第26話 迷宮と魔法師
「オークって……どのくらい強いんですか?」
「そうだな。動きは鈍いが、異様にタフだ。それと火に弱い。個々の戦闘力も大したことはない。だが、問題は繁殖力だ。放っておくと、数を増やして手がつけられなくなる。見つけたら即殲滅。これが鉄則だ」
なるほど、やっぱりそういうタイプか……。
「試しに【火撃】を撃ってみてもいいですか?」
「ああ、構わない。しっかり狙いをつければ、気づかれても回避はできないだろう。だが、一体とは限らない……いや、もっと潜んでいると思っていた方がいい」
要するに気を抜くなってことだな。
「了解しました。じゃあ、いきます!」
オークが俺に気づいた瞬間、だらりと垂らした涎を引きずりながらノソノソと突っ込んでくるが、その動きはやっぱり鈍い。
これなら楽に当てられる――そう確信した矢先だった。
オークの左手が、掴んでいたコモンウルフの死骸を投げてきた。
「うおっ、危ねッ――!」
反射的に身を引いて、ギリギリで回避。
クソ、あれ投げてくるのかよ……ってことは、右手の鉈も……?
それを念頭に入れながらも、攻撃のタイミングと軌道を慎重に見極め、狙いを定める。
「【火撃】!」
一拍置いて魔法陣が展開され、火球が空気を裂いてオーク目がけて飛翔する。
オークも気づいたのか、避けようと身をよじらせる――が、その巨体では遅すぎた。
火球は直撃し、次の瞬間――
ボウッ!!
火柱が爆ぜる。脂ぎった体が一瞬で炎に包まれ、あっという間に焼け落ちる。
……まさか、自分の脂で火力が増したか?
だが、その火柱に気づいたのか、山の影から次々とオークたちが這い出してくる。
わらわらと、まるで腐肉に群がる蠅のように。
数にして二十、いや、それ以上。
瞬く間に、鼻をつく異臭と、醜悪な面が視界を埋め尽くした。
「……こんなにいたんですね」
「まったく、骨が折れるな……」
リンスが眉間に皺を寄せ、やや辟易とした口調で呟く。
「また……僕に、任せてもらえますか?」
「この数を……? 一人で?」
「はい。範囲魔法なら、一掃できるはずです」
一瞬の沈黙のあと、リンスがニヤリと口元を緩めた。
「……そうか。じゃあ、あの魔法陣――もう一度、見せてもらおうか」
オークたちは相変わらず鈍い。
少し立ち位置を調整するだけで、ヤツらは勝手に一箇所へと集まり出す。愚鈍な群れ。無知なる獲物。
狙いは定まった。
ならば、穿つはこの魔法。
「**【火爆】**!」
三重の赤い魔法陣が真円を描いて瞬時に展開され、その中心から飛び出した火球が、オークの群れに直撃。
「爆ぜろ!」
呟きと共に、開いた手をぎゅっと握る。
次の瞬間、火球が一拍遅れて縮み――内側から破裂するように爆散した。
爆風が巻き上がり、炎が一気に群れを包む。
着火したオークたちは逃げる間もなく、次々と炎に呑まれ、やがて火柱の中で崩れ落ちていった。
「相変わらず見事な魔法陣だな。大きく、そして完璧な真円……まるで、レオンの心を映しているかのようだ」
リンスがポンと俺の肩に手を置き、柔らかく微笑む。
不意にそんな言葉を向けられて、胸がドクンと鳴った。
頬が熱くなるのを自分でもはっきり感じる。
「さて、あの山肌の光、確かめに行こう」
彼女が歩き出し、それに合わせて俺も隣へと並ぶ。
距離は自然と近くなり、二人の足音だけが静かに響く。
やがて、その淡い光の正体が少しずつ輪郭を現す。
どうやら、光は山肌にぽっかりと空いた洞窟――そこから漏れ出しているようだった。
倒したオークの魔石を回収しつつ、ぬかるんだ悪路を慎重に進んでいく。
そしてついに、淡く灯る光の正体が明らかになった。
それは――壁。
洞窟の内部、その岩肌がほんのりと白く輝き、まるで自ら発光しているかのように淡い光を放っていた。
その光景を目にしたリンスが、静かな声で呟く。
「……なんてことだ。迷宮が、できてしまっている……」
迷宮――!?
