第25話 師事してもらいます
南へと向かう街道――
緩やかな起伏を越えたその先に、灰色の影がうごめいていた。
コモンウルフ五体。唸り声とともに、こちらを睨みつけている。
「結構いるものだな……じゃあ、レオン。さっき教えた通りやってみろ」
「は、はいっ!」
息を飲む。手に汗が滲み、柄を握る手に力が入る。
足が震える。心臓が騒ぐ。けれど――逃げたいとは思わなかった。
「焦るな。構えを見せてみろ」
言われるままに剣を構える。だがすぐ、リンスの声が飛んだ。
「違う。重心が浮いている。膝を緩めろ。剣先はもう少し下。目を見ろ、牙じゃない。殺意は――目に宿る」
その瞬間、一体のコモンウルフが飛びかかってきた。
「来るぞ!」
反射で剣を振り上げた。
ガキィン!
剣と牙が激しくぶつかり合い、衝撃が腕に響く。だが、受け止めきれず、体勢を崩して後方へよろめく。
「……悪くない。次は腰を落とせ。剣は振るな、斬れ。力で押し切るな、刃に重さを預けろ」
リンスの声が耳に残る。
――力任せの剣じゃ、この先は通用しない。
実戦前に教わった言葉が脳裏を駆ける。
腕も剣の一部と考えろ。肘でも手首でもない、腕の付け根を支点にして、切っ先から弧を描くように斬れと。
握りしめた剣に、意識を集中させる。
ごまかすな。力で振るな。軌道と重さで、斬れ。
何度も頭の中で、真剣な表情で剣を教えてくれるリンスの声がリフレインする。
再び、コモンウルフが跳んだ。今度は正面から、一気に間合いを詰めてくる。
――来い!
リンスの教えを胸に、腰を沈め、脚に力を込める。
剣を「振る」のではない、「斬る」――!
ズバッ!
手応えと共に、切っ先が狼の腹を裂く。
血飛沫が鮮やかな弧を描き、宙に舞った。
「おおっ……!」
手応えは、あった。イメージ通り――いや、それ以上かもしれない。
だが――
「油断するな! まだ生きているぞ!」
リンスの声に振り向いた瞬間――
さっき斬りつけたはずのコモンウルフが、血まみれのまま飛びかかってきていた。
浅かったのか……!?
反応できない!
一撃を覚悟したその刹那――
「【加速】!」
声とともに、風が横を駆け抜ける。
次の瞬間、目の前のコモンウルフの首が宙を舞っていた。
「……が、良い太刀筋であった。センスはある。修練に励むといい」
軽く振った剣から血飛沫を払うと、リンスは無言で残るウルフたちへと歩み出る。
そして――一閃。
コモンウルフたちは、一体、また一体と音もなく崩れ落ちる。
さらに南に向かう道中、リンスが俺にアドバイスをくれる。
「レオンの体は、まだ成長の途中だ。今は力で押し切れず、さっきのように一撃で仕留めきれないこともあるだろう。だが、それもいずれ克服できる。今はとにかく正しい姿勢で、正しい太刀筋を身につけろ」
彼女の声色は極めて真剣。
――いきなり実戦か、と驚いたのは事実だ。
だが、やってみなければ分からないことも、確かにある。
リンスは最初の戦闘の後、素振りの大切さを語ってくれた。
「今の斬撃で、動きのイメージが掴めたはずだ。これからの素振りは、もっと意味のあるものになる」
実戦が、教科書以上の説得力を持っていた。
俺はその意味を、少しだけ掴めた気がする。
そして同時に――リンスの剣技の凄みも、改めて思い知らされた。
と、ここであることが気になる。
もっとも何から逃げているのか――あるいは誰から逃げているのかの方が気になるが、いきなりぶっこむような話題ではない。
「リンスさんのギフト……【剣姫】とはどのようなギフトなのですか?」
俺の問いに、リンスは周囲に目を配りながらも、口元に小さく微笑みを浮かべた。
「そうか。まだ話していなかったな。このギフトは、花舞剣流のすべての技を習得できるという。また、剣を手にした瞬間、身体能力が一段階引き上げられる。さらに、剣の能力も引き出せるとも言われている……ただし、先ほども言ったように、非常に稀有なギフトでな。すべてが解明されているわけではないのだ」
なるほど、と頷く。俺の【ストック】も、自分なりに使い方を模索しているところだ。そう考えれば、希少なギフトには共通する課題かもしれない。
だが、次の言葉が、思いもよらぬものだった。
「……ただ、私が本当に欲しかったのは【暴食】だったのだがな」
――えっ?
あの、ボヘックが授かった……あのギフト?
「私は姉たちと比べて、身体が小さく、体力もない。全力で戦えば、一分ももたない。セーブして戦っても、五分が限度だ。筋力も、持久力も、人並みにすら届かない……どれだけ走り込んでも、鍛えても、成果が見えない――だから、【暴食】が欲しかった。力も、体力も、自分の弱さをすべて食べて、埋めてくれる気がしていたのだ」
確かにそうかもしれない。
力も体力も、剣士にとっては致命的な要素かもしれない。
それは、魔法師に魔力がなかったら、というのと同じだろう。
けれど、それでも俺は思ってしまう。
リンスには【暴食】なんかじゃない。
彼女には、【剣姫】というギフト――その響きこそ似合っているのだ。
「……随分と話し込んでしまったな」
ふと我に返るように、リンスが周囲を見回す。
「気づけば、もう山の麓まで来てしまった。今日はこの辺りで引き返――」
言いかけたその時だった。
リンスの瞳が、ぴたりとある一点を捉える。
「……なんだ? あれは……?」
彼女の視線の先――山肌の中腹あたりに、微かな灯りが見えた。
間違いなく、光がそこから漏れている。
「行ってみますか……?」
俺の問いに、リンスはわずかに目を細めて応じた。
「……ああ。ただし、気を抜くな。先ほどから、コモンウルフの気配が一切感じられない」
そう言って、リンスの手が無意識に柄へと伸びる。
「もしかしたら……この山に、奴らの天敵が潜んでいるのかもしれない」
俺たちは身を寄せ、足音を抑えて慎重に進む。
目指すは、山肌に浮かぶ一つの灯り――静寂の中に、異物のように滲む光。
だがそのとき、視界の隅にそれが映った。
コモンウルフだったものを、引きずる何か。
「リンスさん……あれ!」
俺は咄嗟に、リンスの耳元でささやく。
「まさか……あれは……?」
その視線の先にいたのは、明らかに異質な怪物。
醜悪に歪んだ顔面。
黄色く濁った双眸。
二本の牙が突き出した下顎。
右手には、打ち捨てられた鉄片を叩き直したような大鉈。
左手には、ずるりと地を引きずるコモンウルフの骸。
「――オークだ!」
リンスの瞳に警戒の色が宿った。




