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第35話 暴く

 迷宮の壁面から流れ込んできた魔力──

 それを感じたのは、やはり七日目のことだった。


「リン! 覚えることができたよ!」


 近くで素振りをしていたリンに声をかけると、彼女は呆れたように眉をひそめた。


「何を言っている。得意系統の第一位階魔法だとしても習得に一カ月はかかることくらい知っているぞ? 揶揄うな」


「本当なんだって! ほら、手を出して!」


 半信半疑で手を差し出すリン。

 その手の上に自分の手をそっと重ね、覚えたばかりの魔法を紡ぐ。


「【解毒キュア】」


 【治癒ヒール】と同じ、白く柔らかく光る魔法陣が空中に浮かび上がる。

 その瞬間、リンの瞳が大きく見開かれた。


「まさか……本当に、覚えたのか!?」


「さっきからそう言ってるじゃないか! これもリンのおかげだ!」


 込み上げる感情に任せて抱きしめそうになるのをどうにか抑え、代わりに彼女の手を両手でがっしりと握り、ぶんぶんと上下に振る。


 すると、そこにユンたちも駆けつけてきた。


「本当に覚えたのか!?」

「一週間って……通常の四分の一以下だぞ!?」

「おいコラ! リンさんの手にそう軽々しく触れるんじゃねぇ!」


 最後のヤジは華麗にスルーし、改めて皆に提案を持ちかける。


「ちょっと、訊きたいこととお願いがあるんです」


 全員の視線がこちらに集中し、頷くのを確認してから本題に入る。


「まず、以前負傷していた方々の具合はどうですか?」


 すると、俺が【治癒ヒール】で治療した冒険者の一人が、にやりと笑って力こぶを作ってみせた。


「もう完璧だ! いつでも全力で動けるぜ!」


 大きな傷はあの場で癒したが、細かい外傷までは確認できなかった。その念押しだ。

 彼らによれば、二日前にはほぼ完治していて、バーバラに戻るつもりだったところ、俺がもう少しだけここに残ってくれとお願いしたのだ。


 ──それには、理由がある。


「これから話すのは、あくまで僕の推測です。絶対とは言えませんが……それでも、どうか聞いてください」


 ずっと心に引っかかっていた疑念を、言葉にして皆に打ち明ける。

 すると、同じように思っていた者が一人――以前、ユンと一緒に見張りをしていたアサドだ。

 ただ、言い出すのが怖くて、心の中に秘めていたという。

 彼は、俺よりも決定的な場面を見ていた。

 さらに、リンからもそういうギフトがあると聞き、俺の中では確信に変わる。

 そして──


「マジかよ……ぜってぇ許せねぇ!」

「でも可能性は高い……いや、そうとしか考えられねぇ!」

「で? 俺たちはどうすればいい?」


 誰もが静かに、しかし確かな怒りと覚悟を持って同意してくれた。


「じゃあ……こうしましょう。ボスが出現する二時間前まで、全員でしっかり休んでください。二時間前になったら、ユンさんたちは迷宮から脱出してください。僕とリンは、湧く一時間前に迷宮核を取り出し、脱出を試みます」