「この先に、魔法陣が刻まれた壁があるんですか!?」
興奮を抑えきれずに問いかけると、リンスが少し驚いたように答える。
「あ、ああ……壁が白く光っているということは、奥に刻まれている魔法陣は聖系統だろうな」
なるほど。
ということは、壁が赤く光っていたとしたら、火系統の魔法陣が奥にあるということだな。
「どうしますか?」
本音を言えば、このまま突入したい。
この目で迷宮の中を、一瞬でも覗いてみたい。
けれど――リンスの返答は、俺の高鳴りを静かに押し留めた。
「戻ろう。攻略には、それ相応の装備と準備が必要だ。それに、迷宮に入るには冒険者か魔法師としての正式な登録もいる。誰でも参加できる大規模討伐とは、勝手が違う」
マジか……。
魔法師としての登録を断られている以上、俺が迷宮に挑むには、冒険者として登録するしかない。
だが、魔法師として名を馳せたい――そんな思いが、心のどこかにはある。
冒険者になるしかないのか……?
葛藤していると、リンスが振り向いて俺に声をかけてきた。
「よし、帰るぞ。迷宮が現れたのは悪いことばかりじゃない。ここはたぶん、グレスト男爵領だ。領主の判断を仰ぐ必要がある」
踵を返す彼女の隣に歩を揃えながら、疑問を投げかける。
「迷宮って、悪いものじゃないんですか?」
「ん? ああ……悪いどころか、価値がある資源の宝庫さ。魔石が効率よく手に入るからな。今の時代、魔石は生活の要だ。だから、バックスみたいな迷宮都市では、領主がしっかり管理してる」
なるほど……。
灯りや暖房、火起こし、果ては装備まで……生活のあらゆる場面で使われている魔石。
その源が、魔物が湧き出る迷宮なのだとすれば――確かに、それは脅威であると同時に資源でもあるのかもしれない。
「ただ、それはあくまでも管理できてこそだ。魔物のせいで物流が止まり、民に危険が及んでいるような状況なら……迷宮の攻略が優先されるだろう」
状況を整理する。
ここで湧いたオークが周辺を荒らし、縄張りを追われたコモンウルフが逃げ場を求めて人里――つまりバーバラ方面まで降りてきた。
今のところ、それが一番筋の通った説だ。
迷宮をどう扱うのか――攻略か、管理か。
さらに、どうにか魔法師になれないものか。
期待と不安が入り混じる中、胸をざわつかせながら、俺たちはバーバラの街へと足を向けた。
♢
「迷宮だと――!?」
騎士団長ゼルトの怒鳴り声が、冒険者ギルドに響き渡った。
一刻も早く伝えるべきだとギルドへ駆け込んだところ、そこにはたまたまクエストの依頼に訪れていたゼルトがいた。
「はい。周辺にはオークの群れが潜んでいました。その手にはコモンウルフの骸。餌場を奪われたコモンウルフが、里の近くまで降りてきた可能性が高いかと」
俺は証拠として、討伐したオークの魔石を差し出す。
「む……たしかに、これはコモンウルフの魔石ではないが……」
ゼルトの顔に、まだ疑念の色が残る。
「ゼルト殿は我々の言葉を疑うというのか?」
その態度を見たリンスが問う。
ゼルトはハッとしたように背筋を伸ばし、すぐに頭を下げた。
「と、とんでもない! リンス殿が嘘など申されるはずが……!」
――ほんと、美人って得だよな。
俺が言うのとリンスが言うのでは、信頼度が違う。
そんなリンスが、ふわりと微笑みながら口を開いた。
「そうか、で、もう一つゼルト殿に頼みがある」
「はい! 何なりと!」
嬉しさを隠せない声で即答するゼルト。
おーい、鼻の下、伸びてますよ~
その次のリンスの言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
「先の大規模討伐でレオンが非常に優秀な《《魔法師》》であることは、もはや誰の目にも明らか。ただ、そんなレオンが魔法師として登録できないのは、あまりに不合理……何とかしてもらえぬか?」
まさかの展開。
思わずリンスを二度見してしまった。
だが、ゼルトの表情は一気に曇る。
「……リンス殿の願いであれば、ぜひとも叶えたい。しかし……そればかりは、私の裁量では……せめて、グレスト男爵に掛け合うしか……」
「そうか。では、そのグレスト男爵に伝えてほしい。『レオンを、魔法師として登録させてほしい』とな」
「はっ! 必ずや、男爵に申し伝えます!」
尻尾でもついていれば、今頃ブンブンと振りながら駆けていたに違いない――
そんなゼルトの嬉しそうな背中を見送りながら、俺は隣のリンスにそっと言葉をかけた。
「……リンスさん、本当にありがとうございます」
感謝の言葉に、彼女はふっと微笑む。
「まあ、レオンは魔法師になるべき存在だからな。それに――」
少し間を置いて、彼女は静かに続けた。
「レオンが魔法師であれば、私も……これ以上、魔法師を嫌わずに済む」
リンスは魔法師が嫌いなのか……。
まぁアストラリアの魔法師は選民思想でふんぞり返っているような奴らばかりみたいだしな。
翌日――
朝食を終え、リンスとくつろいでいたそのときだった。
重厚な足音とともに、食堂の入口に姿を現したのは――グレスト男爵。
二名の騎士団員を入り口に待機させ、堂々とこちらに歩を進めるその姿に、周囲の宿泊客も息を飲む。
まさか、こんな場所に男爵が訪ねてくるとは――いや、それ以上に驚かされたのはその言葉だった。
「リンス……様、ゼルトより伝言を預かっております」
グレスト男爵が……リンスに敬語……!?
