やっぱり空、飛びたいよね!」


 確かに。【風詠サーチ】も魅力的だが、あの優雅に宙を舞う姿を見たら、誰だって【風絨毯エアリアル】に憧れる。


 そんな会話をしているうちに、周囲のグループ分けもどうやら固まったようだった。


「では、決まったグループから、その場の最高段位が前へ出て、段位を述べろ!」


 フェイルの声がギルド内に響き渡る。


 八段、九段、十段――

 高段位を名乗る者たちの中で、五段以下なのはどうやら俺たちくらいのようだ。

 カタリナとミザリーも、この前ようやく四段になったばかり。


 それを見てか、宙に浮かんでいたフェイルがふわりと降下してきて、俺たちの前に着地する。

 ほかの銀証魔法師もそれぞれのグループへと散っていく。

 どうやら、段位の低い俺たちのグループには、彼が直々に担当としてつくようだ。

 バランスを取った……というわけか。

 そのタイミングで、フェイルが懐から大銀貨を取り出し、俺たち一人ひとりに手渡した。


「これは今回の参加料だ。ギルドと掛け合って、魔法師限定で特別ボーナスを出してもらった。冒険者には支給されない」


 ほかのグループも銀証魔法師から一枚ずつ大銀貨が配られていた。


「加えて、南門出発時には全員に銀貨五枚が支給される。忘れずに受け取っておけ」


 なるほど……やはり、魔法師というだけで優遇されるのか。

 そんな中、二階にいた銀証冒険者たちも降りてきて、それぞれパーティへと合流していく。


 最終的に、各チームは――

 銀証魔法師一人、銀証冒険者二人、銅証魔法師三人という構成。

 六人編成のパーティが、全部で十組。合計六十名の討伐部隊だ。


 すると、フェイルが号令をかける。


「では、これより街の南に向かう!」


「えっ!? 銅証冒険者は!?」


 思わず口に出てしまった。


「当然、一緒に向かうさ」


 ほっと胸を撫で下ろしかけた、そのとき。

 フェイルの次の言葉でギョッとした。


「……彼らには、前線に出て魔物の盾になってもらう。その隙に、俺たちは【風絨毯エアリアル】で空を飛び、上空から一斉に魔法を叩き込む」


 それって……まさか、見殺し?

 一瞬、頭の中が真っ白になる。

 だが同時に、理性が冷たく囁いた。


 戦術としては、理にかなっている。

 魔物を引き付け、足止めさせている間に、上空から魔法を叩き込む。

 空中からじゃないと危ない魔法もあるからな。


 例えば【火爆ファイアバースト】。

 密集したところに放つのは効果的だが、しっかり狙わないと最前列の魔物に直撃し、そこで爆ぜてしまったら、前衛の冒険者もただでは済まない。

 空中から撃てば、魔物たちの中心を狙うことができるから、比較的安全。


 フェイルの作戦は、犠牲は出るかもしれないが、最も効率的な殲滅戦だ。


「じゃあ……銀証冒険者の方たちは前衛に?」


「いや、彼らは魔法師の防衛に回る。我々が討たれれば、この作戦自体が瓦解する。状況によって前衛に回るという感じだな」


 それも、理解はできる。

 魔法師は最大戦力であり、要である。そこを守るのは当然の理屈だ。

 だが……。


「一つお願いがあります。実力のある銅証冒険者が一人いて、僕たちの警護を――」


 言いかけた俺を、フェイルが手で制した。


「……ダメだ。一人を例外とすれば、次も許せ、次も、となる。もう少し時間があれば、それも可能だっただろうな……不満か?」


 その問いには、怒気も苛立ちもない。

 だから、俺もまっすぐに返した。


「……いえ。この短時間で全体をまとめ、誰がどのくらいの力を持っているのかも分からない中で、ここまでの采配――すごいと思います」


 そう。これは、正しい判断だ。

 でも。

 それでも――どうしても、譲れないものが俺にもあった。


 俺は手にした大銀貨をそっとフェイルの前に差し出す。

 そして、深々と頭を下げた。


「僕は一昨日、ようやく銅証魔法師初段になったばかりの、まだ未熟者です。ですので今回は魔法師としてではなく、冒険者の一人として、この緊急クエストに参加させていただけないでしょうか」


 その言葉に、フェイルの目が見開かれた。


「……もともと俺はほかの魔法師たちを運搬するのが主な役目。別に構わないのだが……お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?」


 俺はフェイルの目をしっかり見据え、うなずいた。

 その様子に周囲の銀証魔法師たちが失笑する。


「バカな真似を」

「若気の至りだな」


 そんな声が聞こえる。

 だが、構わない。

 どれだけ理にかなっていようが、この作戦は犠牲を前提にしている。

 その犠牲の中に――リンがいたら?


 あとから悔やんでも、遅いんだ。

 だから――俺は選ぶ。

 最善策じゃなく、悔いのない選択を!


 すると、俺の隣で、二人が同時に歩み出る。


「あ、あの! であれば、私たちも前線に行きます!」

「私たちはこの子の保護者みたいなものなので……」


 そう言いながら、二人は渡された大銀貨を返し、鞄から小さな瓶を取り出す。

 澄んだガラスの中には、赤く輝く液体が、ねっとりとした光をたたえて揺れていた。


「これは……わがままを許していただいた、せめてもの感謝の印です。最高品質のものです。どうか……お納めください」


「っ……これは――!」


 フェイルの目が一瞬、見開かれる。

 彼は瓶を受け取り、光にかざした。


「……カリの実から精製された、魔力回復薬マジックポーション……最高級品……!」


 やがてフェイルは瓶をしっかりと懐にしまい、俺たちに向き直った。


「上等な魔力回復薬マジックポーション一本あれば、戦況は変わる。助かるよ。お前たち、無理はするな。危なくなったら、すぐに下がれ……気にはかけておく。名前は?」


「ありがとうございます! 僕の名はレオ。そして、こちらは、カタリナ。もう一人は、ミザリーです!」


 フェイルは一度だけ、ふっと口元を緩めた。


「……覚えておこう」


 俺たちは三人そろって深々と頭を下げると、すぐにギルドの外へと駆け出した。

 俺の居場所、リンの隣へ――

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