 わずかに緊張が走るが、それでも誰一人、否とは言わなかった。


「冷静に行動してください。たとえ、僕の推測が確信に変わったとしても……です」


 全員が力強くうなずいたのを見届けてから、休息に入った。


 ♢


 ユンたちがボス部屋を発ってから、およそ一時間が経過した。


「リン、そろそろ俺たちも行こうか」


「……ああ。だが、その前に一つ、頼みがあるのだが」


 迷宮核に手を伸ばそうとしたそのとき、リンの声が制止する。

 振り返ると、彼女はいつになく真剣な眼差しを向けてきた。


「今回の件、私に任せてくれないか?」


 ――やはり、そう来たか。

 俺は静かにうなずく。


「うん、そう言うと思った。任せるよ、リンに」


 リンなら大丈夫だ。

 彼女の瞳をしっかり見つめてから、再び視線を迷宮核に向ける。

 魔法陣の中央に鎮座する、白く輝く核。

 その光はせいひつで神聖ですらあり、この空間を作った主であったことを否応なく感じさせる。


 俺は、そっと手を差し出し、核に触れる。

 その瞬間、まるで封が解かれるかのように、核があっさりと持ち上がった。

 同時に、それを包んでいた魔法陣が音もなく、消える。


「……さ、行こう」


 名残惜しさを胸に、一週間を過ごしたボス部屋を後にする。

 初めて来たときはあれほど苦戦した通路や部屋も、今は嘘のように静まり返っている。


 それもすべて──先に進んだユンたちが、すべての魔物を蹴散らしてくれたおかげだ。


 ひたすらに歩き続け、六時間が経過する。

 一度も敵と遭遇することなく、ふいに外気が頬を撫でた。


 顔を上げれば、差し込む太陽の光。

 出口は、もう目の前だった。




「リン、こっちに来てくれ」


 俺の呼びかけに、彼女はすぐさま反応した。

 一歩、また一歩と距離を詰め、肩が触れ合いそうなほどの近さに立つ。

 もう、何をしようとしているのか、彼女はすべて分かっていたのだろう。


「**【洗濯ウォッシュ】**」


 魔法陣が俺たちの汗も、泥も、迷宮で積み重ねた疲労すらも、洗い流してくれる。

 これで万全!


 【収納ストレージ】から未だに輝きを放つ迷宮核を取り出し、野球ボールのように軽く宙に投げ、ぽん、とキャッチ。

 何度も繰り返しながら、リンと並んで出口へと歩を進める。


 やがて、外の光が視界いっぱいに広がり、俺たちの歩みを迎える。

 その先で、待ち構えていたのは──ギルドの使い、ベンダだった。


「よぉ、聞いたぜ。お前らクリアしたんだって? それが迷宮核か?」


 ベンダが馴れ馴れしく俺の肩に腕を回し、フレンドリーな笑みを浮かべてくる。

 だが、その笑顔はあまりにも作り物めいていて、どこか薄気味悪さを感じさせた。


「はい。ボス部屋周辺の魔物が手強かったですが、肝心のボスは思ったよりも弱くて。運よく倒せたんです」


「そうかそうか! 運も実力のうちってやつだな! ははっ、ちょっと見せてくれよ、その迷宮核」


「もちろん、どうぞ」


 俺は手の中の迷宮核をベンダに差し出した。


「おおおぉ……! こいつがこの迷宮の核か……へへっ、こりゃたまんねぇな。運がいいのは、お前だけじゃないらしい……」


 にやにやと下卑た笑みを浮かべたまま、ベンダはじりじりと俺たちから距離を取っていく。


「ベンダさん?」


 俺は静かに手を差し出す。


「そろそろ返してもらえませんか?」


 その一言に、ベンダがぴくりと反応した。

 すぐさま大きく跳躍し、俺との間合いを一気に取る。

 そして、顔をしかめるように歪ませて、ニタリと笑った。


「あー、わりぃわりぃ! いやぁ、ちょっと夢中になっちまってさ……でもな、ほら、これの代わりに――」


 そう言って、ベンダの右手がふわりと宙をなぞる。

 すると、空間に赤い魔法陣が浮かび上がり、じわじわと輝きを増していく。


「楽に死なせてやるよ! 【火撃ファイア】!」


 放たれた火球が唸りを上げて迫る。

 その瞬間、ベンダの仮面が剥がれたように、顔から一切の演技が消えた。

 そこにあったのは、濁りきった殺意と嗤いだけ。


 ――ついに、その本性が露わになる。


 だが、それもすべて、想定内だ。


 瞬間、リンが一歩踏み出し、剣を水平に薙ぐ。

 白刃が閃光を描き、火球は空気ごと断ち切られて霧散した。


 ベンダの攻撃は一瞬で無力化された。

 それでも、彼の顔に浮かんだのは驚愕ではなく、ぎゃくめいた笑みだった。


「【火撃ファイア】を斬るか……でも、こちとらお見通しなんだよ!」


 そう叫ぶと、ベンダが再び右手を前に突き出す――

 その瞬間だった。

 背後から、空気を裂くような鋭い音が響く。

 何かが、一直線にこちらへ飛来していた。


「ば~か! 俺にばかり気を取られやがって!」


 気づいた時には遅かった。

 背後から放たれた何かが、俺の後頭部を正確に撃ち抜く。

 前へと倒れこみながらも、振り返る。

 そこにいたのは――あの迷宮内で、俺たちに魔物をなすりつけた筋骨隆々の魔法師だった。


「くくく……あのときは《尖鼠団》の連中がリンにやられて、どうなるかと思ったがな……」


 下卑た笑みを浮かべるベンダが、続けて吐き捨てるように言った。


「けどよ、この【姿写】のギフトがあれば、ギルドに潜り込むなんざ俺にとっちゃ朝飯前だ。それに、タイミング良く《尖鼠団》の粛清だとよ? 丁度いい。魔法が使えねぇ、使い捨ての愚図どもを始末して――新しく本物だけで構成された《尖鼠団》に刷新してやったんだ!」