確かにリンスはフローラル伯爵家三女だが……もしかしたらリンスの婚約者がラベンダー侯爵家嫡男と知ってのことかもしれない。
「グレスト男爵。以前も申しましたが、貴方はこの地を治める領主――」
すっと立ち上がり、右手を胸に当て、視線を下げ、礼を示す。
「どうか、もっと堂々とされよ。私など、あなたよりも下の身分なのですから」
彼女の動作に倣い、俺も静かに頭を垂れる。
男爵は一瞬だけ目を細め、静かに頷くと、今度は砕けた口調で言った。
「……そうか、リンス。ゼルトから君の話は聞いた。その件で少し時間をもらいたい……場所を変えてもいいか?」
リンスは俺に視線を移す。
瞳にはどうする? と書いてあった。
「はい。では僕の部屋はどうですか?」
「うむ。ではそこで頼む」
先頭を歩き、俺の部屋に移る。
室内に俺の荷物などほとんどない。
理由は私物はすべて【収納】にしまってあるからだ。
「では、単刀直入に聞こう……迷宮攻略できそうか?」
グレスト男爵の口調はどこか緊張感があった。
答えたのはリンス。
「つまり……レオンが魔法師として、私が冒険者として動く――そういう認識でよろしいのですね?」
リンスの問いかけに、グレスト男爵は静かに頷いた。
「……であれば、可能です。とはいえ、あれが管理されていない野生の迷宮である以上、いつ形成されたかが鍵になりますが。男爵は知っておられますか?」
男爵の眉がわずかに動く。
「ああ、一か月ほど前から、コモンウルフの出没が増えた、という報告は受けていたが……」
「それが事実なら、最奥に潜む魔物は――少なくとも一か月以上、迷宮核の魔力を吸収し続けているはず。期間が一か月程度であれば、まだ対応は可能かと。しかし、三か月、四か月となってくれば……状況は格段に厳しくなります」
リンスの明瞭な言葉が落ちた瞬間、室内の空気がわずかに重くなる。
グレスト男爵は再び口を閉ざし、思案に沈む。
――迷宮核の力を吸収?
それって、どういう意味なんだ?
疑問が脳裏をかすめたが、言葉にする間もなく――男爵が口を開いた。
「……力を貸してくれるか?」
グレスト男爵の問いかけに、リンスは即答せず――ゆっくりと俺の方を向いた。
まるで、意思決定権が俺にあると、男爵に伝えんばかりに。
「ぜひ、僕たちに攻略させてください!」
リンスの気持ちを汲み取り、俺は一歩前に出てはっきりと応じた。
男爵はしばし俺を見つめ、それから静かに頷く。
「ありがとう……一つ聞かせてくれ。レオンとリンス、二人はどういう関係だ? リンスは宰相の嫡男、ギースと恋仲――婚約していると聞いたことがあるが?」
やっぱり知っていたのか。
貴族ともなれば、その辺の情報はしっかりしているのだろうな……ってかラベンダー侯爵って宰相なのか。
男爵の問いに、今度はリンスが応じる。
その口調はいつになく、鋭く、はっきりとしていた。
「確かに婚約はしている……が、恋仲ではない」
その一言は、まるで斬り捨てるかのように明確で、揺るぎなかった。
ピシャリと言い切ったリンスの気迫に、男爵もそれ以上踏み込めなかった。
だが、そのやり取りだけで、すべてが伝わってきた。
――リンスは、ギースを想ってなどいない。
その事実が、俺の心をざわつかせた。




