91.Lady Red -2-
目を開いたアンナは、ぼんやりと窓の外へ視線を向ける。
薄っすらとした霧に青みがこぼれた曇り空。おおよそ晴れやかな天気とは呼べない外を目にして、少女は不満をにじませながら体を起こす。
周りを囲むのは見慣れない部屋、そしてアンナの体を支える知らないベッド。
どこだろう、ここ。そう考えるアンナが思い出したのは、昨晩大人たちに言い渡されたことだった。
「そっか。下宿に泊まったんだった」
ここはカメリアが切り盛りする下宿の一室。
夕食をご馳走になり、先日と同様にザックと自分たちの宿へ戻ると思っていた少女に待っていたのは、意外な提案だった。
それは大人たちの都合が大きく占めるも、アンナにとっては悪くないもの。
殺人鬼を追い詰めるための案は、確かに日中で話し合われていた。
少年ジャックを橋渡し役とするのは前提として、パーシヴァルとザック、ウェスカーの男性三人がどう立ち回るのか。たったの数時間で話を詰めきれるかと言われると、不足が多いのも事実。
なので、ザックとウェスカーだけでも話を進められないかと、夜間の話し合いの場が必要となっていた。
そこで問題となったのが、深部まで関わらないアンナをどうするべきか。
細かな話し合いにアンナは参加しない上、現地での聞きこみに連れて行くのは、先日の遺体発見の二の舞となる可能性があるため、これ以上の深入りはさせられない。
かといって、一人だけ宿に帰すというのは、ザックの部下が護衛に就くとはいえ不安が多い。だからこのまま下宿に泊まるのはどうだろうというのが、昨夜の夕食後にあった話の流れだ。
「……けっこう、居心地いいかも」
ザックとウェスカーの話し合いは、いつまでかかるか分からない。
そのためアンナに用意されたのは空き部屋の一つ。
自由にしていいとカメリアに鍵を渡されたアンナは、最低限の家具が置かれた色のない部屋に対して、愛着のようなものが芽吹いていた。
殺風景さがザックの屋敷で与えられた自室と似ていて、余計なものが存在しない。
記憶はないけれど、自分はこういう部屋が好きだったのかなと思いながら、アンナはベッドから降りていく。
起きたそばから身の世話をしてくれるブリジットは、ここにはいない。
だからこそ寝起きのままで体を動かすアンナは、居心地のよさを身にまとったまま、部屋を出て一階まで下りていく。
まだ外の景色と同じく、ぼんやりした頭でリビングまで顔を出した少女は、脳を介さずに言葉を放つ。
「おはよう、カメリア」
「おはようございます、アンナさん。よく眠れたようですね。もうすぐお昼ですよ」
「うん。屋敷にいるときと同じぐらい寝たかも」
誰から見ても考えずに話しているアンナの様子に、昼までのちょっとした時間で読書をしていたカメリアは、驚きの後に淡い笑顔を浮かべていく。
貸し出し用の少女向けな寝間着はアンナの無警戒さを十全に表し、起床したばかりと一目で分かる乱れた黒い長髪は、手入れをする意識がないと主張している。
深い紫色の目も開ききっておらず、その重さは言葉にすら乗っていた。
朝に弱い。そう受け取ったカメリアは本を閉じ、朝日のような柔らかな声で少女を招いていく。
「そうですか、それは良かったです。しかしアンナさん。もう殿方たちがいないとはいえ、その格好はだらしがありません。身支度はご自身でできますね?」
「うん……たぶん」
ザックとウェスカーの話し合いがどうなったのか、アンナの知る由はなく。
もう正午に近づき、男性たちは町へ繰り出していると理解した少女は、目をこすりながらカメリアの言に頷いた。
怪物を探すために二人で出かけ、そのときに泊まる宿のときのように、ザックが身支度を手伝ってくれることはない。
着替えはまだしも、髪を整えることに面倒さを覚えるアンナは、自分の長髪の一端を握って眺めていく。
「髪、整えるのは苦手ですか」
「うん。本当は短くしてって言ったのに、ブリジットたちがこっちの方がいいって。切ってくれなかった」
友だちのミアのような短髪に近い方が楽だとアンナは考えていたが、屋敷にいる使用人たちの意見は異なっていた。
曰く、こっちの方が綺麗で似合っているということで、散髪の際に元より長かった髪を整えるだけで終わったのだ。
あまりにも手入れが面倒だとアンナが落ちこんでいると、心情を察したのか、いつの間にか立ち上がっていたカメリアがそばまで来ていて、少女の肩を押していく。
「では、髪だけは私が整えます。後のことはご自身で」
「……うん」
自分も同じ長髪だから、取り扱いは心得ている。
そう告げるカメリアは自身の長い赤毛を見せ、いまだふらふらと揺れているアンナと廊下まで足を延ばした。
まずは洗面所で顔を洗い、それから衣装替え。
そう身支度の順序を描いているところで、下宿全体にベルの音が響き渡る。
「お客様のようです。アンナさん、リビングで少しだけ待っていてください」
「うん、わかった」
何をしてもまだ眠いと告げるアンナが一室に引っこんだのを認めると、カメリアは静かに玄関へ向かっていく。
カメリアとしてはよくある日常。
探偵、医者、芸術家。様々な職の人間が下宿にいる以上、突然の来訪は驚くに値しない。
本日のお客様はどのような人物で、誰に用件があるのか。
アンナとザックに初めて出会ったときと同じ心持ちで、カメリアは玄関を開いていく。
「こんにちは、どなたでしょうか。お名前とご用件をお伺いしても?」
何も変わることはない。珍しさなど欠片もない。
そう思っていた夫人の目に映ったのは、見覚えのある組み合わせ。
それなりの背丈がある成人男性に、まだ幼さがある少女。
色味に服装、空気感。どれをとっても重なる部分はわずかだというのに、どうしてかアンナとザックを連想してしまう。
そんな二人組が下宿の前に立っていた。