 ベンダが顎をしゃくると、背後の男――ゴンツが、ニヤリと嗤いながら近づいてくる。

 筋肉の鎧をまとった巨体が、獣のような威圧感を放ち、俺を見下ろした。


「やっぱり……ベンダ――お前が《尖鼠団》の頭目だったんだな?」


 俺はゆっくりと身を起こし、後頭部からパラパラと石の破片が落ちていく。

 地面にカランと転がる破片とは裏腹に――俺の体には、一切のダメージがない。

 その光景に、ベンダの顔がみるみる引きつっていく。


「な、なんだと!? ゴンツの【石撃ストーンショット】を後頭部にモロに食らって、無傷……だと!?」


 その驚愕に染まった目を、俺は真正面から見据えた。


「ああ、確かに喰らったさ。その足りない脳みそでよく考えてみろ。第三位階魔法を纏った俺が、第一位階魔法の石ころ一発に沈むと思うか?」


「――っ!?」


 ベンダの目が、驚愕に見開かれる。

 その反応で、ようやく理解したようだった。

 俺が事前に【石纏衣ノームディア】を纏っていたことに――。

 肩に腕を回されたときは、バレていないかと冷や汗ものだったが、幸いにもこのバカは迷宮核にしか意識がいってなかったようだ。


「貴様……まさか最初から俺の正体を……!?」


「当然だ」


 俺は冷ややかに言い放つ。


「疑問に感じたのは、腰にぶら下げた短刀だった。プライドの高い魔法師が短刀なんか装備するか? そして、思い出したんだ。リンを助けに行ったとき、あの頭目も短刀を使っていたな、と」


 ベンダは無言を貫く。


「確信に変わったのは、迷宮に入るときだ。いくら変装が上手くても隠しきれてないんだよ! その気持ち悪いねっとりとした視線と、薄汚い殺気だけは! あれは

闇霧ダークミスト】の中で放たれていた、あの時と同じだった!」


 ベンダの動向に警戒を続けながら、俺はゆっくりとゴンツへと言葉を投げかけた。


「ゴンツ……お前は《尖鼠団》の頭目――ベンダの側に立った。つまり、お前も盗賊団の一味ってわけだ。裏切り者として名乗り出ていれば、まだ命は拾えたかもしれない。だが今となっては――楽に死ねると思うな」


 一瞬、ゴンツの顔が引きつる。

 だがすぐに、虚勢を張るように唇を歪ませた。


「バカじゃねぇのか? ここにいるお前たち二人を始末すれば……俺たちを知る奴なんざ、この世にいなくなる」


「バカはどっちだよ」


 俺は鼻で笑い、天へと手を掲げる。


「俺が気づいたのは――迷宮に入る前だ。まさか、対策をしてないと思ったのか?」


 俺の言葉を機に、物陰から次々と姿を現す冒険者たち。

 ユンが剣を抜きながら、精いっぱいの声で叫ぶ。


「ベンダ! ゴンツ! 今のやり取り、全部聞かせてもらった!」


 さらに、後方から低く響くアサドの声。


「ベンダ……お前がコモンウルフ相手に【麻痺針パラライズ】を使ってたのを……俺は見ているぞ! この辺りで、そんな魔法を使えるのは一人しかいない――《尖鼠団》の頭目だけだ!」


 それこそが、ベンダの正体を裏付ける最大の証拠だった。

 アサドは今まで恐れから口にできなかったという。だが今は違う――覚悟を決めた仲間が、ほかにもいる。


 ゴンツの顔から血の気が引く。

 だが、その隣で――ベンダは笑った。


「……チッ、関係ねぇよ。今ここでこいつら全員まとめてぶっ殺しゃ、全部無かったことになる! 魔法も使えねぇ腰抜けどもが……俺に何ができるってんだッ!」


 そのとき、沈黙を保っていたリンが一歩、静かに前へと出た。

 その足取りに、わずかな揺らぎもない。


「では――その魔法も使えぬ腰抜けが、お前の相手だ。」


 凛とした声に、場の空気が変わる。


「レオ、ゴンツは任せる……格の違い、見せてやれ」


 リンに言われて燃えないわけがないよな。

 俺は一歩進み、再びリンの隣に立ち、ゴンツを真っすぐ睨みつける。


「【石撃ストーンショット】の借り――きっちり返させてもらう。倍返しでな……!」 

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